67
「……成る程。まぁ、そうなんだよね。赤い縁ってヤツは、そういうものなんだよ。理屈じゃなく、本当にしつこいんだ。逃げ場なんて無い」
まるで狐花さんは、自分の体験のようにしみじみ呟いた後、一息吐いて、
「ありがとう、何年も溜めていた色んな疑問に得心がいったよ。思えば私の半生は五色に振り回されてばかりだったが……今は、妙に清々しい。――さてと。君は、こんなおばさんと長話をする為にここに来たのでは無いだろう?」
僕は頷き、「よっこらしょ」と腰を上げる。
目的は目の前の希邸……と、いうよりは、その周りに渦巻く『空気』。曇天のようにどんより澱んだ禍々しい空気。
怨念だ。ここには、凡ゆる負の念が満ちている。利用されて……実験で……意味も無く……そんな理由で、多くの命が散っている。
僕はそれを、晴らす為に来た。
「似た様な事は、尾裂狐でも出来る。でもそれは晴らすのではなく祓すになる。『今の』君なら、全ての子達を救えるんだろう?」
そう、今の僕に、出来ない事なんてない。かつてない全能感に満たされている。
けれど。それはさっき、神様に釘を刺されたばかりだ。
『凡ゆる縁と触れ合っていった結果、鋏は、あの童の頃よりはつるぎを扱えておる。じゃが、まだまだよ。お前の父、蜜の域にはまだまだじゃ』
昔と違い、神様はダダ甘に、何でも褒めてはくれなかった。
『確実に溶け込んでいなかったからこそ、あの当時、つるぎらは面と向かい合えていた。しかし鋏がつるぎと溶け込めばそれだけつるぎの表向きな存在が希薄になるのは道理というもの。こうして、夢の中で再会出来てしまうなど、まだまだ混じりきっていないという証左じゃ』
彼女の言葉に容赦はない。僕は、それでもあの時、ちゃんと挨拶をしたかったのに。
『なぜ挨拶をする必要がある? 別れのか? ――バカを言うな。つるぎは、今までもこれからも、一緒だといのに』
神様の表情は、あの頃のままに優しいそれだった。
『ほら、はよう行け。やる事は既に、分かっておろう? もうつるぎの言いなりな、護られるだけのお前は居ないんじゃ。さっさと、晴らしてこいっ』
――彼女との出会いは、僕が産まれる前の話。
たぶん、彼女は僕の初恋だった。
彼女は僕に色々教えてくれた。
彼女の存在について。僕の存在について。外の世界について。
それから。彼女自身の好きな人について。
彼女との別れは唐突だった。
彼女は僕を護って居なくなった。
別れも告げる暇も無く、僕の前から消えた。
ただ、また会いたかった。
――でも。もう、ウジウジと昔の女のケツを追いかけ回すのは控えよう。止めるとは言わない。控えるだけだ。
だってもう、今の僕には……。
「つるぎ流――奥義」
僕は両腕を広げる。
同時に、パーに開いた両手から、無数の光り輝く糸が放たれていって……
その光は、すぐに、屋敷全体を包んだ。
光の正体は、大きな網。
凡ゆる念を、掬う網。
業に縛られる魂を、救う網。
僕はただ、両手を合わせた。光の網が収束していって――
「金魚救」
――光は優しく、消えて行った。
もう。目の前にあるのは、ただ夜の闇に潜むだけのただの廃墟だ。
「はぁ……終わった終わった。大仕事だった」
「お疲れ様。これでようやく、あの日の事から一区切りついたって感じだね。さ、戻ろうか」
「っすねー。あ、そういえばなんすけど、さっき夢から覚めた時、スマホにパパンからメッセージが来てたんすよ。『つるぎに会えた?』って。もうほんとホラーみたいでゾッとしてー」
「相変わらず『何でもお見通し』感が気持ち悪いやつだね。前にも奴は――」
宿に戻るまで、僕達はパパンの悪口大会で盛り上がった。
いつの間にか、夜は明け始めていた。




