新しい親たち
素肌の背中を数回たたかれて、私は泣いて目が覚めた。
背中をたたかれた事より驚いたのは、その自分の声だった。
私の口からでたその泣き声は、赤ん坊のものだったのである。
「二人目は女の子です」
赤ん坊であるはずの私は、日本語ではない初めて聞く言語を、聞き取る事ができたが、その理由も今の状況も、全く分からない。
ただ、今はされるがままに、なっているしかない事だけは理解した。
私の名前は、遠島悠華。家から徒歩三十分で通える公立高校の二年生。
家族構成は会社員の父と、パート勤めの母。そして、大学二年の兄。
最近は父の会社で何かがあったらしく、夫婦げんかの声が時折聞こえたが、年に数回はある事なので、私は気にもとめなかった。
実際、離婚の話などは、一度も聞いた事がなかったので、仲が悪い両親だと思ってはいない。では、仲が良いのかと聞かれれば、首をかしげてしまうだろうが。
兄妹仲は悪くはないと思う。
必要な事以外、あまり話さない兄だが、小さい時にはよく遊んでくれたし、二人で留守番もした。
いざとなったら、頼れる兄だと思ってはいたが、口にした事はない。
亡くなった祖父母と同居していたので、古いが裏に小さな庭のある、二階建ての家で私たち家族は暮らしていた。
時間の経過は分からない。
数分前だったのか、数年前だったのか。ただ、三日後に控えている期末試験の勉強で、就寝したのは午前二時頃だったのは覚えている。
兄が私を呼ぶ声と、ガラスが割れる音で目を開けた。そして、臭いと熱を感じて飛び起きた。
その時私は、ようやく火事に気が付いたのである。
両親と兄の名を呼びながら、逃げ場を探したが、自室のドアを焼く炎の先に、飛び込む事はできなかった。
隙間だらけの古い家なので、煙と熱だけが部屋に容赦なく入り込む。
煙で頭がもうろうとしてきた私は、逃げ場を探して窓を見た。
二階ではあるが、ためらっている場合ではない。
飛び降りようと窓を開けた私は、見たのである。
一瞬ではあったが、裏庭の塀に寄りかかり、包丁を片手にこちらを見上げて、笑って手を振る父の姿を。
おそらく、隣の部屋の兄も窓から飛び降りたのだろう。
父の足元に横たわっているスエット姿は、間違いなく兄だった。
私がその光景に一瞬ひるんだ時だった。
窓に向かって逃げようとする炎に、私は巻かれたのである。
その痛みや苦しみが、私のものなのか、彼女のものなのかが分からなかった。
火あぶりの刑だろうか、丸太に縛り付けられ、足元に積み上げられている木に火を放たれている中で、彼女は空を飛ぶ黒い三頭を見上げて叫んでいた。
「きては駄目! 人を襲っては駄目! 待っていて、私はきっと戻ってくるから」
どうやって戻るのだろう?
私は意識の途切れる直前に、そう思ったのである。
赤ん坊の私は、ただ、一日の大半を眠って過ごすしかなかった。
私は自分が転生したのだと理解した。それ以外、どのような仮説も成り立たなかったのである。
睡眠時間が長すぎて、入ってくる情報が少ない事だけが、不満だったが寝返りすらできない身で、あせっても仕方がない。
ただ、目覚めた時に誰かが会話をしている事を、願うだけだった。
「神官殿。まだ、二人の奥方は教会から出せんのか」
「赤子はお見せしましたよ。あなたたちの望んでいるお子ではありませんが、それでも命です。産後の肥立ちが悪いので、少なくとも半年と申し上げたでしょう? 警備隊長、あなたの奥方は大丈夫だと言っても一年も教会にいましたが?」
「それは……。分かった。上へはうまく言っておく」
「ありがとうございます」
警備隊長と神官がいる世界。人種、言葉、文化、教養と考えて、ここは多分、地球ではないのだろう。
この世界は、昔の日本のように、双子は認められないのかと思ったが、どうやらそうではないようで、警備隊長は生まれてくる子供に関心があるようだった。
そして、私はその期待には、応えられなかったようである。
先に生まれた子が第一子で、上の子になるらしく、乳の飲みが悪い、泣いてばかりいる隣の赤ん坊が、残念な事に今回の兄らしい。
だが、不思議な事がある。
二人は同じ母から生まれ、同じ乳で育てられているのだが、私の横にはいつも別の女性がいるのである。
日に一度、日が暮れると二人の男がやってくる。
白っぽい金髪で茶色の目をした、たくましい体の男と、黒髪と茶色の目をした、優しそうな男である。
黒い髪を見て、日本人だなどとは思わなかった。私の視界に入る人たちは、総じて顔の彫りが深い。日本人的な表現をすると、外国人の顔だったのである。
私の横の女性がすまなそうに言った。
「あんた、ごめんよ。元気なのに仕事も手伝えず。食っちゃ寝していてさぁ」
「そんな事は気にするな。それが今のエリーの大切な仕事だろう。立派に母ちゃんをしていろ」
金髪の男はそう言うと、白い歯を見せて笑った。
「すまないと思っている。だが、どうか娘を頼む」
そう言ったのは黒髪の男だ。
「アリーゴ様、この日のためにエリーの奴は、アニータ様と同じ姿になるように、腹に布を巻き付けていたんです。俺たちの覚悟は、とうにできています。大切にお預かりしますよ」
私が父親に捨てられた瞬間だった。だが、育てられていないせいか、不快ではあったが、悲しいとは思わなかった。
赤ん坊だから、何も分からないと思っているようだが、私はぼやけてはいるが、視力もあるし、大きな声や近くの音は聞こえているのだ。
堪えていたのだろか、母親の方から嗚咽が聞こえる。
「アニータ、泣いてはいけない。ベスを生かすためなんだ。生きてさえいてくれたら、私たちはいつでも見守っていられるだろう?」
事情が全く分からないが、私が両親といると、生死にかかわるのだろうか?
