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ディーゼル戦艦「大和」〜日独蜜月〜  作者: 扶桑かつみ


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フェイズ26「北大西洋海戦」

 ヨーロッパの春が本格化すると、北太平洋上には人の手による荒波が押し寄せる。

 

 もともとイギリス本土とカナダを結ぶ戦時の海上交通路は、北寄りに設定されていた。

 ニューファンドランド島、グリーンランド島、アイスランド島、そして英本土近辺という島から出撃する対潜哨戒機の活動圏を少しでも多く通るためだった。

 

 上空に飛行機が飛んでいるのといないのとでは、ドイツ軍潜水艦の活動能力に大きな差が出るのだが、イギリス海軍にはまともな空母は既にほとんどなく、基地配備の大型もしくは中型の哨戒機に頼るより他なかった。

 このため全重爆撃機の2割程度も、旧式機が過半とはいえ哨戒機として活用されていた。

 

 しかし航続距離の関係で、どうしても海の上には空白ができてしまう。

 それを最小限にするには、氷山の危険、沈没時の凍死の危険を冒してでも、北寄りの航路を進むしかなかった。

 

 ポルトガルやスペインの有する大西洋上の島が使えれば良かったが、両国共に頑なに拒み続け、しかもスペインは枢軸へと参加した。

 スペイン領のマデイラ諸島やカナリア諸島には、春頃からドイツ軍機が駐留し始めている。

 ビスケー湾も既に危険だった。

 ドイツ軍潜水艦は、早くもスペイン北西部のビゴやアコルーニャに進出している。

 このため、ビスケー湾のほぼ全域とイベリア半島近辺も危険となっていた。

 フランスが枢軸側で参戦すると、さらに多くの地域が危険となった。

 各所で凍結状態だったフランス艦隊も、さっそく活動を再開した。

 

 そして最も恐ろしい艦隊が、1943年4月末から活発な活動を開始する。

 

 活動を開始したのは、日本海軍「遣欧艦隊」。

 

 そのほぼ全力が、ジブラルタル海峡通過後に一旦南西方向に進路を取ってイギリス軍の哨戒網から姿を消した。

 イギリス海軍も潜水艦などで相手の動きをマークしていたのだが、付近にいた潜水艦は相次いで行方不明となり、航空機の哨戒圏内に日本艦隊の姿はなかった。

 

 イギリス軍は、日本艦隊がまずはカサブランカへと入ると予測したが、念のため大西洋上にある全ての艦船に警報を発した。

 一時的に、洋上を航行する艦船の数も最小限とした。

 

 戦艦と空母が数隻のドイツ海軍にすら手ひどくやられているので、ドイツ海軍とは比較にならない相手に対しては、警戒しても警戒し過ぎることはないと考えられたのだ。

 

 そして悪い方の予測が当たる。

 

 1943年5月3日、どこからも哨戒機の網が届かない海域を航行中の護送船団、しかもなけなしの護衛空母を伴った20隻以上の船団が、突如低空から飛来した日本軍艦載機の群の空襲を受ける。

 空襲した数は延べ400機。

 損傷した3隻の護衛艦艇を除いて、船団は僅か30分の戦闘で壊滅。

 空襲後も浮いていた船もあったが、数時間と持たなかった。

 文字通りの全滅だった。

 

 日本軍の大艦隊は、その後も一週間近く北大西洋上を荒らし回る。

 しかも艦隊ごとに分離して動き回り、アメリカ船籍で無いことをわざわざ最初に確かめた上で、航路上の船を手当たり次第に攻撃した。

 中には、拿捕された船もあったほどだ。

 それだけの余裕が日本側にあったのだ。

 また、日本政府がアメリカ側に通達した通り、アメリカ領には一定距離以上決して近づかなかった。

 

 だが一方では、英本土に必要以上に接近するなどの挑発行動も実施され、仕上げにアイスランドの英軍基地群が大空襲により壊滅的打撃を受けてしまう。

 アイスランドには、念のため戦闘機部隊も2個大隊と高射砲部隊が配備されRDF(電探)も設置されていたが、のべ500機もの艦載機が襲来しては、対処のしようがなかった。

 


 なお、英本土のブリテン島北端からアイスランド東端までは、約500キロの直線距離しかなかった。

 当然だが、アイスランド空襲でイギリス本土も蜂の巣をつついたような事態に陥った。

 全軍が臨戦態勢に入り、特にスコットランド地方の警戒態勢が強化された。

 北東部のスカパ・フローに籠もっていたイギリス本国艦隊も、ドイツ軍潜水艦を特に注意しつつフローの外へと出て緊急事態に備えた。

 

