16.丸橋圭
開会式の時に満員だったお客さんはどこに消えたのだろう。開会式の後の第1試合が14対11という乱打戦。第2試合は2対2で延長に入り、結局5対6xで12回サヨナラ。10回はお互いに無得点、11回はお互いに2点ずつ。熱戦と言えば良いがタイブレークが名前通りには機能しなかった。おかげで17時35分に始まる予定だった俺たちの試合は1時間以上遅れて開始。初日は開会式があり試合数が少ないから、スケジュールには余裕があったのだけどこの状況。俺たちも待ちくたびれたけど、山梨から来てくれた応援団はもっと大変だと思う。
俺たちが一番気にしていたのはあちら、西洛南の先発ピッチャー。
「普通に1番が先発か」
「そりゃそうか」
「見たかったな。左のアンダースロー」
「途中で出て来るかもよ」
初戦の相手の京都の学校はエースクラスが3人いることで前評判が高い。右、左、そして左のアンダースロー。一方ウチは絶対的なエースである高瀬ひとりに頼っている。県大会では勝ち上がるたびに日程が狭まってきつくなった。2番手3番手でいかにイニングを食べて高瀬の負担を減らすか、というゲームメイクが続いた。いつも7回以降で3点以上勝っていた場合は高瀬をマウンドから降ろしていた。
「ナイターでも明るいな」
「これがカクテル光線?」
甲子園の照明は他の球場に比べると暖色系の光が混じっている。LEDに変わった今もそうだ。
この灯りに照らされたマウンドを見る。この甲子園にきたから高瀬の体力問題は一旦リセットされる。高瀬も十分に休養できたし、2回戦までは時間があるからこの試合に限って言えば完投も不可能ではない。もちろん無理はさせたくないので、俺らが点をとって高瀬を楽にさせたい。だけど相手の投手陣は分厚いのでそう簡単な話しではない。
地方大会の結果を見ると打線ですらあちらの方が派手だ。途中まで鳴りを潜めていても一度火がついたら止まらず一気に大量点をもぎ取っている試合が多い。一方俺たちは四球やエラーで出たランナーを盗塁や犠打で進める野球。少ないヒットでなんとか1点づつ積み重ねる野球だ。つまりウチが勝つにはロースコアの試合に持ち込むしかない。高瀬の左腕にかかる負担が大きい。おれもできるだけ守備で頑張らないといけない。
試合はこちらのエース高瀬と、相手のエースの市川の投げ合いになった。3回に俺の打順が回ってきたけど、市川の速球は高瀬と同じぐらい速いし、スイーパーは打てる気がしない。せめて球数を稼ごうと思ったがバットにかすりもせず三球三振。下位だから。ナメられてる。そして実際手も足も出ない。情けない。
一方の高瀬も西洛南の打線を抑えている。俺もヒット性の当たりを2本、外野に抜けさせずに止めたので、守備では貢献できていると思う。上位打線の打球はとても速いけどギリギリ止めることができた。1本はグラブからこぼしたけど、拾い直して1塁に間に合ったので問題ない。
「ナイスセカン」
高瀬が俺に声をかけるので俺も返す。
「ナイスピー」
お互いに無得点のまま5回に入った。双方ランナーは出ているがそれをホームに返すことができないでいる。両方のチームが継投の準備をし始めた。でも先発がいいからこのままいけるところまで行くんじゃないかと思う。だがこの5回の裏、ウチの先頭、4番が四球で出塁した。ようやくノーアウトのランナーが出た。と言ってもうちは投げるのは高瀬頼みで、打つのは4番、山本頼みなところがある。逆に言うと山本だから際どいところで勝負した結果、先頭で塁に出れたというべきか。
5番がきっちり送って、6番まで送った。本当は6番は自分も塁に出るつもりのよいバントだったけど上手く処理された。守備はウチの方が上だと思っていたけど、そりゃあ近畿で甲子園までくるチームの守備がザルなはずがない。これで2アウト3塁。俺はネクストに向かった。できれば次のバッターが塁に出て欲しい。ヒットでなくてもエラーでもいい。1点入れてくれたらそれでいい。もし点が入らなければチェンジだから次のチャンスを待つだけ。
俺はネクストで市川のボールを見続けた。三塁にランナーがいるから下位でも慎重に投げてくる。でも直後に快音が聞こえた。切れるか、切れた。残念。
「いいよ。当たってるよ」
