青い鳥
幾度かの休息をはさんで、私たちの馬車は大きな山を下り終えた。
「ちょうど良い時間に着きましたね。今夜はここで休みましょう」
神官様は馬車の小窓から、御者台に声をかける。
山と山の間にあるこの沼地は、魔物が少なく、他の場所より安全らしい。
周囲には数台の馬車や、徒歩の旅人が野営の準備をしている。
ジルと神官様は御者台の下にある荷物入れから、食材などを取り出して、早速食事の準備を始めた。
旅人が使ったものだろうか、丸く並べられた石の中央に、黒く炭が残っていた。
村ではカマドの火を落とす時は、種火を取っておいたが、野外ではもちろん、そのような物はない。
私はワラをきつく巻いた物の上にしばを置いて、薪を数本重ねた。
ジルがそれを見て、ワラに火魔法で火をつけてくれた。
薪に火が移ると、後は火ばさみで火力を調節するだけである。
塩漬けにして干した魚と野菜を煮込んで、仕上げにハーブを入れる。
魚から出た塩分とだしを、野菜が吸収して味をまるくする。
ハーブが魚の臭みと煮野菜特有の匂いを消してくれる。
これは村でも食べていた、家庭料理である。
スープが出来上がる頃には木が炭になる。それを砕いて、炎が見えないようにするのである。
その時に焼く肉が一番おいしい。
ルベに食べさせたいが、ルベはただ今、お出かけ中である。
「ルベにも獣の付き合いがあるのでしょう。たまには、ちゃんと食事もしなければなりませんからね」
神官様に言われて、ペットとは違うのだと思い知らされる。
ルベの容姿に癒やされるのは事実だが、彼は愛玩される事や、飼育される事を望んでいる訳ではないのだ。
小さいとはいえ、味見程度の量では、体の維持はできないのだから、自然の中に食料を求めに行く彼を、私は止める事ができない。
食事が終わり、片付けをする頃に、ルベは戻ってきた。
『何事もなかったか?』
すぐにカバンの姿になり、抱えた私に言った。
「うん。お帰りなさい」
『戻った』
「この辺りには、魔物はたくさんいるの?」
『この沼の辺りにはいないが、この沼の奥には泉があって、その辺りにはたくさんいる』
私は高い塀の中で暮らしていたので、魔物は本でしか見た事がなかった。
前世で動物図鑑を見ていたように、魔物の本を見ていたのである。
この世界では、その魔物がいつ現れるかもしれないほど、身近だというのに。
サファリパークで野営をするより、危険な事だろうと思うと、この辺にはいないと言われても、少し怖い。
『何を怯えている。我がいるのだ。森の中で寝てもベスに朝はくる』
そっと辺りをうかがっている私に、ルベが言った。
「うん」
『魔物たちには自分たちの庭がある。季節を追う魔物たちにも道がある。入ってくる物にあいつらは容赦がない。人間は食料としてのうまみはないのだ。食料に困っていなければ、あいつらにとっても危険な人間などは襲わない。人間はむやみにあいつらを襲っておきながら、反撃されると襲われたと被害者になって追い回す。あいつらにとっては厄介な生き物なのだ』
「なるほど。それは厄介ね」
人間にとっては普通の話だが、逆の立場から聞くと、確かに人間は面倒である。
『ベス。忘れているようだが、お主も人の子だぞ?』
「そうだった。忘れていたわ」
そこで神官様が、馬車から私を呼んだ。
「ベス。ここでルベと休みなさい。ジルは体を伸ばして眠りたいようなので、外で寝ます。私は朝まで見張りがありますからね」
「はい。お休みなさい」
「ゆっくりお休みなさい。良い夢を」
馬車の中は椅子と椅子の間に、板が渡されている。備え付けなのだろう。それは椅子と同じ布地が使われていた。椅子より薄いが、詰め物まで入っている。
大きなジルは確かに、ここでは体を伸ばせない。一日中、御者台にいたのだから、疲れているのだろう。
「ジル。お休みなさい」
私は馬車の窓から顔を出して言った。
たき火の前で、ジルはカップを上げた。中はきっとお茶ではない。
温めたお酒は、疲れを翌日に持ち越さないのだと、言っていたのを思い出した。
翌朝。
まるで宿のベッドで目覚めたように、気分が良かった。
いつも横で丸くなって眠っている、ルベがいないのに気が付いて、馬車の中を探した。
『目が覚めたのか?』
「おはよう、ルベ。どこにいるの?」
『御者台だ』
私は軽く身なりを整えて、馬車の外に出た。
「おはようございます。神官様」
「はい。おはようございます。ベス、私はちょっと薬草を集めてきますので、ルベのそばから離れないでくださいね」
「はい」
神官様はそう言うと、自分の背丈ほどの高さがある大きな杖を肩に担ぎ、走りさった。
私は口が開いているのに気が付いて、あわてて閉じた。
「邪魔そうよね? でもあんな大きな杖を、どこに隠していたのかしら? ああ、折りたたみ式ね、きっと」
『ベス。あの杖に見覚えはないか? あれの左胸にはいつもあったはずだが』
「あれ? そう言えば杖の頭の形……。あれってバッチじゃなかったの?」
『あれが、ダニエルの杖だ』
「すごく重そう」
