20.田中寛
『6番、ピッチャー、久慈君』
「今日の先発は久慈か」
「まあ順当だな」
これまで西洛南は3人のピッチャーをローテーションして使っている。市川が先発の試合は久慈がリリーフ。久慈が先発した試合は遠山がリリーフ。そして遠山が先発した試合は市川がリリーフしている。準々決勝は市川がノーヒットノーランを継続中だったのでそのまま完投した。
「だったら下の遠山がリリーフに出て来るかもしれないね」
「そうだな」
俺たちの野球部は神奈川県の決勝で負けた。俺があと1本ヒットを打っていれば、観客ではなく選手としてこの球場で試合ができていたのかもしれない。負けた時はそんな言葉をなんとか飲み込んだ。俺たちは先輩を送り出した後、新しいキャプテンを決めた。俺は2年でレギュラーだったひとりなので予感はあったけど、俺が選ばれた。そして最初のイベントとして関西での合同合宿に来た。これは全国交流がある強豪校同士の合同合宿で、夏の甲子園の時期に合わせてで毎年行っているものだ。
「3人ともすごい投手だよね。こんなハイレベルの投手が同じ学校の同じ代にいるって珍しいよな?」
「3人ともプロに行ってもおかしくないって書かれてたな」
「適当なこと書いてるな」
合宿では互いに3年生が抜け、新チームになった学校同士で交流して高め合う。同じ県の学校相手ではできないことを試すこともできる。そして休養日にはこうして甲子園に来ることで、来年こそ、という気合を入れることもできる。その年に甲子園に出るチームがいた場合、その試合を応援しに行くが、今年はどの学校も出れなかった。だから俺たちの学校は、合宿の締めくくりに京都と高知の学校が対戦する準決勝を見に来た。この試合を見たら新幹線で学校の寮に戻る予定だ。
「でも3人ともこの夏が終わったら高校野球からいなくなるからな」
京都代表の西洛大付属南高校のレギュラーはほぼ3年生で、そのうち4人は昨年からレギュラー。エース格の3人も3年生。どう考えてもこのチームのピークは今年だろう。一回戦は苦戦したけど、その後はほぼ一方的な展開でここまで勝ち進んでいる。
一方の高知の高校は点の取り合いを続けながら1点差をモノにしているチーム。数字だけみると打力重視に見えるけど、投手も守りも精神力も強い。そうじゃないと甲子園でベスト4には残れない。こうして試合前に練習しているのを見ていても、選手たちが声をかけながらきびきびと動いているのがわかる。
「前評判だと西洛南が有利だけど……どうだろね」
ちなみに俺らに勝った神奈川の代表校は3回戦で負けた。それらを蹴落として残った4校のうちの2校の試合を観戦する。球場は見渡す限り人で溢れていて、俺たちはその中に埋もれている。俺たちは三塁側の内野席にいて、近くのアルプススタンドから高知の学校のブラバンが練習しているのが聞こえる。
「声掛けとかちゃんと聞こえるのかな」
俺らの学校でも、ありがたいことに吹奏楽部が暑いスタンドで演奏してくれる。ブラバンの音は予選でもしているけど、球場はここまで満員にはならない。球場に来るのはどちらかの学校を応援している人たちだ。
「神奈川の決勝よりも凄いな」
神奈川大会の決勝はプロと同じ球場でするし、どちらのチームとも関係のない野球ファンも多くなる。それでも甲子園はやはり特別な気がするのは俺たちが観客席にいるからだろうか?
「もうすぐ試合始まるな」
そう言われると今のうちに小用を済ましておこうと思う。
「俺今のうちにトイレ行ってくる」
「もしかして、観客なのに緊張してる?」
からかわれても俺はそのまま席を立った。当てつけに何か自分だけの食べ物を買ってこようと思う。
試合は双方の先発投手がランナーを出しながらも、好守備に助けられながら失点を抑えるという締まった展開になった。5回裏が終わってグランド整備の時点では2対2の同点。
「見ごたえのある、熱い展開だな」
俺の持論だけど、野球で一番見ごたえがあるのはファインプレイだと思う。この試合だと京都の高校の3回の攻撃、抜けたら1点という三遊間のライナーをショートがダイビングキャッチし、さらに飛び出していたセカンドランナーをアウトにしたプレイは見ごたえがあった。5回の高知の攻撃でセンター前を落ちる寸前にすくい上げたプレイとか、見どころがいくつもあった。
「この後どっちが勝つと思う?」
「京都」
俺は迷わず言い切った。
「やっぱり後ろのピッチャーが違うから?」
「そっ」
終盤になればどちらのチームも継投に入るだろう。京都には地方大会からまだ無失点の遠山がいる。準々決勝は市川がノーノーしてるから、疲労も少ないだろう。
速球中心で三振を重ねる久慈から軟投派で打たせて取る遠山への継投に、相手打線がアジャストするのは難しい。
「おっ?」
6回裏に出てきた代打がタイムリーで京都が勝ち越し、代わった代走も三盗から犠牲フライでホームベースを踏んだので2点差になった。
2対4、この試合で2点差は初めて。当然京都が優勢になった。でも高知もこれまで何度も逆転でここまで勝ち上がっているので遠山なら簡単に逃げ切れるとは限らない。
ここまでも見応えがあったけど、状況が変わってまた別の楽しみができた。京都はこのまま勝ち切れるかな?
