その家で暮らした人
朝になって、私はしばらく毛皮の上に座っていた。
熟睡をしていたのか、現実を受け入れるのに少し、時間が必要だった。
とりあえず、万年床はないだろうと、毛皮を数枚だけ残し、種類ごとにまとめてから、おじいさんを探した。
二間しかないのだから、見回せば済むのだが……。
私はおじいさんを探しに外へ出て、息を飲んだ。
扉の前には小さな空き地があり、横には川が流れている。
昨夜の檻がそのまま残っていて、景観を損ねてはいたが、空き地の向こうは、木々の葉の隙間から光が落ちて、まるで絵画のようだった。
緩やかな斜面はここが行き止まりのようで、振り向いた先にある扉は、ほぼ垂直に切り立った崖の下にあった。
私は川のそばまで来て気が付いた。家の排水はこの川に流れるようになっていたのである。
近くにあった、青の大陸でも見覚えのある木の枝を、ダニエル様からもらった小さな剣をナイフ代わりに使って切り落とした。
表面の皮をむいて、繊維が残るように噛み砕く。
ダニエル様と旅をするようになって、歯ブラシは与えられたが、サイユ村では皆、庭に植えてあるこの木を、歯ブラシにして、塩をつけて磨いていたのである。
塩には乾燥して粉にしたハーブを、どこの家庭でも入れていた。
塩はないが、川の水で歯を磨き、顔を洗うと気持ちまでも、すっきりとした。
手拭いがなかったので、チュニックの裾で拭いたのは、仕方がない。
檻の中にある馬用の干し草やワラを、ぬれないように家の中に入れた。
ワラや干し草は、使い道がいろいろとあるのだ。
一握りのワラと、持ち上げると内臓が出そうなほど重たい鍋を、カマドから下ろした。
鍋を引きずって、川まで持って行き、ワラで力いっぱい洗った。
空でも引きずる鍋に、水を入れる訳にもいかず、再び引きずって、カマドのそばまで持ってきて、ため息をついた。
火魔法が使えないので、カマドの中や周りを探したが、火打ち石はない。
食材も何もないので、どちらにしろ料理はできないのだが。
私は檻まで行くと、中にある小さな木箱を川まで運んだ。
中に入っているのは、彼らが私に渡した、水の入っていた瓶である。
私に渡された一本分がなかったが、五本の瓶に水を入れて、カマドのそばにおいた。料理をするにしろ、飲むにしろ、水が室内にあると便利だと思う。
檻の中には、彼らの持ち物だろうか、袋が二つあった。
袋の中は二つとも大差はなく、衣類と洗面道具の入った小さな袋。
衣類は洗濯がしてあるようで、石けんの匂いがした。
「手拭いがあるなら言ってよね……」
洗面道具の袋をのぞいてから、まだぬれているチュニックを見てつぶやいた。
手拭いと歯ブラシと磨き粉、それと櫛が入っていた。彼らが長髪で良かった。
歯ブラシは、歯以外の何かを洗う時にでも使えるだろう。
それ以外はきれいに洗って、使わせてもらう事にした。
自分の髪をすきたかったので、カマドの灰と歯磨き粉の塩を少量の水で練って、櫛を丁寧に洗った。
転がされていた上に枕もなかったから、髪はボサボサなのである。
さらわれた檻の中に、枕があれば首や頭は楽だが、人さらいの彼らに、おもてなしを望むのは間違っているだろう。
三つ編みは前世でもしていたので、鏡がなくても困りはしなかった。
檻の中を片付けた、最大の目的は食べ物を見つける事だったが、残念ながら、あの石のようなパンすらなかった。
湯でも沸かそうかと思ったが、火魔法が使えない。
よしんば使えたとしても、器がない。
確かにこの世界は木の食器もあるが、その材料は外で葉を茂らせているのだ。
私のナイフや剣でどうにかなるとは思えない。
仕方がないので、瓶に入っている川の水を飲みながら、これからの事を考えている時だった。
入り口の扉が開いて、おじいさんが入ってきた。
「起きておったか」
「おはようございます」
「こんな暗いところにおっては、体を悪くするぞ」
いやいや、この土の家に、ベランダは期待していませんが。
おじいさんが、机に荷物を置いて外に出たので、ついて行くと、排水用の木材の上の土を、そばにあった木の棒でたたき始めた。
「確か、この辺りのはずだが、おお、あった」
現れたのは、木の板を数枚並べた物だった。
家の中に入ったおじいさんは、次にシンクの上の土を、まるで絵画の額でも外すように取り除いた。
「やはり時間をかけて焼かないと、駄目じゃな」
そこで私は初めて、それが出来損ないの陶器であると気が付いた。急いでいたのだろうか。
外で見た縦に並んだ木の板は、中で横に渡された木に、打ち付けられていたようで、押し上げて木の棒で支えると、部屋に新鮮な空気と、日差しが入ってきた。
「窓が隠されていたのですね」
