パートナー 4
「――マザー!」
アノニマスがシートから立ち上がり、背筋を正したのは、反射的な行動だ。
真社会性昆虫に近しい組織形態であるハイヒューマンにとって、女王たるマザーは唯一絶対の存在であり、どれほどのスゴ腕だろうと、一介の工作員などは末端の単位に過ぎない。
急な拝謁という栄誉に対し、アノニマスが体を固くするのは当然のことであった。
といっても、マザーがわざわざ肉体を晒すなどということはなく、その強力無比な思念のみが、実体をともなっているかのごとく振る舞っているのだが……。
――そう固くなる必要はありません。
逆さとなって宙に浮き、アノニマスを覗き込んできたマザーの思念が、わずかなほほ笑みを浮かべて告げてくる。
「はいっ!
恐縮です……!」
と、言われたところで、簡単に緊張を解せるものではなく……。
背筋をピンと伸ばし、気をつけの姿勢を維持したまま答えるアノニマスだ。
「マザー。
やってますよー」
一方、クリッシュの方は、気楽という言葉がこれほどふさわしい態度も他にない。
シートにあぐら座りしたままマザーに対応するハイヒューマンなど、この娘を置いて他にいないだろう。
だが、彼女に課せられた役割を思えば、これは当然のことか。
クリッシュこそ、マザーにとってもう一つの目であり、耳。
そのためだけに調整された彼女は、どれだけの距離を隔てようとも、即座にマザーと交信状態へ入ることができるのだ。
分身……というのは大仰ないい方に過ぎるし、家族というのもやや異なるだろう。
ならば、ペットというのがしっくりくるか。
マザーにとって、クリッシュというハイヒューマンは愛玩犬じみた個体であり、少々の無礼なども愛嬌として受け取ってやれる立ち位置なのであった。
一介の単位に過ぎないアノニマスたちからすれば、うらやましいことこの上ない立場である。
「――さて、あなたが抱いた疑問ですが……」
マザーの思念体が口を開くと、実際に空気を震わせているかのように、言葉が届く。
他のハイヒューマンでは、到底及ばぬ境地だ。
始祖にして、最強の思念感応能力を有するハイヒューマン……。
それこそが、マザーなのであった。
「まず、トレーニング内容に関しては、それが必要なことだからです。
あの子に対し、わたしは通常のパイロットが行うような働きは求めていません。
では、どのような働きを求めているのか……。
それは、おのずと明らかになるでしょう」
「はっ……!」
半ば予期されていた返答の一つへ、手短に返事する。
何しろ、カミュ・ロマーノフの確保にあたっては、オリジナル・リアクター搭載機が都合五機も出撃しており、しかも、マザーの感傷によるところが大きいとはいえ、内一機を喪失していた。
これまで銀河帝国へ仕掛けてきた作戦としては、最大規模のそれであるといっていい。
かような手間と出費をかけて得た少女であり、当たり前の働きをさせて終わりじゃないというのは、納得できる話である。
……それであのレッスンというのはよく分からないままだが、そこは今考えることではないということだろう。
「そして、気にしていたもう一つ。
パートナーについてですが……。
これは、あの子に護衛と監視を与えつつ、楔も打ち込むためです」
「護衛と監視……は分かりますが、楔ですか?」
モニターに目をやりながら、尋ねた。
いくつか開かれているウィンドウの一つは、パイロットたちの顔を映し出しており……。
その一つを、ドニーというらしい少々優秀ではあるものの、それ止まりでさしたる特徴もない少女が占有している。
今はどうやら、圧倒的な機動力を誇るベレッタに対し、どちらかが盾となって足止めする戦法を提言し、嫌がるカミュとで言い合いになっているらしかった。
「誤解を恐れずに申し上げるなら、護衛としても監視としても能力的にやや不足かと」
「ふふっ。
あなたのそういう直線的なところは、嫌いではありません。
確かに、能力本位で見るならば、未熟というしかないでしょうね」
薄い笑みを浮かべながら、マザーが同意してみせた。
「ですが、この際、最も重要なのは楔としての役回りなのです」
「その楔という役回りに、あのドニーという少女が最適ということですか?」
「正確に言うならば、少し違います。
