その者の名は
執務室にはこの部屋の主である、大神官様とその補佐がいる。
そして、獣神官の私とその補佐をしてくれているダニエル。
四神獣はこの場では、神側だろうか。
「先ほど、ラベーナ神様から、お言葉をいただいた。エリザベスは神獣様たちと、既に見に行ったようだが、神の海域上空の異変についてだ」
大神官様はそこまで言うと、大きなため息をついてから、私たちを見た。
私は、その先が聞きたくて、大神官様から視線を逸らさずにいた。
ニコール様やダニエルからも、声が上がらないのは、おそらく同じ気持ちだと考えても良いだろう。
「浄化されていない魂が、恨みや心を残すとアンデッドとなり、その多くが自我を失う事は、知っているだろう?」
学園に行っていないが、そんな事はこの世界の常識である。
大神官様の視線が私から動かないのは、どう言う意味だろう。
仕方がないので私は、分かったとばかりに、大きく頷いて見せた。
面倒くさい……。
「不完全な浄化を施された者が、この世界に強い恨みを持っていたようだ」
あれがアンデッド……。
あの炎が、人を襲うのだろうか。
実はあの穴は口で、食べられたりするのかな? その前に燃えるよね?
大神官様が嘘を言う理由はないと思うが、色々と疑問が残る。
「浄化魔法を再び掛ける事は可能ですが、ベス様が見た炎がアンデッドとは思えません。ましてあの場所は神の海域です。ラベーナ神様が手をくだされない、その理由を聞かせて欲しいですね」
おお、ダニエルは天才! 超天才!
私が言いたい事を先に言う人はたくさんいるが、心の中でゴチャゴチャに絡んでいる物の中から、簡単に疑問だけを抜き取ってくれる人は彼だけだろう。
『何をニコニコしておるのだ』
『え? ダニエルは天才だと感心していたの』
ルベに声を掛けられて、私は苦く笑った。
私は昔から隠し事が苦手で、すぐに見破られるから、ここは正直に話した。
『今更ですか?』
ダニエルはそう言うと、口元を手で隠した。
笑うな!
「その魂の望みをかなえた神がいたと言ったら?」
「どこの馬鹿神だ! と答えるわ」
大神官様の言葉に、私は即答して胸を張ったが、なぜかその姿を見た全員が吹き出した。
ルベは顔を前足で覆い、他の神獣はため息をついている。
間違ったのだろうか……。
「いや、エリザベス。私が望んでいる答えはそれではない」
大神官様は息をするのも苦しそうに、駄目だしをした。
それなら聞くなよ……。
「ラベーナ神様より、上位の神であれば、手を出せないと言う事でしょうか?」
天才ダニエルが、もし同級生ならば、鼻持ちならない奴に違いない。
悔しいが私の答えより、少しだけ正しいかもしれない。
「ここは、ラベーナ神の創った世界でしょう? そこに手をだしても良いの? 上位神って、馬鹿上司? 蹴り出してしまえば良いのに」
位が上ならば尚の事、拒否権のない下の者の許可もなく、厄介なものを押し付けて良い訳がない。
恨みつらみを、言いたいだけならば聞いてはやるが、この世界に災いをもたらすならば、責任は上位神にとってもらいたいものである。
「ベス様は無茶を言っていますが、間違えてはいないと思いますね。そもそも、不完全な浄化を施された者って、どこのどなたの魂なのでしょう。随分とまた、根に持っているようですが」
ニコール様はそう言うが、世界中で毎日、人は亡くなっているのだ。
社会や家族、友人や恋人に心を残す者や、恨みやつらみのある者は、大勢いるだろう。
どこの誰かの名前を聞いたところで、どうにもならないと思うが。
「百年以上も前の魂のようだ。行くべき場所に行かれず、また、戻る事もできずに彷徨っていたところを、力のある神に拾われたようだな」
魂の浄化とはそもそも、この世界への恨みや未練を断ち切って、迷わずに行くべき場所に向かうようにする事だ。
この世界と行くべき場所の間で、身動きがとれなかったとしたら、それはどれ程つらい事だろうか。
「だったら、その優しい神と暮らすなり、浄化してもらうなり、好きにしてもらえたでしょう? 第一戻った理由は何なのですか? 家族とか恋人ですか?」
ようやく、身動きがとれるようになったのなら、肉体のないこの世界に戻るより、楽しい場所で幸せになれば良いと思う。
それができない理由は何だろう。
「魂の望みは、ラベーナ神にも分からないようだ。ただ、たった一人で彷徨っていた時間が長すぎて、負の感情が巨大化したようだ」
大神官様の表情は暗いが、何も起こっていない時点で、負の感情と決めつけるのは、少々早い気がする。
放置したら巨大化するならば、負の感情はでき物や腫れ物の一種か……。
「それで、その負の感情とやらを、ここで吐き出させると?」
ニコール様は、恐ろしい事を言っている自覚があるのだろうか。
大神官様が、長い時間をかけて巨大化したと言ったものが、物理的な物ならば大変な事になると思う。
「負の感情を吐き出すって、具体的には何をする気なの? 嫌がらせで炎を見せているだけなら、好きなだけやっていれば良いけど、この世界に害を成すなら、私たちはそれを見過ごす訳にはいかないわ。第一、各国への報告はどうするのですか? きっと、大騒ぎになるわ」
私は大神官様を見ながら、その後ろか上にいそうな神にも告げた。
