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ディーゼル戦艦「大和」〜日独蜜月〜  作者: 扶桑かつみ


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フェイズ03「日本の戦争準備と新造戦艦」

 戦争の行方を見ていく前に、数字の上で分かりやすい開戦時の日本海軍の状態と、新造戦艦についてを見ておきたい。

 


●開戦時の日本海軍(1939年9月1日現在)

・日本海軍の主要艦艇

BB(戦艦):

長門級:長門、陸奥

伊勢級:伊勢、日向

扶桑級:扶桑、山城

金剛級:金剛、比叡、榛名、霧島

CV(航空母艦):

赤城、加賀、蒼龍、飛龍

(全艦別級。飛龍の就役は同年6月でまだ実戦配備ではない)

CVL(軽空母):

鳳祥、龍驤 (全艦別級)

CG:18隻(利根級は就役直後、最上級は主砲換装中)

CL:17隻


(建造中・改装中)

大和級:大和、武蔵(1940年末〜1941年春頃就役)

110号級:(110号、111号艦)

CV:

翔鶴級:翔鶴、瑞鶴(1941年年始頃就役)

CVL:(1940年に入るまでに改装決定)

瑞鳳級:瑞鳳、祥鳳

CL:

大淀級:2、阿賀野級:4


※備考1:日本の大型艦艇建造計画

・1934年度計画(第二次補充計画)

利根級巡洋艦:利根、筑摩

蒼龍級空母 :蒼龍、飛龍

(+1935年よりドイツ向け小型空母(改龍驤級)1隻、改最上級軽巡洋艦2隻を新規建造)

※軍縮条約離脱とドイツへの発注対応と自国海軍の増強のため、横須賀の第六ドック、川崎泉州ドックを造成開始。

 1938年実働。

 


・1937年度計画(第三次補充計画)

大和級戦艦:大和、武蔵(1940年末〜41年春就役)

翔鶴級空母:翔鶴、瑞鶴(1940年末就役)

新型巡洋艦(大淀級:2、阿賀野級:4)

(+1936年よりドイツ向け中型空母(改飛龍級)1隻を建造)

※情勢悪化に対応するため、建造開始を3ヶ月前倒し。

 


・1939年度計画(第四次補充計画)

110号艦級戦艦:110号艦、111号艦(1940年建造無期延期・1942年建造中止)

大鳳級空母:大鳳、海鳳(1943年就役)

新型巡洋艦(伊吹級:2、防空巡洋艦:4)

(+1938年度よりドイツ向け戦艦2隻を新造・5万トン級)


・1940年度計画(緊急計画)

紀伊級戦艦:紀伊、尾張(1941年就役・ドイツ向け戦艦を買収)

改大鳳級空母:2隻(1944年就役)

雲龍級空母:8隻(雲龍、飛鷹、隼鷹、大鷹、雲鷹、沖鷹、海鷹、神鷹)

(1942年春頃〜順次就役・その後さらにアメリカの両用艦隊法に対応して追加。)


改装用艦艇が一斉に空母に改装開始

 ディーゼル改装軽空母群:

龍鳳(大鯨)、千歳、千代田、日進、瑞穂

 客船改装空母:

 既存及び建造中の客船はそのまま就役させ、戦時の物資や人員の運搬など役立てる。

 建造開始直前だった大型客船の「出雲丸」、建造初期段階の「橿原丸」は建造中止。

 計画と準備中の資材を雲龍級航空母艦に移行。

 艦橋一体型の傾斜煙突の実験も、一部の雲龍級航空母艦で実施。

 


 予定外の対英戦争の発生で、短期戦での近海迎撃ではなく長期戦の遠征型海軍の建設が目指され、大量の駆逐艦、潜水艦を計画。

 多数のタンカー、補給船の建造も盛り込まれる。

 また、この時点で初めて海上護衛が重視される。

 また新造の空母、軽空母には、艦載機用の油圧式射出装置装備予定。

 艦載機の設計も射出装置への対応を実施。

 


※備考2:全般的状況(※我々の世界の視点より)