 そして洋上に緊急哨戒に出た爆撃機の一部が日本艦隊を捉えたが、日本艦隊は哨戒機をたたき落とすと、すぐにも消息を絶った。

 この時点で同海域には100機単位の攻撃隊が準備されたが、日本艦隊が退避のための進路を取ってる事が分かったので攻撃は諦められた。

 数が違いすぎる上に、洋上での戦闘となると護衛の戦闘機が付けられないため、いたずらに犠牲を増やすだけだとも考えられたからだ。

 イギリス空軍内も、洋上での艦艇襲撃の訓練をする部隊が増えていたが、今はそれを投じるべきではないと判断されたのだ。

 一方の日本側は、この時点での英本土空襲は、まったく考慮していなかった。

 

 しかしアイスランド強襲は、イギリス全軍に大きな衝撃を与えた。

 その後日本艦隊は、初期の想定とは違ってノルウェー方面には立ち寄らず、モロッコ方面にまで引き上げた事が朧気ながら判明した。

 だが、イギリス軍にしてみれば、自分たちが後退に追い込んだのではなく日本側が補給やその他の理由で下がったに過ぎない。

 攻撃のイニシアチブは、完全に日本側にあった。

 イギリス軍としては、英本土の防御の堅い地域に攻め込まれでもしない限り、十分な反撃はまず不可能だった。

 

 空母機動部隊の威力というものを、英本土の人間が初めて知った瞬間だと言えるだろう。

 

 しかし日本の大艦隊も万能ではなかった。

 瞬間的な攻撃力は圧倒的だが、全力で戦闘ができるのはせいぜい2〜3日。

 途中で洋上退避して補給するなどしても、一週間程度しか全力での戦闘力発揮は不可能だった。

 

 このため他と離れた要地の攻撃などでは威力を発揮するが、英本土とヨーロッパ本土の戦いのように、毎日の戦いの積み重ねが行われる戦場に向いているとは言えない。

 陸で例えるのなら、ナポレオン戦争時代の騎兵、現代の戦車部隊に少し似ているだろう。

 空母機動部隊とは、敵の主力洋上戦力を撃滅するか拠点攻略、強襲突破にこそ威力を発揮する戦力なのだ。

 


 だが、日本海軍の派手な攻撃に、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは舞い上がってしまう。

 

 何しろそれまで停滞していた戦場が、嘘のように動いたのだから、この時のヒトラーは、西部戦線では対ソ連戦開始以来と言えるほど喜んだと言われる。

 日本人提督全員と特に活躍した撃墜王に、各種鉄十字勲章を授与してしまったほどだ。

 

 しかしこの時のドイツは、ソ連を叩きつぶすための最後の作戦が東部戦線で発動直前のため、現時点で対イギリス戦で全力を傾けるわけにはいかなかった。

 ドイツが日本艦隊に約束した燃料補給も、十分には回せなかった。

 もっとも日本側は、「まあ、そんな事だろう」と予測していたので、取りあえずペルシャ湾やインド洋からタンカーを回して当面は自腹で活動することとする。

 そのための補給船団も、既に地中海へと進んでいた。

 この頃の日本軍は、その程度の余裕も持ち合わせていた。

 

 そして日本海軍は、イギリス海軍をおびき出すため、取りあえずは大西洋上での通商破壊戦に精を出すことになる。

 これは本末転倒とも言える考え方なのだが、日本海軍の本来の性癖が出たと言えるだろう。

 もっとも、締め上げられる側のイギリスにとっては、たまったものではなかった。

 

 今までとは違い、日本艦隊が洋上に出ている間は、大西洋の海上交通路が完全に遮断されてしまうのだ。

 ニューファンドランド島やアメリカ大陸近辺は無事かもしれないが、他の対哨戒機基地は夏の間に全て壊滅すると考えられた。

 艦隊の出撃は以ての外だった。

 英本土北部のスカパ・フローやスコットランド、北アイルランド、ブリテン島西端部も危険だと考えられた。

 大ブリテン島には多数の戦力が展開していたが、一カ所に戦力を集中するような戦いに対処できる地域は依然として極めて限られていた。

 そして戦力の多くは、特に空軍力においてヨーロッパ正面から動かすことが難しかった。

 ドイツ空軍という強大な敵もいるからだ。

 

 このため、日本艦隊を北海や英本土の深くにおびき寄せるという作戦案も出されたが、危険が大きすぎると考えられた。

 敵は日本艦隊やドイツ空軍だけではないからだ。

 事実、日本艦隊と相前後して、地中海のイタリア海軍がジブラルタルに居を構えて北大西洋での通商破壊活動を開始していた。

 イタリア海軍は日本艦隊と時間差を付けて大規模な通商破壊戦を実施し、日本艦隊が引き上げた5月中旬の間は、イタリア艦隊が北大西洋上で活発な活動をしている。

 

