灼熱の舞姫
「うわっ! ベス様、朝飯が足りなかったですか?」
私は調理場にきてしまった。
ヘンリーは驚いているが、私はもっと驚いている。
「おいしくて、食べ過ぎたぐらいよ」
「女の子は別腹がありますからね。お部屋で召し上がってください」
アガタは驚いている夫の姿に、少し呆れた顔をして、皿に果実を乗せて手渡してくれた。
別に食べ物を探しに来た訳ではないが、理由は言いたくない。
「ありがとう。お邪魔してごめんなさい」
皿を持ったまま、次に来た場所は、執務室だった。
「ベス様、魔法の訓練だと聞いておりましたが、休憩ですか?」
「あのねアリッサ。訓練中なのに、失敗ばかりなの……」
「まあ。少しお庭で気分転換でもされたらいかがでしょう。この時間はウーゴもリチャード様と庭におりますよ」
アリッサは、そばにあったトレーに、私の持っている果実の皿を置き、その横に紙を敷いて菓子を乗せた。
気分転換をしたい訳ではないが、彼女の優しい気持ちは頂いておこう。
次にトレーを持った私が立っている場所は、リナルドの執務室だった。
机の上の帳簿から視線を上げた彼は、驚いた様子もなく、いつもの完璧な笑顔を私に見せた。
「ベス様。クララは何をしているのでしょう? 栗の菓子は喉に詰まります。お茶を用意いたしますので、お掛けください」
「リナルド、いいの。すぐ行くわ。顔が見たかっただけだから」
トレーを持ってくれようとする、リナルドにそう言ったのは、座っている時間がないからである。
彼は私が突然現れた事より、顔が見たかったと言った事に驚いたようで、その鉄の笑顔の目元に、柔らかさが浮かんだ。
誰もいない館の部屋を三カ所も回って、着いた場所は庭だった。
ウーゴとリチャードとダニエルが、庭で立ち話をしていた。
「ベス様?」
「ダニエル、あのね。部屋に戻れない……」
黙って私を見つめるダニエルに代わって、リチャードが私のトレーを持ってくれた。
「部屋とは、どの部屋でしょう?」
リチャードはそう言いながら、ダニエルが出したガーデンテーブルに、トレーを置いた。
「自分の部屋……」
「ベス様。自分の部屋が分からなくなったのなら、病ですよ。順序よく話してみてください」
ウーゴが私を椅子に座らせて、失礼にもそう言った。
ダニエルたちは、庭の相談をしていたようで、私のために急きょ、お茶の時間にするようだった。
そこにルベが突然現れた。
『ベス。我を待たせたまま、菓子をもらい歩いて、勝手に茶の時間にするな』
ルベは呆れたように、そう言って私の膝に座った。
「ルベ様。この時間はベス様が魔法の訓練をしていると思っていましたが、なぜ館内で迷子になっているのでしょう?」
『そろそろ、陣を使わずに、一人で転移ができるように練習をさせようと思ったのだ。歴代の獣神官は、それぞれ苦手な魔法はあったが、転移でつまずいたのはベスが初めてだ。人間の病名では、方向音痴と言うのだったか……』
「違うもん!!」
方向音痴は、病気ではないという意味の否定である。
自覚症状もないまま、病気にされたくはない。
ダニエルがリチャードとウーゴに、ルベの話を通訳した。
笑いたければ、笑ってください。
そんなに苦しそうに、耐えられると、逆に惨めな気持ちになりますから。
私は菓子を一つ、ルベに食べさせて、その包み紙にペンで地図を書き始めた。
「頭の中に館の地図をこんな風に書いて、その場所との空間をなくするために、こうして地図をたたんでみたんだけど……」
私は調理場で果実を貰ってから、ここにたどり着くまでの話をした。
「ベス様は、頭で考えた事がすぐ魔法にできますから、地図より行きたい場所を思い描いてはどうでしょう?」
ダニエルに言われて、私は自室のベッドを思い描いたが、景色は変わらない。
前世の漫画でドアを開けたら、行きたい場所にいける話があった事を思い出して立ち上がった。
扉を開けたら自室のベッド……。
次の瞬間。
私は自室のベッドにいた。
「やれば、できる子だったかも!」
「成功したのですね。おめでとうございます」
クララがそう言って笑みを浮かべた。
「うん。ありがとう。また、行って来るね」
「はい、いってらっしゃいませ」
ダニエルの所に帰ろう。
「おかえりなさい。それで、なぜ私の膝の上なのでしょう?」
「あれぇ。久しぶり。ダニエルを思い描いたの」
取りあえず、せっかくなのでダニエルに抱き付いた。
「ベス様、転移魔法は、特定の人を思い浮かべては駄目ですよ。ダニエルはたまたまここにおりましたが、入浴していたら、ベス様はずぶ濡れになってしまいます」
リチャードが少し笑みを浮かべて言った。
「メンバーが狩りをしていたら、ケガをしますね」
ウーゴがなぜか慌てたように、取り繕った。
リチャードとウーゴの言う通りである。
着替えの最中に、急に誰かが前にいたら、驚くより嫌だろう。
礼儀は大切だと、母さんの姉さんが言っていた。
