守ってくれる人
「最後に舐めたその魔力は、ミッシェルという名の女の魔力だった」
さて、どこから突っ込む? 切り刻む? ミッシェルはもういいよ。
才能があったが、無実の罪で処刑された女性。
私の前世は、遠島悠華という名前で、その記憶しかない。
ミッシェルさんの映像は見えたけれど、あれは私ではない。視線は傍観者だったのである。何より、彼女のその他の情報は、私の中には一つもないのである。
私は食事が包まれていた、奇麗な布を首に巻いた。着の身着のままできた私は襟なしのブラウスにスカート姿で、確かに薄着だったのである。
食事をするときには毛布はすでになくなっていたので、カンテラを左手に持ち、右腕に大耳の猫を抱きかかえた。
カンテラがあるので、右側の壁は見えている。
私は歩きながら、右腕に収まっている大耳の猫に話し掛けた。
「あなたは、ミッシェルさんのカバンだったの?」
「いや、この姿で主神官とともに面会をしただけだ。その時に差し出された手を舐めた。次に女を見た時は、女は燃え盛る炎の中にいた」
「残念だったわね。立派な獣神官になったでしょうに」
主神官様は、きっと残念だったに違いないと思った。
「どうだろうな。女に適正はあったが、獣神官に向いてはいなかった。死の直前にミッシェルが守りたかったのは、村人や神獣ではなかったからな」
それはないと思う。私は彼女の最期を見ていたのだ。
「うそよ。来てはいけないって、人を襲ってはいけないって、自分は戻ってくると叫んでいたでしょう? あう、ええとぉ。聞いた人がいるのよ。そうよ、確かよ」
思わず口から出た言葉を、何とか濁した。右腕の中で丸い二つの目が、私を見つめた。
「そうか。そうしておこう。だが、王子に一目惚れをした女が、夜中に彼を招いたとしたらどうだ? 村人が何と言おうと、彼女は妃の座を選んだだろうな。年頃の娘ならあり得る選択だ」
「ああ。王子様か……。なるほど、ありよね。でも、王子は大けがをしたんでしょう? 犯人は誰だったの?」
彼女の無実の罪は、回復した王子本人が証言したと聞いていた。
「犯人は賊とだけ公表されたが、真犯人はミッシェルの姉だ。数年後に第一王子は権力争いに負けて、若くして毒殺された事になっている。だが、サイユ村の村長の横には、いつも王子似の夫がいた。だからあの村は優遇されていたんだ」
優遇されていた理由が、元王子だとしたら、酷い話しである。
ミッシェルさんは双子の姉と、三角関係で破れた事になる。
妹を処刑した姉……。確かに、村長が言ったように、腹黒い。
「ミッシェルさんは、神獣に助けてもらえば良かったんじゃないの?」
パフォーマンスにしては、危険過ぎると思うが。
「神獣を知らない女は、当然、助けてもらえると、疑っていなかっただろうな」
「うはぁ。見殺し?」
何だか、彼女が気の毒になってきた。
「神獣にとっては、見ず知らずの女だ。戦争のたびに、兵士の命を救えはしない」
「ああ。そうか、彼女は神官ですらなかったのね……」
「そうだ。獣神官になるにはまず神官から学び、神獣に会わなければならない。主神官は女にそれをさせようと、迎えに行ったのだ。だが、自分が特別であると知った女の耳には、それ以外は聞こえなかったのだ。我の言葉さえもな……」
貧窮した村に住んでいた転生者。主神官の言葉に舞い上がった気持ちは、理解ができる。おそらく私と同じように赤ん坊の時間を持たずに、前世の思考を十八年続けてきたのだろう。彼女が地球人として、何歳まで生きたのかは知らないが、自分の運命に差した光は、きっとその先の幸せへと続くものに見えたのだろう。
だが、なぜ彼女と私は転生をしたのだろう? いや、転生者はこの世界にどれ程いるのだろう?