 そして日本艦隊への脅威、イタリア艦隊の活動、ドイツ海軍の威圧、ドイツ空軍の空襲の4つにより、イギリス本土は完全に孤立してしまう。

 

 日本艦隊の北大西洋での活動以来、大規模な船団は全て中止されて独航状態に戻されたが、哨戒機の届かない海域にはUボートがうようよしていた。

 イギリス海軍は、潜水艦を狩るハンター・キラー部隊をローテーションを無視して増やしたが、局所的な対処療法でしかなかったし、逆に日本艦隊やイタリア海軍の餌食となる部隊も出た。

 しかも英本土南部の海域には、枢軸各国の機体が飛び交っていた。

 

 北大西洋での水上艦の活動は、気象の関係で5〜6月が最も活発に活動できるので、その間イギリスの動脈は大航海時代以来初めて、ほぼ完全に止まることとなる。

 そして、この先の最悪のシナリオが予測されつつあった。

 

 5〜6月に英本土に運ばれる物資が極端に不足し、1〜2ヶ月後に物資不足が生産現場を直撃。

 そして9月になると、抵抗力の落ちた英本土に枢軸総力を挙げた侵攻部隊が上陸するというものだ。

 しかもソ連も、秋までは持たないだろうと予測された。

 もし秋を凌いでも、翌年6月にイギリス敗北の予定日が伸びるだけと考えられた。

 さらに言えば、完全孤立が6月移行も続く可能性も十分にあるのだ。

 

 1943年は、イギリスが数百年ぶりに体験する制海権のない戦いであることが、この時実感されたと言われる。

 

 そろそろ戦争も潮時なのではないか、という声が英本土の中からも出始めた。

 


 しかしジョンブルとしては、ここで屈するわけにはいかなかった。

 起死回生とは言わないが、無様に負けることは矜持が許さなかった。

 

 負けないため、いや勝つための唯一の手だては、アメリカが即時参戦する事だ。

 すぐに大戦力がヨーロッパに来なくても、アメリカが参戦したというだけで、日本艦隊が一目散に自らの母国へ戻ることは間違いなかった。

 それだけで、最低でもイギリスにとっての戦争をドローに持ち込むことができる。

 

 ソ連が倒れてドイツがヨーロッパの防備を万全なものとしても、結果は同様だ。

 少なくともアメリカが形だけでも参戦すれば、イギリスにとっての環境は激変する。

 

 3年以上アメリカが本気で戦えば、戦争自体を世紀の大逆転に持ち込むことも出来るだろう。

 アメリカという国家には、それだけの潜在力があるのだ。

 

 だが現状のアメリカは、国民の多くが参戦する気はなかった。

 政府も財界も、損得勘定の結果から既に参戦する気を無くしていた。

 イギリスを始めヨーロッパに対しては債務さえ踏み倒されなければよい、という程度にまで覇気を落としていた。

 イギリス、ロシア(ソ連)が後一押しで倒れるのに、既に参戦の時期は過ぎ去ったというのがアメリカ世論の大勢を占めていたためだ。

 

 イギリスの戦友と言えば、一番の頼りが共産主義を掲げるロシア人だが、既に風前の灯火で援助する価値もないというのが一般評だし、現実問題として支援を送ることもほぼ不可能だった。

 もはや、何日ドイツ陸軍主力を拘束しておけるか、というのがソ連に期待するところだった。

 

 このためイギリスは他の手段を探すが、現状での打開策はほとんどなかった。

 あったとしても、賭けの要素が強かった。

 そして賭けに出るにしても勝算は低かった。

 いかにイギリス人が賭け事好きとはいえ、そのオッズは成立しないほどなのだ。

 

 しかし、戦争に負けないための手段が一つだけあった。

 

 日本艦隊を、自力でヨーロッパから追い払うことだ。

 

 日本艦隊は遠征艦隊であり、大きく艦艇が損傷した場合本国に戻らなければならない可能性が出てくる。

 イタリア、ドイツ共に海軍の規模が限られているため、修理などの支援能力にも欠けている。

 特に、日本海軍ご自慢の超巨大戦艦が入れる港は、ヨーロッパに数えるほどしかなかった。

 修理や整備のために入れるドックについては皆無だ。

 それ以前に、日本艦隊に大きな損害を与えれば、遠隔地での消耗を嫌った日本政府が、以後活発な活動をさせない可能性があった。

 あからさまな撤退はないかもしれないが、活動しないだけでイギリスとしては日本艦隊を封じたも同然となる。

 

 無論、日本艦隊は最も強い敵だった。

 倒せる可能性は極めて低かった。

 しかし、この初夏の間に結果を出さなければ、イギリスはズルズルと消耗した末に降伏するか、本土戦となって降伏するしかなかった。

 