「遠山、やっぱりすごいな」
粘っても四球にならないし、追い込まれたら多彩な変化球で三振。早打ちしても内野ゴロ。高知が遠山対策をしていないはずがないけど、やはり左のアンダースローを再現するのは難しいから対策の限界があるのだろう。
7回表は、三振の後内野ゴロふたつの3人で片付けた。
「調子良さそうだな」
「つーか見てると調子の波が無いような気がする」
ここまでいつもの遠山。でも高知は早打ちが多すぎる。
「ここからだとわからないけど、ちょっと変じゃない?」
「先頭の三振が大きかったんだろうな。でももう少し見ても良い気はする。なんか作戦かな?」
「もう終盤だぞ? 点取らないと負ける状況だぞ」
京都の攻撃も3人で終わった。8回表の攻撃、下位からだけど先頭が三遊間を抜いて塁に出た。変則投手に強いタイプかも知れない。でも延長にならなければ彼には打順は回ってこない。
「ここは1点差だから送ってくるか?」
「この回で1点返しても9回で2点必要だから打つんじゃない?」
「ほら、ランナー替えるぜ」
そして代走が出るという球場アナウンスが流れる。
「これは逃げるだろ」
「アンダースローだしな。初球から行くよな」
2球目で走った場合、外してこなかったら0-2で追い込まれた状態から勝負になる可能性がある。7回には三振取ってるし、一死二塁だと送ったのと変わらない。ランナーのリードはあまり大きくない。遠山は左だし、牽制でアウトになったらバカだからな。初球、セットアップからモーションに入ると同時に一塁ランナーがスタート。多分普通に投げてたらセーフだったと思う。だが遠山はクイックモーションからオーバースローで投げた。観客の俺たちすら啞然としたぐらいだから、多分バッターもそうだと思う。
キャッチャーの送球もよく、ランナーは二塁でアウト。スタンドから見てもはっきりアウトとわかるタイミングだった。
「球速144km?」
「バッチリコントロールされてる。上からでも十分通用するんじゃね」
「変化球がダメなのか?」
「クイック爆速すぎる」
ともかく2点ビハインドの状況から、ノーアウトのランナーを刺された高知攻撃はその後精彩を欠いた。9回もツーアウトから内野のエラーで塁に出たけれど、続くバッターが三振してゲームセット。京都が決勝へと駒を進め、宮城のチームと優勝を争うことになる。
「来年は俺らも甲子園出たいな」
「それよりまず秋の大会で関東(大会)に行こうぜ」
俺は帰りの新幹線の中で少し話をしたけど、結構すぐに寝てしまった。俺が起きた時、隣のチームメイトがスマホを見ていた。
「今どこ?」
外はもう暗くなっている。
「さっき新富士を通過した。三島も過ぎたかも。動画見てたから」
「いつの試合?」
高校野球の動画であることは一目でわかった。
「今日甲子園で見た、京都と高知の試合」
「なにかあった?」
俺が聞くとチームメイトは少し考えた。
「そうだなあ。そうそう、7回の高知の最初バッターが三振したじゃん?」
「うん」
「あれスプリットだって」
「スプリット? アンダースローで?」
「そう。試合では初めて投げたんだと」
確か落ちる球はチェンジアップ、サークルチェンジ、シンカーがあったはず。それにスプリット? 必要ある?
「それぞれ落ち方が違うから、追い込まれないように早打ちになったって」
「1年生の誰か、転向させるか?」
まあ今日本中の指導者が似たようなことを考えているかもしれないけど、そう簡単に行くはずがない。
「この前ノーノーやった市川だろ。今日の久慈と遠山だろ? 京都強すぎん?」
「そうだけど。高校野球には絶対はないからね」
そう高校野球はゲームセットするまで何が起きるかわからない。それでも京都が優勝する可能性が高いと思った。




