人の痛いのは
獣神官の館は、まだ人が少なくて寂しい。
ヘンリー夫婦は調理場で、補給しなければならない備品を調べている。
メンバーが館に入れば、一番に食事が必要になる。
ダニエル様とリカルドは、やらなければならない事が山積みのようで、クララが補助をしている。
私は式典の衣装の希望を聞かれたが、渡されたデザイン画を一目見て、そのまま返した。
「ドレスは着ない。制服も礼装も任務に適した物だから、皆と同じにする」
かつて女性の大神官や獣神官が、就任式でドレスを着た記録があるらしく、本部では時代を考慮して、洋服屋にデザイン画をださせた様である。
「どうしても、出席しなければならない夜会もありますからね。正確な採寸をしてきてください」
「外に行ってもいいの?」
私はダニエル様の顔を見た。
「本部の中ですから、神殿から行ってくださいね。場所はクララが知っています。ルベがいるから、大丈夫でしょう」
「クララと行っていいの?」
一人で知らない場所に行って、知らない人に会うのは少し苦手である。
「ええ。クララ、お願いしますね。終わったら資料室によって、書類をもらってきてください。この手紙を見せれば渡してくれますからね」
「承りました」
ダニエル様にそう返事をしたクララは、少し緊張しているようだ。
「クララ?」
「いえ、本部の中は、子供の頃から知っているのですが、神殿の入り口から奥は初めてなのです」
信仰上の理由か、迷子の不安かが分からない。
「私も一回しか行った事がないの。でもね、ルベは何度も行っているから平気」
多分、何の気休めにもなっていない気がする。
「そうですよね」
クララの表情が明るくなったので、迷子になる不安だったようだ。
クララと転移した場所は、重たい雰囲気の部屋だった。
「ここが、獣神官の部屋?」
『執務室だ。教会関係者との面会は一階で済ませるから、この部屋で執務をした者はあまりいない。来るとしたら、大神官補佐ぐらいだろうな』
「本部への転送部屋ね」
「便利ですね」
『執務室だと言っている……』
クララにはルベの言葉が聞こえていない。
私たちは神殿を抜けて、本部に入った。
「ここからでしたら、何でもお聞きください。両親が本部勤務だったので、よく来ていました」
「今も?」
「父は今、勤務は警備本部です。母は侍女でしたが引退して、孫の面倒をみています。兄夫婦も本部勤務ですから」
「すごいね。生粋の白の民」
白の民に、生粋があるかどうかは知らないが。
「家族が全員、本部勤務ではありません。私の姉は、青の大陸に嫁ぎましたので」
「クララは、好きな人とか、結婚を約束した人はいないの?」
「おりません」
クララは否定したが、年頃の娘が胸を張って言うのはどうなのだろう。
本部の中にある洋服屋は、制服を主に扱っていて、既製服の販売をしている訳ではない。
たくさん並んでいる採寸室で、女性が細かく採寸をしてくれた。
クララたちは、毎年一度の健康診断と採寸は、義務付けられていたようだ。
「次は資料室ですね。少し待たされるかもしれません」
「そうなの?」
「資料は前もって手続きをして、後から取りに行くのが普通ですから」
ダニエル様に、普通を求めてはいけないと思う。
資料室の受付で手紙を出すと、やはり少し待たされるようだった。
受付の奥には、たくさんの棚が並んでいて、その間を忙しそうに、書類を持った職員が動いていた。
違和感がある彼らの動きが気になって、私はその仕事振りを見つめた。
一人の職員だけを、他の職員が器用に避けて通るのである。
まるで、汚れ物を見るように不快な視線が、容赦なくそそがれている様子は、見ているこちらも、良い気分のものではない。
「彼女は何かしたのでしょうか?」
横に座っているクララも、気になったようで眉をひそめた。
「随分とあからさまで、幼稚だよね」
私がそう言ったところで、偶然、その職員は振り返った。
私は思わず息を飲んだ。
その女性職員を、私は知っていたのである。
初めて白の海賊船に乗った時、私たちは幽霊船に遭遇した。
その時、リッチの恋人の魂に憑依されていた事務員が、彼女だったのだ。
「アリッサさん……」
「エリザベス様、お知り合いですか?」
「うん。五年ほど前にね」
私はアリッサさんから、目が離せなかった。
薬に詳しい事務員である彼女が、船を降りたとは聞いていない。
何があったのだろうか。
「まあ、ひどい……」
クララがそう言ったのも無理はない。
一人の女性職員が、すれ違いざま、彼女にぶつかったのである。
皆が避けるように歩く中、その女性の行動は、どう見ても故意だった。
「ぼうっとしないでくださる? それとも、また何かが取り憑いたのかしら? 邪魔ですのよ。私の資料を拾いなさい」
「申し訳ありません」
アリッサさんは、そう言って、資料を拾おうとした。
そこに責任者だろうか、年配の男がやってきた。
「またかね、アリッサ。君はここ以外に行く部署は、もうないんだ。死霊に憑依された者は、本部に置けないのは知っているだろう? 主神官様の温情とはいえ、他の職員に迷惑をかけるのなら、私も面倒はみられないよ」
「すみません」
アリッサさんは、静かにそう言った。
私は手を突いて、間仕切り板を飛び越えた。
「謝る必要はない! アリッサさん、謝っては駄目よ!」
私の口はいつも、後の事は考えない……。
「エリザベス様?」
アリッサさんは、驚いたように私を見た。
「君は誰かね? 部外者は入ってはいけない場所だ。出ていきなさい」
責任者らしい男が、私を排除する気のようで、こちらに足を向けた。
