表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏の潜水艦  作者: 多手ててと
前編:遠山大輝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/23

02.休憩の時でいいんで

『綾瀬さんってかわいいよな。名前は変やけど』


『ほんまにな』


こいつらは知らないだろうけど、彼女は幼い時からとても綺麗だった。


そしてあの名前もふざけてつけられたわけではない。同じ村に産まれた俺はそれを知っている。住んでいる集落は離れていたが、村には小学校が1校しかないからその時に同級生になった。その時の彼女は苗字が違った。


なんて綺麗な子なんやろ。


1学年10数人しかいないから俺はすぐに彼女に気が付いて、その瞬間に惹かれてしまった。小1で俺は初恋に落ちた。そして小3の時に俺は自分の気持ちが抑えられなくなり、彼女に付き合って欲しいと告げ……断られた。あんなに可愛くて真面目な彼女と何の取り柄も無い俺。無理やろなとは思っていたけど、それでもショックやった。


次の日には、村の大人たちは皆そのことを知っていて、そのことで俺をからかった。随分長い間……なんなら今でも村に帰れば、そのことでからかう人がいるだろう。


でも俺だっていつまでも落ち込んでいたわけじゃない。どうやったら彼女に振り向いてもらえるかを考えていた。小さな頃から俺はアホやったから、彼女に好きになってもらう方法やなくて、女の子にモテる方法を探した。


そして俺が考えた幾つかの方法のひとつが野球だった。


俺は親にせがんで、街にある少年野球のチームに入った。多分親も長くは続かないと思っていたと思う。休みの日になれば村の駅から列車に乗らなければならない。電化されてないから電車では無くて気動車だ。


幸か不幸か俺にはわかりやすい野球の才能があった。それは俺が左利きだということ。ただそれだけの理由で入団したらすぐにピッチャーの練習が始まった。チームはそんなに強くなかったけれど、俺が投げた時は結構勝てた。だからまあ地元と言って良い高校に推薦で入ることができた。


それは俺のこれまでの人生の中でも、特に嬉しかったことのひとつだ。これで彼女と同じ高校に行ける。村には中学がないので、隣の町まで通わないといけない。都会の人間から見るとそれでも少なすぎると思うけど、やはり小学生の時より1学年の人数も増えて、彼女と接する機会も少なくなっていた。


そう、俺は小学生の時、彼女に振られてからも何度も話しかけた。彼女は俺が話しかけても、それが普通の話だとちゃんと相手をしてくれる。彼女は見た目だけでなく心も清らかなのだ。


そんな彼女に俺は決まって1年に1回は告白をしていた。これがひと月に1回とかだったら絶対に嫌がられるだろう。1年に1回でも嫌がられていただろうと思う。でももしかしたら今年は付き合ってもらえるかもしれない。その可能性が少しでもあると思ってしまえば自分を抑えることなんかできない。


彼女に振られるのは構わない。でも彼女が他の男と付き合うなんてことは考えたくない。もし断られる時にこんなことを言われたら俺は泣いてしまうだろう。


『もう私、彼氏おんねん』


幸いなことに、中学生になって綾瀬綾と苗字が変わってからも返事は変わらなかった。


彼女は元々お父さんがお母さんの実家に同居してたけど苗字はお父さんのを使っていた。磯野さんとフグ田さんが一緒に住んでいるような状況だったのだけど、離婚した母と娘が母の旧姓を名乗るようになったわけだ。


『今は誰とも付き合う気せえへんねん』


その返事を聞けば俺はまだ頑張れる。俺にはまだ可能性が残されている。俺はそう思っていた。そして彼女は特進クラスで俺はスポーツ推薦とは言え、同じ高校に通える。これはやっぱり運命なんちゃう? 


俺がもし甲子園に行けば、彼女は俺のチームを応援してくれるだろう。うちの学校には全校応援があるから。俺がマウンドに立ったら、彼女は俺を応援してくれるだろう。そして俺がチームの勝利に貢献したら、アルプススタンドのどこかで俺に拍手をしてくれるに違いない。


そうやねん。俺はただの3番手投手やったらあかんねん。別に市川や久慈からエースナンバーを奪いたいわけやない。背番号が二桁でも構わない。ここぞという場面で投げることができればそれでいい。


「どうやったらそうなれるんかなぁ」


彼女がいる間には出せなかった声が、彼女がいなくなってしばらくしてからようやく出た。


俺は振られた後、いや告白してないから振られてはいないのか。ともかくその後、普通に部活に参加した。


大会前だから当然大会に出る選手最優先での練習になる。俺は背番号12をもらった佐々木さんの練習の手伝いをしていた。キャッチャーはいない。


キャッチャーはピッチャーより少ないし、キャッチャーはキャッチャーの練習もあるから、練習ではこういうことも珍しくない。ブルペンでひたすらネットに投げ込む佐々木さんにボールを渡すのが俺の役目。


「遠山、打席に立ってくれ」


「うす」


俺は佐々木さんから離れてブルペンの打席に入る。そもそもバットも持ってないけど、やはり人が打席にいるのといないのとは感覚が違うんだろう。それは俺にもわかる。


ストレート。アンダースローだから球速はないけど、山なりから落ちて来てシュートみたいに曲がる。


マウンドからホームベースまでは18.44mある。そして高低差は25.4cm。もしオーバースローなら手を手を振り下ろす分に加えてその高低差が位置エネルギーになってボールの後押しをしてくれる。