 もっとも、英海軍で空軍の協力も得て何度も図上演習を実施したのだが、勝算が立たないことが分かった。

 

 日本海軍の戦艦部隊を撃退できる可能性は存在したが、大量の艦載機を洋上で封殺する目処が立たなかった。

 自軍の稼働空母全てを動員できれば数の上では可能性も出てくるが、高速発揮可能な空母が2隻で他は数隻の護衛空母なので、艦隊戦に使うことそのものに無理があった。

 

 そうした状況を踏まえつつも、積極的な作戦が実施されることになる。

 


 イギリス海軍が対日作戦で使える手駒は、戦艦5隻、旧式戦艦2隻に高速空母2隻。

 これを半ば「囮」として日本海軍を引き寄せ、英本土の地上基地から送り込んだ攻撃隊と連携を取って打撃を与えることとなる。

 

 そして6月初旬、イタリア艦隊がジブラルタルへと引き上げたその間隙を突いて、イギリス本国艦隊から旧式戦艦2隻が水雷戦隊と共に出撃。

 北大西洋航路に乗る。

 そしてカナダのハリファックスでは、イギリスに物資を届けるための大規模な輸送船団が編成されつつあった。

 

 このため枢軸側は、スカパ・フローから出撃した旧式戦艦護衛の為にカナダに赴いたのだと考え、各艦隊が出撃準備に入った。

 また日本軍空母機動部隊の1個群が出撃し、とにかくイギリス船を入れないための通商破壊戦に出る。

 さらにイギリス本国艦隊に備えるため、ドイツ海軍と空軍の洋上作戦部隊の警戒態勢が引き上げられた。

 

 そしてここで、イギリス側は枢軸側の予測を上回る行動に出る。

 枢軸側は、旧式戦艦は一旦ハリファックスに入港してから船団護衛の任務に備えると考え、船団の出航自体を北大西洋で霧の増える7月以降だと考えていた。

 

 しかしイギリスは、6月中頃にハリファックスから船団が出航し、洋上で旧式戦艦2隻を中心とする艦隊と合流し、進路をそのまま英本土北部へと向ける。

 旧式戦艦の艦隊は、枢軸側が活動を自粛しているカナダ寄りの海で洋上補給を実施しての離れ業だった。

 

 イギリスの行動に枢軸側が気付いたのは、船団が出航して既に3日が経過していた。

 見付けたのは警戒配置についていたUボートで、日本艦隊は慌てて出撃するも、会敵予定の海域はイギリス軍側が空が丸裸になる海域を抜けていた。

 それでも戦闘機の行動圏外のため、日本艦隊は気にすることなく進路を予定海域へと向けた。

 この時の日本艦隊は、まさに20世紀の無敵艦隊だった。

 ただし、通商破壊任務のため出撃していた1個空母任務群は、南下しすぎていたため、どうやっても追撃に間に合わない状態となり、日本艦隊に多少の混乱をもたらすことになる。

 

 しかも事態はさらに錯綜する。

 

 日本艦隊主力が後2日で敵船団会敵と予測した頃、イギリス本国艦隊の全力出撃の報告がドイツ軍から回されてきたからだ。

 慌ててノルウェーにいたドイツ艦隊主力も全力出撃を実施。

 ジブラルタルに戻って間のないイタリア艦隊も、出撃可能な艦艇を集成した艦隊を出撃させた。

 

 ここで枢軸側は、日本海軍が制空権を確保しつつ、日独主力艦隊で英本国艦隊を撃破。

 船団の方は、日本軍艦載機が足止めしている間に、イタリア艦隊とUボートで撃滅するという方針が打ち出された。

 

 枢軸側としては、この機に一気にイギリス海軍を殲滅してしまおうという考えだった。

 ただ作戦は、幾つか想定された状況に近いながらも短期間で決められた場当たり的なもので、これほど大規模で複雑な動きも経験したことはなく、作戦開始前から不安も残る状況でもあった。

 


 「北大西洋海戦」もしくは「アイスランド沖海戦」と言われる戦いは、6月18日に開始される。

 

 初手はイギリス海軍だった。

 

 イギリス軍の初手は、第二次世界大戦が始まってから、あまり活躍の場が無かった潜水艦だった。

 この作戦でイギリス海軍は、北大西洋上で動員できる限りの潜水艦をかき集め、イギリス側が予定した作戦海域近辺に集中配備した。

 各地の偵察や哨戒任務を一時中断しての配置変更で、今後問題が発生することは分かり切っていたが、イギリスにとって国家存亡の戦いという事で全てが無理押しされた。

 

