06.球種はフォーシームしかない
その後の秋季大会、俺はスタンドで仲間の奮戦を見守った。右の市川が先発して左の久慈がリリーフする。そのパターンで京都大会を勝ち続けたけれど準決勝で負けた。残塁7で無得点はもったいない。
その後の3位決定戦ではエラーとファーボールでランナーが貯まったところで久慈が満塁ホームランを打たれるというまさかの逆転負けをした。これで近畿大会にも出られない。残念だけど仕方がないことだ。
2年生の多いメンバーで夏大会ベスト4だから、このまま春の甲子園には出れるんじゃないか? 振り返ってみると大会前にそんな緩んだ空気があったような気がする。夏の大会は前評判が悪かったのにベスト4、秋の大会は前評判が良かったのに4位。同じベスト4でも意味が変わってくる。
もうひとつ考え物なのは、結局大会を通じてマウンドに立ったのは市川と久慈だけってこと。監督はこのふたりしか使うつもりがないのか、このふたりに迫る実力を持ったピッチャーがいないと解釈するべきなのか、それは俺にはわからない。多分俺が上から投げていた場合、ベンチ入りできていても試合には出れなかったと思う。
秋の大会が終わった後はまたひたすら練習の日々だ。
「新浜ぁ、俺も受けてもらってかまへん?」
俺がブルペンに行った時、ちょうど正捕手の手が空いていた。
「……ええよ」
ちょっと間があったのが気になるけど、アンダースローに転向してから俺がブルペンに入るのは初めてだから、ちょっと意外やったんかもしれん。
「さっきまでも投げ込んでたから早速座ってもろてええかな?」
投げ込み先はネットやったけどな。正捕手様の時間がどれだけ取れるのかはわからない。市川や久慈がブルペンにきたら俺はどかないといけない。
「……わかった」
ネットへの投げ込みではだいぶ思ったところに投げれるようになったけど、ブルペンでどうかはわからない。
新浜はど真ん中にミットを構えている。オーバースローの時も新浜には何度も受けてもらってるから、その違いも聞けるかもしれん。
「今はまだストレートしか投げられへんねん。まあアンダースローのフォーシームやけど」
新浜は練習で佐々木さんの球も受けてたから多分大丈夫だろう。このやりとりをしている間に何人かが集まってきた。左のアンダースローを見る機会なんてあまりないやろからやろな。それとも俺のフォーム改造が上手くいってるのかを確認したいのかもしれへん。
「……うん」
俺はセットポジションから初めて捕手に向かってアンダースローで投げた。これまで重ねた練習通りに体が動く。足、腰、腕、手首、指先。ボールは俺のイメージ通りの軌跡を通ったのだけど、新浜は捕り損ねそうになっていた。
「悪い。佐々木さんに比べてあまりシュートしないな。ナイスボール」
そう言って新浜が俺にボールを投げ返してきた。比較対象はやっぱり佐々木さん。左右の違いもあるし、アンダースローのストレート(フォーシーム)は普通シュート回転がかかりやすいのだけど、さっきのはリリース時に手首を固定してできるだけ縦回転に近くなるように投げているのでその分変化が少ない。
ナイスボール。
久しぶりに聞いたけどええ響きやね。やっぱりピッチャーはキャッチャーに投げんとあかんね。新浜が今度は低いコーナーに構えた。俺はミットをめがけて投げ込む。うん、いい球だし、ミットは動いたけど許容範囲だと思う。
「ええよ。もういっちょ」
「ほな、次はシュートさせるフォーシーム」
「フォーシームに違いがあるん?」
新浜が投げ返してくる。
「上から投げてもそうやろ?」
素直なバックスピンを投げる投手もいるし、少し弄る投手もいる。今度は高い所。さっきの球が右打者に対してアウトローなら今度はインハイになる位置に構えている。3球目はシュート回転がかかったボールをうまくミットに投げ込むことができた。やっぱり気持ちええな。
「遠山さ、下から投げた方がコントロールよくなってるやん」
新浜が嬉しいことを言ってくれる。まず最初の試験は合格か?
