キノコの本
ネガーラ国のクレトロア領にあったドレア村は、私たちの報告を受けた領主により、次の年の春まで私兵に守られてから、整理される事になった。
その話し合いの中で、巨大なシルバーボアのシロは、家獣登録ができる魔物ではなく、ドレア村の出身者が口外していなかった話ならば、世に出さない方が良いだろうという結論に達したのだった。
“獣神官が呪いはなかったと明言した” と公表する事を許したのは、ドレア村とシロの話を、領主がこれから先の戒めとして、後の領主に伝えると約束をしたからだった。
ダニエルは渋い顔をしたが、シロと村長の娘が静かに眠れるのなら、私は獣神官の名前も、まんざら役立たずではないと思った。
シロは守っていただけで、呪ってはいなかったのだから、嘘ではない。
館に戻ると休む間もなく、報告と会議が行われた。
キノコの本も議題に上り、私はその本を皆に見てもらった。
「ボクはこの本ならば、値段がいくらであろうとも買いますね。料理人ならば、絶対に欲しいですよ」
ヘンリーは、キノコは種類が多く、その土地の人間でなければ、見分けが付かない物もあり、闇雲に手が出せないのだと言った。
「私も興味がありますね。キノコの毒に対する薬は、毒キノコの数に追い付いていませんから、研究してみたい」
リチャードはバンに、本が手に入ったらキノコ用の温室が欲しいと話し、そこにヘンリーも加わった。
「キノコの本は、まだ世界にないと思います。植物図鑑の後ろに、少し書かれている物もありますが、厳密に言えばキノコは植物ではありませんからね。ただ、食用か否かは、食べて調べるしかないと言われていますので、この本は世に出すべきでしょうね。ただ、命に関わる物ですから、検証は必要になりますね」
ウーゴはメンバーの中で一番、その本に興味がありそうで、なかなか見せてはもらえない本から、目を離さずにそう言った。
『ダニエル、ウーゴの仕事はアリッサでも手伝えるかなあ?』
『ええ、同じ仕事をしておりますからね。ウーゴに本を任せるのは良い判断ですが、一人ではどうにもならないでしょう』
私はダニエルの返事で、彼もまた、薬師を目指していた事を思い出した。
『畑はバンに手伝ってもらえるけど、シンシはリチャードがいなくては駄目でしょう? ダニエルは駄目よ。私が困るもの』
ダニエルは驚いたように、目を見開いてから、口元を手で隠して、肩を揺らしたが、私は的を外しただろうか。それとも、大当たりだったのだろうか。
「この本を世にだす許可を、正式にいただいたら、ベス様の名前か、教会の名前で出版される事になるのですか」
アリッサは出版後の事まで考えているのか、真剣な顔で私を見た。
「私の名前も、教会の名前も使わないわ。国や教会ではなく、学園から出版してもらおうと思っているの」
「なぜ学園なんですか?」
私の言葉に、ウーゴは首をかしげた。
「本の内容を調べる時間が短縮できるでしょう? 世界中の学者に調べてもらえるもの。それにね、キノコの研究をしてくれる人が増えたら、新しい情報が入った本もできると思うの、この本がその切っ掛けになってくれれば良いと思うからよ。私たちでは、この本を成長させる事ができないもの」
「ベス様らしいですね。ですが、この本はかなり売れると思いますよ」
ウーゴは私の言葉に、笑みを浮かべてそう言った。
「売り上げは、奨学金の足しにしてもらいたい。一人でも多く、自分の望む未来を掴めるようにね。駄目かなあ……」
私は自分が世間知らずだと自覚しているので、ダニエルの様子をうかがった。
「ベスさまに託された本です。そのように伝えたら、あの方はきっと喜んでくださるでしょう」
ダニエルはそう言って、優しくうなずいた。
「この本を担当してくれる学園が決まったら、ウーゴに完成まで任せても良い?」