『転移陣のある場所は、陣に行くようにするのだ。屋敷は玄関が良いだろう。入って良いのは、自分の部屋ぐらいだが、クララには言っておけ』
転移魔法は大量の魔力を消費するようだが、私には獣神官の指輪と剣がある。
その日は、世界中の拠点や行った事のある場所を往復しながら、いつでも移動ができるように、練習をした。
もちろん、ルベを抱えてではあるが。
数日後。
私は母さんとクララをマニージュ国の港町に連れてきた。
もちろん、ルベはカバンである。
マニージュ国は鉱石で有名な国だが、魔物から取れる世界で一番の布と糸の産地でもある。
そしてそれらが、王都よりこの港町で大量に扱われるのは、冬の季節にこの町に滞在する貴族が多いからである。
布が欲しくとも、港町から砂漠を通って王都へ行くのは、女子供には難しいという問題もあるだろうが。
裁縫や刺繍の好きなクララと、編み物やパッチワークが好きな母さんは、気が合い、クララは母さんを慕っていて、母さんはクララを可愛がっている。
互いに私の情報を、交換しあってもいるようだが、交換するほど隠している事はないと思う。
「やはり、マニージュの港町は他とは違うねえ。こうして身なりを整えて来なけりゃ、店にも入りづらいね」
「本当ですね。ですが、この町でしか手に入らない布もありますから」
母さんとクララは、希望通りの物が手に入ったようで、嬉しそうだった。
「少し暑いから、冷たい物でも食べようか?」
「タマゴクリムを食べるの?」
この世界で冷たい物と言ったら、私はそれしか浮かばない。
「それは、館でも食べられるだろう? ここは世界一暑い国だからね、世界一冷たい食べ物があるのさ」
「それは、楽しみですね」
「うんうん」
クララも私も、ハンカチを手に母さんの後を付いて行った。
「母さん、ここって……」
「ああ、冒険者ギルドだよ。ここのが一番フワフワなんだ。魔力がその辺の店とは違うのさ」
魔力の差がフワフワでは、何の事なのか分からない。
第一、冒険者ギルドって、物を食べる場所なのだろうか。
母さんは中に入ると、入り口から近いスイング・ドアの上から、中をのぞき込んで、中に入った。
どうやら、空席があるかを確認したようだ。
「エリーか?!」
「ああ、久しぶりだねえ。元気だったかい?」
「いや、どこから盗んできたか知らねえが、年だけが増えていくぜ」
「それは、私も一緒だよ。娘たちにあんたのユキモドキを食べさせたくてね」
「おお“灼熱の舞姫”のご来店だ。いくらでも食べてくれ」
周囲の冒険者が、一斉に母さんを見た。
「もう、恥ずかしいからその名前は忘れておくれよ」
「俺が忘れても、ギルドにあの爪が飾られている間は、伝説の姫なんだよ」
飛び出すように出て行った冒険者が、人を呼んだようで、昼間だというのに満席になり、給仕が急いで注文を聞き歩いていた。
可愛い顔をしているが、抜かりのない人である。
「爪?」
角や牙ならば想像が付くが、爪は飾るイメージが湧かない。
「ああ、入り口正面にある巨大な爪は、スコーピオンの亜種の物なんだ。エリーが一騎打ちで討ち取ったんだぜ。あの記録を破った者はまだいねえ」
給仕に注文を告げられて、彼はカウンターの中の仕事に戻った。
「あれは、偶然出くわしたのさ。やらなきゃ、やられただけの話だからね」
「母さんの辞書には、逃げるや隠れるという言葉はないようね」
「さすが、ベス様のお母様です」
クララもいろいろとおかしい……。
彼は母さんが冒険者だった頃、冒険者を引退してギルドの職員になったらしいが、その理由は、幸せな話ではなさそうなので、聞かない事にした。
給仕が運んできたのは、透明なシロップのかき氷だった。
好みで柔らかなジャムを乗せて、食べるのだと教えてもらったが、手作りのジャムの酸味とシロップで、味の調節ができるのがありがたい。
硬くても軟らかくても、氷は頭に突き刺さる。
こんなに痛むのに、異常ではないのだから、かき氷は怪しくておいしい。
それにしても、氷を風魔法で削るとは思わなかったが、彼のこだわりのようで、かき氷の機械はあると、母さんは笑いながら教えてくれた。
確かに、フワフワの柔らかい氷ではあった。
ルベたち用に別容器にユキモドキを作ってもらい、カバンに入れてギルドを出た。
「なっ、何をするんですか?! やめてください」
大きめの手提げカバンを持った女性を、二人の男が捕まえていた。
「いつまで貴族の娘面をしているんだ? 追い出されて行くところがないから、俺たちが面倒を見ようと言っているんだ」
自分たちが言うほど、親切には見えないが。
「結構です! 腕を放して!」
「そうは行くかよ。お前が金をため込んでいるのは、侍女たちの間じゃ有名な話だからな」
「その娘を放しな。断ったらお前の胴と首が離れるよ」
一人の男の後ろ手を取って、首にナイフを突きつけているのは“灼熱の舞姫”だった。
「母さん……」
今さらではあるが、私は確かに母さんの娘だと自覚した。




