ワイルド・ラノーグ 前編
もし、自動車の移動というものを分子運動に置き換えたならば……。
それは、ある程度の法則性は持ちながらも、アトランダムに自律する動きということになるだろう。
それこそが、同一方向にしか移動しない高速道路上で渋滞が発生する理由だ。
例えば、サンデードライバーゆえの技術的未熟さが……。
あるいは、人間には認識できないゆるやかな坂――俗にザグと呼ばれるそれに差し掛かった結果生じる、ドライバー自身も意図せぬ減速が……。
その他、道路の許容量を超えた交通集中渋滞やドライバーが把握していなかった工事、交通事故など、各々の車が自律性を有するがゆえに渋滞というものは発生し、交通というものを阻害するのである。
しかし、銀河に進出して数世紀……人類は、旧時代に散々悩まされたその現象から完全に解き放たれていた。
その立役者こそ、今や全自動車に標準搭載されている自動運転技術である。
完全なコンピュータ制御による自動運転……。
それはすなわち、自動車という本来自律性を有する分子から、自律性が失われたことを意味した。
各車両は、コンピュータ制御によって各道路の交通許容量を超えないルートへ割り振られ、人が操作することによって発生する様々な減速現象からも解放。
自動車という分子は、ホース内を流れる水分子のごとく、道路をよどみなく行き来するようになったのである。
この技術革命は、人類にスマートかつ快適な移動をもたらしたが……。
引き換えに奪い去ったものもまた、存在した。
すなわち――運転の喜び。
圧倒的な馬力のマシンを自由自在に操り、ただ早く走るという陸上生物本来の欲求を満たす……。
そのような原始的快楽が、完全に消え去ったのだ。
ラノーグ公爵領の首都星――ネルサスのとあるレストエリアにその夜集っていたのは、まさに、その失われた興奮を取り戻そうとする者たちであった。
普段は広大な農業区画と花の都を結ぶこの道路だが、深夜ともなれば、当然その交通量は皆無だ。
彼らが深夜に集まるのは、そんな道路の凪と呼ぶべき時間を狙ってのことである。
ハイウェイを我が物顔で埋め尽くす自動車の姿は、実に多種多様だ。
最も多数を占めているのはチューキョーの自動車企業が販売しているコンパクト・スポーツカーだが、これらはいずれも入念なカスタマイズが施されており、特にマシンの『顔』と呼ぶべきステッカーやデカール類は、業者に発注して独自のものを使用している者が多い。
運転席に座るか、あるいは愛車の傍らに立つ者たちの姿は、端的に言うならば粗野の一言であろう。
基本はシャツとジーンズを合わせたラフなファッションだが、それぞれ見せつけるようにしているタトゥーやネックレスなどが、あまりに攻撃的なデザインなのだ。
だが、男たちの方はまだマシなもの……。
女たちのそれは、半ば下着じみた代物で、中には意中の男へ堂々と胸を揉みしだかせている者の姿も見受けられる。
今宵、これからここで行われることへの高鳴りがアドレナリンを分泌させ、そのようなファッションや行為に走らせているとしか思えなかった。
レストエリアの充電ステーションには、倉庫から持ち出された大の大人ほどもあるスピーカーが設置され、爆音を奏で……。
その時を今か今かと待ち望む参加者たちが、それに合わせてダンスを踊る……。
当然ながら、レストエリアのオーナーも主催者側の一味であり、むしろ、ここはそのためにこそ存在する場所であるのだ。
「おい……」
「おい! おい! おい!
見ろよ! なんだありゃ!」
そんな中……。
姿を現した一台のコンパクト・スポーツカーを見て、男たちが歓声を上げる。
そのマシーンは、自動車というものに目の肥えた男たちをして、注目するに値する代物であったのだ。
カラーは――純白。
コンパクト・スポーツカー特有の美しい曲線で構成されたボディは、車体そのもののダウンフォースと後部に設置されたエアロパーツにより、低空飛行する猛禽類のような風切り音を発していた。
発光ギミックが搭載されたホイールは、高速回転により青白い光輪を生み出しているが……。
――キュイーン!