「よろしいのでしょうか?!」
私の言葉に、ウーゴは立ち上がって言った。
「ウーゴしかいないだろう? 背表紙を楽しみにしているぜ」
ジョンは笑いながら、横にいるウーゴを見上げた。
「まあ、座れよ。どれだけ嬉しいんだよ……」
ハーゲンはそう言って、ウーゴを座らせた。
「俺なら、絶対に泣いて勘弁してもらうがな」
「どうして、ジルが任されると仮定したのかが、僕には分からないよ」
ジルの言葉にディランが、呆れたようにつぶやいた。
ダニエルとリナルドはすぐに書類を持って、ネガーラ国の元宰相だった本屋のおじいさんに会いに行った。
私に預けて良かったと、おじいさんはとても喜んでくれたらしい。
それから数日後。
仕事が一段落ついたところで、私とダニエルは白の学園長に会いにきていた。
「お久しぶりです。お時間をいただき、ありがとうございます」
「ベス、可愛い。ここにおいで」
挨拶もそこそこに、フォルカ様は嬉しそうに私を呼んだ。
「フォルカ。ベス様はもうじき、十八になられるんですよ」
ダニエルはそう言うが、フォルカ様はそんな事は分かっていると思う。
ここにおいでと言った場所が膝ではなく、彼のソファーの横だったのだから。
「ダニ、ベスはベス」
フォルカ様はダニエルにそう言うと、私の口に焼き菓子を入れる作業に入った。
オーカンさんは、気の毒そうに皆のお茶とは別に、果実水を用意してくれた。
「ダニエル。あれが興味を示す者は少ないのです。まあ、魔物以外で可愛いと表現するのは、妹とベスだけですがね」
ヨハン様は、諦めろと言わんばかりに肩をすぼめたが、フォルカ様の妹は白の海賊船の船長で、どちらかと言えば美人とか、たくましいと表現した方が良いと思う。
ダニエルは、大きくため息をついて、本の説明を始めた。
学園長に会いにきたが、重要な話はヨハン様にした方が早いと、館で話し合ってからきたのである。
獣神官補佐のダニエルと、白の副学園長であるヨハン様の会話を聞きながら、私はフォルカ様を見て、情けない気持ちになった。
獣神官と白の学園長は、このままで良いのだろうか。
確かに、あの二人がもう一組いたら、それはそれで煩いかもしれないが。
「ベス。あなたの頭は上等とは言えませんが、野性的な本能には、いつも感心させられます。この本をここに持ち込んだのは、正解ですよ。ダニエルならば、イーズリ第二学園に持って行ったでしょうからね」
頭は悪いが勘は良いと言われても、嬉しくはないが、ヨハン様に言われると、褒められたようで嬉しくなるから不思議である。
「黒の二つの学園長は、年齢的にも一応は格上ですからね。ベス様の考えをくんでくださると思うのが普通ですよ、ヨハン。お二人はベス様を可愛がっておられますしね」
私は迷わずに白の学園を選んだ理由は、近くにあるからだったのだが、転送陣を使うならば、どこでも同じだとここで気が付いた。
「ダニエル、そのインチキ臭い黒目は、節穴ですか? ご覧なさい。白の学園長が一番、ベスを可愛がっているでしょう?!」
いやいや、ヨハン様。あなたは先程、魔物と同等の扱いをしておりましたが。
ダニエルも微妙な顔で、フォルカ様を見つめた。
「とにかく、良くやりましたベス。白の学園は神官や薬師を育てる学園です。ここ以上にこの本の重要性を理解できる場所はありませんよ」
「はい……」
どこの学園でも、協力し合うなら同じだと、言える雰囲気ではない。
「もうじき冬の休みに入ります。優秀な学生にこれの原盤を作らせて、複写をした物を持って学園長会議を開きます。各学園で内容を検証させましょう」
「そんなにうまくいきますか? 反対する学園だってあると思いますが」
少し冷静になって欲しいと思う。
どんなに話し合いをしても、反対する者は最低三パーセントはいると、前世の兄が言っていた。