チームの中では俺があいつに一番近い所にいる。だが見送って三振。いやネクストからはそう見えたけど判定はフォアーボール。良く見た。
二死、三塁一塁で俺に打順が回ってきた。ボーイズの頃からずっと野球を続けて来た。全国大会に出るのも初めてではない。それなのに今までに感じたことのないプレッシャーを感じる。あいつよくこの状況で四球取れたよな。俺も粘って四球を目指すのが最善だ。でも俺の次は高瀬。高瀬は投手としては天才だけど、地方大会でもヒットがないから俺が打つしかない。
心臓の音で場内アナウンスが聞こえない。なんとか状況を整理しよう。二死、三塁一塁、はっきり俺は格下に見られている。俺の後ろは高瀬。正直俺を歩かせてもいいけど、2人続けて歩かせて満塁にするのも怖いはずだ。3連続四球で押し出し、しかも上位に回るとか最悪だろう。
ゆっくり打席に向かいながら考える。相手は四球はいやだけど、甘い球も投げてこない。格下相手だから3球で終わらせにくるか? いやバカじゃないんだから二死三塁一塁で「もしも」があると考えれば丁寧に投げて来るだろう。守備は定位置より前。俺が軽く当てにいったら外野には飛ばないのはデータでわかっているはずだ。長打を狙うなら思いっきり振り回さないといけない。
そうすると初球は入ればラッキーぐらいにコーナーを狙ってくるんじゃないか? じゃあインローか? 思いっきりぶん回して運よく当たってもファールにしかならない球。そう考えているうちに相手がセットポジションから投げた。三塁にランナーがいるけど、一塁ランナーにも盗塁させるつもりはないみたい。そのボールが俺に向かってくる。怖ぇ。俺はボールから倒れるように逃げた。フロントドアのスライダーがミットに納まる。インハイのスライダー。これは俺には打てない。幸いコールはボール。あれだけ曲がったのにボールってことは、逃げなければ当たって一塁に歩けたかもしれない。当たっておいた方がよかった?
ネガティブなのはダメ。ボール先行と考えるべき。2ボールにはしたくないだろうけど、単純にゾーンに置きに来ないはず。だがそれも裏をかきにくるかもしれない。対角線でアウトローに真っ直ぐと読む。でもあれこれ考えているうちにもうボールが向かってくる。アウトローだけどマン振りするにはもう遅いが、ボールが外側へ逸れていく。またスライダーだった。これで2ボールになってカウントは有利だけど、さっきから後手後手、というか手も足も出ていない状態。しかも決め球のスイーパーをまだ投じていない。
でもさすがに3ボールにはしたくないはずだ。今度こそバッティングするべきか? それとも四球を狙うべき? いくら次が高瀬でも満塁にはしたくないはず。
イン、アウトと来ているから今度はイン? スライダーが続いているから次はストレート? 今度こそスイーパー? 目先を変えて来るかもしれないし、スライダーには手が出ないと思われているのかもしれない。ただこの2球よりゾーン中央にくるはず。とにかく次は思いっきり振る。セットポジションから投げられたボールがやや高めに来た。俺のスイングはもう始まっている。タイミングはばっちりコースもいい。当たれと願い俺は振り抜く。いい感触といい音がしてボールが前に飛んで行く。打球はレフトに飛ぶ。前進守備のレフトの頭を越えろ。
打球は俺の予想より飛ぶ。レフトが懸命にバックしている。ツーアウトだから当然一塁ランナーもダッシュしているから、落ちたら2点入るかもしれない。ボールはレフトの頭を超え、そしてポールのギリギリに当たった。
これホームラン? そうだよね? 外審が頭上で回す指がホームランだと告げている。甲子園はナイトゲームだと外野の両翼にも審判がいる。スタンドが、一塁側だけでなく球場全体が沸く。小走りでセカンドベースを踏む。目で、足で、きっちり踏んだことを確認する。これで踏み忘れなんて許されない。俺がホームベースを踏むと。山本たちランナーが、打席に近づいてきた高瀬が、俺を軽く叩く。
「俺打ったよな?」
「大会第1号じゃん」
大会初日だからね。
「マジだよな。俺、高校じゃ初ホームランだぜ」