 そしてイギリス海軍潜水艦の網には、主にイタリア海軍、ドイツ海軍が引っかかった。

 日本海軍にもイギリス海軍は牙をむいたし、日本海軍に対して最も密度の高い攻撃を行ってはいたのだが、日本側は空母部隊から多数の哨戒機を出して、一部の機体には最新鋭電子機器の磁気探知装置も投入していたため、イギリス軍潜水艦は日本艦隊に対してほとんど有効な打撃は与えられなかった。

 それでも日本艦隊に対潜水艦行動を取らせ、予定を狂わせることには成功している。

 一方ドイツ、イタリア艦隊は、護衛艦艇が少なかった事が災いし、共に戦艦をはじめ複数の艦艇に損傷を受け、行動にも大きな遅延が発生した。

 枢軸側としては、油断と慢心で足下をすくわれた形だった。

 しかしイギリス側の犠牲も小さくなく、作戦期間中に10隻を越える潜水艦が未帰還となっている。

 

 だが、枢軸側の進撃が遅れた分だけ、輸送船団は英本土に近づく事ができた。

 既に、基地配備の重爆撃機の一部の作戦行動圏内に入っていた。

 つまり、潜水艦の襲撃時期は既に逸しつつある事を意味していた。

 また英本国艦隊と船団の距離も、稼いだ時間の分だけ近づいた。

 

 一方で、作戦半径の広い日本の空母艦載機の行動圏内に入りつつもあった。

 しかも太平洋の荒波で鍛えた日本海軍なら、北大西洋での作戦行動に大きな支障も無かった。

 


 6月19日、戦闘はいよいよ本格化する。

 

 日本海軍の艦上偵察機が、英船団を遂に捕捉。

 数時間差で、遠距離哨戒活動をしていたイギリス空軍の重爆撃機が日本艦隊を発見。

 日本側は距離が開いていたため、イギリスが発見した時は、攻撃隊をようやく発進させたところだった。

 そして日本艦隊は艦載機の収容のため、ある程度予測の付く進路しか取らないことも想定できた。

 

 この時日本機動部隊は、2個空母群合わせて約220機の攻撃隊を発進。

 英本土からの爆撃に備えて、多数の艦載機を準備した。

 また主力艦で編成された第二艦隊が、早朝前ぐらいから増速。

 イギリス艦隊との距離を詰めた。

 

 対するイギリス軍は、日本側が予測した通りスコットランドやノースアイルランドの基地から洋上攻撃のための攻撃隊を発進させた。

 だが、日本艦隊に対してはまだ距離があったため、双発の「ヴィッカーズ・ウェリントン」と新鋭重爆撃の「アブロ・ランカスター」しか送り込めなかった。

 この頃には、雷撃機型の「ブリストル・ボーフォート」、艦載機の「フェアリー・バラクーダ」が少数ながら実戦配備されつつあり、日本艦隊が近寄りそうな地区に配備もされていたが、今回は航続距離の関係で攻撃を見送らざるを得なかった。

 

 一方イギリス輸送船団上空にさしかかった日本軍艦載機は、予期せぬ光景を目撃する。

 予測した以上の敵戦闘機に出くわしたのだ。

 日本側の予測では、船団に随伴する護衛空母1隻と英本国艦隊の2隻の空母艦載機の戦闘機隊を予測していた。

 全て合わせても50機を越えない筈だった。

 しかし眼前には、その倍の戦闘機が上空にあった。

 戦闘機の多くは「ホーカー・ハリケーン」。

 日本側は常識通り「シー・ハリケーン」と考えたが、多くの「ハリケーン」はスコットランドから飛来したものだった。

 事実上の片道切符で、戦闘後は手近の空母に着艦する予定の「シー・ハリケーン」だった。

 本来なら「シー・ファイア」も基地には準備されていたのだが、こちらも航続距離の関係で投入が見送られた。

 増槽を付けても、「スピットファイア」では航続距離が短すぎたためだ。

 行くだけなら何とかなるが、燃料の消費が激しい空中戦を行えるほどの距離ではなかったためだ。

 

 一方、多数の戦闘機に驚いた日本側だが、戦闘が始まるとイギリス側が驚くことになる。

 日本軍艦載機として戦場に送り込まれた「三式艦上戦闘機(烈風)」の戦闘力が、非常に高かったためだ。

 列強に先駆けて送り込まれた2000馬力級発動機搭載の最新鋭機は、「スピットファイア」の最新型ならともかく「ハリケーン」系列の機体では相手にもならなかった。

 単発戦闘機としては非常に大柄な「烈風」だったが、速度性能、格闘戦性能、どれも投入時点では列強最強級を誇っていた。

 しかも操るのは、日本海軍の最精鋭の搭乗員達だった。

 投入された機体数は64機と敵の7割程度だったが、制空任務の半数の機体だけで約100機を相手取る大活躍を示し、日本軍攻撃隊は90%以上がイギリス船団又は艦隊上空へと至ることができた。