 日本のGDPは、史実よりも約2割り増し程度向上している。

 重工業生産力中心に拡大しているので、工業生産力自体は3割程度向上回っている。

 1937年8月の支那事変が2年分行われていない分の比較的健全な中での経済成長と、20年近いドイツとの交流、日本国内の経済政策の成功のため。

 ただし、1939年夏に支那事変を始めたばかりなので、戦時生産体制への移行はこれからとなる。

 またドイツからラインごと工作機械を多数購入したり合弁会社を作っているので、有る程度技術の底上げも行われている。

 いちおうDB601、マウザー機銃も自力で生産可能。

 

 一方では、日本国内の産業拡大の分だけ資源の外国依存度が高まっており、特にイギリスへの依存が増えている。

 しかし屑鉄に関しては、満州での大規模銑鉄生産体制がほぼ出来ているため依存度はむしろ大きく低下している。

 またドイツとの技術交流、特許料支払いにより人造石油製造技術は大幅に向上しているので、採算度外視すれば一定量のガソリンが石炭から供給可能。

 

 日本の建造能力は、ドイツとの交流による海運の増加と技術向上、設備の近代化によって特に建造速度の面で強化されている。

 100総トン以上の鋼製商船保有量は史実の約10%増しの約700万トン程度。

 ドイツ航路(欧州航路)の発展も、船舶量の増加を促した。

 建造速度そのものも平均で史実より10%程度向上しており、改雲龍級空母だと22ヶ月程度で建造できる。

 

 また海軍では、潜水艦、溶接技術、ディーゼル機関、対空砲などがドイツの技術で大幅に向上。

 潜水艦戦略もドイツ式が導入され、通商破壊が重視される。

 ドイツの「IX型」潜水艦とほぼ同じ潜水艦も建造可能。

 

 大型艦建造施設は、1939年の時点で、呉第四ドック、横須賀船台、川崎神戸、三菱長崎に加えて、横須賀第六ドック、川崎泉州ドックが稼働。

 その他は、史実より20%程度施設が増加する形で設備拡充計画が進んでいる。

 戦時標準船の建造、施設の拡充、船舶用鋼材の供給などの体制がピークに達するのは、開戦2年めから。

 最大で年間250万トンの船舶が建造可能となる。

 


※備考3:開戦時のドイツ海軍(1939年9月1日現在)

BB:

シャルンホルスト、グナイゼナウ(日本製の41センチ砲搭載)

(建造中)

ビスマルク級:ビスマルク、テルピッツ

PB(ポケット戦艦):3隻

CG:アドミラル・ヒッパー級:2隻(+2隻建造中)

大型CL:改最上級:2隻 CL:各種:6隻

CV:

オットー・リリエンタール(日本の改蒼龍級)

(建造中):1隻( グラーフ・ツェッペリン)

CVL:

ヴィーザル(日本の改龍驤級)


※1:日本製艦艇は、高角砲以下の搭載などをドイツで行って完成。

 弾薬庫など一部の仕様もドイツの要求で若干違う。

 

※2:艦載機に関しては、97式艦上攻撃機の実機を図面付きで購入しており、また空母導入に際して日本から基礎データをもらってから足回りを大幅に強化した自国製の艦載機を搭載。

 ヴィーザルは実質的には練習空母扱いで、オットー・リリエンタールは取得したばかりで、開戦時は実働状態ではない。

 

※3:「Z計画」を始める前にフライングで日本に発注していた新造戦艦2隻は、開戦と共に日本への売却が決定。

 日本がドイツの技術を導入して建造を進めていた大型潜水艦(Uボート)18隻に変更され、乗り組み員を日本に渡らせて順次引き取る計画に変更。

 これらはインド洋方面でドイツ海軍が運用予定。

 

※3:他は大きな違いは出ていない。

 



●「大和級」戦艦

 「大和級」戦艦は、史上最大の戦艦である。

 

 「A140/F5案」として最終的に固まった仕様は、公試排水量6万5200トン、全長253メートル、全幅38.9メートル、喫水10.4メートルの大きさを誇る。

 基準排水量という、一般読者に分かりやすい基準で言えば約6万1000トンとなる。

 また満載排水量は、7万トンに達する。

 

