遠山綾
甲子園で思いっきり叫んだ後、私たちは帰りのバスで学校に戻った。正門前のポールに垂れ幕がかかっているのには驚いた。
祝優勝 全国高等学校野球大会 西洛大付属南高校 硬式野球部
「朝出る時は『祝出場』やったやんな?」
「いつから用意しとったんやろな」
「あー、メチャ楽しんだけどこれから受験勉強やと考えたらしんどいなあ」
「あら、綾は違うんじゃないの?」
何がちゃうんやろう。この夏遊び過ぎたのはここにいる全員がそうやろ?
「そうそう。遠山君と付き合うんやもんな」
うっ。
「それはそうなんやけど……どう言うたらええと思う?」
私はいつもの3人に聞いてみた。
「待ち構えてたら向こうから来るでしょ?」
「いつ?」
私は早苗を見た。
「そうね。夏の大会が終わったら、野球部員は一週間の夏休みのはずね。でも3年生は引退だから、そのまま二学期に会うんじゃない」
「そっか。そうよね」
そう言えば去年のその休みに、自宅の近くで彼と会ったのを思い出した。
「アヤは二学期が始まる前に会いたいんやろ? 家に行ったらええやん。同じ小学校やろ?」
「集落がちゃうから結構距離あるんやけど……」
原チャに乗れば大した距離ではないか……でも私から会いに行くのはどうだろう。それはそれで勇気がいるな。それ自分から告白しに行ってるようなもんやん。
「まああとはお若いふたりで頑張ってな」
「ほなまた、二学期な。夏が終わる前に勉強会する?」
「良いわね」
勉強会の約束をしてから私は家に帰った。家に帰りついた時は夜になっていた。
「綾、優勝良かったやない。それにあなた思いっきりテレビに映ってたで」
えっ、また?
「……そうなんや。別にええけど」
「ちゃんと録画してあるから、ね?」
そう言えばテレビで放映された試合は全部録画してもらっているけど、甲子園に行ってからのは一度も見ていない。現地でいつも盛り上がったし、これまでは次の試合があったしね。まあ勉強の合間にでも見たらええか。
「うん、ありがと」
それはともかく勉強せなあかん。まったくさぼっていたわけではないが、なんやかんや高校野球を満喫してしまった。ここからまき直しが必要やろな。でも気になる事があるんよ。それは今私の手を見てもわかるんやけど、私の「時価総額」が夏になってからメチャ上がってるんよ。今は4億2千万円。私自身は受験勉強が滞っているぐらいしか変化はない。距離的に予備校なんて通えるはずがないので通信講座だ。これはなぜなのか。
考えられる原因のひとつは遠山やろな。今日8回で降板する時の遠山の「時価総額」は52億円やった。他のチームメイト、特に市川君と久慈君も上がっていたけど私よりも低いぐらい。つまり遠山は桁が違った。遠山の「時価総額」が上がったから私のも上がった? あまり深く考えたことは無かったが稼げる人の恋人……まだ付き合ってないけど……や配偶者も「時価総額」があがるのかもしれへん。
いや、そんなこと無いんちゃうか? 私はこれまでの人生で何人もの夫婦をみてきた。確かにある程度の相関関係はあるけれど、それはいわゆるパワーカップルみたいなもので、普通はそんなことは無かったような気がする。そもそも50億円とか見た事ない数字やから、そのインパクトが大きすぎるんかもしれへん。私は寝る前に遅れている通信講座の課題をある程度片付けてから寝た。
翌朝私はまた驚いた。私の「時価総額」が1億1千万円まで下がっていたからだ。たった一晩でここまで変動するってどういうこと? 寝て起きただけやよ? 昨日考えた仮説通りだとすると遠山の価値が暴落したのだろうか? もしかしてケガ? 一晩でそこまで変わるとするとそれぐらいしか考えられない。
連絡する? いや私は遠山の連絡先を知らない。そうだ夏の甲子園が終わったから村に帰っているのでは? えっとどうだっけ? 引退式とかあるって言ってなかった? そうすると今日の夜には実家に帰ってくるのかな? じゃあ明日には家にいるはず。そうだ、明日会いに行ってみよう。今日はできること、つまり受験勉強を頑張る。そして遠山の家に行こう。途中からなかなか集中できなくなったので、私はお気に入りの音楽をガンガンかけながら勉強に没頭した。
次の日、私は午前中頑張って勉強した。遅れていた通信講座は昨日と今日で追いついたけど、これだけではまだ足りない。でも今日だけは遠山優先。私が原チャに乗ろうとした時に人の気配がした。私が会いに行こうとした遠山大輝がそこにいた。
「遠山?」
「ごめん。でかけるところだった?」
遠山の今の「時価総額」は5200万円。暴落どころの騒ぎじゃない。私の半額程度になっていた。やっぱり何かがあったんだ。
