カミュ·ロマーノフの逆襲 3
野生を生きる動物と家畜化された動物とで大きく異なるのは、リラックスできる時間があるかどうか、ストレスから解放されているか否か、という点であろう。
言うまでもなく、野生においては、ちょっとした傷などが命取りとなる。
例えば足のケガがその代表例で、数日安静にすれば治る程度の捻挫は、家畜にとって多少のケガでしかない。
だが、野生動物の場合は、数日間エサを得られない期間が強制的に設けられる上、動けるようになってからも、療養と空腹で大幅に動きが衰えた状態での復帰をしなければならないのだ。
してみると、パレスという閉鎖空間の中で生まれ育ちながらも、ハイヒューマンの生活は野生生物に近いものであるといえた。
その本質は――弱肉強食。
常に他の個体より勝っているところを見せつけ、己こそがよりマザーのお役に立てるのだということを、証明し続けなければならないのである。
そうすることで、個体ナンバー以外に呼び名のなかったハイヒューマンは名を賜り、役割も得ていくのだ。
ドニーという名が与えられたハイヒューマンにとって、カミュというパートナーはそんな日々の中、始めて得た友人であり、安らぎであるといっていいだろう。
どちらかというと抜けているというか、隙の多い彼女であるので、二人のやり取りは、ドニーが面倒を見てやるような形のものがほとんどであった。
ならば、面倒をかけられているだけではないかと解釈することも可能だが、ドニーからすれば、そういったやり取りが――心地いい。
もちろん、カミュという個体がマザーのDNA情報を参照して生み出された特別品であり、そのパートナーならば立場も安泰……という俗な思考があったことは、間違いないだろう。
だが、思念波で繋がり見えた彼女の内側は、どこか悠然とした大海めいていて……ドニー自身も含め、常に緊張感と焦りに支配されている同年代の個体たちとは、まったく違う癒しがあったのだ。
それは、マザーのコピーであるという出自……何をどうしてもハイヒューマン内で一定の立場と役割が得られる遺伝子情報も影響しているのだろうか。
言ってしまえば、彼女は姫君で、ドニーらはそれに仕える兵卒。
嫉妬してもいいところであったが、不思議と不満はない。
彼女が非常に特別な機体と役割を与えられたのには、すんなりと納得することができたし、自分の存在意義はそれのカバーであると納得できた。
きっと、中世世界の騎士が主君や姫に仕える時というのは、このような心境だったのである。
そう、カミュこそは姫であり、自分はそれを守るナイト。
真社会性生物めいたハイヒューマン内の社会において、それこそがドニーの見い出した生きる道なのであった。
それが、今、崩壊している。
「あの子が裏切った?
パレスに攻撃? どうして?
そんな予兆はなかった。
……ううん、それ以上に、そんなことする理由がない!」
まるで、旧人類の幼子がイヤイヤするように頭を振りながら、そのような言葉を羅列した。
まさに――混乱の極致。
かように独り言を漏らし続けているのは、自分の思考を整理するためというよりは、目の前で起こっている現実を否定するための呪文詠唱である。
こんなことが、起こるはずはない。
つい、今の今まで思念波によって繋がっていた――つまり異体同心であったということ――カミュが、突如として自分との繋がりを切断し、攻撃。
そのまま、パレス直上へ移動して、カラシニコフが持つ最大火力――グレネード·アローを連射するなどとは。
『一体、これは……』
『どうしたというんだ……?』
混乱しているのは、ドニーだけではない。
カミュの歌による『改心』で仲間入りした黒騎士団や、ルガーで隊列を組む同胞たちもまた、あり得ぬ出来事に浮足立ち、動きを止めていた。
『ドニー!
カミュとあなたとは、思念波で繋がるパートナーのはず!