 全長ではドイツのビスマルク級をほんの少し上回るも、アメリカのアイオワ級に劣るが、全幅では大きく勝っており非常に寸胴な船体を有している。

 しかし、被弾面積を減らすと言う点で非常に優れた構造であり、本級が砲撃戦を行うこと最優先に考え抜いている事を示す最大の特徴と言えるだろう。

 

 そして全長を極限まで切りつめることができたのは、集中防御方式と言われることもある防御構造と、艦に推進力を与える動力のおかげだった。

 

 艦の推進には、内軸(内側軸)に加速用の蒸気タービンが2軸と、翼軸(外側軸)に巡航用のディーゼルという二つの方式が用いられている。

 二種類の機関を搭載するのは非常に珍しく、この当時に大型軍艦で完成したもので唯一の例となっている。

 

 動力の合計は14万馬力で、タービンが6基で8万馬力、ディーゼルが8機で6万馬力となる。

 最高速力は、基本的に27ノットだが試験では27.8ノットを記録した。

 航続距離は、積載燃料の過剰見積もりなどもあって16ノットで7200海里の予定が9000海里あった。

 

 機関のうちディーゼル機関は、第一次世界大戦以後のドイツとの技術交流とナチス政権成立以後の全面協力の賜物であり、1基7500馬力にも達する大型機関の製造は日本独自では不可能だったと言われている。

 またドイツとの技術交流と情報提供の結果、タービンに動力を送り込むボイラーの能力も、初期の想定よりも大きく向上している。

 当初は、缶使用圧25kg/cm2、蒸気室温度325℃を予定していたと言われているが、実際は翔鶴級の初期案と同じ缶使用圧30kg/cm2、蒸気室温度350℃を採用した。

 このため、当初予定よりも機関出力が若干向上した。

 

 主砲は45口径46cm砲あり、約1トン半の砲弾を42km先にまで到達させる事の出来る史上最大の艦載砲である。

 これを3連装の砲塔にまとめて、3基搭載している。

 この日本初となる3連装砲塔も、全長を短くする事に貢献している。

 

 装甲も舷側装甲は内側に20度傾斜させた410mmの分厚さを持ち、甲板装甲も基本的に200mmある。

 他にも強固な装甲が集中的に施されており、防御力も世界最強と言って間違いない。

 非防御区画の防御や水密区画の少なさなど欠点を指摘する事もあるが、必要十分な能力を備えていると言える。

 

 また副装備としては、15.5cm副砲を3連装砲塔で4基搭載しているが、これは8インチ砲に換装した最上級巡洋艦から流用したものになる。

 対空防御には、89式とされる12.7cm40口径の高角砲が連装で6基12門と、20mm4連装機銃が8基装備されている。

 この20mm機銃はドイツのマウザー式20mm Flak30機銃を特許を買い取って日本海軍が製造しているもので、92式とされている。

 当初は、同じくドイツから権利を買い取ったクルップ社製37mm対空機関砲の搭載予定もあったが、こちらはその後戦争の激化に伴い増設されるようになった。

 また20mmは、ドイツでFlak38が開発されるとすぐにも取り入れようとしたが、ドイツ製の工作機械を入れたラインで細々と生産されるにとどまり、それですら数年を要することになった。

 また生産工場そのものが、航空機機銃への生産に回されたため、艦艇は最後までドイツでは旧式となった方の20mm機銃を使い続けたし、威力に劣るため37mm砲を多用するようになる。

 

 建造は、1937年度に始まった第三次補充計画での「大和」、「武蔵」が完成したのみで、1939年度の第四次補充計画の「110号艦」、「111号艦」は建造開始して実質数ヶ月で第二次世界大戦を迎えた事で変更された戦時建造計画の結果建造中止が決定。

 命名される前に建造途中だった船体の一部も解体され、既に用意されていた資材や部品は、建造がかなり進んでいた「紀伊級」戦艦に回されることになった。

 