さすがに紅白戦では何度かあるけど、対外試合だと非公式戦を含めても初めて。ランナーと3人でベンチに戻る。ベンチでも俺はものすごく祝福された。ゲームの中盤に飛び出た先制のスリーランホームラン。自分でも信じられないけれど、ベースを踏みながら一周した記憶が足に残っている。守備の準備をして、高瀬があっさり3球でバットを持ってベンチに戻ってくるまでの短い間、俺はちらちらとスコアボードを見ていた。まだ現実の事とは思えない。
先制はもちろん嬉しい。自分が貢献できたことも嬉しい。でもあと5回も凌がないといけない。野球って3点リードしていてもしんどいな。いや本当にリードしているよな。この回で相手のエースを降ろしたとしても、あちらは2番手以降も強力な投手がいる。その時高瀬の3球目が打たれて俺の方に力のない打球が来た。俺は小フライを堅実に捕球して、内野でボールを回す。こんな簡単なプレイなのに一塁側スタンドからの拍手がこれまでよりも大きい。俺がさっき打ったホームランがようやく現実のことだと思えた。
6回の表、こちらはトップからの打順だけど、そのままエースナンバーを背負う市川が投げる。3点取られたのに変えない。気落ちしているのであればここで4点目を取って欲しいけれど、ここはエースの意地なのかもしれない。こちらの上位陣はあっさりと凡退した。その裏、6回裏は高瀬がツーアウトからランナーを出すも抑えた。
「高瀬、ナイピ」
「良い感じで投げ切れた。ケイ、次の打席も頼むぜ」
「回ってきたらな」
7回から西洛南は噂のアンダースローに継投してきた。3点勝っていることもあって少し気が楽。実際、久慈が出て来るよりも楽だと思う。左の150kmは打てないけど130kmなら例えアンダースローでもバットに当てることはできる。
実は球速が20km違ってもホームに届くまでの時間はそう大きく変わらない。でも人間の目は130kmなら追うことができる。俺は150kmをたまたま当てることができたけど、130kmのボールは目で追うことができる。それはアンダースローでも変わらない。目で追えても上手く当てることができるかは別。ストレートはもちろん変化球も上から投げた場合と動きが全然違う。先頭の山本の初球サードゴロから始まって内野ゴロと三振で簡単に終わってしまった。
「ジャストミートしなかったけど、当てることはできた。」
「ストレートも変だし、変化球も多い。普通の真っ直ぐは来ない。でも次の打席はもうちょっとアジャストできると思う。それまでに試合が終わると思うけど」」
「チェンジアップだと思うけど、ビデオと違う変化をしたから空振りした。簡単には打てないと思う」
ベンチから見ていても良くわからないけれど、不思議な投球のようだ。打席に立った3人がそれぞれ違うことを言うけど、市川のように手も足もでない感じはしない。まぐれとはいえ、その市川からも俺はホームランを打ったのは事実だ。
そして次の8回には俺まで打席が回ってくる。左のアンダースローは少し楽しみだけど、この回その遠山に打席が回ってくるはずなので、そこで代打が出て来る可能性も高い。だがまずはこの7回の裏を抑えてからだ。
「高瀬、まずは7回を頼む。状況次第では8回も」
「えっ、わ、わかりました」
ピッチャーは高瀬を続投。7回で3点リードしているけれど監督はそのまま高瀬で行くつもりのようだ。8回に高瀬に打順が回るので、そこで代打を出して継投するか、場合によっては完投もありえる。1回戦だからできることだ。
西洛南の攻撃は8番から。それなのに初めて先頭打者を出してしまった。キャッチャーだから8番にいるだけで普通に強打者なのはわかっていた。誰も油断はしていないはずだけど、少し甘かったのかもしれない。綺麗に三遊間を破られた。終盤でこちらが3点勝っている状況を考えると、遠山のところで代打が出るだろう。左のアンダースロー、ちょっと打席で見たかったかも。
でもそのまま遠山が打席に出てきた。もう終盤に入って3点差があるのに送ってくる? まだ相手は無得点だけど、ここから上位に回ることを考えると無いとは言えない。でもここを抑えればうちの勝利が近づく。遠山は予想通りバントの構え。ベンチからは可能であれば二塁でランナーを刺すように指示が出た。わざわざ残した遠山を走らせるため? 3点差だから少し欲張りすぎだと思うけど、アウトカウント優先なことは選手はみなわかっているだろう。