死んだ記憶がまだ鮮明なのに、それは嫌だと思った。
「ええ、あなた……。分かっていますわ。それが最善の方法だと、生まれる前から、神官様と話し合った事ですもの。それにセルジオとエリーでしたら、ベスを大切にしてくれるでしょう。ごめんなさい。分かっていても、悲しい……」
私の顔を見る二人は、とても悲しそうな表情で、こちらが気の毒になる。
父が優しく母の肩を抱いて、おでこにキスを落とした。
日本の両親は自分の前で、一度もそんな事をしなかったので、思わずまばたきをしてしまった。
生まれた時からそばにいる神官が、顔色も変えずに二人を見た。
「エリーは当然ですが、母乳がでません。ここは乳飲み子を抱えている母もいない村ですから、もらい乳もできないのです。半年ですが、十分にかわいがると良いでしょう。アリーゴ、分かっているでしょうが、十年です。魔力検査の年には、この子は旅立たねばなりませんよ」
「はい。それまでに覚悟は決めておきます。お手数をお掛けしますが、よろしくお願いいたします」
父親はそう言って深く頭を下げたが、捨てられて、旅に出される私の未来は、忙しい事になりそうである。
今日の私の収穫は、実の父がアリーゴで、母がアニータ。育ての父はセルジオで、母がエリーという名前だと言う事。
そして、私の名前は犬の名前のようだが、ベスというらしい。
どうやら私は、何だか生まれてはいけない子供だったようである。
今更戻れないから、心の中ですみませんとわびて、寝落ちした。
私はおそらく順調に成長していると思う。
隣で眠る兄は、実にやる気のない赤ん坊で、二人を比べる周りの目は、どうしても私の方に向いてしまう。
子育ての経験はないが、私は耳と目が良いだけで、ただの赤ん坊だと思う。
「アニータ、あとひと月ね」
「奥さま、いつでも会えますよ」
「ええ、そうね。でも、怪しまれるから、あまり頻繁には行けないわ」
「子供はすぐに大きくなります。そうすれば、窓からでもこの子の走り回る姿を、見る事はできますよ」
「そうね。ベスはおてんばさんになりそうだわ」
何だか失礼な会話ではあるが、私は首が据わると、器用にバランスを取りながら、一人で座る事を覚えた。
きっかけは離乳食だったが、私はスプーンでだされる物は何でも、大口を開けて食べる。
すりつぶしてあるそれらは、素材の味しかしないが、口を開けないとそれらは下げられるのである。
母親には悪いのだが、中身は女子高生なのである。そろそろ、授乳は卒業させて欲しい。
監視の目があるので、外に出る事はできないが、窓から差す日差しがとても気持ち良く、床に広げられた布団の上を、何度も転げ回った。
兄はまだ座る事もできず、だされたスプーンを見て泣き出す始末。
あまりにも身勝手に甘える兄が、妙にむかつくので、チャンスがあったら一度、殴ってやろうかと思う自分に驚いた。私のこの感情は、やきもちである。
あれほど信じていた父の、あの笑顔を忘れてはいないはずなのに……。
どうやら人は、愛されたい生き物のようだ。
私は、なんでもつかめるようになっていた。
だが、なぜだろう? 寝たままでオモチャを持ち上げると、それが自分のおでこに必ず当たるのだ。それが、地味に痛くて涙目になる。
そのような訳で目下私は、片手で物を持つ練習に余念がない。
とりあえず成長しなければ、何ひとつ始まらないのである。
私はこの世界を、早く見たいのだ。
「あなた、神官様がおっしゃるには、ベスは成長が普通のお子さんより、早いようなの。まるで、早く私の手を離れたいみたいで、寂しいわ」
「おやおや。子供の成長を喜ばないで、どうするんだい? 心配はこの先、山のようにしなければならないよ。子供は赤ん坊のうちに、親孝行はやり終えるのだそうだよ。ベスが見せてくれる親孝行だ。ちゃんと喜んで見せてもらおう」
眠りから覚めた耳に、入ってきた夫婦の会話に、私は少し嬉しくなった。
「アー、ダー。アアー。ダーッ、マー」
(そうだよ。いつでも会えるからね)
「ベス? 上手におしゃべりができるんだね。そうだよ。私が君の父だよ」
「アー、マム、ダー。グニュー、マー、アー」
(はい、知っています。外に聞こえちゃまずいでしょ?)
二人の会話は続いたが、私の気持ちが、父親に届いたとは思えなかった。
だが、今は赤ん坊の思考回路ではないので、言葉が話せなくて良かったと思う。気味の悪い思いをさせて、実の親に嫌われたくはない。
それからひと月後。
実の両親に抱かれて、幸せそうに眠る兄は、村長の孫として帰って行った。
私は母となるエリーの腕に抱かれ、大きな荷物を抱えた、父となるセルジオとともに、教会内の別室に移動した。
実はこの二人、教会に住み込みで働く、管理人夫婦だったのである。




