14.杉田光莉
「おいおいなんだよこいつ」
西洛南と当たるにしても準決勝だが、勝ち上がってくる可能性の高い強豪だ。だから初戦からこうやってビデオ撮影をしている。
初戦の二回戦では11番を付けている士野が好投した。西洛南の投手陣の中ではただひとりの二年生。でも相手が弱かったと思う。来年のための経験を積ませるための登板で、今後は大差がつかない限り出てこないだろう。問題はこの試合で先発した10番の遠山。
西洛南は市川、久慈という2年生の頃から試合に出ていた左右のエースがいるチームなので、3番手以下にはあまり出番がないことを予想していた。この遠山が出て来るのもこの三回戦だけだろうと試合前は予測していた。だが、試合前の練習を見て俺は驚いた。遠山がアンダースローに転向している。
遠山大輝、これまで公式戦での出場はないが練習試合では何度か登板している。左で最速140kmを投げるのでもし久慈が離脱した場合こいつが出て来る可能性はあった。だが俺たちが把握しているデータでは2年生の1学期以降は練習試合にも登板していない。おそらく肩か肘をやってしまったのだろう。気の毒なことだ。そう思っていた。
実際にどこかを痛めたからかもしれないが、遠山はアンダースローに転向していた。極めて珍しい左のアンダースロー。
左のアンダースローというだけでも対策が困難なのに、速球が130km出ている。そしてシュートとチェンジアップをそれぞれいろんな速度で投げ分けて来る。これは攻略が難しい。そしてコントロール。四球どころかゾーンにしか投げてこない。これは狙ってそうしているのか、適当に荒れ球なのかはわからない。どちらの場合でもやっかいなことには違いない。
西洛南は右の市川と左の久慈のふたりでも投手力は府内で頭ひとつ抜けている。そこにこの遠山が加わればより盤石なものになるだろう。全員がタイプが違うのもクソ。でもまだ初回。このアンダースローは付け焼刃の見掛け倒しで、これから馬脚を表すかもしれない。そう思いながら俺はビデオを回しながらスコアや配球を付け偵察を続けた。
***
3年でもクラスによっては全校応援に参加するんやけど、私らのクラスは学校で夏期講習があるんよ。ウザいけどこの田舎から予備校に行くのは面倒やから学校でやってくれるのは助かるていうたら助かる。うちらが応援に参加するのは地方大会は準決勝から、甲子園ならもちろん初戦からや。今はまだそこまで勝ち上がってない。ちょうど今頃試合中のはずやから、早苗とかはやきもきしている。
その時普段より人数が少ない校舎にアナウンスが流れた。
「先ほど野球部の3回戦が終了し、10対0で5回コールド勝ちしました」
この時点で教室内が沸いた。先生も授業を止めてアナウンスを聞いている。
「初回、ファーストの山條君のスリーランホームランで先制し、」
ここで早苗が大きな拍手をしたが先生も誰も咎めなかった。
「投げては公式戦初出場の遠山君が5回を完封。完勝で次の4回戦に進みます」
遠山君?
「ねえ環、遠山君って綾の例の子やんね」
まだざわめきが残る教室で、私は後ろの席の環に話しかけた。
「そうそう。ちゃんと試合に出て活躍してるやん。うちらも応援に行けたら良かったなあ」
正直な話をすると球場は家からも学校からも遠いので、わざわざ行くのは面倒や。一昨年、甲子園の時みたいに応援バスぐらい出せばええのにて思う。せやから準決勝ぐらいからの応援でちょうどええんかもしれへん。それから私は少し離れた席にいる綾を見た。綾も顔を赤くして自席で拳を握りしめていた。その姿が妙に色っぽい。
やっぱり遠山君となんかあったんちゃうかな。私の生暖かい視線に気が付いたんやろう。私と目が合った綾が恥ずかしそうに視線を逸らし。拳を解いていた。その仕草も可愛い。そら男にモテますわ。
その日の夏季講習が終わった後、いつものように私の家にみんなが集まった。
「遠山君、活躍したみたいじゃない。よかったわね」
早苗が綾にそう言った。綾がいつものようにこの話を強制終了させるんちゃうかと思ったけれど、全然そんなことは無かった。
「うん。よかった」
いつになく殊勝な綾に私らは顔を見合わせた。
「もしかして……綾、あんた……」
「えっと。まあ、『甲子園で投げられたら』って話やからまだなんやけど……うん」
綾が少し俯きながら顔を赤く染めて話す。
