2話
次の日学園へ行くと注目の的になっていた。
それは当然だろう。あんな公衆の面前で婚約破棄をするというとんでもない大事件を起こしたのだ。注目されないはずがない。
しかし私が視線の方向を向くと皆一様に他の方向を向く。
私が公爵令嬢だからだろう。
(まぁ、すぐに収まるか……)
公爵令嬢という立場なので、もともと見られていることには慣れている。
なのでさして気にすることもなく自分の教室へ向かう。
(それにしても、久しぶりにメイクしたわ)
歩きながら私は心の中で上機嫌に呟く。
以前は王子にメイクを禁止されていたのでずっと何も出来ていない状態だったのだ。
加えて髪も久しぶりにセットしたので、私の気分はとても上がっていた。
(やっぱり皆見てくるわね。そんなに昨日のことは学園中に広まったのかしら?)
そう考えながら私は教室の扉を開ける。
瞬間、「げ」と心の声が漏れてしまった。
教室に入るとマーク王子がいたのだ。
教室の人数が配置されたのは入学式の前。
きっと学園側が婚約者同士だからと気を利かせてくれたのだろうが、それが今となっては仇となった。
私は王子とは目を合わせずに席へと座る。
するとすぐに声をかけられた。
「あ、ええと。お隣、よろしいですか?」
声をかけてきたのは男子生徒だった。
金髪に整った顔で、とても好印象だ。
「え、ええ。いいですけど……」
まだ空いている席はいっぱいあるのに、どうして私の隣にわざわざ座るのだろう。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら男子生徒は横に座る。
私は感謝の言葉を久しぶりに聞いて感激した。
マーク王子の場合、私が何かしてあげても、それが当然かのようにお礼も何も言わず、それどころか「もっと早くやれ無能」と言われていたのだ。
なので物腰が柔らかく丁寧な彼に私は感心した。
うん、やっぱり小さなことでもお礼を言うのは良いことだ。
「自己紹介をさせてください。僕は隣国よりこの国へ留学させて頂いているレノ・スコットです。ブロンデ公爵家の噂は隣国でもよく聞いています。とても優秀な家だと」
私は彼が隣の席に座ってきた理由に納得した。
彼はこの国の重要人物と良い関係を保ちたかったのだろう。
ただ、それならなぜマーク王子の隣に座らないのかが疑問だが。
一番の重要人物であると言っても過言ではないのに。
「それはありがとうございます。私はシャーロット・ブロンデです。ところで、あちらにマーク王子がいらっしゃいますが……」
「ん? ああ、それはいいのです。どうせ──ですし」
レノ王子はマーク王子を一瞥だけして聞き取れないほど小さな声で呟いたあとすぐに視線を外した。
それに私が疑問を感じていると教室に教師が入ってきた。
「おっと、教師の方がやって来ましたね」
「ええ、授業に集中しましょうか」
私たちはそう言うと授業に集中した。
***
午前中の授業が終わり、昼休みが始まった。
「シャーロット、食堂へ行こうか」
「ええ、レノ様」
休み時間の間に話していて、こうして私とレノ王子は下の名前で呼び合うくらい仲が良くなっていた。
レノ王子は口調を崩してよりフレンドリーに接してくれている。
正直、こんなに気が合うとは思わなかった。
レノ王子はよく気が利くし、こんな異国まで留学に来て勉強したり親交を深めたりしようとするほど勤勉だし、とても物腰が柔らかい。
そして一緒に話していてとても楽しい相手だった。
(ああ、こんな人が婚約者だったら良かったのに)
私は心の中で嘆息する。
どうしても昨日婚約破棄したマーク王子と比べると自分の運命を呪わざるを得なかった。
私達は廊下を歩く。
「それにしても、こんなに君と気が合うと思っていなかった」
「私もです。話していてとても楽しいです」
