03.スクーターのアクセルを回して
代打で出た先輩が打った打球が高く上がった。内野フライしかもファールゾーン。切れろ。突風でも吹いて野手の手が届かない、俺たちのスタンドまで来い。そんな願いはむなしく相手のサードが内野のフェンスぎりぎりでボールを掴んだ。ゲームセット。今年の夏も俺はスタンドで終わった。
周りには泣いている部員もいた。でも俺は泣けなかった。俺は来年はスタンドにいても泣けるのかな。先輩達の中に久慈たち2年生が混じってベンチ入りメンバーがスタンドに挨拶をする。俺たちは必死で手を叩いた。
負けたけど、甲子園には行けなかったけど、それでも京都でベスト4。去年甲子園に行ったわりに今年のウチの前評判は良くなかった。2年生がスタメンに4人もいて、こんな田舎の学校(俺の家はもっともっと田舎だけど)なのに、それでもここまで辿り着いた。ベンチ入りしたメンバーはよくやったと思う。
「遠山、お前らは来年もっと上まで行けよ」
スタンドに立って泣きながら俺に話しかける3年生の先輩に俺はただ、うすっ、としか返せなかった。
負けた次の日、3年生の引退式があった。今のキャプテンから次のキャプテンとして今年サードで5番を打っていた権藤が指名された。権藤は明るくて、忘れたいことをすぐ忘れることができる前向きな奴なので妥当な人選だと思う。でも新体制が始まるのは1週間後でそれまでの間は寮も閉る。逆に言えばこの夏の大会が終わった後の1週間と年末年始の3日間以外は寮で野球生活なわけだ。
この期間、完全休養しても自主トレをしても良い。それは各選手に任されている。俺はひたすらアンダースローの練習をするつもりだけど、どこでするかは考えないといけない。使えるなら学校が一番良いのだけれど、この期間は生徒だけじゃなくて監督やコーチも休みになる。責任者がいないので野球部の施設は全部閉鎖されてしまう。
走り込みとかは近所でするとしても、筋トレのためのジムなんて気の利いたものは村にはない。俺は原チャの免許も無いし、不便な鉄道で通うことは難しい。だから少し離れたところに廃校になった小学校があるので、そこで自主練することにする。筋トレは自重とダンベル程度の範囲で。
一番近くの廃校はなにやらおしゃれな宿泊施設になって、都会からわざわざ泊まりに来る客がいる。普通に母校に行けば良いって? 硬球が小学生に当たったらやばいだろ? 廃校でもヤバいけど、この場合は入って来たあちらにも非があるやろうと思う。
そんなわけで実家に帰って来た翌朝、俺はボールや麦茶を入れた水筒を持って目的の廃校までランニングした。7月末の太陽に照らされながら長い上り坂を走るのはきつい。当然距離もあるので、普段から走り込んでいる俺でもこれだと目的地に着くまでにばてない?
俺が何個目かの坂を駆け上がっていると後ろからエンジンの音がした。バイクかな。俺はできるだけ道の端を走る。そうすると原チャが俺を追いこして、そしてそこで止まった。知り合いかな? いや。彼女だった。
なんでこんな所に、って思うと同時に彼女の集落はこちらだったことを思い出した。ただでさえ激しく動悸していた俺の心臓が壊れそうなぐらい震えるのがわかる。
「おはよう。残念やったね」
えっ、残念って? 俺は思わぬところで彼女、綾瀬綾に会えてすごいラッキーなんだけど。
「えっ?」
「いや、甲子園。あと2つ勝てればよかったんやけどね」
ああ、そりゃそうだよな。俺は彼女に会えたことで舞い上がって、ほんの2日前の悲劇を忘れていた。だから慌てて取り繕った。
「うん。応援ありがと」
わざわざ俺を慰めるために原チャを止めたのだろう。それがとても嬉しい。
「帰ってるんや。野球部、休みなん?」
「そっ。夏の大会が終わったら1週間ほど休みやねん」
「へー」
彼女が興味無さそうに言った。ここで上手くやれば彼女ともっとお近づきになれるかもしれないのに。俺はうまい言葉が出てこない。このままだと彼女はすぐにそのかわいいスクーターのアクセルを回して走り去るだろう。
「あのさ」
俺が考えている間に彼女の方から話しかけてきてくれた。
「うん?」
「最近なにか変わったことした?」
えっ? 何か変わったこと? 実家に帰って、こうやって彼女と話していることか?