「おおっ!」
「おめでとう。そう言っていいのかしら?」
全国に行ったら選手の入れ替えもあるかもしれへん。でもまあ、ケガでも無ければ5回まで投げて1点も取られなかったピッチャーがベンチから外されることはないか。
「フラグやん。負けたらどないすんねん」
それはそうやけど、これ仮に次で負けても付き合うパターンやろ。
「で、なんで気が変わったん?」
綾もなんやかんや押されたらに弱いんかな。でも随分前からやっけ? 小学生の時から惚れられてたらそら情もわくかもしれへん。
「まあ、なんというか、はい。自分でも現金やと思うけど、気がついたら、まあ、目が離せなくなったと言いますか、よくわからへんねんけど。その」
ハッキリせえへんけどまあ恋愛なんてそんなもんかもしれん。私は今んとこ興味ないけど。
「現金いうわけやないやろ? そら今日試合見に行って、なんやカッコエエなあ思て付き合うんやったら、現金やな、ていう話になるけど」
「綾の場合少し前からでしょう。それに、小学生から想いを寄せられてたのだから堂々としてればいいんじゃない?」
「遠山の虚仮の一念って奴なんかなあ。まあええことやん。私らが見に行く試合でも投げてくれたらええなあ。綾は彼女なんやからメチャメチャ応援せんなんあかんで」
「だからまだだって」
綾はなにやら言ってたが、本人も『まだ』いう程度にはめでたい話ということで私らは祝福した。
そいで4回戦、準々決勝も勝って、晴れて私らは全校応援で準決勝が開催される球場に応援しに行くことになった。綾の自宅から球場まで行くのは時間がかかる。試合は午後からだから間に合うのだけど、それでも前日の夕方から綾が私の家に泊まることになった。そして当たり前のように早苗と環もウチに来ることになり、私の部屋でお泊り会になった。もちろん母から事前に了承してもらっている。
みんなで昔の映画を見たりおしゃべりを楽しんでから私の部屋に持ち込んだ客布団も使って寝た。大きな荷物はリビングに置いてこさせたのに、やはり4人で寝るとなると私の部屋は狭い。
「明日の試合、遠山君出て来るかな」
「遠山君は3回戦は5回無失点だし、4回戦でも1回を無失点。準々決勝では投げてないから今日登板する可能性は十分あるわね」
電気を消した後もそんな話をした。有識者である早苗がいうなら遠山君が明日出て来るんかもしれん。
というわけで球場に着いたのだけど、前の試合が延長戦に入ったとのことで私たちが入るのが遅れた。
「こうやって待たされているのは嫌やな」
そんな話をしてるとすぐに前の試合が終わった。延長戦に入ったら長くなるのかと思っていた。
「今は延長に入ったらすぐにタイブレークなの。長引かないのは良いけどこれはこれで大変よね。心情的にも後攻が有利だと思うし、これまでの記録でも明らかに後攻が有利。点差によって戦術を変えることができることが原因のようね。それにも関わらず先攻が有利という人もやはりいるわね」
球場に入ると、うちの学校の選手の練習が終わったようで、選手たちがベンチに戻り始めていた。それを見ながら早苗先生による「高校野球における延長戦の歴史について」の講義が始まった。
「そもそもタイブレークが導入されたのは高校野球では最近の話なの。昔は延長も18回の裏まであったのよ」
講義は長くなりそうだったが、相手のチームの練習が始まってからアナウンスが始まった。
『お待たせ致しました。第2試合、京都中央高校と西洛大付属南高校のラインナップ、並びにアンパイアをお知らせします』
ここでも早苗の蘊蓄を聞く羽目になる。
「知ってる? 最初のアナウンスは1塁側の学校から紹介されるの。これから始まる選手紹介は先攻のチームから。ウチは後攻だからもう少し後ね。こういう場内アナウンスのバイトとかしてみたいわね」
よくわからないがこのようなアナウンスは、バイトなどには任せられない特殊な訓練が必要なのではないか? 早苗なら大丈夫かもしれないが。
『後攻の西洛大南高校、1番、センター、蜂谷君』
名前がアナウンスされると吹奏楽部の大きな太鼓が叩かれる。とてもいい雰囲気や。
「もし蜂谷君が関東人の人だったら『はちや』になったと思うわ。『谷』を『や』と呼ぶのはアイヌ語の影響なの」
早苗の蘊蓄が野球を超えて続くけど、関西人でも『谷』を『や』と読む奴は普通におるやろ。