「入り口と違って、こちら側は雨や風にあたるのでな、焼いた土でふたをしておったのじゃ。さて、こんな物でも良かったら、食べるといい」
机の荷物から出てきたのは、多分果実。
初めて目にする物ばかりだったが、ナイフで切りながら、慎重に口にしたが、それはどれもおいしかった。
特に真っ黒なライチに似た物と、赤い鈴の形をしている、梨のような食感の果実は、一口サイズで幾らでも食べる事ができそうだった。
「うまいか?」
「はい。とてもおいしいです」
「食いながらでいい。ベスの話を聞かせてくれ。ベスはおそらく、この世界の者ではなかろう?」
私は思わずおじいさんの顔を見た。
この世界でこの質問をしたのは、私の祖父だった村長と、目の前のおじいさんだけである。
ミッシェルさんの知り合いだろうか。
「儂とここで暮らした者も、この世界の者の姿ではなかったのじゃよ。夕べ、ベスの助けを求める声が、聞こえたと言ったじゃろう? 儂の耳は特殊で、心の叫びが聞こえるのじゃ」
おじいさんは、優しい笑みを浮かべて言った。
確かに私は幌馬車の中にいたのだ、余程近くにいなければ、声など聞こえるはずがないのである。
魔力が封じられている今なら、なおさらである。
「あやつもベスのように、助けを求めて叫んでおった。檻には入っていなかったが、兵士に囲まれておったのじゃよ」
「おじいさんは、それでその人を助けたの? 兵士に追われるなんて、普通じゃないでしょ?」
犯罪者だったなら、おじいさんだって無事では済まないと思った。
助けを求める者が、善人だとは限らない。
「あれは、この世界で生まれたが、全身が青い肌で、額には角が生えていたのじゃ。親が大切に森に隠して育てたが、村の者に見つかって、王に差し出される途中で逃げたのじゃ。なぜ、前世の姿で生まれたのかと、ひどく嘆いておった」
肌の色が違うのは罪なのだろうか、王に差し出される理由が分からない。
そんな理不尽な目にあったなら、私だって逃げ出すと思う。
「その方は、生涯ここで暮らしたの?」
おじいさんに助けられて、良かったと思う。
ここなら、人の目に怯えずに暮らせるだろう。
「いいや。あれは親を幸せにする事を望んだから、儂の知り合いで、白の大陸で暮らす者を紹介したのじゃ。そこの学園の教師になってからも、時々遊びにきておったが、寿命で旅立ったのじゃ」
「悲しみの中で暮らさなくて、良かった」
幸せだったかどうかは分からないけれど、おじいさんと遊ぶ余裕が、心にあったのなら、良かったと思う。
「ああ、あれは両親を白の大陸に連れて行って、仲良く暮らした。儂は話を聞く度に、助けて良かったと思ったものじゃ」
おじいさんはその人を思い出したのか、優しく笑った。
おじいさんの言う、白の大陸にいる知人とは、間違いなく教会の関係者だろう。
そして角のある青い肌が、前世の記憶としてある人は、私と同じで転生者という事なのだろう。
転生などという言葉を聞いた事もない人が、突然前世の記憶があり、この世界にない容姿で生まれたら、それはどんなに苦痛な事だろうか。
私は目の前にいるおじいさんを、信じる事にした。
白の海賊のイザベラさんに、立ち止まって考えろと言われたが、目の前のおじいさんに悪意は感じられない。
教会から、ダニエル様に連絡をしてもらうには、私を信じてもらわなくてはならないとも思った。
「おじいさん。これから話す事は、にわかには信じがたい事かもしれませんが、偽りはありません。聞いてもらえますか」
「ああ、大丈夫じゃ。多少の事では驚きはせんよ」
私はゆっくりと、自分の事を語り始めた。
おじいさんは、途中で質問はしたが、全てをしっかりと聞いてくれた。
「まずは、人の命がかかっておる。急いで連絡を飛ばそう」
私はそう言って出て行った、おじいさんの後ろ姿を見て、首をかしげた。
連絡を飛ばすとは、魔導具の鳥だと考えるのが、多分普通の事。
だとしたら、手紙を書かなくてはならないはず。
決して短い内容ではなかったのだが……。
外で書くのだろうか。
「連絡と手配は頼んだから、安心すると良い。モンテナ村は、きっと守られるじゃろう。闇商人とやらも、儂の知り合いが、決して許しはしないだろう」
「ありがとうございます」
知り合いって誰だか分からないけれど、頼りになりそうだと思った。
私は中断していた、食事代わりの果実を食べる事にした。
南の果実は、デザートに向かないと思う程、濃厚で食べ応えがある物が多く、それぞれ特徴があって楽しめると思った。
食べ終えた皮や種の捨て場所を、おじいさんに作ってもらい、汚れた手や顔を川で洗った。
「さて、ベスよ。儂は先程の話で、気になる事がある」
「え? 全部話したと思いますが、どの辺でしょう?」
「この辺じゃな」
おじいさんはそう言うと、私の頭に手を置いた。