「既に、各国の王や教会から魔道具のトリで手紙が届いている。太陽が二つになったと、民が怯えているようだ。どの手紙も、正確な情報の公開を望んでいる」
来ていたのね……。
ならばなぜ、ゆっくりと遠回しな話し合いをしていたのだろう。
腹の探り合いのつもりなら、私の腹は奥行きがないので、探っても何もない。
おまけに、私は大神官様や神の腹などという、そんな面倒くさそうな物を探る趣味もない。
「あれは誰の魂で、なぜ不完全な浄化だったのかを、神や神獣や大神官様が隠していては、話にならないわ。知っていますよね? だから、負の感情だって分かったのでしょう? 放っておくなら聞きませんが、何とかするなら聞かせてください。神の海域へ行くのは私ですよね?」
腹など探る必要はない。
ストレートに聞くのが一番早いと思う。
自慢をするが、遠回しに言われたって、きっと私には分からないし……。
「何を馬鹿な?! 兄上、正気ですか?! 許しませんよ!」
ダニエルが、大神官様を兄上と呼ぶほど、驚くべき事ではない。
どう考えたって、私以外にはいないと思う。
「まだ、何も起きてはいない。だが、生身であの場所に行ける者はいない。行けたとしても、浄化の魔法を使える者は限られている。いざとなったら、エリザベスしかいないのだ」
大神官様はダニエルに、言い聞かせているようだが違うと思う。
あの場所に行くのは、私の役目だとは思うが、まだ行くと言ってはいない。
「私しかいなくても、お断りですね。神や神獣や大神官様に、隠し事をされているのが不愉快です。あの場所に行くのは命がけですから、万全を期さないと無理です。私には命より大切なものがあるのですから」
「ベスの命より大切なものなど、この世にありはしません!」
ダニエルはとても怖い表情で私を見るが、その考えは彼のもので、私は違っても良いと思う。
「こんな風に思ってくれる人が、私にもいるのです。もしもの時、残された者たちが、仕方がなかったのだと思える情報は、少しでも多く置いていきたい。大神官様や神様の事情より、私は家族や仲間の方が大切だもの」
獣神官になる時に私は、災害で悲しむ人を一人でもなくしたいと思った。
それは当然、自分が愛する家族や、仲間にも当てはまるのである。
「ルベ様が、あの魔力を覚えておいでだった」
大神官様はそう言って、ルベに視線を向けた。
『あの魔力の味を、我は忘れぬ。あれはミッシェルの物だ』
「ミッシェルですって?!」
ルベの言葉に、私は思わず叫んでしまった。
かつてサイユ村に生まれた、双子の妹。
総黒と高い魔力を持つがゆえに、村ごと他国に連れ去られ、双子の姉により無実の罪を着せられ、処刑された人。
私の実の祖父は、ミッシェルの姉の息子だと言っていたから、彼女は曾祖母の姉になる。
曾祖母は私が一歳の時には、既に亡くなっていたから会った事はない。
生まれた時から、実の家族と暮らしていなかった私には、悲しい事に血族との思い出がほとんどない。
ただ、血族云々よりも、私にとって彼女が特別に思えるのは、二人の前世が同じ地球人だという事だろう。
彼女がどこの国の出身で、いつの時代に生きた人なのかは、私には知るすべもなかったが。
「ミッシェルは火炙りの刑に処せられた筈。刑の執行には浄化のために、神官が立ち会う決まりがあったと思うけど、当時は例外もあったの?」
「そのような場で、例外などはありません。一番必要な場所でしょうから」
私の言葉に、ニコール様が反応したが、それではなぜ、ミッシェルが浄化されていないのだろうか。
『あの場に神官服の者はおったが、神官はいなかったのだ』
「聞き捨てなりませんね。どういう事です?」
ダニエルはルベの言葉に、主神官として反応しているが、そもそも浄化の魔法は神官以上でなければ使えない。
そこでは何が起こっていたのだろう。
「ねえ、大神官様。教会の失態で、ミッシェルさんは行き場を失ったの?」
私の言葉に、ニコール様も驚いたように視線を向けたが、大神官様は無表情のまま、少しも動かなかった。
浄化の魔法は、中途半端に誰でも使える、お気軽魔法ではない。
獣神官の就任式に、浄化の柱を見にくる人がいる位なのだ。
「百年以上も前ならば、元大神官様の時かしら?」
大神官様はラベーナ神と会話でもしていたのだろうか、ようやく気が付いた顔をして、慌てたように頷いた。
「でも、それを言い逃れにする事はできないわ。だってあなたは大神官様だもの」
この世界は神と獣神官が、全てを知っている。
その声を聞く大神官様は、過去を盾にはできないのである。
「不完全な浄化は、教会の失態だった。だが、それに気が付いた時には手遅れだったのだ」
大神官様の生まれる前の話である。
それにもかかわらず、まるで昔の教会の失態を、自分の責任だと言わんばかりの顔をされれば、私の心のささくれも静まる。
『ルベも聞かせてくれる?』
『我はベスに、偽りは言わぬ。ただ、前にも言ったが、我と主神官は間に合わなかったのだ。ベスも見たであろう? 火炙りは始まっていたのだ』
私がルベの視線で見たのは、既に火炙りにされているミッシェルだった。
その後に何があったのかは、地球で焼けた私の知るところではなかったが、今回はそこに、教会が隠した何かがあるようだ。