というスキール音を聞けば、見た目の派手さだけでなく高トルクを追及していることが分かる。
この場に集結した他の車たちと同様、モーター部分には共鳴装置を搭載しているようであり、増幅された駆動音がフィルム上にしか存在しないガソリン車のそれにも劣らぬ爆音となって轟いていた。
「ヨツビシのプリエクスだぜ!」
「ああ、それもD32型だ!」
「見た感じ、相当にチューンしていやがるな」
呼ばれざる客……。
それはつまり、新参者であり、チャレンジャーであることを意味する。
そいつが乗ってきたマシーンの迫力は、男たちにテキーラよりも強い刺激を与えていた。
純白のプリエクスは、ほとんど勢いを落とさぬままに車群の端へと移動し、ドリフトからの見事な急停車を披露する。
そして、運転席から姿を現したチャレンジャーの姿が、参加者たちをまたも驚かせた。
まず、響き渡るのは女たちの黄色い声……。
それほどまでに顔立ちの整った――美少年だったのだ。
甘いマスクという言葉があるが、なるほど、真に美しい顔立ちをした少年というものは、見る者に甘味を食べたかのような陶酔感を与えるもの……。
服装は他の男たちと同様、黒シャツに黒ズボンというシンプルなもので、首からは純金と思わしきネックレスを下げている。
ネルサス衛星の光に照らされた金髪は、どこか神秘性すら感じさせる輝きを発しており、こんなハイウェイよりもラノーグ城にあるパーティホールの方がよほど似合いそうであった。
「オイオイオイオイオイ!
こいつは、驚いた!
ボウズ、ここはミルクホールじゃないんだぜ!?」
早速にも男の一人が駆け寄ると、聞こえよがしな大声で告げる。
だが、少年はいかにも喧嘩慣れしていそうな男に対し、薄い笑みでこう返したのだ。
「ふさわしいマシンと、それを使いこなせるドライビングテクニックの持ち主が、参加費二千を持ってこの場に現れてるんだ。
なら、参加を拒む理由はないだろう?」
「――ハッ!
ふさわしいマシンねえ。
ハリボテじゃねえといいんだがな!」
男が挑発を重ねると……。
少年は、不敵な笑みと共に愛車のボンネットを開けてみせた。
なるほど、そうして明らかになった内部機構は、この場に集った男たちを黙らせる最良の薬だったのである。
「な、なんだこりゃ……!」
中央部に鎮座するのは、巨大なバッテリーモジュール……。
そこから血管のごとく張り巡らされているのは、極太の高電圧ケーブルだ。
そこから得られた電気を高効率で変換するのは、内部機関と思えぬ洗練されたデザインのインバーターと、心臓部たるデュアルモーター……。
「……すげえ。
リミッター取っ払ってるどころじゃねえぞ」
「ああ、この冷却システムは見たことねえ。
特注……なのは間違いねえが、まさか、PL用のを流用してんのか?」
「つーことは、モーターやバッテリーもか!
こんなもん、ペットボトルロケットにニトロを詰めるようなもんだ。
下手したら、バラバラに分解しちまうぞ!」
釣られるように集まった男たちが、これを見て口々に言い合う。
ベテランドラッグレーサーたちでさえ、目を剥くほどのド迫力!
そして、こんなものを見せつけられては、走る姿を見たいと思うのが走り屋たちの本能であった。
「小僧!
参加を認めてやろう」
主催者であり、最強のレーサーとして君臨する男……。
スキンヘッドの筋肉男が、少年に向かって言い放つ。
「当然、相手はアンタだよね?」
そんなボスに向かって、少年は涼しく挑発的な声音で返したのである。
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次回はレースです。
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