アゾールド騎士爵領攻略戦 12
――残心。
ブドーにおいて、技を終えた後、決着がついた後も、気は抜かず集中力の維持に努めることを意味する言葉だ。
現状、唯一の持ち歌である『キミだけのワタシ』を歌い終えたわたしは、まさに、この残心状態にあった。
と、いっても、厳しい顔で呼吸を整えたりしているわけではない。
あるいは、剣を振り終えた姿勢で決めポーズし、背後で敵が大爆発するのを待っているわけでもない――なんだこのイメージ。
わたしはただ、カラシニコフのコックピット内で笑顔を維持したまま、肩で息していたのである。
呼吸を整えることすらしない。
一種、放心しているかのような境地。
ならば、これは残心という言葉の意味をはき違えているのではないかと思えてしまいそうだが、そうではなかった。
確かに、どこか気の抜けたような心境ではある。
だが、それをもたらしているのは、圧倒的な――充足感。
例えば、満腹まで食した後、多幸感で支配されるように……。
人間というものは、心から満たされたその時、気が抜けてしまうものなのだ。
ただ、面白いのは、そうなるのと同時に、コンセントレーションがどんどん高まってくること。
リラックスしつつも、背骨に張り詰めたものがみなぎってくる感覚。
そういえば、イアイドーの達人というものは、極限の脱力から一瞬で筋肉を躍動させ、目にも留まらぬ斬撃を放つという。
それを踏まえると、弛緩と緊張というものは、存外、矛盾せず同居するものなのかもしれない。
――やったの?
思念波で繋がり、問いかけてくるのはドニーちゃん。
彼女が操る専用機――ブラックホークは、そのものがわたしのスマート·ウェポン·ユニットであるかのように振る舞い、カラシニコフの傍らへと控えていた。
ビームライフルは背中へマウントし、最大の武器であり、特徴であるスピアも手に持ったままの状態。
だが、もし、このカラシニコフが攻撃されるような事態になれば、即座に応戦する手筈となっている。
そしてそれは、わたしたちの背後へ控えるトリシャスやルガーの部隊も同じ……。
ルガーはともかくとして、本来ならば最も手強き敵精鋭部隊――黒騎士団の専用機が、こうして背後の守りを司っている光景というのは、どうにも脳がバグりそうになってしまう。
しかも、これは鹵獲した機体をこちらのパイロットが操っているというわけではない。
漆黒の猟犬めいたシルエットが特徴の非人型PLに搭乗しているのは、カール・スノンスキー大佐らロマーノフ大公家の黒騎士団……。
機体だけでなく、今はそのパイロットすらもわたしたちハイヒューマンの陣営へ属しているのであった。
特筆すべきは、彼ら本人にとって、それがごく当たり前のことであるということ。
実際、トリシャスには外から操作可能な自爆装置など……反旗を翻した際の保険は一切存在しない。
ばかりか、あの日、わたしの歌を聴いて以来、彼らは普通にこちら陣営の兵士として過ごしており……。
今も、パレスの後方では、拿捕した黒騎士団の母艦シュノンソーが、アゾールド騎士爵領本来の軍勢と共に待機しているのだ。
――……手応え。
――あるいは、歌い応えはありました。
思念波で応答すると、ブラックホークの頭部カメラがこちらへと向けられる。
本当に? というパイロットの意思が、乗機に反映された形。
本当だ。
カラシニコフのカメラアイを向けた先には、おびただしい数という表現がふさわしい帝国軍の主力艦隊。
しかも、よくよく見てみると、ミストルティンやクサナギなど、以前、ヴァンガードさんたちがぶつかったという有力貴族家当主の専用機まで出撃を果たしていた。
それらは、正面からの艦隊決戦を行うべく、こちら側に向かって加速していたのだが……。
今もプラズマジェットの力に任せて、変わらぬ加速を続けている。
傍から見れば、当初の予定通り決戦に臨もうとしている姿。
だが、確かにわたしは感じていた。
さっきの歌を通じて、無数の敵対心が、別の何かへ変じているということを。
思念波で繋がっているわけではないが、その感覚は今も確かに、存在するのだ。
ああ、これもひょっとしたら、残心ということかもしれない。
残す心と書いて、残心……。
語源の表意文字に含まれているのは、そういった意味合いであったと記憶している。
わたしは、歌によって確かに彼ら帝国兵の中へ心を残してきた。
その残してきた心と、わたし自身の内にある心が共鳴しているような、そんな錯覚があるのだ。
そして、それは錯覚ではなかったと、徐々に証明されていったのである。
『――っ!?
見える?
敵主力艦隊、減速を開始!』
あえて思念波ではなく、音声による通信でそれを伝えたのは、共有回線で目視情報の報告を行うため。
実にドニーちゃんらしい、教導へ忠実な行動だ。
それは、間違いなく美点であり、見習わなければならないところ。
ただ、今回ばかりは、それが不要であったのもまた、間違いない。
何しろ、銀河帝国軍主力艦隊の規模は、文字通り視界を埋め尽くしかねないほどであり……。
それらが一斉に減速を始めたこの現象は、どんな天体観測初心者でも、決して見逃さないほど大きな動きであったのだから……。
「……作戦通り、接近します。
ブラックホークと護衛のPL及びOTは、当機へと追従してください」
共有回線に伝えて、ゆっくりとフットペダルを踏み込む。
スピーカーポッドという明白なデッドウェイトを、文字通り背負っているこのカラシニコフであるが、その下へ吊るされる形のウィングバインダーに備わったプラズマジェット出力は、増加された質量を補って余りある。
よって、その気になればブラックホーク以外の全機を置いていくほどのスピードも発揮できるのだが、今、行っている加速はゆるりとしたもの。
焦る筆頭など、どこにもない。
これは、確認作業なのだ。
何を確認するのかって?
そんなこと、説明するまでもない。
……勝利を、であった。
ウィングバインダー内には戦闘用の武装である弓矢も備わっていたが、それらを引き抜くことなく、あくまで無手のまま、前進していく。
まず、最初に顔を合わせることとなったのは、白、青、赤、緑、と……実にカラフルな色合いへ染め抜かれたカスタムPLたち。
「……っ!?」
瞬間。
バチリ、と、まるでショートでもしたような感覚が走る。
いや、それだけではない。
脳裏によぎるのは、映像めいた記憶。
灼熱の重金属粒子ビームを直撃したこの身が、跡形もなく蒸発し……。
カタナによって切り捨てられたわたしが、苦悶する暇すらなく絶命する。
あの赤い機体と同様、高速機動コンセプトだろうゴリラめいたシルエットのPLが、そのマニピュレーターでわたしをトマトのように叩き潰す俯瞰映像もよぎった。
唯一、死が絡んでいないのは、どこへともなく放逐されている光景……。
「はっ……!
はっ……!
今の一体……っ!」
大きく息を吐きながら、胸も抑える。
まるで、本当に存在した自分の死を、連続で体験したかのような衝撃……!
いや、これは……。
確かに、歌っている最中にも、一瞬だけ怖気のようなものを感じたような……。
「なんなの……一体……」
『どうしたの?』
「いえ……なんでもありません」
ドニーちゃんの言葉に、かぶりを振る。
沈黙し、立ち尽くすように宙へ浮かぶ個性豊かなPLたち……。
彼らの姿に背筋を震わせながらも、わたしは自機を前へと進ませた。
お読み頂きありがとうございます。
忘れがちだけど、悪役令嬢転生モノである。
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