ルベが、カバンから獣になって、空中で腕組みをした。
男はルベを見て、驚いたのだろう、一歩後ろに退いた。
「一部始終、見せていただきました。その女性が故意に彼女にぶつかったところもね。あなた、自分の分と彼女の書類も拾いなさい」
私は床に散らばっている、書類を指差して彼女をにらみ付けた。
「なんですって! 私が故意にしたとは、随分な言いようですわ。私がそのような行為をする人間かどうかは、皆がよく知っておりますわ」
高飛車な人は嫌いではないが、この女は鼻につく。
「彼女が絶対にしないと言い切れる人は、前に出てくるといいよ」
こんな時に、出てくるような人は、集団いじめには参加しない。
「私の潔白はご存じでしょう?」
彼女が辺りを見回すと、後が恐ろしいのだろう、パラパラとうつむきながら、数人が一歩前へ足を踏み出した。
高飛車女はさすがである。
「神獣様の前で、堂々と嘘を突き通すとは、良い度胸ですね。クララ、彼女とその味方の制服に付いている名前札を、取ってきてください」
「はい。エリザベス獣神官様」
全員が目を見開いている事より、クララが腹を立てている事が珍しい。
思わず笑いそうになったが、ここは我慢だ。
「どうか、お許しください。偶然に起こった小さな誤解なのです」
その一言で、この責任者の能力を見た気がした。
「あなたは、開口一番に “またかね” と言いましたが?」
「それは……」
「アリッサさん。私物を持ってきてください。ここを出ますよ」
私は男から視線を外して、アリッサさんを見た。
「私物はありません。私用の机も棚もありませんので」
それは、与えてもらえなかったのだと、うつむいた彼女の態度が物語っていた。
「お願いした資料を至急、用意してください」
クララは、ダニエル様の手紙を渡した職員に言った。
「こちらです。ダニエル主神官の手紙には、催促があるまでお出ししないようにと、書かれておりましたので」
「そうですか。ありがとうございました」
ダニエル様は資料が欲しかったのではない。
アリッサさんの現状を見せたかったのだ。
だったら、そう言えばいいのに……。
「アリッサさんは、邪魔者のようですから、私が連れていきます。当然、問題はありませんね?」
私は責任者らしき男を見た。
「上の者の許可がなければ……。二度とこのような事がないようにいたしますので、今日のところは、どうか穏便にお願いいたします」
穏便にして得をするのは誰だろう。
「絶対に嫌!」
「えっ?」
女学生みたいな反応をするな。
「アリッサさん。行きますよ」
「はい」
私たちは神殿に向かって歩きだした。
「嫌でなければ、私のところにこない? 住み込みで、多分、給金も安いと思うけれど、悪いようにはしないから」
「ありがたいお言葉ですが、私ではご迷惑になると思います」
「ならないわ。それとも行くあてがあるの?」
「いいえ。私には海で行方不明になった兄しか、家族はおりませんので」
「じゃあ、決まりね」
イザベラさんの船には、優秀な人しか乗っていない。
館はきっと、彼女の本来の能力を、発揮できる場所になるだろうと思った。
神殿の獣神官室の前に、大神官補佐であるニコール様が立っていた。
「お帰りなさい。お話をお聞かせいただけますか?」
「なんの?」
ニコール様に関しては、何をどこまで知っているのか、想像も付かない。
「資料室であった事ですよ。中に入っても?」
「どうぞ」
ニコール様が獣神官室の扉を開けて、私たちを入れてから、入ってきた。
私は資料室で見てきた事を話し、名札をだした。
「聞かせて欲しいのは、私の方ですよ。ダニエル様もニコール様も知っていたのでしょう?」
ニコール様はうなずいた。
「各部署から、内密に報告してくれる者がいたのです。その度に部署を変えてはいたのですが、本部は広いようで狭い。閉鎖的な場所では、面白おかしく、この手の話は広まります」
「それにしても、あれでは完全なるいじめです」
「ご存じのように、アリッサはかつて死霊に憑依をされました。憑依はされやすい者とそうでない者がおります。そして、一度憑依された者は、狙われやすくなるのです」
「それで、船から降ろされたの?」
ニコール様の話を聞いて、私はアリッサさんを見た。
彼女は静かにうなずいた。
「彼女の安全のためです。イザベラ主神官は、彼女の身を守るため、本部勤務をさせたのです。ここが一番安全ですからね」
「あんな嫌がらせをされるくらいなら、死霊の方が優しいわよ。死霊をまとめて連れてきて、資料室に放してやりたい。本当にクズだったわ」
「そう、それなのです。警備や主神官は顔が知られていますから、その現場を見る事ができない。それでダニエルに相談したのです」
「顔が知られていない、私を使おうと?」
ダニエル様とニコール様の、その辺りのずるさは侮れない。
「ええ。エリザベス様の判断にお任せしようと思ったのです」
「だったら言ってください。気付かなければどうする気だったのですか?」
いつまでアリッサさんを、悪意に晒す気だったのだろう。
「本部にはもう、部署がありませんので、学園で職を探すしかないでしょうね」
「世界中から学生が集まる場所ですよ? アリッサさんは、連れて行きます。いろんな意味で、ここより安全だから。そのつもりだったのでしょう?」
「はい。よろしくお願いいたします。寮の荷物は、こちらから送ります」
ニコール様はアリッサさんに、優しい笑みを向けた。
“人の痛いのは、三年でも辛抱する” と地球の祖父が言っていた。
そんな顔ができるなら、とっとと助けてあげれば良いものを。
全く食えない人だと思った。