あのドニーという娘は、楔として最適な存在に成ったのです」
「成った……?」
マザーの考えというものは海洋惑星の海溝よりも深く、一介のハイヒューマンごときに解せるものではない。
ただ、今回のこれは、あまりにも持って回った言い方であったため、さしものアノニマスといえど、首をかしげてしまう己を止められなかった。
「ゲームと同じですよねー。
ただストーリーを与えるのと、プレイヤーに選択肢を与えてストーリー進行するのとでは、没入感が違うみたいなー」
どうやら、クリッシュにはマザーの意図が分かっているらしく、あぐら座りでモニターを眺めたまま、涼しげな顔で解説される。
悔しいのは、その解説もまた、アノニマスには意味が図りかねるということ……。
0と1の羅列にならば無敵といっていいハイヒューマンの電子戦担当も、今ばかりはお手上げであった。
「ふふ、ごめんなさい。
少し、回りくどかったわね」
そんな自分を面白そうに眺めながら、マザーが解説を続けてくれる。
「あの子……カミュは自分自身の意思で、ドニーと共に試練へ挑むことを選びました。
翻すなら、自分の力でドニーという友人を得たのです」
「そのために、わたしも踏み台になったんだよー」
マザーの言葉に、肩をすくめたクリッシュが追従した。
その辺りに関しては、アノニマスも報告を読んでいる。
一連の流れは、まるで、ライブラリにある青春ドラマを模倣したようなそれであったと記憶していた。
「それこそが、選択。
人間というものは、ねだって得たものよりも、勝ち取って得たものに価値を見い出す生き物です。
それは、旧人類から進化したわたしたちハイヒューマンであっても変わりありません」
「だから、RPGでもシミュレーションでもビジュアルノベルでもー。
プレイヤーに選択をさせるんだよねー。
そうすると、ただ進行するだけのストーリーよりも、没入感があるからー」
「では、ドニーという娘は、例えるならそう……。
ロールプレイングゲームで最初に選んだ仲間キャラクターのようなもの、ということですか?」
「そのように考えて問題ありません。
付け加えるなら、パートナーというのは、そこを強調するために付け加えた設定です」
よくできました……。
とでも言うかのように、両手を合わせたマザーがほほ笑んだ。
「自らの意思で選んだ唯一無二の相棒……。
これは、カミュの深層心理で大きな重しとして機能します。
ドニーという娘は、他ならぬカミュ自身の意思で、単なる同世代のハイヒューマンからかけがえのない存在へと昇華されたわけですね」
喜ばしいことを語るかのようにするマザーだが、これは、アノニマスからすればそう……えげつない手口という他にない。
いってしまえばこれは、ハニートラップ。
しかも悪辣なことに、仕掛けている側も仕掛けられている側も、意図せずしてその関係へとハマッてしまっているのであった。
「あの子には、とても強力な催眠暗示をかけてありますが……。
何しろ、元々の素養が素養です。
保険はいくつかけておいても、損はないでしょう」
「本当は、わたしがその役目を果たしてもよかったんだけどねー」
「あなたは、過去にカミュとの接触も多く、遺伝子デザインの都合で惹かれ合う力が強い。
ないとは思いますが、記憶をフラッシュバックさせかねません。
ですので、このくらいの距離感を保つくらいが丁度いいでしょう。
今後の役回りを考えるならば、互いのポジションも大きく異なりますしね」
やや残念そうに告げるクリッシュへ、マザーが言い聞かせる。
「ともかく、カミュ・ロマーノフの取り込みに関しては順調というわけです。
あとは、仕上がるまでの時間を稼いでいくだけ……。
そちらに関しては、どうなっていますか?」
「いつも通り、のらりくらりとやっていると思いますよ」
アノニマスが思い浮かべたのは、整えたヒゲが印象的な帝国の下級貴族……。
カッコウを意味するコードネームの彼に与えられた任務こそ、まさに、マザーが俎上へ載せたそれなのであった。
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次回、クックーさんのパートです。
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