42.
第二王子ヴォルシングの急な訪問は、すぐにユロメア公爵へと報告され、それを聞きつけたアルト兄様とウォルター兄様が激怒し、その日王城内はちょっとした騒ぎになったそうだ。
お兄様方が「ヴォルシング殿下を殴り飛ばす」と息巻いているのを、同僚の貴族たち、騎士たちが必死になって止めたが、少なくない怪我人も出たようだ。
王族への不敬罪に取られてもおかしくないこの一件について、第二王子の勝手な訪問が原因だからと、寛大な減罰をしてくれた国王陛下には頭があがらない。危うく国外追放されてもおかしくはない暴れっぷりだった兄2人だが、陛下の気遣いを含んだ判断により、2週間の自宅謹慎を言い渡されるだけで済んだ。
普段温厚なお父様はといえば、兄たちへの寛大な処罰に感謝しつつも、第二王子の礼に欠いた訪問については、しっかりと国王陛下へ異議を申し立てたらしい。
国王陛下から内密に、私への謝罪が綴られた私信を持ち帰ったお父様は、私をじっと見つめた後、「今回の件。周囲がなんと言おうと、お前の判断を尊重する」と言って、頭を撫でてくれた。
自分は本当に、家族の愛に恵まれているのだと、改めて感じて、ちょっぴり涙が滲んでしまった。
そんな騒動ばかりで忙しかった一日がやっと終わる、という夜も更けた時間帯――。
ベッドに横になろうかと思っていたその時に、突然……彼は現れた。
「リーエ。客が来ているようだぞ」
「え?」
ベッドの足元で、大きな豹のような獣姿で丸くなっていたロロが、ふと窓の方へと顔を向けた。
(客……?え?どういう……)
混乱する私は、次いで聞こえたコツコツという音に、瞬きする。
「窓の外に、誰かいるってこと?」
「そうだ。……はぁ。まったく。面倒臭いヤツだな」
大きな溜息をついたロロが、一瞬で人型に変身した。よいしょ、と立ち上がったと思えば、すたすたと寝室の扉へ向かって歩いていく。
「ちょっとロロ」
「大丈夫だ。警戒しなきゃいけないような相手じゃない。俺は向こうに居るから、気が済んだら呼んでくれ」
どうして呆れ返ったような口調なのだろうか。大袈裟に肩を竦める動作まですると、ロロは他には何も言わず、続き部屋へと去ってしまった。
――コンコン。また小さな音がする。
(この音……ノックしてるの?)
窓の外は、バルコニーになっている。ここは3階だから……どうにかして、登ってきた、とういうことだろうか。
お客が来るような時間でもなければ、自分は既に寝巻き姿なのだが……。
まぁ、ロロがああ言うのだから、暗殺者や不審者ではないのだろう。
椅子に掛けてあったショールを羽織り、そろそろと窓に近づいた。分厚いカーテンの隙間から、そっとバルコニーを覗くと。
「え?」
月光を受けて、キラキラと輝くプラチナブロンドが風に揺れていた。
深い闇色のローブを羽織ったその人は、よいしょとバルコニーに足を掛け、こちらに背を向けている。今にも飛び降りそうなその姿に、考える前に行動していた。
「――待って!」
慌てて窓を開けて、裸足のままバルコニーへと飛び出す。
「待って!レイ!」
人影がはっとこちらを振り返る。柔らかな月光の下で、彼のガラス玉のような翡翠色の瞳は、不思議な色の揺らめきを見せていた。
「ああ、起きてたんだね。ジュリエッタ嬢」
「レイ……」
私を見つけた彼の瞳が、ゆるりと解ける瞬間に、つい見惚れてしまう。
彼は乗り越えようとしていたバルコニーから降りると、少しだけ申し訳なさそうな顔になった。
「ごめん、もしかして、起こしてしまった?」
「ううん。まだ起きていたから、大丈夫。それよりも、どうしたの?こんな夜中に……忍び込むような真似までして」
「んー、ちょっと。会いたくなって」
歯切れの悪い言葉に、首を傾げる。レイは、くすりと笑みを零して、私の髪を一房、長い指先で掬い上げた。
(本当に、どうしたのかしら?いつも外で待ち合わせるばかりで、家まで来ることなんてなかったのに……)
レイが、私の髪をくるくると指先に巻きつけて遊んでいるのを眺めながら、心当たりを探すうち、はた、とある可能性に思い当たった。
今日は、第二王子ヴォルシングが突然訪問してきたことで、大騒ぎだった。……私の予想通り、レイが、第一王子レイナルドなのだとしたら――当然、今日の騒ぎも彼の耳に入っているはず。
(……もしかして、私を心配して来てくれた……?)