●「紀伊級」戦艦

 ドイツからの発注で建造された戦艦。

 日本が初めて海外から発注を受けて建造する戦艦であり、2隻の代金だけで2億円以上に達する大きな取引でもあった。

 

 ドイツは当時大規模な軍拡中であったが、海軍の拡張は1935年のイギリスとの間の軍縮条約に従って限られていた。

 しかしナチス政権は条約を近く破棄にすることは折り込み済みであり、関係の良好だった日本に極秘で新造戦艦が発注された。

 

 このため同艦は、表向きは「日本の戦艦」として計画、建造されることになり、その後発生した第二次世界大戦の結果、日本の戦艦として完成、運用されるという皮肉な結果になった。

 

 建造は1938年2月に新造されたばかりの横須賀第六船渠と川崎泉州船渠で開始され、第二次世界大戦開始当初には既に船体の多くが組み上がっていた。

 この差が、110号艦級の廃棄と同級の存続に影響を与えた。

 

 設計段階において、ドイツ側はイギリスの新造戦艦に対抗できる事と、ドイツの港湾施設で運用できることを最低条件として求めてきた。

 装備には、日本が既にドイツに輸出していた45口径41センチ砲が主砲として指定され、8門以上の装備が求められた。

 また防御力は一般的な防御しか求めなかったが、最高速力は30ノット、航続距離は1万海里が求められていた。

 また排水量(重さ)は、ドイツが自国で建造予定の満載排水量6万トン程度を求めていた。

 大きさも全長260〜280メートル、全幅36メートル程度で抑えるように要求が出されていた。

 要するに、日本版の「H級」戦艦を建造させようとしたと言えるだろう。

 

 これらの要求に応えるためと一種の技術試験を兼ねて、日本側は最先端の技術投入の実施を決定。

 大和級戦艦を基本とした上で、攻撃力と防御力を45口径41センチ砲として、浮いたリソースを速力と航続距離に回す設計を行った。

 その他の部分は、船体以外は既に建造中の戦艦の設計が流用されることになった。

 

 このため見た目の印象は大和級に極めて似ていた。

 外見上の違いは主砲がやや小さくなった事と、幅が狭くなって全長が少し伸びたぐらいだった。

 

 仮称「A142」の最終的仕様は、公試排水量6万500トン、基準排水量5万6000トン、全長273メートル、全幅35.4メートル、喫水10.3メートルとなる。

 このため全長では、アメリカのアイオワ級を抜いて、世界最長の戦艦となった。

 

 ドイツ側の要請で無防御区画の防御も充実させたため重量がやや重くなっており、艦底も三重に強化されていた。

 舷側装甲は350ミリで20度傾斜されており、甲板は150ミリの基準にあった。

 また「大和級」の経験が反映されているため、より完成度の高い構造を有している。

 

 機関は大和級と同様にディーゼルと蒸気タービンの併載で、合わせて18万馬力の出力で30ノットの速力発揮が可能だった。

 ボイラーの能力は缶使用圧35kg/cm2、蒸気室温度375℃と日本製としては高性能で、蒸気タービンだけで10万馬力あった。

 ディーゼル機関も大和級よりも大馬力のものが搭載されている。

 このため機関出力は日本海軍最強だった。

 しかし、当時の日本にとっては取り扱いが難しい艦になり、実際に機関トラブルも発生した。

 

 そして要となる攻撃力は、主砲が長門級などに搭載された41センチ45口径だったが、これを大和級と同じ給弾形式の新型砲塔に3連装でまとめたものを4基搭載した。

 外観上では、やや小振りの3連装砲塔を4基搭載している点が、大和級との最大の違いとなっている。

 

 副砲や高角砲は当初ドイツでの搭載を予定していたが、艦橋構造物も若干の改訂を加えてそのまま日本製のものが搭載され、見た目も大和級とほぼ同じとなった。

 

 本級は、能力や大きさからとかくアメリカのアイオワ級と比較されることが多いが、「戦艦」としての完成度は本級の方が高いという意見が多数派である。

 


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