 

 しかも「一式艦上爆撃機(彗星)」、「二式艦上攻撃機(天山)」、「三式艦上攻撃機(流星)」はどれも巡航速度が非常に速く、一度捕捉に失敗すると迎撃が非常に困難だった。

 

 そして攻撃だが、日本側は少しばかり獲物を追いかけすぎた。

 各機動群ごとに、船団と二つの艦隊を狙ったのだ。

 一つに集中攻撃をしかけていれば、どれかを全滅させることが出来ただろう。

 それでも36隻の輸送船と12隻の護衛艦艇の船団は、一度の空襲で三分の一近いの輸送船が被弾。

 被弾したうちの約半数(9隻)が最終的に沈むという大損害を受けてしまう。

 燃料を満載したタンカーなどは、1発の爆弾で大火災が発生した。

 唯一の護衛空母も、魚雷と爆弾を1発ずつ受けて大破炎上。

 商船改造の脆弱な構造のため、その後生きながらえる事が出来なかった。

 

 船団近くで弾幕を張っていた艦隊を攻撃した部隊は、非常に目立つ外観を持つ戦艦「ロドネー」に対して集中攻撃を実施。

 魚雷4本、爆弾2発以上の被弾を与え、沈没こそしなかったもののこの戦闘で以後戦力価値を喪失する損害を与えていた。

 

 そして最も強力なイギリス本国艦隊への攻撃だが、日本海軍としてはほぼ無条件と言いたげに、艦隊中核の後方に配置されていた2隻の空母に集中攻撃が実施された。

 この攻撃に、重防御の「インドミダブル」は何とか耐えられたが、最古参の「フェーリアス」は耐えられなかった。

 


 日本軍攻撃隊が第二次攻撃を要請している頃、日本艦隊にもイギリス空軍が襲いかかっていた。

 

 イギリス側の主軸は「ヴィッカーズ・ウェリントン」と「アブロ・ランカスター」。

 これ以外は航続距離が足りなかった。

 しかし「ウェリントン」には雷撃型もあるため、状況が許せば十分な打撃を与えられる可能性があった。

 攻撃隊の数も110機以上をあるし、部隊の多くもこの時のための対艦攻撃訓練を行っていた。

 

 対する日本側は、電探で敵の大編隊を捕捉すると10隻の空母からそれぞれ6〜9機の迎撃戦闘機を追加で発艦させる。

 これは第二次攻撃隊用として準備されていた戦闘機で、合わせて120機の戦闘機が迎撃に出た。

 迎撃の主体は、零戦最終生産型の「零戦五三型」。

 追加発進した戦闘機の半数が「烈風」になる。

 

 「零戦五三型」でも、布張りで防御力の弱い「ウェリントン」なら十分迎撃可能だが、重爆撃機の「ランカスター」は荷が重かった。

 このため約50機いた「ランカスター」の迎撃は、後発した「烈風」が請け負った。

 「烈風」なら20mm4門の重火力だし、速度、機体の防御力など多くの面で、「零戦」よりも重爆撃機の迎撃に向いていた。

 迎撃戦闘機(局地戦闘機)に比べると加速性能、上昇力、防御力、そして高空性能で劣る面もあったが、今回は高度3000メートルの洋上が戦場だった。

 「烈風」にとっては、ホームグラウンドと言える戦場だ。

 

 迎撃戦は日本軍優位で進むも、約110機の爆撃機を全て押さえきる事は難しく、約50機が日本艦隊上空に至って攻撃を実施。

 イギリス空軍は50機以上の損失を出すも、日本海軍の空母3隻と他数隻に損害を与えることに成功した。

 うち沈没したのは駆逐艦1隻だけだったが、護衛機のない爆撃機、しかも雷撃抜きの攻撃としてはかなり優秀な結果だと言えるだろう。

 

 しかしこの日イギリスが出せる空の刺客は、これで終わりだった。

 本来なら空母艦載機による攻撃も予定していたが、距離の関係で送り出すことが出来ず、空中待避中に母艦の殆どが被害を受け、唯一飛行甲板が使えた「インドミダブル」は大量の戦闘機を収容しては海に落とす作業に追われていた。

 基地航空隊も、大西洋上の霧と当日の気象、さらには日本艦隊の距離のため、攻撃を続けることが出来なかった。

 

 だが枢軸艦隊は、刻一刻と手負いの船団に迫っていた。

 

 イタリア艦隊は潜水艦の足止めが効いて間に合いそうにないが、ドイツ艦隊と日本軍主力艦隊は、夕刻もしくは夜にイギリス艦隊もしくは船団と接触しそうだった。

 艦隊なら多くが退避可能だが、空襲で混乱した船団の速度では、とても逃げ切れそうになかった。

 

