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奇妙なカバンが守ると言ったから  作者: 天色白磁
第一章 青の大陸
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逃げる後ろ姿

 船での生活は三日も過ぎれば慣れてくる、というより、移動できる場所が船の中しかないので、少々暇を持て余す。

 景色で変わるのは、空に浮かぶ雲くらいなものである。


 子供の乗客もいるのだが、学生が数人と小さな子が二人で、交流はない。

 貴族の子供には専属の従者もいるので、話す相手に困ってはいないのだろう。


 私はと言えば、魔法の練習ができない分、剣の練習に力が入っている。

 時々、船員や貴族に付いている護衛の方に、相手をしてもらえるのも、楽しみの一つだった。

 相手といっても、向こうは無論本気な訳ではない。暇つぶしに、子供の遊び相手をしてくれる程度の事なのだろう。


 後はひたすら、薬草と魔物の図鑑を眺めている。

 時々、ダニエル様が薬草の実物を見せてくれるので、剣より薬草の知識の方が、身に付いている気がする。


「今日から明日にかけては、大陸と大陸との中間辺りを通りますから、できるだけ一人で部屋から出ないように。空や海の状況が変わりやすく、大型の魔物も一番出現する場所ですから」

 ダニエル様がわざわざ言うくらいなのだから、きっと危険なのだろう。


「はい。でも大型の魔物が出たらどうするのですか? 皆で戦うのでしょうか?」

「攻撃されればある程度は応戦しますが、逃げますよ。それはもう全力で」

「逃げ切れるんだ……」


「逃げ切れない時もあります。最近では三年前にもありました。二十数人の犠牲者がでたのですよ。小舟で辛うじて逃げ延びた人も衰弱していて、救助が間に合わなかったようで、犠牲者の数が増えたのです」

 逃げ切れるかどうかは、運次第というところだろうか。

「賠償はどこがするのですか?」


「危険を承知で乗るのです。魔物や海賊、天候などによる被害の責任は問わないという書類に署名をした者だけを乗せるのですよ」

「確かに、その辺りは責任が取れませんね。船と海賊が手を組んだら、どうするんですか?」


「昔はそんな事件もあったようですが、罪が重いですからね。割に合わないでしょうね。船は造るのに多大な費用が掛かります。維持するのも大変だと聞いています。安全な航海が一番、商売の利益になるのですよ」

 そうなのだろうが、隙間があったら流れるのが人間なのだから、船旅は危険を伴うと認識して置いた方が良い気がする。



 その日の夜には、海も少し波が立ち、船が揺れ始めた。

 私は初めて船の揺れを体験した。

 うまく立ち歩く事が不可能になり、時々古いエレベーターに乗ると体感する、あの浮遊感があるのだ。

 本格的に海が荒れたら、遊園地のアトラクション並みになるのだろうと想像して、ため息をつく。あれはきっと数秒で終わるから楽しいのだと思う。


 ダニエル様は早速、迎えにきた船員に苦笑いをした。

「いっそ、乗客は全員を眠らせましょうか?」

「それができたら、俺らも楽なんですがね。まるで俺らが揺らしていると、言わんばかりに怒られても困りますよ」

「それは災難でしたね。その患者は最後に診てあげましょうね」

 船員とダニエル様は意地の悪い顔で笑った。


「部屋をでないで、待っていてくださいね。急いで戻りますからね」

「はい。ダニエル様も気を付けて」

「ありがとう。行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 私は思わず笑ってしまった。こんな状態の船の中を歩こうなどとは、いくら私だって思わない。


