45.
それは不思議な感覚だった。
温かく優しい力が全身を包みこむ、心地良さ。先ほどまで痛んでいた身体のあちこちが、どんどんと治癒していく。
(これが、女神様の神聖力……)
たった一瞬だったけれど、女神の声が聞こえた。
次いで神聖力が身体に流れ込んできたと同時――女神の、強い願いも心へ届いていた。
頭がぼうっとする一方、私に宿った女神の意志が、私の身体を動かした。
持ち上げた腕を、さらりと横に払う。
自然な動作にも関わらず、神聖力がうねるように動き、たちまち私たちを閉じ込めていた小屋が豪快な音を立てて吹き飛んだ。
「きゃあああああ!」
「なんだ⁈何が起きた……⁈」
頭を抱えて悲鳴を上げるアリサと、突然の事態にどよめく、小屋の周囲にいた男たち。
「何、なになに!なんなの、何が起こってるのぉ…⁈」
「……アリサさん」
半泣きでうずくまる彼女へと一歩踏み出す。
「女神様が、嘆いているわ。貴女が穢れてしまったと」
「は……?」
目を見開いたアリサさんは、突然ハッとしたように自身のうなじに手を当てた。じっとその部分を見つめると、先ほどから見えていた黒いもやは、そこが発生源だったのだとわかる。
どうすればいいのか、は、女神の意志が、直接身体へと伝えてくれた。
彼女のうなじへと伸ばした手は、アリサの手に叩き払われた。
「触らないでよ!」
怯えたようにこちらを睨むアリサは、周囲の男たちへと喚く。
「ちょっと!貴方たち、何突っ立ってるのよ……!早く!この女を止めて!近づけないで……ッ!」
小屋が弾け飛んだ衝撃で、あちこちに転がり呻いていた男達は、次々と起き上がりにじり寄ってこようとする。
「――邪魔しないでくださる?」
睨みすえると、身体からぶわりと光の粒子が勢いよく広がり……その粒子の波に触れた大男たちは、波にのし掛かられるようにして、次々と地面へ押さえつけられていった。
(これで、邪魔は入らない…)
アリサへと向き直れば、彼女は涙を流しながら、絶望的な表情でこちらを見上げていた。
「なんで……どうして、どうしてわたしじゃなく……あなたがその、ちからを……!」
悔し涙が溢れる姿に、彼女を少しだけ哀れに思った、その時。
私の身体の中を満たしていた神聖力が、少しずつ揺らぎ出したのを感じた。
(女神様が焦ってる……きっと、あまり時間が残っていないんだわ)
彼女の焦燥感に後押しされ、今度こそ、伸ばした指先で、アリサのうなじに触れた。
――ズキン!
瞬間、大きな激痛が一度だけ、指先から全身を駆け抜けた。
「ッああああああ――!」
森の中に響き渡る、アリサの苦痛の叫び。
じゅわわっと蒸発するように、黒いもやが星空へとのぼっていく。
がくり、と力を失い、その場に倒れ込んだアリサ。
青い顔はしていたが、身体にまとわりついていた黒いもやはなくなり、心なしか肌の血色も良くなっているように見えた。
「あ……」
ほっとしたのも束の間、急に足の力が抜けてしまう。
へたりとその場に座り込んだ私に、焦ったようなロロの声が届いた。
「リーエ!」
「……ロロ」
――女神の願いは、これで果たされた。
役目を果たした反動なのか、急速に全身から力が――神聖力が抜けていくのがわかる。
(お願い、もう少しだけ……)
「ロロ、おいで……」
どんどん重くなっていく頭に、意識がぼんやりしてくる。
朦朧とする意識を必死で繋ぎ止めて、懸命に這い寄ってきてくれたロロを、手探りで抱き上げた。
わずかに残っていた神聖力を注ぎ込むと、ロロを拘束していた神具が、がちゃりと硬質な音を立てて地に落ちる。
――その頃にはもう、視界は真っ暗になっていて。
「リーエ!リーエ、しっかりしろ…!」
ロロの悲痛な叫びに続いて、遠くに馬の蹄の音を聞いた気がした。
「ジュリエッタ…っ!」
次いで聞こえたそれが誰の声なのか。頭で理解するより先に、心にぽっと灯火が生まれたような、温かさが生まれる。
(……女神様、これは夢、かしら?)