 しかし、この時のイギリス海軍の目的は、日本艦隊に出来る限り損害を与えることだった。

 予定の多くがうまくいっていなかったが、嘆いている時間はなく、迎え撃つ準備が着々と進められた。

 

 船団の護衛は旧式戦艦の「ウォースパイト」を中心とする艦隊に任せ、彼らはドイツ艦隊と船団の間に入る形で航行を続けた。

 

 そしてイギリス本国艦隊は、接近中の日本艦隊へと進路を取った。

 

 イギリス軍将兵にとっては、第二のトラファルガー沖海戦というわけだ。

 


 そして夕刻、遂に双方の電探(RDF)が敵影を捉える。

 

 日本側は、戦艦「大和」「武蔵」「長門」「陸奥」を中心にした25隻の艦隊。

 イギリス側は、戦艦「キング・ジョージ五世」「プリンス・オブ・ウェールズ」「デューク・オブ・ヨーク」「アンソン」「ハウ」の同型艦5隻を中心にした18隻。

 

 希に見るほどの、正面からの艦隊決戦だった。

 

 しかしイギリス側の目的は、単純に勝つことではない。

 日本側の戦艦に、少しでも深刻な損害を多く与えることにあった。

 このため巡洋艦や水雷戦隊も、出来る限り戦艦を優先して攻撃するように命令されていた。

 

 しかしイギリス軍得意の電子戦をしかけようにも、上空には日本軍の観測機とその護衛の戦闘機が飛んでいるため、煙幕を張っても効果は半減していた。

 対電子観測から、日本側が電子の目を持っていることも分かっていた。

 しかも日本艦隊の方が西に位置して、夕日を浴びるという光学面での好条件を作り出している。

 そして夏の北大西洋は、とりわけ夕方の時間が長い。

 会敵した時点で既に午後6時だったが、日が完全に暮れるのは午後10時ぐらいになる。

 決着が付くまで、夕日は没しないわけだ。

 

 午後6時38分、相対距離3万メートルになった瞬間に日本の「大和」「武蔵」が一斉に火蓋を切った。

 世界中でこの2隻だけが有する46センチ砲なら、距離3万メートルでも十分な射程圏内だからだ。

 戦艦の砲撃戦は、基本的に距離2万から2万5000メートル程度で行うとされている。

 1930年代に設計された戦艦の多くも、この距離から打ち出される自らの砲弾を、必要十分防げるだけの防御力を与えるよう設計されている。

 つまり、日本海軍の「大和」「武蔵」ならどのような距離であっても、相手の装甲を貫く事が可能な反面、イギリス海軍の14インチ砲では、それが新型砲であっても距離1万7000メートル以下でないと、「大和」「武蔵」の強固すぎる装甲が貫けない事を意味していた。

 

 しかし艦の全てを鎧う事は出来ず、「大和」「武蔵」は集中防御方式を徹底することで、重用箇所の強固な装甲を実現している。

 逆を言えば、非防御区画も多い。

 このため、多数の砲弾を艦全体に隈無く撃ち込めることが出来れば、戦闘力を奪うことは十分に可能だった。

 外観などから構造を解析したイギリス海軍も、日本の超戦艦の弱点には気付いていた。

 このためイギリス艦隊は、自らが有効な打撃を与えるため接近を続けた。

 しかもイギリス艦隊は、2万5000メートルまでは相手の射撃を防ぐためジグザグでの接近を行ってまともな砲撃戦をせず、日本側を苛立たせた。

 このため日本側も距離2万から2万5000メートルにするべく、当初は接近を続けるしかなかった。

 自慢の46センチ砲も、最初に何度か火を噴いたきりだ。

 

 そして距離2万5000メートルになると、全ての戦艦が艦隊戦のセオリー通りの砲撃を開始する。

 

 日本側の先頭を走る「大和」には、2隻合わせて20門の14インチ砲が集中し、他は1隻ずつが撃ち合った。

 全艦が集中射撃をして各個撃破を狙う手もあるかもしれないが、現実としてそれは物理的に極めて難しく、たいていは2隻程度か単艦ごとに、それぞれ手近な相手に砲弾を送り込む戦闘が行われる。

 この時の戦いも、常識を大きく逸脱する事はなかった。

 それにイギリス側の目的は、相手に損害を与えることにある。

 自分たちは、沈まず帰投さえ出来れば良いというレベルにまで割り切っていた。

 

