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夏の潜水艦  作者: 多手ててと
後編:潜水艦の夏

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21.遠山輝明

そういえば小学生の頃、野球選手になりたかった。


私はこの村で生まれこの村で育った。中学生……当時は村にも中学があった……になる頃にはこの村から出たくて仕方が無かった。農作業の手伝いも嫌だった。俺だけじゃない。友達もみんなそう思っていた。村の外の高校に通うようになってもそれを考えていた。だから受験は頑張って、大阪の大学に受かった。その大学に受かったのであれば、一人暮らしをして良いと親に言われていたところだ。


大阪で念願の大学生活を過ごしていると、不思議なことに村が恋しくなってしまう。大阪に友達もいるのに、古くて何もない実家に帰りたくなってしまう。ホームシックだったのかもしれない。そしていろいろ迷った末に、俺は公務員の試験を受けて運よく田舎の村役場の職員になった。学歴もあるし、公務員試験の対策も十分だし、コネという程のものではないが生まれ育った村なので面談でも話題に事欠かない。村役場の職員ぐらい簡単になれると思うだろう? ところがそうじゃない。その年に役場が職員を募集するかどうかがわからないからだ。


俺が就職する頃はまだマシだったので俺は役場務めができた。今はもっと難しいだろう。


結婚は見合いだ。この村の出身だから身元は誰でも知ってるし、背も高いし、大阪の有名な大学を出ていて、役場では将来の幹部候補だと思われていた。就職して比較的すぐに最初の見合い話が持ち上がった時はびっくりした。高校まではもちろん、大学でも彼女なんてできたことが無かったけど、お見合いには抵抗があった。


『会うだけでいいから』


断り切れなくて会ったことが何回かある。だが長続きはしない。見合いってそういうものだろう?


だが何回目の時に今の妻に会った。当時まだご存命だった祖父が二代前の村長で、親も村で議員を務めている。村に長く住んでいたら、苗字と住んでいる集落を聞けばわかる程度の名家。泊付けのために奈良の女子大に家から通わされており、卒業後は農協で働くことが決まっているという。後継ぎ息子がいるが、娘も近くに嫁がせたい。そういうニーズにこたえる相手として俺がちょうど良かったようだ。


地方の権力者と言うと悪いイメージしかないが、彼女自身はもちろん、彼女の両親や兄にも俺は好感触を持った。何といっても美人だし性格もおっとりしていて俺にあっていた。こんなに簡単に話が進んでよいのか? 本人の俺が思うほどの速さで結納が交わされ、卒業後すぐに結婚することとなった。言っておくがこれ、21世紀の話だからな?


妻は農協を1年で辞めた。息子が……私たちは胎児の性別を確認しなかったのでその時点では知らなかったが……内側から妻の体を蹴り始めたからだ。


息子だと言うのがわかってから、私たちは相談して大輝だいきと名付けた。


大輝の目鼻立ちは妻に似て良かった。顔の輪郭や耳の形は私にそっくり。体が大きい所も私に似たと思う。だが見た目はともかく、考える事よりも体を動かすことが好きだというのは私たちのどちらとも違う。私の両親にとっても、妻の両親にとっても初孫ということで可愛がられて育った。小学校3年生の時に、離れたところにある少年野球に入りたいと言い出した時も、私の両親や妻の両親が連れて行くこともあった。妻は下の子たちのお世話をしていた頃はよく頼ってしまった。


意外なことに大輝には野球の才能があったようだ。中学になっても野球の熱は冷めず、高校も学力ではなくて野球の推薦で入った。西洛大付属南高校はこの界隈では文武両道の名門として知られている。大輝の試合は何度も応援に行ったし、それなりに活躍しているところも見たが、まさか西洛南に推薦でいける程とは知らなかった。


妻は大輝が寮に入ることを寂しいと言っていたが、本人は意気揚々と憧れの高校の寮へと移った。だがやはり苦労をしているらしい。中学までは試合に出ることは少なくなかったけれど、高校では3年生になっても出番が無かった。


「兄ちゃんさ、試合には出れへんのかな?」


「強豪やからな。ええ選手がぎょうさんおんねん」


だが最後の夏が来てから大輝から私たちにメッセージがあった。


「背番号もらった。10番。3番手ピッチャーやけどベンチには入れる」


それを聞いて家族は皆喜んだ。だが試合に出る資格は得たが、試合に出れるとは限らない。10番の後に3番手とわざわざ付け加えたのも、2番手だと思われたくないからだろう。実際、妻もなぜ3番手なのかと言っていた。


