冷たい探し人
「ベス。明日の昼くらいには赤の大陸、ラバーブに着くよ」
甲板部の甲板磨きの手伝いを終えて、海を眺めていた私に、イザベラさんが話し掛けてきた。
「前に乗っていた船は、無事に到着したのでしょうか?」
気になっていたので、聞いてはみたが、私は答えに期待はしていなかった。
「応急処置でなんとか着いたようだ。船長は事故直後に魔導具を飛ばして、報告をしたようだ。こちらも連絡は入れたからね。教会から無事を知らされて安心しただろうね」
思わぬ返事に私は嬉しくなって、イザベラさんを見た。
「良かった。皆さんの旅に嫌な思い出を残さずに済みました」
船長や船員や乗客も、初めての船旅のせいもあり、鮮明に覚えていた。
「ああ、恨まないでやってくれ。私が船長でも同じ判断をする。助かる命を、海では優先させなければならない。クラーケンに捕まって、助かるとは誰も思わないからな」
「はい。大型の魔物に出会ったら、全力で逃げると聞かされていました。誰かが犠牲にならずに済んで良かった」
ルベは私やダニエル様が魔力が高いので、狙われたと言ったのだ。
私は誰かを巻き込まなかった事を、心から良かったと思っている。
「今はルベウスと名前が付いたようだが、彼とダニエルが付いていて、何かがあるとは思えないが、それでも気を付けるのだぞ? 魔物より恐ろしい人間はいる。そんな人に出会わない事を祈っているが、万が一、出会ったなら立ち止まって良く考えるんだ。自分が命を預けても良い相手は誰かと。全てを疑えとは言わない。ただ、全てを信じるのは、危険だと覚えておくんだよ」
「はい」
イザベラさんは私の頭を乱暴になでると、仕事に戻っていった。
私の肩に乗っているルベが言った。
『あれは主神官になった初めての任務で、仲間に裏切られた経験がある。食事に毒をもられ、魔力を封印され、傷だらけで山奥に放置されたのだ』
『仲間に?』
私はイザベラさんの行った先を目で追った。
『部下は自分で選ばねばならん。それを、信頼していた者に任せてしまったのだ。イザベラは将来を期待され、挫折を知らずに育ったから、人を疑う事をしなかった。あれを救ったのは、ハンスとオトマールだった』
『料理部長?』
そう言えばイザベラさんは、オトマールさんの料理以外は、食べないと聞いた気がする。
『オトマールは、本部の食堂にいた職員だったんだ。瀕死のイザベラをハンスが連れ帰り、二人で介護をしたんだ。ハンスが上を説き伏せて、心を閉ざしたイザベラを強引に船へ乗せた。海はイザベラには合っていたのだろう。それから仲間を増やし、多くの事件を解決した。今では船に乗る神官たちの、絶大な信用を得るほどまでに、成長したからな』
『あんなに明るい方にも、つらい過去があったのね』
そんな話をしたい訳がない。イザベラさんの目には、私がそれほど危なく見えているのだろう。
『つまずかずに歩いている者の方が少ない。どう起き上がるかで、その先の道が変わる。どの道も色は違うが、選んだ道を信じて生きている者の方が、楽しそうに見えるがな』
『うん。今の私には少し難しい』
『人も魔物も良心だけしか持たぬ者はいない。大人になると、許せる範囲が決まってくるだろう。仲間はそうして集まるのだろうな』
信じている者が、裏切るか裏切らないかなんて、絶対に分からない。
許せるか許せないかと言われたら、きっと許せないと思う。
だって私はまだ、父親を許せてはいないのだから。
思い出の中から、切り捨てるしか自分を守る方法はないと学習はしている。
いつまでも縛られていたくはない。
一度の裏切りで、それまでの思い出の全てを、否定したくはないと思うから。
熟睡をしていた深夜に、私はダニエル様に起こされた。
「ベス、起きなさい。オトマールについて行きなさい。そして、私が行くまで、決して部屋から出てはなりません。いいですね?」
「はい」
「さあ、嬢ちゃん、こっちだ」
私は何かがあった事は想像がついたが、空気を読んで子供の疑問は、後に回してオトマールさんについていった。
この雰囲気はどうせ笑える話題ではないのだ。
「さあ、ここだ。扉を閉めるから皆のところに行け」
部屋の中央には、料理部と事務部の人が五人ほどいた。
「ここにいらっしゃい。少しの辛抱よ」
一人の女性が、毛布で私を包んで座らせてくれた。
「何があったのですか?」
「私は事務部のアリッサよ。幽霊船が現れたの。突然、向こうからくるのは、珍しいのよ。こちらがいつも追いかけるのに」
「幽霊船?」
アリッサはうなずくと、私を毛布ごと抱きしめた。
実物を見ていない私には、その怖さの実感はないが、人がいるのは心強い。
「俺らは光魔法が使えない。悔しいが、やつらに一番に狙われる。体を乗っ取られたら神官様たちの足手まといだからな。こうして隠れるしかないのさ」
そう言ったのは、調理部の若い男。いつも私に話し掛けてくれる人だった。
「ここは見つからないの?」
「ここは教会の船だけに付いている。特別な牢屋だ。魔法も水も空気も通さない」
彼は胸を張って言った。
「それって、死んじゃうわ」
私は少しあきれて言った。
「魔導具があるから、大丈夫だ。船がバラバラになってもこの部屋は、海を漂って回収を待つんだ」
オトマールさんが、面白そうにそう言った。
「避難のためではなく。世に放つ事のできないほど、危険なものを入れる牢屋なのですね」
オトマールさんは、私の視線を外さずにうなずいた。