『6番、ライト、久慈君』
「久慈君がライト、市川君は準々決勝で先発したから、今日は遠山君が先発するんじゃないかしら? あっ、先発は試合の最初に投げるピッチャーのことね」
『9番、ピッチャー、遠山君』
「やっぱり遠山君ね。聞いた話だけど3回戦で遠山君の名前が呼ばれた時、スタンドがすごくどよめいたらしいわ。もちろん左のアンダースローだからというのはあると思うけど、3年生なのにあの試合までまったく対外実績が無かったことを気にした人もいると思うわ」
早苗はどこからそういう情報を手に入れてくるのだろう。ウチは強豪校だから「野球部マニアの会」のような集いがあっても驚かない。
「でも凄いわ! アンダースローに転向してたった1年で地方大会の準決勝で先発を任されてるのよ。市川君や久慈君がいるのによ!」
野球観戦の時、早苗はいつもハイテンションだけど、遠山君には特に注目しているみたい。それは左投げのアンダースローという希少種であること(このことは早苗から繰り返しレクチャーを受けた)の他にも、綾と遠山君の関係もあるのだろう。
その綾、綾瀬綾は黙ったまま祈るように両手の指を組んでいる。それって自分の学校が負けそうな時に客席しているのをテレビでよく見るポーズちゃう? でもこうしてるといつも以上に静謐な感じがする。美人は得やね。いや恋する乙女やからか?
なお綾瀬綾という一瞬怪訝な顔をされる名前は、元々お母さんの旧姓をもじって名付けられたと本人から聞いた。上手くいかないとこうなるんやね。名前の付け方って難しいわ。
試合が始まった。遠山君の投げ方は私が想像していたのとは違っていた。私はソフトボールのような投げ方をするんやと思っとった。
「それはウインドミルね。ちなみにそれ、野球でやったら反則投球になるから」
遠山君は先頭打者を三球三振で、2番をセカンドゴロで、3番をショートゴロで打ち取った。
綾が大きなため息をついた。この完璧な3者凡退でそんなに緊張してたら、こいつ最後まで持つんかな。
「出だしは完璧ね」
「怖いぐらいやな」
「でも向こうのピッチャーの球めちゃ速ない?」
私がそういうと予想どおり早苗の注釈が入る。
「光莉、アンダースローの球速をオーバースローと比べたら駄目よ。遠山君の130kmはアンダースローだとプロと同じよ」
初回はこちらも三者凡退。そして2回の表、ふたり目のバッターの打球が内野の選手の間を抜けた。
「上手く流し打ちされたわね」
賢明なことに、私も他のふたりも「流し打ち」が何かを早苗に訊ねたりはしなかった。ただ点にならなければいい。すると遠山君は3人目をサードゴロでアウトにした。三塁の人はこれまでみたいに一塁じゃなくて二塁に投げていた。
「素晴らしい! 絵にかいたような5-4-3だわ。流石キャプテンね」
賢明なことに、私も他のふたりも「543」が何かを聞かなかった。なぜ1アウトから急にチェンジになったのかも。私が「551」とかもあるんかな、と考えていた頃、いきなり周囲が盛り上がって少し驚いた。
「良いわね。やはり良い守備をした後は良いバッティングになるのね。権藤君、ナイスホームランだわ」
ナイスやないホームランがあるんやろか? 0-10で負けてる時とか?
こんな感じで早苗の解説を聞きながら6回が始まると、投手交代のお知らせがあった。
「ここで市川君にリリーフね。点差を考えると随分贅沢な継投だわ」
「良かった。点を取られなくて」
解説の早苗さんの言葉を無視して、綾がしみじみと言った。
「この状況だったら1点ぐらい取られても気にしないピッチングをして良いのだけれど、遠山君は軟投派だから、特に点差を気にせずいつも通りに投げているのかもしれないわね」
相変わらず早苗の呪文はわからないが、遠山君が試合からいなくなってから、私たちは純粋に我が校を応援することができた。早苗は知らん。
そして試合は8回の途中で急に終わった。なんで? サヨナラ?
「7点差がついたからコールドね。コールドの場合サヨナラタイムリーとは言わないの」
とにかくこの試合は勝ったらしい。明後日の試合も勝って甲子園に連れて行って欲しいもんやね。そして、応援する選手がおったら普段よりおもろいな、と思った。綾は途中までそれどころじゃなかったぽいけど、今は凄く笑ってる。この輝く笑顔。これはモテますわ。




