ウォルガフとカミュ 後編
「お前の母親……ソフィアに関してか」
天井を仰ぎ見るようにしながら……。
ウォルガフは亡き妻の名を、絞り出すようにつぶやいた。
「どうして、そんなことを気にする?」
「ふと気になったからです。
お母様は、わたしが物心ついた時にはもう、亡くなられていましたから」
「ああ、そうだ。
あれは痛ましい事故だった……」
将校服の胸ポケット……。
そこにしまい込んであるリングを布越しにいじりながら、答える。
リングの数は――二つ。
内一つは歪み、焼け焦げていて、持ち主に起こった事故がどれだけ凄惨なものであったかを、見る度に思い起こさせてしまう。
「調べました。
プライベート・シップの事故だったんですよね?」
「ああ、そうだ……。
母さんは、貴族階級出身者ではなくてな。
それで、おれと結婚した時には、こう……なんと言えばいいのか」
「すでにわたしを身籠っていた。
いわゆる、デキ婚というやつですね」
「本当に、どこでそんな言葉を覚えるんだ」
言いながら、またも苦笑いを浮かべた。
何しろ事実なので、たしなめる気にもならない。
ただ、愛する娘にそのようないらない知識を与える輩は特定し、しかるべき報いを与えねばならないだろう。
エリナが……そんなことをするとは思えないから、怪しいのはスカベンジャーズとかいう海賊集団に属していた者たち。
とりわけ怪しいのが、年齢も近く、同じパイロットであるジョグとかいう小僧だ。
「これだけは勘違いしないで欲しいんだが、お前を授かったから結婚したというわけではないぞ。
先に愛があって、結婚というのはその手続きであり、儀式だ。
ただ、おれの場合は一般の男とは異なってな。
その手続きと儀式をするために、少しばかりの手間暇が必要となる。
周囲の納得も得なければならない。
それで、その……そうこうしている内に、お前を授かったわけだ」
赤髪をおかしな形にまとめているガキの顔も思い出しつつ、言い訳するように娘へ告げる。
「要するに、辛抱たまらなかったわけですよね」
「そういう言い方をするものじゃない」
よし、あのジョグというガキの歯を、ケツから飛び出させてやろう。
よしんば冤罪だったのなら、その時はその時だ。
心中で誓いつつも、さすがに今の発言はたしなめた。
「話を戻そう。
そういうわけで、結婚直後とお前を産んでしばらくの間、ソフィアは社交界に出れる状態じゃなかった。
だが、ロマーノフ大公の妻である以上、いずれは社交界デビューを果たさなければならない。
彼女がプライベート・シップで移動したのは、まさにそのためだった。
すでに別の用事で皇星ビルクにいたおれを、追いかける形だったんだ」
「そこで、事故が起きた。
リアクターの爆発です」
「……ああ」
鼻息を吐き出すような溜め息と共に、うなずく。
「事故原因はいまだ不明。
整備は万全なはずだった。
だが、攻撃を受けたような形跡もないし、本当になんらかのアクシデントだったのだろう」
何しろ、大公の妻に起こった事故だ。
調査は徹底的になされている。
それでも、遺体が見つかるようなことはなく……。
ただ奇跡的に、今も胸にしまっている彼女のリングのみが、遺品として発見された。
「それで、繰り返しになりますが、お母様はどんな人だったんですか?