「はは、それは嬉しいね」
私達が談笑しながら廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「おい」
振り返ってみると、そこにはマーク王子が立っていた。
何やら不機嫌そうな表情をしている。
「何でしょうか?」
「ちょっと今から話、いいか?」
私は先約のレノ王子にちらりと視線を向ける。
レノ王子は笑顔で頷いてくれた。
その時マーク王子の方から「チッ」と舌打ちが聞こえたが、特に気にすることなく返事する。
「あまり時間がかからなければ……」
「じゃあついてこい」
マーク王子は高圧的な態度で私にそう命令すると私を人気の少ない場所へと連れて行った。
そして人気のない場所に到着するや否や、私にこう言った。
「お前、俺との婚約を戻せ」
「え?」
私は一瞬何を言われているのか分からなかった。
しかしすぐに王子に質問する。
「えっと、昨日婚約破棄したばかりで……」
「関係ない、戻せ」
「そもそもマーク王子の方から婚約破棄を……」
「俺が大人になって許してやったからもういい。だから早く婚約を戻せ」
私はマーク王子の無茶苦茶な言い分に辟易とした。
それに婚約を戻すなんて絶対にしたくない。
こんな人を見下した態度を取り続ける男との婚約生活を思い出すだけで吐き気がする。
「えっと……嫌です」
「は?」
「だから、婚約は戻しません」
「なんでだ?」
「戻したくないからです」
マーク王子が激昂した。
「お前! 貴族の分際で俺との婚約が嫌だと言ったのか!」
マーク王子が私に詰め寄ってくる。
今にも私に対して手を出して来そうなその剣幕に私は恐怖で後ずさりした。
その時、私とマーク王子の間に誰かが入り込んできた。
レノ王子だ。
「嫌がる女性に詰め寄るのはあまり感心できない行為ですね」
「なっ! お前……!」
いきなり間に入ってきたレノ王子にマーク王子は驚く。
私はレノ王子に感謝した。
「……覚えてろ!」
マーク王子は捨て台詞を吐き捨てて何処かへ走っていく。
マーク王子の姿が見えなくなってから私は安堵のため息を吐いた。
「レノ様、ありがとうございます……」
「いや、大丈夫だよ」
「でも申し訳ありません。私のせいで……」
「いいや、それも大丈夫だ」
レノ王子は気にすることはないと首を振る。
レノ王子のことだ。気を遣ってくれているのだろう。
「ありがとうございます」
「じゃあ、改めて食堂へ行こうか」
「はい」
そうして私達は食堂へ向かった。
***
「クソッ! なんで、何でだ!」
何故アイツはあんな男に笑顔を向けているんだ!
俺、マーク・プリスコットは怒りを吐き出した。
そしてその怒りのあまり学園の壁を蹴りつける。
何人かの生徒がその様子を見ていて何かヒソヒソと話していたが、俺が王になった時にそいつらの家は全員潰してやることに決めた。
それにしても本当にムカつく。
なんでシャーロットは俺以外にあんな笑顔を向けているんだ。
アイツはまだ俺に未練があるはずなのに。
俺は分かっている。
シャーロットがまだ俺を好きなことに。
さっきの婚約を断ったのは俺が勝手に婚約破棄したことに拗ねているのだ。
ああやって近くにレノ王子を侍らせているのも俺に対してのあてつけなんだろう。
多分今日突然化粧してきたのもきっと俺の気を精一杯引くためのものなのだろう。
「俺のことを好きなくせに、素直じゃないな」
俺はフッ、と笑う。
そう思うと余裕が出てきた。
「ま、そういうところも可愛いけどな」
何せ婚約してから俺達はずっと一緒にいたのだ。
俺とシャーロットの心は通じ合っている。
「まぁ、今はそっとしておくか。その内にあっちから婚約を戻してくれって言いに来るだろ」
しかし一週間経っても、一ヶ月経っても。
シャーロットは俺の元に帰ってこなかった。