「そう? まだ3球やで」
「じゃあ俺が打席に入っていいっすか?」
それまで見物していた1年生ピッチャーの士野がバットを持たずに右の打席に入った。俺がアンダースロー転向を決めた時、佐々木さんの練習相手をしたことを思い出した。
多分オーバースローだった時は俺の方が士野より序列が上だったと思う。でも士野は秋大会でベンチ入りしてたから立場が逆転してるやろね。でもこうやって打席に入ってくれるのはええことや。味方やから球筋を見られても全然問題ない。
「頼むわ」
新浜はまたインハイを要求した。俺のコントロールが悪かったらデッドボールもあり得る。仲間が打席に入っている状態で、躊躇なくインハイに投げれるか? 新浜がそう俺に聞いている。
わかった、投げれるで。球種はフォーシームしかないけど今度はさらにスナップを強く利かせて投げる。こうするとシュート回転がより強くなるけど、スナップが存分に使えるから球速はこちらの方が若干速いぐらい。
4球目はほぼミットが動かなかったと思うけど、バッターは少しあとずさった。
「怖っ。結構食い込んできましたよ」
俺に気を使ってるのかもしれんけど大げさやな。
「確かに見慣れへん球筋やけど市川のスイーパーに比べたら遅いし曲がりも少ないやろ? 大げさやな」
これって褒められてないよな? いや、市川が化物なだけやけど。
「そうですけど。やっぱり下からやから独特の怖さがあるっす」
これも褒められてない。コントロールが信頼できないってことやからね。
「よし、じゃあ次」
新浜がボールを返してくれた頃に、ブルペンの外から話声が聞こえて来た。ここにいない投手陣が来たのだろう。新浜が受けてくれるのはこれが最後かもしれない。その新浜がアウトローに構えた。
今度もシュート回転をかける。アウトローには決まったけど、ミットが動いたからボールかもしれん。
「今のは外れてますよね」
バットを持ってないバッター、士野が確認する。
「外れたな。でもええ感じや。やるやん」
新浜が投げ返してきた。投手陣が集まってきた。監督までいる。でももう一球受けてくれるらしい。ブルペンで投げるのは楽しいから俺も大歓迎だ。
今度はインハイ。徹底して対角線やな。俺の投げたシュート回転を抑えたボールが新浜のミットにきっちり収まった。高い球の方がコントロールが安定してるのかもしれんけど、アンダースローは低めが決まってナンボやからな。
「やっぱり一旦浮き上がってそこから落ちるから目がついて行かへんです。今回はシュートせえへんかったし」
百点満点のコメントだ。監督にもいいアピールになっただろう。
「そうなん。俺にも見してや」
投手陣の中では一番打撃に自信を持っている久慈が言った。俺が断る理由は何一つない、ちらっと監督を見たけど何も言わなかった。
新浜がまたインハイに構えた。なお左打者のインハイだからさっきとは場所が違う。
打者としてもさっき打席に入ってくれた士野より久慈の方が断然上。でも左対左。しかも初見。俺の方が圧倒的に有利なはず。
俺が投げたボールはまたしても新浜の構えたミットにそのまま収まった。
「へー。確かにこれは初見では無理やな。球種は何?」
またしても答えるのは新浜。
「フォーシーム」
「120km、いや125kmは無いぐらいちゃう? それでも下から投げられたら打たれへん?」
市川も興味があるみたい。これは嬉しいことやね。
「無理。初見では絶対無理。でもまあ、慣れたら打てると思う」
やっぱりそうだよなあ。でもバッティングもいい久慈が『初見では絶対無理』と監督の前で言ってくれたのは大きいと思う。これで短いイニングなら任せられると監督が考えてくれればいい。
「まだもう少しまっすぐを固めて、緩急を付けれるようになってからやね。変化球はそれから練習するつもりやねん。新浜もみんなもありがとな」
俺はそう言って、これからブルペンを使うであろう市川たちに場所を譲った。
やっぱり彼女は間違ってなかった。アンダースローが俺に力をくれる。そしてもっと俺を彼女のもとに近づけて欲しい。