セバスティアンとかに聞いてもいいのですが、わたしはお父様の口から聞きたいです」
「おれの口からか。
……いや、これは確かに、おれの義務だな」
彼女が遺したもう一つのもの……。
遺品以上に大切な存在に問われ、とうとうその時がきたのだと覚悟する。
ただ……。
「実のところ、おれは彼女の細かい素性に関しては、ほとんど知らないのだ。
そういう全部を抜きにして、愛した」
それゆえ、結婚までに時間を必要としたのだが、そういったところは省いておく。
「だから、語れるのはどのように素晴らしい女性であったか……。
どんな風に、おれの世界を色鮮やかなものにしてくれたのか、そういったところだ」
「教えてください。
それで十分です」
「ああ……」
ウォルガフの目に浮かぶのは、愛した女性の姿……。
初見で特に印象的だったのは、覗き見た者の心を丸裸にしてしまいそうな氷碧色の瞳だ。
そう……ちょうど今、隣で愛娘が向けているのと同じ瞳である。
「彼女は――」
すさまじい衝撃と振動がカジノ中を揺らしたのは、その時であった。
--
コンパクト型の端末が次々と映し出すのは、掌握していくカジノシップの機能……。
アノニマスが作り出した特製のプログラムは、指示を与えずとも自己進化による最適化を繰り返しながら増殖し、船内の至る所へと入り込んでいくのだ。
そうやって、ラスベガスとかいうこの船の隅々にまで浸透したのならば、次はいよいよ本命へと乗り込んでいく。
すなわち――このシップ内へ停泊中の艦船群である。
補給を受け、いざという時はシップの管制室から制御を受けねばならない各貴族家の艦は、ラスベガス側と物理的に接続されていた。
そして、経路さえ存在するのならば、それを阻むウォール群など、アノニマスのプログラムがたやすく食い破るのだ。
「ふふっ。
ここまで簡単だと、少し物足りなくもあるわね」
そうつぶやいたアノニマスの表情は、しかし、言葉の内容と裏腹に恍惚としたもの……。
巨象じみたシップの全てが、今や自分の思い通り。
ばかりか、内部に収まっている自分たちへの迎撃戦力すら、生かすも殺すもこちら次第なのだから、これはハッカー冥利に尽きるといえた。
『簡単なのは、クリッシュちゃんががんばったからだってことー。
忘れないでよねー』
「もちろん、忘れてないわよ」
インカム越しに抗議するクリッシュへ、そう言って答える。
このハッキング……入り口となっているのは、クリッシュが物理的に接続している配電系統だ。
囮役であるヴァンガードが――いまいち完遂しきれてはいないが――大騒ぎして警備の目を引き付け、その間に、クリッシュが本命の電気室へと入り込む。
なんということはない。
大昔から、チンピラが愛用してきた手口であった。
だが、単純ゆえに効果は絶大。
事実として、自分たちは労さずして、敵の無力化に成功しているのである。
「後は……手筈通り」
言いながら、今や当初の原型を留めぬほどに変質したプログラムへ指令を送った。
このプログラムは、どれだけ進化を果たそうとも、根幹に生みの親への忠実さがあり……。
さながら、女王アリの指図へ従う兵隊アリのごとく振る舞う。
そして、女王たるアノニマスが命じたのは――。
「各艦、発射態勢」
ここからでは、その光景を見ることができない。
だが、カジノシップ内に停泊している艦船たちは、それぞれが備えた砲塔に次々とエネルギーをチャージしていき……。
艦によっては、ミサイルなどの実体兵器を発射する準備に入っているはずだ。
留守番として残されているクルーたちは、さぞかし慌てふためいていることだろう。
だが、心配する必要はない。
すぐに、慌てることすらできなくなるのだから。
「さあ……。
揺れるわよ」
停泊中の艦船たちが、互いに砲口を向け……。
宇宙における戦闘艦艇であることを考えれば、ゼロ距離といって過言ではない超至近距離から、次々と荷電粒子ビームを発射する。
灼熱の重金属粒子や、破壊力抜群のミサイルは、たやすく彼我の複合装甲を貫き、中枢へとダメージを与えていった。
それが何をもたらすかなど、説明するまでもない。
「レッツパーティー」
艦船クラスのリアクターが内部で爆発していく振動に揺らされながら、アノニマスはそうつぶやいたのである。
お読み頂きありがとうございます。
次回、行動開始です。
また、「面白かった」「続きが気になる」と思ったなら、是非、評価やブクマ、いいねなどをよろしくお願いします。