「まあ、家に帰って来たとか?」
「いやそういうんじゃなくて……えっと、なんて言ったらええんかな。今月の頭ぐらいに私を校舎裏に呼び出したやん」
なんだろう。今更あのことを彼女から蒸し返されるとは思わなかった。彼女にとって快い記憶ではないだろう。
「あの時から一昨日? あの負けた試合までの間になにか変わったことした?」
えっ、何でその期間? あの頃に俺がしたことと言えば試合に出るメンバーのバックアップと応援、あとはアンダースローの練習を始めたぐらい? でも彼女に何か関係ある?
「野球でなら」
「野球で? もしよければ何をしたんか教えて」
彼女が野球に興味があるとは知らなかった。もしかして今、俺にものすごい追い風が吹いているのかもしれない。
「試合に出る人のお手伝いをして、後はスタンドで応援していた」
「うーん。それだけ?」
それ以外だとするとひとつしかない。
「実はアンダースローの練習を始めた」
「アンダースローって?」
そら知らんよな。
「えっと、普通のピッチャーはオーバースローって言ってこうやって上からボールをバッターに投げるねん」
俺はオーバースローで投げる真似をした。
「うん。みんなそうやろ?」
「そう。でもこうやって横から投げたり」
俺は最近練習しているサイドスローの動きをする。アンダースローの前にサイドスローを練習するのが近道だと佐々木さんに聞いたからだ。
「その中間から投げてもいいねん」
スリークォーターな。
「そうなんや」
こんなに長く彼女と話せるなんて思わなかった。それも野球の話やで。
「で、こうやって下の方から投げることもできるねん」
俺は上半身を傾けて練習中のアンダースローで投げる真似をする。
「それがアンダースローなんや」
「そう。珍しい投げ方やけど、もしかしたらこの投げ方が俺に向いてるかもしれへんねん」
俺は熱く彼女に語った。
「そっか。それって突然そうしようと思ったん?」
えっ、いやにグイグイくるなあ。恋愛の神様が俺の背中を押してくれているのかもしれへん。
「突然いうか、先輩の練習を手伝ってる時にそう思った」
「それまでは考えたこと無かったん?」
おいおいおい。もしかしたら俺死んでしまうかもしれん。今、この時が人生のピークかもしれへんよ。
「そうやね。アンダースローを試そうと思ったのはその時が人生で初めてかな」
「やっぱりそれなんかなあ。今こうして話してる間も……」
でもなんだろう。彼女は結構真剣に俺の話を聞いてくれてるのだけれど、あまり野球に興味がある感じはしない。
「それって何?」
「えっと。まあええか。なんか遠山が充実しているような気がしたんよ」
充実。何気ない言葉だけどとても心地よく聴こえる。それが彼女の口から発せられたものだからだ。
「まあ、そうかも。新しいことにチャレンジするわけやからちょっと興奮してるかもしれへん」
実際、今俺はとても興奮している。アンダースローへのチャレンジではなくて、彼女との会話でだけど。
「せやな。ゴメン。邪魔したわ。アンダースローやっけ? 頑張って」
「ありがと」
「ほなね」
そう言って今度こそ彼女は行ってしまった。ここ数年間の会話を全部合わせたよりも長い間、彼女と言葉を交わすことができた。凄いぜアンダースロー。彼女がここまで俺を応援してくれる。やっぱり俺にはアンダースローが向いてるに違いあるまいよ。