「そうだ。だが、今は俺たちの身を守る。風呂こそないが、非常時に必要な物はそろっているから、安心して眠っていて良いぞ」
安全な場所にいる気分には、少しもなれないが……。
私は無意識にカバンを探していた。
そうだ、この船ではルベは獣の姿のままだったのだ。
『ルベ? ルベどこ?』
魔法も通さない場所では、会話はできない。
きっとルベは、この部屋の近くにいるに違いないと思った。
揺れる船で危険な状況にあるなら、人は無意識に体を預ける場所を選ぶと思うのだが、彼らは部屋の中央にいた。
狭い訳ではないのに、寒くもない季節に毛布にくるまって、まとまっているのである。
その理由を、私は自分の体で知る事になった。
寒いのである。寒気がするのではない。
息が白くなるほど、部屋の温度はどんどん下がっていく。
たたんであった毛布を次々に掛けていくので、体は寒くはなかったが、この不安な寒さを私は経験したことがなかった。
「楽しい事を考えろ! うまい物でもいい。つらい事や悲しい事を思い出すな」
「え?」
「この寒さは心の闇に入り込む。入られたら厄介だ」
「魔法ですか?」
「魔法ではない。ただ、入り込まれた者は、取り憑かれやすくなるからな。まさか、嬢ちゃんが、寒さを感じるとは思わなかった。いいか? 風呂でも何でもいい。温かい物を思い出せ!」
空腹時におにぎりを思い出すほど、簡単な事ではない。
温かいものって何だっけ……。ああ、火事。あれ? おいしい物ってなに? 日本の家族と食べたご飯。お父さん、お母さん、お兄ちゃん。それはつらい思い出や悲しい思い出ではない。
サイユ村の家族。皆、殺されてしまった……。
私が愛された、大切な思い出だもの。
幽霊ごときに、握られても良い弱みなんかではない!
そんなものであってたまるか!
「私はたくさん愛されて幸せだったの。その手で私の思い出をおとしめないで! あなたは誰?!」
私の横にいたアリッサが、ふらりと立ち上がると、部屋の隅に移動してその姿を変えた。
「アリッサ! 嘘だろう?」
誰かの言葉にオトマールさんは言った。
「あれは、アリッサではない」
私の頭の中に記憶が流れ込んできた。
若くて美しい女性だった。
彼女の幼馴染みの恋人は、周りの期待を一身に受けて、神官になるべく白の大陸にある学園に入った。
「神官になって、きっと迎えにくるよ」
「ええ。いつまでも、あなたを待っているわ」
だが、青年はどんなに待っても、二度と帰ってくることはなかった。
彼女の元に戻る彼を乗せた船が、消息を絶って誰一人戻らないままだと知ったのは、訪ねてきた客の噂話だった。
客は婚期を逃した彼女の縁談を、持ってきたのだった。
ようやく決まった結婚を、喜ぶ周りの人たちに、そっと別れを告げて、彼女は海にその身を投げた。
彼女はこの広い海で、彼を探しているのだろうか。
「アリッサから離れて! あなたの大事な人は、ここにはいない」
『カラダ……ホシイ……』
「あなたは、自分の魂を入れる器を探しているの?」
『アノヒトニ……アウノ』
美しい人ではあったが、死してなお、恋人の目に映る自分を、気にしているようである。
「ここにはいないわ。あなたは待つと言ったでしょう。会う場所はこんな暗くて冷たい場所でいいの?」
彼女の表情が変わった。
アリッサさんが、苦しそうに彼女から逃げようとしているのが、見えている。
それと同時に、もっと強大な何かを感じた。
私は叫んだ。
「オトマールさん、扉を開けて!」
「それはできん! 外の状態が分からぬ。いつもより時間が掛かっているんだ。危険だ!」
「大丈夫。こんなに優しい人が、アリッサさんを連れていったりはしない。彼が彼女を探しに来ているの。信じて!」
オトマールさんは、他の人を見てから言った。
「クソ! あの方がおそばにいることを望んだ嬢ちゃんだ。俺も信じて見るか」
私は彼女を見て言った。
「彼が待っているわ。あなたを守るために戦っている」
その扉の外にいるリッチは、彼女の大切な人だ。
私は開いた扉から、大声で叫んだ。
「攻撃を止めて!!」
「ベス!」
その声はダニエル様だった。
『ダニエル、攻撃を止めさせろ!』
ルベが言った。
『ワタシヲ……バケモノト……イワナイ?』
「言わないわ。あなたは美しい人だもの。二人で幸せになるのでしょう?」
彼女はアリッサから離れると、両腕を広げたリッチの胸に飛び込んだ。
『彼女が迷惑を掛けた。彼女をおいては行けなかった』
美しい彼女の肩を抱いているのは、優しそうな青年だった。
『オクッテ……ホシイ。アナタニ』
「うん。頑張って特上の道を作るわ」
できなければ、誰かが助けてくれるわよね。神官はいるのだから。
「ラベーナ神の泉よりもたらされた、その力をこの手に。我願うは彼らの行く道を示す光!」
イメージはイルミネーションなの。派手かしら?
『アリガトウ……ステキ』
『ありがとう』
二人の幸せそうな笑顔に、私は胸をなで下ろした。
「どういたしまして」
二人の後ろ姿は、静かに薄くなり消えていった。
「ベス、よくできましたね」
そう優しく言ったのはダニエル様だ。
「光魔法は、初めてだったから詠唱しましたよ?」
緊張から一気に解放されて、私は体に力が入らない。
でも、魔力を使い過ぎて、ダウンはしたくないと思った。
「ええ。アリッサも無事ですよ。朝までは時間があります。このまま少しお休みなさい」
ダニエル様はずるい。
会話をしながら、魔法を掛ける……。
毛布を掛けられ途端に、私は眠りに落とされた。