「野手の中にピッチャーもできる選手がいるんやろな」


「そう……。二刀流ってことね」


高校野球では打てる投手も多いのだけど、私はわざわざ補足しなかった。


一方妻は私たちの親たちと一緒に初戦の2回戦から観戦しに行った。


「先発メンバーにはいないわ」


「他の選手のお母さん方とお話をしたの。父母会があるので入れてもらったわ。うちはこれまで何もしてなかったから、父母会の仕事を手伝うことにしたの」


「勝ったわ。大輝は出なかったけど」


そんなメッセージが来るたびに私は職場でやきもきした。


そして3回戦も応援に行ってくれた。


「スタメンに大輝の名前がある」


そういうメッセージが、スコアボードの写真と一緒に届いた。残念なことに私は仕事。下の子ども達は学校。


「俺の分も応援してください」


「おけ」


しばらく時間が過ぎてから私は便意も無いのにトイレに行った。3回が終わったところで西洛南は大差で勝っていた。失点は0。だが相手の攻撃中。私は何度か画面をリロードし、アウトカウントが増えたのを確認してからトイレを出た。ずっと確認し続けていたかったが、これでも部下を任されている身だ。


「勝ったわ。1回戦と同じように5回で終わったわ。コールド勝ちだって他のお母さんに教えてもらったの。大輝は最後まで点を取られなかったわよ」


「おめでとう。お疲れ様」


私は家族グループに送信した。ベンチにスマホを持って入れるとは思えないから、本人がそれを見るのはもっと後になるだろう。


4回戦、この頃になると役場のロビーにあるテレビでも高校野球を流すようになった。残念ながら大輝の学校の試合は放映されない。夏休みに入ったので妻は子どもたちを連れて応援しに行った。この試合も勝ったそうだ。大輝は1イニングだけ投げたらしい。


「お兄ちゃんかっこよかったわ。家やと冴えへんのにな」


少しでも試合に出ると満足するらしい。


「今日はお兄ちゃん出てこなかった」


「試合には勝ったんだからいいんじゃないか」


一度も出てこないとやはり不満らしい。


そして京都大会も準決勝まできたが私は仕事をしていた。そういう日程になっているのだろうか? このままもし決勝まで進んでも土日には1試合もない。流石に決勝まで進んだら球場に見に行きたいのであらかじめ休みを申請している。無駄にならなければいいのだけれど。


そしてそろそろ試合が始まると言う頃に職員の誰かが職員向けのテレビをつけた。普段はどこかで災害が発生した場合などにつけっぱなしにしているものだが、それで高校野球を流し始めた。それに気が付いた総務課長が立ち上がったので、注意するのかと思ったら違うらしい。


「今日はどこの学校が対戦するんだ?」


「午後には西洛南が出てきます」


「そうか、地元だな。つけておくか」


中学校すらないこの村に高校はない。当然村外に通う必要がある。西洛南もそのひとつだから地元と言える。自治体の間でも京都市より南は旧国名から山城地域とひとまとめに呼ばれることが多い。午前中は京都(京都市)と丹後の学校だけどまあ問題ないだろう。そもそもロビーのテレビから高校野球が聞こえて来るのだから大した違いはないか。


でも今日の午後、仕事の能率が上がらないことが確定したので、私は午前中にできるだけ多くの仕事を必死でこなした。もしかしたら大輝が試合に出るかもしれない。


「課長、なんか今日は慌てて仕事してますね」


昼休み、お弁当を食べ終わった後部下に声をかけられた。


「うん。午後は西洛南の試合があるだろう? 息子が通ってるんだ」


「えっ、そうなんですか? もしかして野球部?」


「そう」


「すごーい」


「それは熱入りますね」


この時点で俺はものすごくうれしかった。多分ベンチ入りしているかどうか、聞かれたりするんじゃないか?


「もしかしてレギュラーだったりします?」


「いや、でもベンチ入りはしてる」


「じゃあ甲子園まであとふたつですよ」


「なに盛り上がってるんですか?」


別の課の同僚にも聞かれた。


「遠山課長のお子さん、西洛南の野球部でベンチ入りしてるそうですよ」


「じゃあ息子さん出て来るかもしれませんね。応援に行かなくていいんですか?」


「明後日、決勝は休みを取って見に行くつもりなんだ」


「今日も、明後日も勝ってほしいですね」


その時別の同僚から声をかけられた。


「遠山さんのお子さんが西洛南でベンチ入りしてるって本当ですか?」


「はい。そうなんです」


「じゃあ、あの左のアンダースローの選手ですね。息子さんすごいですよね」


「ご存じなんですか?」


俺が聞き返すと彼がうなずいた。


「私は野球部じゃないですけどあの高校のOBなんで、いつもこの時期は楽しみにしてるんですよ。去年もベスト4までは来たんですよ。今年は是非甲子園に行って欲しいですね」