完全に意識が闇に沈んでいく寸前、ぎゅっと温かい、逞しい腕が、力強く私を包み込んでくれるのを感じた。
ふわりと……意識の最後に掠めたのは、あの祭りの夜を思い返すような、レイの香り。
これが夢でも、幻でも、妄想でも……構わない。
彼を思い出せるような香りと温もりに包まれて、私は、とても幸せだった。
「くそっ……!どこだ!どこにいる⁈」
身を焦がすような焦燥感に突き動かされ、自身直属の聖騎士達を連れた第一王子――レイナルドは、全力で馬を走らせていた。
ジュリエッタがおそらく、この森の何処かにいると判明して以降、がむしゃらになって森の中を駆け回っている。
聖女がジュリエッタを連れ去ったのは、王国の北に位置する『魔境の森』と呼ばれる場所だった。
魔獣が徘徊し、魔術が狂い使うことができない場所、と言われ恐れられている、侵入を禁止されたこの森のどこかに、ジュリエッタがいるはずなのだ。
「王子殿下!」
別方向から合流して、遅れないよう馬を並走させるのは、城から連れてきたジュリエッタの兄で、騎士をしている男――確か、ウォルターと言ったか。
「東側には見当たりませんでした!おそらく、もっと奥かと……!」
「わかった。――行くぞ!」
手綱を目一杯引くと、馬が鋭く嘶く。
……ジュリエッタが誘拐されたとミオから連絡を受けて、レイナルドはなりふり構わず部屋を飛び出した。
宰相であるジュリエッタの父の部屋に飛び込み、訓練場にいた直属の聖騎士とウォルターの首根っこを掴んで、ろくな準備もせずに城を後にして来た。
暗殺者を遣し続けていた聖女が、誘拐したジュリエッタに何をするのか……予想がつきすぎるからこそ、かつてないほどに必死になっていた。
「レイ様!ここより先は、森が深いっス!流石に、魔獣の心配も……!」
背後からパーシーの声がする。
「わかっている!」
らしくもなく、そう怒鳴り返しながらも、馬を駆ることしかできない自分が恨めしかった。
森に入った途端、噂通りに探知系の魔術や道具は一切使い物にならなくなってしまった。彼女を見つけたいなら、あとは足で探すしかない。
(あんな女に捕まって……ジュリエッタが何をされるか、想像もしたくない)
幸い、ロロも一緒だと聞いてはいるが……神殿から、神獣を拘束する神具がなくなったとも報告が上がっていた。万が一、その可能性も考えて動かないと……。
ぞわぞわと背中に這い寄る恐怖を、必死になって振り払う。
(ジュリエッタ……!頼む、頼むから、無事でいてくれ……!)
ころころと表情を変えながら、活き活きとした笑顔を見せてくれるジュリエッタ。
口付ける瞬間、宝石よりも綺麗な涙を流して、切ない表情をしていたジュリエッタ。
彼女を好きで好きで、たまらないこの気持ちが――彼女を失うかもしれないという恐怖で、こんな激痛に変わるだなんて、知らなかった。
『――君をこうして、僕の側に閉じ込めてしまえたらいいのに』
彼女の部屋のベランダに忍び込んで、この腕に抱きしめた時に言った言葉。
細かいことなど何もかも気にせず、自分の気持ちに正直になって、すぐに閉じ込めておいていたら。
そうしたら、こんなふうに君を攫われてしまうこともなかったのに――!
次から次へと湧き上がってくる後悔に、奥歯をぎりりと噛み締める。
――その時だった。
チカッと、視界を焼くような閃光が、前方の木立から夜空へと打ち上がった。
「レイ様!あれは……!」
ミオが驚きの声を上げている中、レイナルドは、これまで以上の速度で馬を走らせていた。
本能が言っている。
――あの場所に、ジュリエッタが、いる。
夢中でたどり着いたその場所には、空気中に微かな光の粒子が舞い散り、何か大きな爆発でもあったかのように、小さな山小屋だったものが弾け飛んだ惨状が待っていた。
「これは……っ、一体何が……」
誰かが呆然と呟く中、転げるようにして馬を降りたレイナルドは、一目散に駆けていき、力なく倒れそうになった少女を抱き止める。
「ジュリエッタ……!」
ぐったりと力の抜けた彼女の身体を、もう2度と放すまいと、力いっぱい抱きしめる。
……どうか無事でと願った彼女は、この腕の中。静かに呼吸を繰り返していた。
更新が遅くなってしまって申し訳ありません。商業作品の関係でばたばたした1ヶ月を過ごしておりました。
ここから完結まで、もうしばらくお付き合いくださいませ