「いや、遠山のところに行こかな、って思ってた」
「ああ、ありがとう。俺も会いたいと思ってたからここに来てん」
少し緊張している様子だけれど、悲壮感のようなものはなにも感じない。野球に限らないけどスポーツ選手にはケガがつきものだから、ある意味達観しているものなんかな? 甲子園で優勝した後やから、もう自分はやり切ったと思っているのかもしれへん。
「うん」
「あのさ、あの時の約束覚えてる?」
「うん。甲子園で投げられたらって奴やね」
「そう」
私は唾をのんだ。私の半額以下の男が私に改めて告白しようとしているのがわかったからだ。
「綾瀬、俺と付き合ってくれる?」
「もちろんええよ」
遠山が私の半額の男でも構わない。甲子園で野球人生を燃やし尽くしたのだとしてもいい。遠山は遠山や。
「よかった。安心した」
「私も安心した。思ったより大丈夫そうで。そうや。甲子園優勝、おめでとう」
「ありがと」
その時私は気が付いた。遠山の「時価総額」が3300万円まで下がっていることに。この1~2分で??
「あんな。大丈夫なん?」
「別になんともないで、メチャメチャ幸せなだけやけど」
「それは私と付き合えて?」
「もちろん」
ん、ん?
「なんかケガとかしてへん?」
「別にどこも痛めたりしてへんよ。全然酷使とかされてへんし?」
本人が気が付いていないだけ? それとも別の原因?
「昨日引退して寮も引き払ったんよ。もうすぐ二学期始まるやん。そしたら一緒に通学せえへん?」
野球部は普通は卒業まで寮にいると聞いた。でも遠山は私みたいに通えないこともないから、寮を出たのだろう。そんなん許されんやな。
「俺も一旦野球辞めるから勉強せなあかんな。上手く推薦に入り込めたらええねんけど」
うん?
「野球、辞めるん?」
「スポーツ推薦でどこかに行けたらええけど、枠もあるしな。イチ、市川とか久慈とかは大会前から大学に声かけられてるけど俺は全然やし。今から社会人野球とか行けたらええなとは思う。正直野球にこだわりはないねんけど他に取り柄ないしな」
えっ?
「野球にこだわりないん?」
「俺にとって野球は綾瀬に振り向いてもらうための手段やったから。付き合えたから野球やってて良かったと思う。将来考えたら綾、いや綾瀬と結婚できる程度に稼げる男にならんとあかんけど、野球にこだわりは無い」
なんとなくわかってきた。遠山は燃え尽き症候群なんや。甲子園開催中は将来のこととか考える余裕なんて無かったけど、終わったらその後のことを考え始めた。そこで「甲子園で投げられたら」という例の約束を思い出したのだろう。一昨日の夜に、約束通り私と付き合えるはずだと思ったんやろう。そこで野球へのモチベーションが一気に下がり、それと連動して遠山の「時価総額」も落ちたんやろう。そして改めて私と付き合うことになったのでさらなる底値に落ちたのだろう。
こいつはしょうもない男やな。なんで私こいつの事を好きになってしまったんやろ? でも考えようによっては、遠山は何よりも私に固執しているわけで、それがやっぱりうれしいと感じてしまっているわけで……しかも、私次第ではこの男のやる気に火をつけることもできるはずだ。
「なあ遠山」
「なに?」
「また実験してみいへん?」
「実験って、去年やった奴?」
「そう」
「まあ、俺は今こうして綾瀬と話しているだけで満足なんやけど」
「じゃあええやん。私の話に付き合ってや」
「うん。なんでも聞いて」
さあどういう聞き方をすればええのかな。
「まず間違えんといて欲しいねんけど」
「うん」
「この後の話は私と付き合ってる前提で進めるで」
「うん!」
なんか犬みたいやな。こいつ。
「私はやっぱり野球している遠山が好きかな」
「そうなん? そんなに野球に興味無いって思ってた」
単純な男やなあ。これだけでだいぶ値を戻した。
「一昨日かて千葉の学校相手に7回無失点やろ? そら私も嬉しかったな」
「そう? それは良かった」
どうやらこの方向で間違って無さそうだ。
「どうせやったらプロとか狙ってみたら?」
「プロ? そんなん指名されるかわからんよ。それにあの世界、稼げる奴はほんの一握りやねんで」
いや遠山、あんたはできる男だよ。私がちょっとそそのかしただけで、だいぶ「時価総額」が戻っている。具体的には20億円ぐらい。
「メジャーとかは興味ないの?」
「MLB? それこそ成功している人はホンマに少ないで」
いやいや、もう「時価総額」が一気に過去最高値を更新したよ。世の中にこれだけ扱いやすい男がおるんやろか?