そう言えばテレビを付けたのは彼だった。


午後の仕事が始まってしばらくすると、第二試合が始まった。


『9番、ピッチャー、遠山君、背番号10』


おー


スタメンが発表される際、どよめきが職場内に広がった。昼休みが終わる頃には、息子が西洛南の野球部員であることが知れ渡っていたからだ。


なんだか急にドキドキしてきた。大輝は俺以上だろう。頑張れ。俺は決して届かない声援を息子に送った。そして妻からメッセージか来たので、職場でテレビを見ていると答えた。ちゃんと仕事をしなさい、と叱られた。


「さっき何があったのかって、村民の方に聞かれましたよ」


「あっ、不謹慎だとか言われた?」


最近は何でもSNSとかにあげられて炎上する。うちのような田舎ではこれまでにそのようなことはなかったけど。


「いえ。すごく喜んでらしたですよ」


「それは良かった」


誰かがボリュームを大きくした。


『西洛南は3本柱のひとり、遠山君を先発させてきました。左のアンダースローという非常に珍しい選手です』


『遠山君は3回戦でも5回無失点。投げ方も珍しいですが、総合的に見ても素晴らしい投手、打ち崩すのは簡単ではありません』


試合前の解説を聞いているだけでも心がたぎる。


「今日投げるってことは、勝っても決勝では投げないかもしれないな」


俺がそう言うと、まずは今日応援しましょうと言われた。


大輝がマウンドで投げている。俺は今仕事中、それにまだ投球練習中、そう言い聞かせて俺は仕事を続けるが能率がとても悪い。そうこうしている間に試合が始まる。1回表の守り、大輝は先頭打者を三球三振に仕留めた。


『マウンドの遠山君、先頭打者を三球三振に仕留めました』


『今のはチェンジアップでしょうね。タイミングを外されてしまいましたね』


解説は相手寄りなのだろうか? 俺がそんなことを考えていると続くふたりを内野ゴロで三者凡退。良い出だしだ。


「息子さん素晴らしいじゃないですか」


「うん。我が息子ながらすごいと思うよ」


2回にヒットを打たれてランナーを出すもその後はゲッツーで切り抜け、結果6回まで無失点で降板した。息子ではなく1番を付けた選手がマウンドへ行くのを見て、残念と思うのではなくて安心してしまった。


周囲の同僚たちが息子を褒めてくれる。自分の事ではないのに褒められるのはどこかむず恥ずかしいものがある。


「はい、自慢の息子です。明後日は球場で応援してきます」


出場できるかどうかはわからないが。息子のチームを見るだけでも俺は満足するに違いない。実際には息子も中盤にマウンドから投げチームも勝って甲子園行きが決まった。私は家族とともにスタンドで喜び拍手をし、周囲の他の保護者の人たちと喜び合った。


甲子園の初戦はスリーランホームランで先制され、西洛南のスコアは0から動かなかった。そして7回から大輝がマウンドに上がった。終盤で3点。無理とは言えないがかなり追いつめられた状況だ。その裏には大輝が打席に立って、バントの構えからヒットを打ち逆転を呼ぶチャンスを拡げた。2回戦は出番が無かったが3回戦は先発した。途中で相手に得点を許したが、相手チームの反則があったようで点が取り消された。このあたり少しもやもやが残ったけれど、勝って良かった。準々決勝はエースの市川君がノーヒットノーランの偉業を達成した。この頃になると妻の紹介もあり、話をする父兄も増えて来た。私は市川君のお父さんとハイタッチした。準決勝では大樹が7回から投げた。やはりランナーが出たけれど、キャッチャーの新浜君が盗塁を刺してくれて助かった。


そしていよいよ明日は決勝戦だ。選手たちは準決勝と決勝の間の休養日だけど、私は溜まった仕事をしなければならない。私の有給休暇はだいぶ減ってしまったし、部下にも同僚にも迷惑をかけているけれど、みんなが西洛南を、息子を応援してくれる。


「山城に優勝旗を持って帰って来てくださいよ」


わざわざ村長にも声をかけられた。


「頑張って応援してきます」


残業を終えて帰宅しようとした時、少し離れたところに残っている同僚がいた。


「お先に失礼します」


と離れたところから声をかけた。すると、


「いってらっしゃい」


そう返された。


「はい、ありがとうございます。行ってきます」


これから帰宅するというのに、私は改めてそう返事をした。そういえば小学生の頃、野球選手になりたかった。私はなれなかったけれど、私の息子は野球選手だ。

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