だから全員一致という時は、三パーセントが口をつぐんだと思った方が良いと。
「教会や国の援助を借りずに、奨学金学生の援助ができるのですよ。優秀な貧乏人がどれ程いると思っているのですか。第一、植物学や薬学の研究者がこの本に興味を示さないとは思えません。興味のない者を、仲間にする気もありません」
ヨハン様は元貴族だけあって、かなりの上から目線だが、この本をそれ程評価してくれた事は、ありがたいと思った。
「こちらの責任者はウーゴです。私たちは全員で本に携わる訳にもいきません」
「ウーゴは良いですね。彼は本に関する造詣が深いですから、完成した本に期待が持てます」
ダニエルの言葉に。ヨハン様はそう言って、笑みを浮かべた。
私は話しを聞きながら、そろそろお菓子が一口も入らなくなってきていた。
フォルカ様がオーカンさんに、次々とお菓子の用意をさせるのだ。
この学園長室では、誰のためにこれだけのお菓子を用意しているのだろう。
「オーカンさん、ごめんなさい。もう食べられない」
「イザベラ様と同じ量は、ベス様には少し多かったでしょうか」
イザベラさんはお酒もお菓子も大好きだったようだ。
豪快な彼女らしいとは思うが、健康には気を付けて欲しいものだ。
「フォルカ。ベス様は元々、食事の量も少ないですから、そんなには食べられませんよ」
ダニエルはたくさん並んでいるお菓子を見て、そう言ってくれた。
「ダニ、いけない。ベス、かわいそう」
「私はベス様を大切にしていますよ。なぜかわいそうだと思うのですか」
フォルカ様は言葉が少ないが、ダニエルをどうやら責めているようだ。
私はダニエルに不服はなく、食事や間食が多すぎて、助けてもらう事はあるが、不自由な思いをした事はない。
「ああ、前学園長が、教会からベスの解決した事件を、取り寄せているのです。未成年者が働いている場合は、第三者の監視が義務付けられていますが、彼女の場合は、特殊な立場ですからね。ルーカス様が見ています」
私の仕事はほとんどが、他言無用だと思うが。
どんな風に報告されているのだろう。
「それならば、私がフォルカに注意を受ける事は、ないと分かってもらえると思うのですが?」
「ダニエル。私もルーカス様やフォルカの意見に賛成だよ。ベスの体が貧相なのは、体質だとしても、心の成長はどうなのだろうね。もうじき成人に達する女性には、とても見えない。まるで十二、三の少女のまま止まっているようだ。神獣様や神様が何かご存じかもしれない」
体だって、心だって、成長していますから!
ダニエル、ここはビシッと言ってよ。ビシッと!
「そう言われれば、確かにそうですね。かわいいのでつい、甘やかしていますが、一度、ゆっくり相談してみましょう」
私は十二、三だとダニエルも思っているのだろうか……。
「それが良いだろうね。心が幼い分、傷付く事が多いでしょう。獣神官という職業は、そのような場面に遭遇する機会も多いからね」
ヨハン様は気の毒そうにそう言い、フォルカ様は子供にするように、私の頭をなでていた。
「ダニエル……」
泣きそうな気持ちで、ダニエルを見た。
私のどこが幼く、なぜ成長が止まっているように、人には見えるのだろうか。
「大丈夫ですよ。ベス様が不安に思う事は、一つもありません。私たちも神獣様も皆、付いていますからね」
ダニエルが優しくそう言ったから、私は大丈夫だと思う事にした。
こちらの世界の女性は、早くに働く者や家庭を持つ者も多く、前世の同世代より確かに大人に見える。
彼女たちより、早くに仕事を持った私は、もっと成長していなければならないのだろうか。
心にご飯やお菓子を食べさせる訳にはいかない。
大人になるには、どのようにしたら良いのだろうか。
マニュアル本があれば良いのに……。