そんなはずは、とも思うのに、一度芽生えた淡い期待は、心の中でどんどん大きくなる。鼓動も少しずつ、早くなっていく。
「ミオから話は聞いたよ。第二王子が来て、君がかっこ良く追い返したって」
「かっこ良くって……そんなんじゃないわ」
「それから……聖女のことも。君を狙っていたのは、やはりあの女のようだね」
「……ええ」
レイの深刻な声色に、昼間、ヴォルシングが嘆いていた言葉を思い返す。
『――あ、挙句の果てには、ジュリエッタ!君を殺せと喚いて、暴れ散らすような女なんだぞ、あれは……!』
あれで確信した。私に暗殺者を送り続けているのは、アリサなのだろう。
彼女ひとりに、あれほどの数の暗殺者を用意できるとは思えない。だとすれば、彼女の意思で、教会か、どこかの貴族かが動いていると考えるのが自然だ。
なんとなく想像していた通りだった、といえば、そうなのだが……。
(……聖女である彼女が、誰かに殺意を向けるだなんて。そんな事を考えるような人だとは、思いたくなかったのに)
あんな彼女だが、それでも、女神に選ばれた聖女なのだと、心の芯の部分は良い人なのだと、そう信じていたかった。
「愚かな女性だとは思っていたけれど……他でもない、君の死を望むなんて。――許せない」
ぼそりとレイが呟く声は、低く震えていた。
いつも穏やかな雰囲気のレイが、ここまで怒りの感情を見せているのは初めてだ。
「いい?ジュリエッタ嬢。絶対に、ひとりになってはいけないよ。どこかへ行く時は必ず、神獣殿やミオと一緒にいて」
真剣な瞳が、必死にこちらを覗き込んでくる。私の肩を掴む彼の手には、強い力が込められていた。
「ミオにも、君を絶対守るよう言っておくけれど……君は時々、びっくりするようなことをしたりするから。心配してるんだ」
「大丈夫よ。狙われているとわかっていて、ひとりで行動したりしないわ」
「その言葉を信じたいけどね。……広場に魔獣が来た時だって、君は、僕の逃げろという言葉には従わずに、神獣殿と無茶をして、最終的に倒れていただろう?」
「ぐ……」
それを言われると、さすがに反論できない。
そういえばあの夜、魔獣騒動でドタバタしてから、ずっとレイと顔を合わせていなかったな……と、こんなタイミングで思い出した。
「あの時の君は、神獣使いとして、とても凛々しく見えたけれど……。倒れた君を見た僕が、どれほど肝を冷やしたかなんて、知らないでしょう?」
肩に置かれていた手に力が込められ、有無を言わさぬ優しさで引き寄せられる。
「わっ」
それは一瞬の出来事で、バランスを崩した私の身体は、ぽす、と彼の胸に抱きしめられる。温かい体温に包まれて、自分の体が緊張に強張ったのがわかった。
すっぽりと私の身体を包み込む、レイの腕。一見、細身に見える彼だが、私ひとりくらい、余裕で抱きしめてしまえる――彼も立派な男の人なのだと、急に意識してしまった。
爽やかなレイの匂いが、いつもよりも強く感じられて、くらりと目眩がする。
これはもしかしたら、都合の良い、夢なのかもしれない。
「君をこうして、僕の側に閉じ込めてしまえたらいいのに」
吐息混じりの囁くような彼の声に、心臓が跳ね上がった。
鼓動が煩くて仕方がない。これが、自分の鼓動なのか、それとも、密着した彼のものなのか、その区別すらつかない。
「もう少しなんだ。もう少し……。そうしたら、僕は……」
音にならないような微かな囁きが聞こえた気がした。
それを聞き返すことはせずに、私はただ、彼のマントをぐしゃりと握りしめた。
諦めなくてはいけないはずの想いが、彼といる時間が積み重なる度、どんどん大きくなっていってしまう気がした。
それがやっぱり痛くて、でも、ずっとこのままで居たくて。
ひんやりした夜風の中で、私たちはただ、言葉もなく寄り添っていた。