これは一体、どういうことだ!?』
中には、そうドニーを問い詰めてくる者もいたが……。
「分からない……。
一体、何が……」
ドニーとしては、そうつぶやくしかなかったのである。
あまりにも無様なのは、急行したケラーコッホがカミュの暴走を防ぎ、戦闘状態へ入ってもまだそうしていたこと。
マザー自身が座すパレスのブリッジを直接攻撃されるという、ハイヒューマン最大の非常事態。
それに対し、ドニーはただただ硬直するのみであったのだ。
それだけ、目の前で起きている出来事の衝撃が大きかったということであるが……。
――何をしているのです!
――わたしのハイヒューマンたち!
――カラシニコフを撃墜しなさい!
――わたしを守るのです!
その横顔をはたくかのように、極めて強烈な思念波が浴びせかけられてきた。
まるで、脳の中に鉛玉を埋め込まれ、そのままシェイクされるかのような衝撃。
一切の遠慮も調節もなく、ただ大声を張り上げたかのような……。
いや、この思念波に込められたエネルギー量は、閃光手榴弾が間近で爆発したかのようだ。
こんなことができるハイヒューマンなど、この銀河に一人しか存在しない。
そして、彼女に対し無窮の奉仕を行うよう本能的に刷り込まれているのがハイヒューマンであり、ひいては、後天的にその意識を植え付けられたのが黒騎士団なのだ。
ゆえに、この思念波はドニーに対し、正しく喝として作用した。
つまり……。
「あの子は敵。
排除しなければならない、マザーの――敵」
ドニーはプログラミングされた機械のような正確さでコントロールレバーを操り、ただちに受領した乗機――ブラックホークの真価を発揮したのである。
その真価とは、他でもない……。
「このスピアボードで……!」
――サーフィン!
一見して貧弱なシルエットと武装構成のブラックホークにとって、唯一特徴的な武装である双穂先のスピア。
これは、実のところ槍ではなく、ブラックホーク本体が飛び乗るための乗り物であったのだ。
以前、クリッシュがマグのシールドを用いて披露したサーフボード戦法……。
あれにインスピレーションを得た技術部が、その戦法を主体としたOTとしてルガーベースにカスタマイズした実験機というのが、ブラックホークという機体の正体であった。
かような設計思想であるから、当然、ボードと化したスピアが生み出すスピードは――速い。
まさに、一筋の流星と化し、ケラーコッホと切り結ぶカラシニコフの下へと急行したのである。
いや、これはただ接近しただけではない。
「カミュ……止まりなさい!」
叫びながらも、足元のスピアボードを突き出したのだ。
しかし、これは間一髪のところで身をひねられ、回避された。
すかさずカットバック――百八十度のターンを決め、再度アタックを仕掛ける。
「聞こえているでしょ! カミュ!」
その間も、声で呼びかけるのは止めない。
ハイヒューマンとしてはあり得ないことに、それ以外……コミュニケーション手段がないからだ。
通常、思念波というものにガードや拒絶という概念は存在しない。
伸ばせば必ず結び付き、互いの心をさらけ出すのがハイヒューマンの特性であった。
だが、カミュという個体は、まるで殻に閉じこもっているかのように、ドニーの思念波を寄せ付けない。
あるいは、マイナスの磁石同士をくっ付けようとしているかのような反発……。
「聞きなさい! カミュ!」
近接対応弓――アルテミスでボードの穂先を切り払われ、またもカットバックしながら叫ぶ。
『ご友人を止めようと手温い攻め手になるならば、控えなさい。
――邪魔です』
背後から冷酷に告げてきたのは、死神のごとき愛機へ搭乗したクックー……。
「くっ……。
どの道、マザーからオーダーは出た!」
それが、ドニーの覚悟を固めさせた。
お読み頂きありがとうございます。
※そもそも、ドニーにはカミュの本当の素性が一切明かされてません。
また、「面白かった」「続きが気になる」と思ったなら、是非、評価やブクマ、いいねなどをよろしくお願いします。




