穴の先には
「これって、入ってみるべきよね?」
「安全だという保証はない。僕が行ってくるよ。ベスは女の子だからね」
男でも女でも、危険な事に変わりがない。
女の子扱いは嬉しいが、ここでウーゴを心配して待つくらいなら、この目でその危険を見なければ、後悔する未来の自分が見える。
多分、危険の耐性はウーゴより、私の方があると思うからである。
「どうも、大人たちにはめられた気がするけど、私が行くわ」
「そうだとしても、学園長に悪意があると、僕には思えないんだよ」
善人に悪意がないと、私は思ってはいない。
悪ふざけのように、それはされた方が判断する事だと思っている。
「先に行くわ。着地してから呼ぶね」
「ベス、それは駄目だ。どんな危険があるのか分からない」
ウーゴは真剣な顔で言った。
「ウーゴ、だからよ。私は数秒だけど時間の魔法が使える。この先の見えない穴から落ちて、捻挫で済むと思っているの?」
「それはそうだけど……、じゃあ、待っていて」
ウーゴは机の引き出しから、裁縫箱を取り出して、糸を私のベルトに結んだ。
「気休めだけど、僕らに何かあったら、分かるようにしておきたい」
「うん。では行くね」
私は時間を止めながら、穴から落ちた。
床は外なら土だろうし、道ならば石、そして室内なら木かもしれない。
そしてそれはどれも、一メートル上から落ちても痛いのである。
着地した場所は土だったが、石壁の部屋のようだった。
上を向いて呼んでみたが、天井がないこの場所から声が届くとは思えない。
取りあえず、ベルトの糸を引いて見た。
盛大な叫び声を上げ、落ちてくるウーゴを数回に分けて止めてからおろした。
「僕の身長ほどで、糸が止まったんだ。全く動かないし、声もしないから、心配で来てみたんだけど、僕って背が高かったんだね。ありがとう」
ウーゴは情けない顔をしながら、器用に笑顔を作って見せた。
「私たちは、歓迎はされていないと思うの。普通は、ここで潰れた肉体を、捨てなければならないでしょ?」
「普通に死ぬと言ってくれたほうが気楽だよ。想像しなくても済むからね」
「そうね。ごめん」
私たちの行く場所は一つしかなかった。
翼を持たない私たちは、来た穴へ戻る事はできないのだから。
「開けるよ?」
「うん」
石の壁にある木の扉は古いのだろう、その色は灰色になっていた。
少しの隙間から、ウーゴが外をうかがった。
「一緒に驚いてみる?」
「付き合うわ」
私たちの目の前には、ひざ下ほどの高さの、柔らかそうな草が、風になびいていて、それがまるで、緑の海のようにうねっていた。
「すごいな。地下にこんな世界があるなんて、まるで異世界だ」
「う、うん」
異世界デビューを祝ってあげたいが、ここはきっと、地下空間だろう。
私が本当の異世界を、知っている事は言えない。
「うんざりよね」
「どうしてだい? 気持ちが良いじゃないか」
ウーゴは賢いが、のん気なようである。
「どっちを見ても、何もないのよ? 戻れない以上、進むしかないの。どこを目指せば良いの? ここに、生き物がいるとしたら、それは人? 魔物?」
私は言葉を発する度に、不安な気持ちになっていった。
どうして、ルベを待たなかったのだろう。
どうして、ダニエル様を待たなかったのだろう。
「ベス、落ち着けよ。怒っても笑っても、何も変わりはしない。ここの情報は二人とも持っていないだろう。こんな時は、何かが起こってから判断するしかない。ゆっくり深呼吸をしてごらん」
ウーゴに言われて、私はゆっくりと深呼吸をした。
今は、後悔をしている場合ではない。
「ごめんなさい。不安になったの。私に降りかかってくるのは、いつも大変な事ばかりだったから」
「普通の運命を持った女の子じゃないからね。かわいそうだけど、僕には想像もつかない。でも、今は非力だけれど僕が守るからね」
ウーゴの気持ちが嬉しかった。
未知の場所で怖いのは、彼も同じはずだと思った。
「ありがとう。頼りにしています」
太陽のない明るい灰色の頭上を眺めた。
自分たちの出てきた、石造りの箱しか、目印はない。
ウーゴは辺りを見回した。
「木が一本もないから、ここで夜を明かす事にして、少し辺りを調べてみよう。右手の先に何かがあるかもしれない」
どのような生物がいるのかすら、分からない私たちは、効率より安全を優先して、一緒に行動する事にした。
ウーゴの言った右側の草原には果てがあるようだった。
生きている物は虫の一匹もいなかった。
それが、学園長の庭のようで、私には不気味だった。
私たちは、足元の草原が途切れている場所に立っていた。
「結構、高い場所だったのね」
「そうだね。ここが地下だと忘れてしまいそうだ」
「行くしかないわよね」
眼下には森や川があり、遠くの町には城まであった。
「ウーゴ、何かがくる!」
「ベス、先に攻撃してはいけないよ」