「それにMLBはもうドラフトとか終わってるし」
「そうなん? じゃあ一旦日本のプロ野球に行くか。なるべく早くメジャーに移籍できるような契約にして」
「そんなん笑われるだけやん」
最初は笑われるかもな。でも絶対に結果がついて来ると私の能力が教えてくれる。まあここで切り札を切っておくか。
「メジャー行くんやったら、私も大輝についてアメリカに行くんやけどな。妻として」
「妻? ホンマに?」
私は大きくうなずいた。
大輝、遠山大輝はその年、ドラフト5位で名城スピリッツに指名された。24歳以下でもポスティングできるという特約がつく代わりに、契約金や年棒が抑えられたという。だがルーキーイヤーの後半に1軍に定着すると、32試合の登板とはいえ防御率は0点台で2勝13ホールドをマークした。2年目には先発ローテーション入りして、13勝、16勝、17勝と順調に勝ち星を重ね。22歳のシーズンを終えるとポスティングでMLBへと移籍することになった。
「どのチームがいいと思う?」
この手の大事なことを私に必ず相談するところは高ポイントだ。
4球団の入札があったが、私はその中から一番年棒が少なく1年契約のチームを薦めた。テキサス州、サンアントニオに本拠地を持つチーム。根拠はいつものように「時価総額」だ。
私は大学を卒業する必要があるので先に籍だけ入れて、大輝の後を追って海を渡った。
なお入籍が決まった時はネットなどで叩かれるかな、と思ったけれど全然叩かれてなかった。
一般人か。小学校から高校まで同級生って羨ましくない?。
幼馴染か。下手に女子アナとかに手を出すよりよっぽどいい。
みたいな様子でおおむね好意的だった。
なおそのチームは年棒が渋いことで有名だったこともあり、私も大輝のマネージャー兼通訳として、ボランティアみたいな報酬で球団職員として雇われた。大輝は移籍1年目からエースとして君臨。そしてその1年目のシーズンの途中で巨大IT企業の創業者にチームのオーナーが変わった。私も何かあるとは思っていたけれどこういうことが起きるとは想像していなかったので随分驚いたものだ。
オーナーが変り2年目からは、大輝の実績に見合った大型契約が結ばれた。驚いたのはそれだけではない。私とチームとの契約も替わった。私は2年目には球団広報のスタッフになった。3年目にはスカウトチームに入った。そして4年目……
「彼はマイナーに落とすわ。こちらの彼は精密検査を受けさせて。結果次第では故障者リストね。それから彼はトレードに出しましょう」
「し、しかし」
「代わりに……」
私は別の選手のプロフィールを出す。
「彼をメジャーに昇格させるわ。トレードの件は私が先方と直接話をするから」
実績のある選手を実績のない若手とトレードするので、話がまとまることは間違いない。実際このシーズンの成績だけ考えると損だろう。でも来年以降はだいぶ戦い易くなるはずだ。
私自身はもちろん。夫の年棒もオーナーと直接交渉する。そして現場にも口出しをする。その条件で私はこのチームのGMになった。私がなにか決断するたびに私の「時価総額」は上がり続けていて、そろそろ大輝を追い越すだろう。私は10年、いや20年勝ち続けるチームを作るつもりだ。
完
お付き合いいただき、ありがとうございました。
これでブラックフライデーで買った積ゲーを崩すことができます。
あれっ? なにか忘れているような。