『あれは、ダニエル以外の者では持ち上げる事もできない。だが、ダニエルには己の手のように軽いのだ』
「そう言えば、自分の肩から下がっているのに、腕の重みって感じた事がないわ」
ルベはなぜか、私を横目で見て肩を落とした。
『おお。来たか』
ルベが遠い空に目をやる。
まだ明け切らない夜をまとった青と、あけぼの色の間にある光の帯に、黒い点がある。
それが徐々に大きくなり、鳥だと気付くまでにかかった時間は、とても短いものだった。
私は鳥に詳しくはない。細身のハトのようだと思った。
ただ、色は鮮やかな青だったが。
空中にとどまる事ができる鳥は、少ないと聞いた事があったので、私は腕を差し出した。ルベの言葉から、知り合いなのかもしれないと思ったからだ。
私の腕に静かにとまったその鳥は、ルベと同じように重さがなかった。
「初めまして。私はエリザベス。ベスって呼ばれているのよ。あなたはルベウスのお友達? 私とも仲良くしてくれると嬉しいわ」
私を見つめる赤い目をまぶしそうに細めてから、鳥は器用に首を曲げて、自分の翼から羽根を抜いた。
『くれるようだ。もらっておけ』
「え? ごめんね。痛かったでしょう? ありがとうございます。大切にするわ」
鳥は私の肩に移ると、目を細めて髪に頭をすり寄せた。
そっと腕を曲げて鳥に触れると、優しい冷たさが手に伝わってきた。
その時、馬車の後ろで音がした。
鳥は飛び立ち、そのまま空に吸い込まれて行った。
「ベス? あれ、どこだ?」
「ジルさん。ここです」
「ダニエル様は?」
「薬草をとりに行くって」
「起こせよ。危ないだろうが。さて、顔でも洗うか」
「私も洗う。ルベこの羽根をお願い」
私はカバンの中に、大事な羽根をしまった。
朝食のスープが温まった頃、神官様が戻ってきた。
「ジル。おはようございます。食事の支度をありがとう」
「おはようございます。温めただけですよ。それより起こして行ってくださいよ。ベスが御者台にいましたよ。落ちてけがでもしたら、エリーにどれだけ恨まれるかと思うとぞっとします」
「そうですね。これからは気を付けましょう」
笑いながら言う神官様に、反省の色はない。
「母さんは優しいから、恨んだりしないわ。おなかに力を入れていれば、父さんだって無事だもの」
「腹?」
「そうよ。拳で殴るの。すごく痛そうなの」
「上級冒険者の拳を、腹で受けたくはねえよ」
「うん。私もお勧めはしない」
離れているところに見える、野営をしていた人たちも動きだした。
私たちの馬車は、次の山を目指した。
私は神官様に羽根を見せて、その鳥がどれほど、奇麗で愛らしかったかを、一生懸命説明したのに、神官様の表情にいつもの優しさは見られなかった。
「神官様? 私はいけない事をしたのでしょうか? ごめんなさい」
『ダニエル。ベスを不安にさせるな』
「え? ああ。大丈夫ですよ。ルベがそばにいたでしょう? ベスに危害を加える魔物はルベが排除しますよ。ちょっと待ってくださいね」
神官様は上等な木の箱を荷物から出すと、私に手渡した。
「その羽根は、とても貴重で珍しい物なのですよ。ベスとルベと私だけの秘密です。良いですね?」
「はい」
私は服にでも飾ろうと思っていたので、少し残念に思った。前世の記憶のせいで、募金もせずに羽根を飾るのは、少し後ろめたい気持ちもなっていたので、ここは素直に従った。
上等な箱に収まった羽根は、とても立派な羽根に見えた。
小さいけれど……。
私はもう一度、ルベに羽根の入った箱をしまってもらった。
二つ目の山を越え、ネガーラ国に到着した。
一本道だったので、入国の手続きを待つ事もなく、私たちは門を抜けた。
「これは、すごいな。神官様、教会に回しますか」
「そうですね。これほど混雑しているとは、思いませんでしたね」
確かに、バージムの国境の町も賑やかだったが、この町は人が更に多かった。
馬車が教会に着くと、神官様と一緒に降ろされた。
「馬車はベスが寂しいでしょうから、二人乗りにしますか? ベスに馬は無理だと思いますからね」
「そうですね。お願いします」
「ベス。俺はここまでだ。これから、バージムの王都に戻るんだ」
「ジル? 嘘でしょ?」
私は神官様がうなずくのを見て、ジルの顔を見た。
「俺は教会の仕事をしているから、いつかきっとベスに会える。元気でやれよ? ああ、それから、これは持っておけ、俺の腰にもあるだろう? 本当に困った時には、これを腰に下げている奴に助けを求めるんだ。きっと力になってくれる」
それは、父さんの香木だった。
「うん。ありがとうございました。……あのね。父さんや母さんやエルモに会ったら、言って欲しいの。元気だって。だから、元気でいてって……」
「ああ。約束しよう。じゃあな」
「ジル。気を付けて戻ってね。会えるのを楽しみにしているね」
ジルは、そのまま御者台に乗ると、馬車を走らせた。
私は、馬車が見えなくなるまで立っていた。
泣くのは違うと思うけれど、鼻の奥がツンとする。
父さんや母さんやエルモが、また少し遠くなった気がした。