「なぜ!」
「相手を見てからでも、遅くないからさ」
私は剣に手をかけて身構えた。
やってきたのは、真っ白な翼のある馬だった。
「驚いたな。ペガサスか」
「実在したのね」
子供用の絵本に描かれていたそれが、目の前で動いている事に、私たちは驚いていた。
「地上から来なすったのか?」
のん気な大声で、そう言いながら現れたのは、ウーゴが見上げるほど、大きな人だった。
「はい、そうです」
ウーゴは私をかばうように、前にでて言った。
「そうか、ならば迎えにきた。俺はガドっていうもんだ」
「僕はウーゴです」
「私はベスよ」
背が高いだけでなく、体の幅も厚みもある人で、髪と髭も黒くて濃く、太い眉の下にある、大きな目が優しそうだった。
「ここから、城が見えるだろう? あそこに行くんだが、飛んでは行けねえ。町からは歩いてもらうぞ」
「ガドさん。私たちはどうしてお城に行くの?」
城にいる人が、善人だとは限らない。
少なくとも、最高権力者だと思うと、用心もしたくなる。
「ここは、人間が住むところじゃねえからな。帰りたくないなら、ここで暮らすしかないぞ。町には入れねえからな」
首をかしげて、悪意のない顔をされると、少し後ろめたくなる。
「気を悪くしたのなら、謝るよ。地上に帰れるなら、お願いしたい」
ウーゴはそう言って、ガドさんを見上げた。
「気なんぞ、悪くはしていねえ。おまえらは種族が違う、不安になるのは当たり前だからな」
そう言って肩を上げると、彼は指笛を鳴らした。
そのペガサスは、空気のカーテンから出てきたかのように現れた。
「ペガサスは人間を乗せねえからな。後ろにのってくれ。ああ、ちゃんと掴まっていねえと落ちるぞ」
ガドはそう言うと、ウーゴと私を、後ろの荷台に乗せた。
ペガサスは、まるで道があるかのように、空中を走る。
荷馬車は全く揺れないが、高さがあるので、二人は手すりに掴まったままだが、眼下に広がる景色を、楽しむ程度の余裕はあった。
「夢のようだね」
ガドは景色に目を輝かせて言った。
「うん。夢なら良いのにね」
新しい物や珍しい物には、面倒事が付いてくると私は思った。
二人は互いの顔を見て笑った。
今は、なるようにしかならない。
それは、二人とも同じはずなのだ。
ならばきっと、楽しんでしまった方が、良いのかもしれない。
ペガサスはゆっくりと下り、町の近くで止まった。
私は歩きながら、ペガサスが町に入れない訳が、分かった気がした。
この町は、道が狭い。
ガドのように、大きな人がたくさんいるせいだろうか、家が大きい。
それは、部屋数や庭の話ではない、
一般住宅が拡大されたかのように大きいのである。
扉も窓も全てが一・五倍はあるようだった。
「ベス、大丈夫かい? これから、人混みに入るようだから、手をつなごう」
「おお、すまねえ。ベスは俺が担ごう」
「担ぐ?」
ガドの言葉に驚いた。
十四歳の私は、それなりに体重はあると思うが、ガドは私を自分の肩に座らせたのである。
「重いでしょう?」
「これが重いだって? 俺たちはだてに、でかい訳じゃあねえ。力自慢の者ばかりさ。ベスなら子供でも担げるぜ」
「すごいな。僕は力には全く、自信がないよ」
「ああ、俺たちだって空は飛べねえ。皆、一度はあこがれるがな」
「え? 空ってあの?」
「ああ」
ガドを見上げて、空を指差して尋ねるウーゴ。真面目にうなずくガド。
私はガドの肩に腰掛けて、その髪に掴まりながら、小さく笑った。
ガドが一人なら、空を飛ぶのも良いかもしれない。
しかし、ここの住人が全て空を飛ぶのは、迷惑だと思った。
怖くて、下を歩けないだろうし、第一、空が暗くて仕方がない。
なぜ、空を飛びたいなどと思ったのだろう。
城が近くなると、店が多くなる。
どの店も、軒下に商品が並んでいるが、そのどれもが、大きい。
「ガド、その人間のお嬢ちゃんに、食べさせておやりよ」
八百屋のおばさんが、バレーボールほどの大きさの果物を切って、ウーゴと私に手渡してくれた。
「すまねえな」
「ただの味見だよ」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
私たちは、その緑の果実を口に入れた。
「おいしい!」
見た目は全く似てはいないが、懐かしい桃の味がした。
「甘いですね。とてもうまい」
ウーゴも好みの味だったようだ。
八百屋のおばさんが、私たちの様子に満足そうに笑った。
私は城の入り口で下ろされた。
「俺は中には入れねえから、ここまでだ。またな」
「ありがとう」
私は真っ先に聞こえるはずの、ウーゴのお礼の声がないので、振り返った。
ウーゴは身動きすら、していなかった。
そして私は、ガドが空を飛びたがった理由を知った。
この世界は、まるでビックリ箱だと思う。
十四年もたつのに、まだ驚く事があるのだから……。