初球からバントの構え、高瀬はそれに臆せず速球を投げ込む。高瀬の速球の勢いを殺すことは難しいはず。サードが、そして少し遅れてファーストがチャージをかける。空いた一塁には俺がカバーに入る。その途中でバッターがバットを引くのが見えた。一旦二塁へ走ろうとしていたランナーも一塁に戻っている。思いっきりストライクだから、サインプレイで一球様子を見たのだろう。いわゆるエバース。もしかして打たせるつもりなのか? それとも遠山のバントに信頼があるのか? 俺は少し警戒を強めた。こういった小細工ができる選手が相手だと二塁で殺すのは難しい気がする。
「内野ぁ、アウトカウント優先ね」
監督のサインとは違うけど、もし後で指摘されたら相手に悟らせないためです、とでも言い訳すれば良い。気が付いたのに黙っている方がバカだ。
2球目、またしてもバントの構えに、ファーストとサードがまたチャージ。俺は一塁のカバーだけど、今度はランナーがギャンブルスタートを切っている。二球続けてストレートで力で押すピッチングはいい。でも初球と同じコース? それは……と思った時には遠山はバットを引いていた。
先ほどよりもタイミングが早い。バスター? ヤベ。バッター左、一塁側なら俺が止めないといけない。だが高瀬の速球に振り遅れたのか打球が三塁線をバウンドする。サードはセオリー通り真ん中、つまりピッチャー寄りに誰よりも早くチャージをかける。
ランナーが一塁だけの場合、ファーストがあまりに早くベースを離れるとランナーに大きくリードを取られてしまうし、ピッチャーは投球を、キャッチャーは捕球を第一に考えるからだ。だからサードが中央寄りのバントをケアする必要がある。つまり三塁線が空く。そこを振り遅れた打球が抜けて転がる。
切れろ! 俺の心の声が届くのは遅すぎた。サードベースを明らかに越えてから、レフト線をボールが外へと逸れる。フェア。
俺が一塁に入ろうとしているように、ショートが二塁に入っているから打球を止めることができる内野手はいない。ボールが外野に抜ける。二塁への悪送球に備えた動きをしていたレフトが急転換して三塁線へと急ぐ。
「高瀬! サード、ベースカバー!」
俺の声に投手の高瀬が急いで三塁に入る。でもレフトが打球にようやく追いついたところで、一塁ランナーは三塁に滑り込む素振りすらせずに三塁キャンバス上で止まった。一塁を蹴った遠山が一瞬二塁に行こうとしてから一塁に戻ってきた。無死一塁三塁。3点のリードが途端に心もとないものになった。
「やっぱり7回裏がクソだったな」
「あいつらチャンス作るとホントにつるべ打ちしてきやがったな。チャンスに強いわ」
多分こいつらは7回に高瀬が3連続タイムリーを打たれて逆転されたことを言っているのだろう。でも俺は遠山にバスターでチャンスを拡げられた時点で3点のリードが飛んでいたような気がする。逆に8回、9回とこちらは早打ちで3者凡退。7回から通せばパーフェクトで遠山に抑えられた。最初は低いボール球があったので待球も考えられたが、すぐに修正してゾーン内に投げ込んでくる。打っても内野ゴロばかり。そりゃ剛速球の市川から、軟投派の極地にいる遠山にスイッチされたわけだから、あちらのゲームプラン通りなのだろう。
そして絶対に口には出さないが、ウチのゲームプランは自分たちで壊してしまったような気がする。3点差あれば7回からは2番手を出す。これまで地方大会では守っていたルールを破ってしまった。今思い返せば、高瀬は6回が終わった時点で自分の役目が終わったと思ったんじゃないかな。
もし7回も高瀬で行くのであれば、ゲームが始まる前から高瀬に伝えておくべきだったと思う。今日は点差がついても高瀬で行くと。それが無理でもマウンドに行けと言われた時の高瀬から俺が違和感を感じていれば結果も違ったと思う。
それも俺がスリーランを打ったからかもしれない。結果論以外のなにものでも無いけど。
強豪相手とは言え、終盤まで競り勝っていたことで満足しなければいけないチームでは無かったはずだ。まあゲームセットした試合について、引退する3年生は個々の糧にするしかない。俺はどこからもスカウトされるような選手じゃないけど、それでも大学に入っても野球は続けたいからな。