 一方日本艦隊は、世界最強の戦艦部隊という矜持と誇り、そして自信があるため、相手戦艦の撃沈に固執した。

 このため同型艦2隻ずつで、敵を集中的に狙うという戦法を実施する。

 必然的に、「大和」を砲撃していた先頭の2隻に日本側の砲弾も集中した。

 しかも日本艦隊の砲弾は、それぞれが違う色の水柱を吹き上げた。

 赤、黄色、緑、青(群青)、本来は各戦隊ごとに射撃の際の混乱を避けるため日本海軍が導入したのだが、今回に限り染料を第二艦隊内でそれぞれ色分けして挑んでいた。

 日本海軍の凝り性といえばそれまでだが、この時は単純な仕掛けが効果を発揮した。

 

 イギリス戦艦は、予期せぬ総天然色の水柱に囲まれ、目標とされた戦艦が次々に被弾していった。

 イギリス艦隊の砲弾も、それぞれ日本側の各戦艦に命中していたが、やはり基礎的な防御力の差が徐々に現れていた。

 旧式の「長門」「陸奥」も、過剰なほどの近代改装によって「キング・ジョージ五世級」を上回るほどの直接防御力を有していた。

 

 そして砲撃が本格化してから約15分で、結果が如実に現れる。

 集中射撃を受けた「キング・ジョージ五世」「プリンス・オブ・ウェールズ」が相次いで大破脱落。

 多数の41センチ砲弾を受け、その上当たり所の悪かった「プリンス・オブ・ウェールズ」は、速力も大きく落ちて酷く損傷していた。

 そして「デューク・オブ・ヨーク」「アンソン」が次の目標として砲撃を受け始め、イギリス側の数の優位は無くなっていた。

 日本側も、当初一方的に砲撃を受けていた「陸奥」がかなりの損害を受けていたが、依然として戦闘力は維持されていた。

 巡洋艦、水雷戦隊も、有力な日本艦隊のため、相手を振りきって戦艦に突撃することが出来ないでいた。

 

 そしてさらに20分が経過すると、もう戦闘の行方ははっきりしていた。

 

 「デューク・オブ・ヨーク」は、46センチ砲弾をまともに受けて5隻の中で最も破壊されてしまい、「アンソン」も「長門」「陸奥」のベテラン故の正確な砲撃を受けて大きく損傷した。

 無傷の戦艦はもはや「ハウ」だけ。

 日本側も4隻全てが何らかの損害を受けて黒煙をたなびかせていたが、「陸奥」が戦闘力を半減させている以外は、砲撃戦能力の大きな低下は見られなかった。

 洋上を支配する為ではなく、アメリカ海軍との艦隊決戦に勝つことだけを考えて作られた戦艦群だからこそ、といえる状況だった。

 

 この段階で、何とか生存していた「キング・ジョージ五世」のイギリス艦隊司令部は撤退を決断。

 残存艦艇全てにさらなる煙幕展開を命じつつ、全艦隊に後退を命令。

 その頃には、巡洋艦以下の戦いも概ね数と個体戦闘力に勝る日本側の優位で進んでいたので、イギリス側の撤退は戦術的には仕方のない事だった。

 

 そして一旦片方が撤退を決めてしまうと、砲撃戦はほとんど成立しなくなる。

 進路をこまめに変えながら速度を落とさず逃げる相手に対しては、遠距離砲戦など事実上不可能だからだ。

 しかも殿となって駆逐艦群が立ちふさがるため、水雷戦隊による統制雷撃戦という派手な戦法も取りづらい。

 

 戦いは一気に終幕に向かい、一部速度の落ちた艦艇が日本軍駆逐艦に狩られる情景を最後として、戦闘は終幕する。

 


 なお、ほぼ同時刻に、旧式戦艦「ウォースパイト」は、ドイツ艦隊主力部隊と対峙していた。

 とはいえまともに組み合っては「ウォースパイト」に勝てる道理がないため、イギリス艦隊全体がノラリクラリと進路をこまめに変更して航行しつつも、自分たちに引き寄せるように行動した。

 敵戦艦撃沈に固執したドイツ艦隊は、船団攻撃よりも「少数に過ぎない」護衛艦隊の撃滅を優先。

 結局夜を迎えるまで追いかけっこに終始して、圧倒的優勢を誇るドイツ艦隊はほとんど全てを取り逃がしてしまう。

 

 このため船団は、損傷で速度の落ちた艦が夜にUボートに狩られるも、多くが英本土近くにまで至ることに成功した。

 皮肉にも、囮だった輸送作戦が最も成功率が高い結果となったのだ。

 

 この海戦でイギリスは、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「デューク・オブ・ヨーク」、空母「フェーリアス」ほか多数を喪失、輸送船も約14万トンを沈められた。

 生き残った戦艦と空母もほとんどが損傷し、ここにイギリス海軍の主力艦隊は壊滅した。

 


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