 ダニエル様がいない部屋には、リズムを忘れた波が、船にぶつかる音と、ギシギシと木のこすれるような音がする。

『ベス、どうした? 不安か? 我がいる』

 膝の上からルベが見上げて言った。

「うん。心細くはないのだけれど、嫌な感じがするの。窓の外かなぁ?」


『ああ。この嵐はあれが不機嫌だからだろうな。このままおとなしく眠ってくれれば良いのだが』

「ルベ? これって魔物の仕業なの?」

『ああ。あれはうまくはないぞ?』

 その説明はどうなのだろう。ルベは食べた事があるのだろうか。


 私はその魔物が気になって、窓のそばまで行って外を見た。

 にわかに部屋の外が騒がしくなった。

 間違いなく、それは海から現れたあれのせいだと思う。


「ルベ、あれはおいしいでしょう?」

『今度、食ってみるか?』

「少なくとも、今はいい……」

 だって、あれは図鑑で見たクラーケンなのだから。


 その時、船室の扉が勢いよく開いた。

「ベス! 魔物です! 逃げますよ」

「はい」

 私はそう答えたと思う。


 人の五感とは、何と不確かなものなのだろう。

 ダニエル様の声と、船が壊れる音が聞こえているというのに、私の伸ばした手を握り抱き寄せるそのぬくもりと、海水の冷たさを同時に感じている。

 次の瞬間、私はダニエル様に抱えられたまま、空中を飛んでいた。


『ええい! 寝ぼけるな! それを離して立ち去れ!』

 低く響き渡るその声は、聞いた事がなかったが、ルベの声に違いなかった。


 ゆっくりと落ちていたはずだが、今度は横に静かに移動している。

 ああ、私はユーホーキャッチャーの景品になったと思った。

 海面に木片が浮かぶ場所で、足の先から徐々に、ダニエル様と私は海に沈み込んでいった。


「助かりましたルベ。しかし、なぜ海の中へ?」

『船からたくさんの目があったからな。溺れておけ』

 ダニエル様の言葉に、ルベは言った。


「一応は心配をしてくれているのでしょうね」

 木の板につかまりながら、ダニエル様はため息をついた。

「ダニエル様の言っていた通り、本当に、全力で逃げて行きますね」

 その船の後ろ姿が、まるで弱い魔物の後ろ姿に見えて、私は笑ってしまった。


「ええ。笑っていますがベス。私たちは魔物がウジャウジャいる海のど真ん中だって知っていますか?」

 頭の中では理解はしている。ただ、感じるのは魔物の気配ではなく、圧倒的な強さで守ってくれるルベの気配だった。


「はい。でもあの船は壊れていますが、平気でしょうか?」

「一撃を、平行に受けましたから、応急処置でしのげるかもしれません。駄目でも小舟がありますから大丈夫でしょう。クラーケンの一撃で、沈まなかったのはルベのおかげでしょうね」

 垂直に受ければ、船は沈んでいたのだろうか。


「ルベはすごいね。でもなぜ私たちは捕まったの?」

『全く動じないベスも、ある意味ではすごいがな。ベスとダニエルの魔力は高いからな。あれらは、餌を魔力で判断するのだ』


「目がよく見えていないの?」

『見えてはいるが、視界が狭いのだ』

 確かに、あの巨大なタコの頭は、なかなか邪魔そうではある。


「ルベ、すみませんが、どこかに陸地はありませんか?」

 ダニエル様は神官の服である。おまけに靴を履いていては、木にしがみつくしかない。

『こんな場所に陸地がある訳がなかろう。いや、あるか。歓迎はされんが、海の中よりは良かろう』

 どうやら、心当たりはあるようだ。


 まばたきをしている間に、私たちは木の板を抱えて砂浜にいた。

「ここは?」

 ダニエル様も初めての場所なのだろう。


『トルーホの島だ。結界からは出るな。ここに住むカメはクラーケンも手を出さぬ』

「あんなに手があるのに?」

 変な事を言っただろうか、ダニエル様が困った顔で笑った。

「……。固くて歯が立たないのでしょうね」


 ルベは夜の砂浜にランタンを置くと言った。

『ダニエル。あれを呼べ。今の我では、二人は運べぬ』

「そうですね。一番会いたくない方ですが、致し方ありません」

 ダニエル様は、秘密の薬箱から紙とペンを取り出し、手紙を書くと、金属の鳥の足にそれを付けて飛ばした。


 魔導具の鳥を見たのは初めてだった。当たり前だが鳥目ではない。

 間近で初めて見た鳥は愛想のない顔をしていた。鳥の顔や色は皆同じなのだろうか、いつか魔導具の店に行って見たいと思った。


 ルベとダニエル様の知り合いが来るようだが、どうやってくるのだろう。

 驚く事がいっぱいあったので、もう驚きたくはない。

 その内分かるのなら、今は聞かずにおこうと思った。

 多分私は疲れている。


 私たちは生活魔法で塩辛い体をあらって、着替えをした。

 ルベは本当に頼りになる。乾いている服や、毛布のなんとありがたい事か。

 それから火をおこして、温かいスープを食べた。

 いろいろなところに飛んでいた自分の何かが、一つずつ所定の位置に納まっていく気がして、それはとても心を落ち着かせた。


 ダニエル様も珍しく、温めた酒を飲んでいた。

 その横で私は、毛布にくるまって目を閉じた。

 体が船を懐かしんでいるように揺れている。


「もう、船はごちそうさまです」

 自分の体に言い聞かせるように、私はつぶやいた。

 頭上でダニエル様がクスリと笑った気がしたが、もう、まぶたを開ける力は残ってはいなかった。








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