少なくとも、前世の私は特別な人間ではなかったのだ。焼死する高校生をどこにでもいる平凡な、とは言わないだろうが、それ以外はいたって普通の十六歳だったのだ。
「私は何に巻き込まれているんだろうね。生まれてきたんだから、ちゃんと生きていたいと思うのは贅沢かな?」
「不安か?」
「うん」
「大丈夫だ。我が守る。そのために我は、ここで待っていたのだからな」
「ありがとう。心強いわ」
この穴に入った時の不安はもうなかった。
それはカンテラの明かりのせいだけではない。
心にたくさん絡みついていた疑問が、一つずつ解き明かされて、その数だけ右腕に収まっている生き物への信頼に姿を変えていると思った。
この世界に生まれて、初めて自分の視界から不快な薄いベールが、剥がされていくのを感じた。
私たちはともに食事をし、一つの毛布にくるまって眠った。
その生き物は重みがほとんどなく、抱えていても、肩に乗られても、負担に感じる事はなかった。
大耳の猫になったり、カバンになったりしながら、そばにいてくれるのは、嬉しかった。
私はとうとう突き当たりにたどり着いた。
その壁には確かに穴があった。
腰から下げていた、父さんの香木をその穴に入れて、しばらく待ったが、何の反応もなかったので、私はそこで腰を下ろした。
「我はカバンになっている。欲しい物があるなら言えよ」
そう言ってカバンに姿を変えてしまった生き物を抱えて、私はただ待っていた。
父さんが、動いてはいけないと言っていたから。
目の前にあるのは闇。カンテラが照らす僅かな視界にある穴だけが、唯一、人口的に見える土だけの世界。すっかり慣れた土の臭いが、話し相手の消えた空間によみがえっていた。
この壁の向こうに何があるのかと、想像しながら時間を潰した。
サイユ村しか知らない私の想像など、たかが知れている。
海辺なら、夏の今は嬉しい。山ならば、どんな景色を見せてくれるだろう。
街並みはどんなだろう、どんな人たちが行き交っているだろう。
ただ、日本に行く選択肢だけは、首を振って退けた。
そこは、生きては戻れない場所なのである。
壁の外から小さな物音が聞こえて、私が立ち上がった時だった。
離れた場所が爆発したのである。
私は恐怖で、声も出せずに固まった。
「セルジオ、悪かったよ。どうせ俺はこれが苦手だよ。あん? まさかけがでもしたか?」
その言葉の後で、人の姿が現れた。
私は決して動くなと言った、父さんの言葉を理解した。
「初めまして、セルジオの娘のベスと申します」
「ああん? 何だって! ああ、驚かせてすまない。ジルベルトだ。ジルでいい。一人できたのか?」
「はい」
「俺はセルジオとエリーの仲間だ。そんな穴蔵は体に悪い。こっちにこい」
私は足元をカンテラで照らしながら、崩れた土の壁にある扉まで歩いた。
穴の先は室内だった。おまけに照明があるだけで、窓がないので、今までと大きく変わった気がしない。ただ、なぜか食料がたくさん置かれていた。
私はジルさんの後を遅れないように付いていった。
どうやら、ここは地下室だったようで、階段を上がって最初に見たのは、床の木目だった。
ようやく、日差しが入る部屋に立って、私がいる場所が台所だと気が付いた。
私が通ってきた場所は、地下の食料庫だったのだろう。
「まあ、座れ。今、茶をいれてやる」
父さんより、一回りは大きいだろうか。金髪と青い目は、アクション映画の俳優にしか見えなかった。
それも、主役のマッチョな友人Aである。
大きないかつい手にあるティーカップは、とても小さく見えた。
「飲みな。前に蜂蜜があるだろう? 好きなだけ入れるといい」
「ありがとうございます。いただきます」
紅茶に蜂蜜を入れた事はない。私は深すぎないその紅茶を飲んだ。
「おいしい」
「そうか。それで何があった?」
私は教会での事しか知らなかったが、ジルさんにはそのまま話した。
「なるほどな。心細かっただろう? 大丈夫だ。もうじきダニエル様も戻られる」
何が大丈夫なのかは分からない。両親の仲間だというだけで、大丈夫な気はするが、ダニエル様って誰?
自由にしていて良いと言われて、私は窓の外を見た。
住宅街なのだろうか、道を挟んだ向こう側にも、二階建ての家が並んでいた。
村は村長と教会と、警備隊の建物以外は平家だったが、この辺りは、この家を含めて平家の家屋はなかった。
初めての場所が珍しく、私は飽きもせずに、方向の違う窓からも外を眺めていた。
玄関から声が聞こえた。
「ダニエル様、お帰りなさい。ベスが一人できましたが、何かあったのですか?」
「謀反です。すぐにここを立ちますよ。教会補助官がベスに感づいたようです。彼には真実など分かりはしませんがね。ベスはどこですか?」
私はダニエル様の声が、神官様の声だとすぐに分かったので、玄関まで出迎えにきていたのだ。
「神官様。私はここです」
そう言った途端に、涙が流れて止まらなくなった。
「ベス。けがはないですか?」
「うん」
急に泣き出して、心配をさせたようだ。神官様はいつも優しい。
「カバンと一緒なら、大丈夫だと思っていましたが、ジルは魔法制御が苦手ですからね」
「ダニエル様、それ今、言いますかぁ? さて、移動準備をしますかね」
神官様はダニエルが台所に行くのを、目で追ってから言った。
「ベス。ここは王都の外れです。今日中にここをでます。細かな話は、王都を出てからで良いですね?」
「はい」
「一つだけ、伝えておかなければなりません。ベス、あなたの本当の名前はエリザベス。あなたのご両親と、私だけが知っている名前です。これからの旅は教会の発行した札を使います。その札は偽名が使えませんので覚えてくださいね」
「エリザベス……」
「良かったですね。動物の名前に似ていなくて」
「はい」
前世の友人宅にいた、潰れた顔の、肥えた猫の名前が、私の本名になった。
名前はポチからタマになっただけだったが、本名はどこの世界でも、自分で選べるものではない。
その内に慣れるだろうと思うしかなかった。
「私は神官として、王都からでます。ベスはエリザベスになって、ジルベルトとでてください。王都の外で会いましょう。大丈夫ですよ。カバンを信じてください」
優しい笑みを浮かべる神官様に、私はうなずいた。
神官様を見送った後。
私はジルが荷物を積んだ馬車の、御者台に乗せられた。
「馬車は初めてか?」
「はい」
「この王都はじきに、門が閉ざされる。情報をつかんだ者がまず先に逃げるのさ。間に合えばいいがな。ゆったりと乗せてやりたいが、物騒だから、俺についていろよ。お前に何かがあったら、エリーに百回は殺される」
母さんならやりそうだと思うとおかしくて、私とジルは顔を見合わせて笑った。