でもアンダースローは逆だ。球を斜め上に投げる必要があるので位置エネルギーが助けてくれないどころかむしろ敵。しかも投げ下ろす場合と違ってストレートだとバックスピンをかけることができない。なぜかはボールが離れる瞬間の指先の向きを考えて欲しい。よって綺麗なストレートではなくてシュート回転になる。


そのデメリットをその独特の軌道で補うのだろう。


「次、スライダー」


佐々木さんが変化球を投げてきた。これもオーバースローやスリークォーターとは違う独特の軌道を描く。不思議なもので佐々木さんの場合は変化球のはずのスライダーの方がストレートに近いバックスピンになる。もちろんオーバースローから投げたフォーシームとは違うけど。


ここで佐々木さんから声がかかった。


「遠山、悪いけど打席移ってくれる?」


俺は左利きなので左バッターの打席でバットを持つ仕草をしていた。


「えっ、あっ、わかりました」


佐々木さんは先発でも抑えでもない。これまでの使われ方を見てもショートリリーフ。おそらくは右バッターが続く時だろう。その原因は右打席に入るとよくわかった。さっきまで良く見えていたリリースポイントが見づらくなった。加えてこの軌道。佐々木さんがショートリリバーとして選ばれるわけだ。


この時俺の脳裏に天啓が走った。


「佐々木さん。休憩の時でいいんで、俺にアンダースローを教えてもらえないですか」


佐々木さんは広島の人だけど、部活でも寮でもなまりを出さないので俺も標準語で話している。


「えっ?」


先輩が驚いたように俺を見る。


「すんません。投球続けてください」


改めて佐々木さんのフォームを見る。セットポジションから体全体を下げて投げる。なぜあそこからこのようなボールが投げられるのか理解できない。まあ自分の投げる球だって、ちゃんと理解してるかと言われるとかなり怪しいんやけど。


俺がエアバット状態で打席で何球か佐々木さんのフォームを見た後、佐々木さんのそばのカゴからボールが無くなったので、俺は打席から出てネット溜まったボールを集める。佐々木さんはまだブルペンでシャドウピッチングをしている。


「これでコーチから言われてる球数ですよ」


「わかってる。遠山、ちょっとブルペン出て柔軟してみ」


「うす」


もしかしたらアンダースローを教えてもらえるのかもしれない。俺はブルペンの外で佐々木さんの指示に従って柔軟体操をする。特に股関節を見られた気がする。


「お前、体柔らかいな」


「あざっす」


体が柔らかいのは俺の取り柄のひとつだ。それがフィールディングの上手さにつながっていると思う。


「スナップスローも上手いよな」


「まあまあですね」


ベンチ入りしてる先輩に、得意です、と言えるほど俺の面の皮は厚くない。


「背筋もそこそこ強いな。確かにお前、アンダースローに向いてるかもな。でも監督は止めとけって言うと思うぞ? だってお前の代、左だと久慈の次はお前だろ? 久慈になんかあったらお前が左のエースだぞ」


確かにそう言う考え方もあるかもしれない。でもそれは、1年経っても久慈より俺がいい投手になるのは難しい。俺だけじゃなくて佐々木さんもそう思ってるってことだ。


「それに俺も下から投げる練習を始めて、試合に出れるようになるまで1年かかった。中学の時だけどな」


「相談してみます」


1年……来年の夏に間に合わない可能性がある。


「正直なぜわざわざ左でアンダースローを目指すのかがわからない。高校野球だと右打者の方が多いだろ? 左バッターが多いプロでも左のアンダースローはいない。でもまあ、自分で納得するまでやってみろよ」


ヘボバッターの俺から見ても、左打席からの方が佐々木さんの球が見えやすかった。オーバースローの場合、自分の体やグラブで球の出どころを見えにくくすることを教わる。アンダースローでもそうだけど、モーションの最後の方は物理的に無理。だからアンダースローの方が左右の有利不利が出やすいのだろう。


「あざっす」


改めて佐々木さんは良い先輩だと思う。


「とりあえずサイドで練習して、そこから体を倒す感じだな。動画サイトとか見て勉強しろよ。大会終わったら俺も引退だし、寮で暇な時に見てやるよ。ここアンダースローの指導できるコーチいないしな。そもそもアンダースローを教えられる奴なんてほとんどいないけどな」


佐々木さんが推薦貰えるかは俺にはわからない。もし受験するなら暇な時間はあまりなさそうな気がする。


「ありがとうございます」


それでも指導者がいるのといないのとは全然違う。大会で皆が忙しい間、俺は言われた通り、動画サイトとか見ながらアンダースローの練習とトレーニングを始めた。


意外なことにサイドではすんなりと投げることができた。スナップもちゃんと利いている。まあ俺は送球ではやってることだしね。このまま少しずつ体を倒していく必要がある。最初の一歩は上手く行ったけれど、まともに投げることができるようになるまでの道は長い。変化球なんてさらにその先だ。


でも彼女に俺を見てもらうためにはこれしかない。そんな確信が俺にはあった。俺は自分の練習時間にはひとりで投げ込みをし、下半身と背中を中心にしたトレーニングを続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