13.山條彰
夏の大会が始まった。毎年この夏は是非甲子園に行きたいと思うのだけれど、今年は特にその想いが強い。投手陣、野手陣どちらも甲子園でも上位に食い込むための戦力が揃っている。揃いすぎていると言ってもいい程だ。しかも主力にけが持ちがいない。これで甲子園まで至らなければ完全に俺の責任だ。
だからといって一戦一戦を漫然と戦うわけには行かない。選手の疲労を抑えたり、対戦相手を分析して作戦を練るのは当たり前のことだ。その大きな要素のひとつが投手運用だ。もちろん市川と久慈を使えばそれなりに勝てるだろう。だが今年はそのふたりに加えて遠山という切り札がある。左の強力なアンダースローの選手で、しかもそれを俺はこれまで他所に隠し続けることができた。うちに偵察にきた学校はブルペンにいる遠山の存在を知ったかもしれない。だが彼がどれほどの投手なのかは知らないはずだ。この切り札をどこで表に出すかが戦略の大きなポイントになる。
春の大会でベスト4に入っているからウチはシードされており1回戦はない。もっとも京都大会では1回戦がある学校の方が少ないが。そして組み合わせにも恵まれたので、同じブロックにシードから外れた強豪校が紛れ込んでもいない。つまり準々決勝までは前評判の良いチームとは当たらない。当然ながら油断は禁物だが最初の3戦で調子を整えて、控えの選手も使いながら本番の準々決勝以降に備えるというのが大きな方針になる。
初戦に士野を先発させるのは確定。3年生の3人より実力は落ちるが、来年のためにも実戦を経験させておきたい。とは言えビハインドでもしたら即座に替えるだろう。
そして遠山。2回戦でこの鬼札を使おう。ウチに実戦に投入可能な左のアンダースローがいることは、比較的早めに表にしても問題ない。むしろ見せた方が良いと思う。決勝まで温存して大量点を取られでもしたら目も当てられない。そんな一か八かの状況で切り札を切る勇気は俺にはない。そして秘密兵器が最後まで秘密のままで終わるほど無意味なことはない。2回戦でお披露目しても決勝まで10日程しかない。その間に付け焼刃のアンダースローの研究をしてもらうのも良いだろう。左のアンダースローなんか用意できないに決まってるので、机上の空論、大した対策は捕れないはずだ。
よし、遠山は2戦目に先発させる。初戦も2戦目も相手打線に捉まりかけたら市川か久慈を投入すれば良い。その見極めだけはしっかりしないといけない。エースクラスが3人いるとは言っても球数制限は当然気にしておかないといけない。よしまずは京都を取る。それは絶対だ。
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「ダイキ、緊張してる?」
練習が終わり一塁側ベンチでプレイボールをを待つ時間、オレの問いかけにダイキが余裕をもって返す
「まあ、そこそこ」
あまり緊張している様子はない、とは言ってもダイキが高校に入ってから公式戦に出るのは初めてのはずだ。オレだって2年の秋に初めて公式戦にファーストで出た時は緊張した。ピッチャーにはそれ以上のプレッシャーがかかるはずだ。そしてさっきダイキが投球練習をしている間、客席がざわざわしていた。アンダースロー。しかも左。それがいかに珍しいかを知っている観客だろう。
実際俺も左のアンダースローはダイキしか知らない。その一方でフィクションの世界には結構いる。つまり左のアンダースローは野球好きに取ってはそれだけでロマンの塊みたいなものや。ダイキがロマンの枠内に収まる選手ではないと思うけど。
「それくらいがいいかもね」
オレは口ではそう言ったが、一方では心配していた。不思議なもので緊張しすぎるのも良くないが、リラックスしすぎるのも良くない。少なくともオレはそう。ダイキは違うんかな?
「それより俺は打線が心配。初戦で士野は5イニングしか投げてないやん?」
5回で12点差のコールドやからな。そのどこが心配なんだろう? ダイキが話を続ける。
「それは士野がそこそこ打ってるからやけど、俺はまったく打てないから線になれない。それが怖いわ」
「気にすんなし。お前は打席で棒立ちしてても俺らが点を入れてやるわ。打席ではバントだけちゃんとしてくれたらええわ」
蜂谷が会話に割り込んできたところでサイレンが鳴った。変なフラグにならなければいいのだけれど。
初回の表の攻撃。その蜂谷が8球粘って一塁に歩いた。それを南波が丁寧に送って1死2塁。3番鹿苑寺の打球は左中間を割ったかに見えたが、懸命に走って手を伸ばしたレフトがダイレクトでもぎ取った。でも好プレイの後の緩みを見逃さず、レフトフライなのにタッグアップで3塁に進んでいる蜂谷は流石だ。おかげで攻撃の流れが途切れない。2死3塁、是非先制点を取って先発のダイキを楽にさせてやりたい。
オレはネクストで打席の権藤を応援していたのだけど、ボールを3つ選んだところで申告敬遠。どうやら先取点を取るのはオレの役目のようだ。
『5番、ファースト、山條君』
俺はスタンドで始まった『ルパン』を聞きながら打席に入った。内野も外野も定位置。このピッチャーの決め球はスライダー。ウチの久慈は左だけどスライダーが決め球の選手って結構いるよな。右投手だから左打者のオレから見たら内角にスライドしてくる。と言っても球速は大したことがない。初球は大きく外れてボール。相手投手はこれ以上ランナーを貯めたくなかったのかもしれないし、この初回に16球も投げているからかもしれない。2球目はちょうど打ちごろの球が俺に向かって飛んできたのでオレは思いっきりバットを振り抜いた。いい感触を残してボールが飛んで行く。
ツーアウトなので落ちれば確実に点が入る。一塁走者の権藤もスタートしているはずなのであわよくば2点。オレは打球から目を切って一塁にダッシュしていると、一塁コーチャーに入った望月が手を回しているのが目に入った。腕を大きく回すのではなくて指をたてて小さく回している。見ると外野からボールが返ってくる気配はない。一塁側のスタンドから大声援と拍手が聞こえてくる。
打球を確認しに行ったのだろう。一塁塁審も外野で指を回していた。
「入った?」
「入ったからさっさと一周して来いよ」
望月の声を聞き俺は小走りで二塁に向かった。ベンチに戻ったオレは皆に盛大に迎えられた。俺にとっての大会第1号ホームラン。
「さっすが山條さん。有言実行ですなあ」
プリンスと一緒に監督と何か話していたダイキがニヤニヤしながら近づいてきた。
「ダイキもちゃんと5回まで抑えてくれるんだよな?」
「さあ? 誰かさんのスリーランのせいで、監督にフォーシームとチェンジアップだけで行けるところまで行けって言われたからな。フォーシームが2種類、チェンジアップも2種類あるから、後は緩急とコントロールでなんとかなればええな」
ダイキはこの1年で多くの球種を身に着けた。沈む球だけでもシンカー、チェンジアップ、スプリット、カーブ、ナックルカーブ、スラーブを持っている。使いこなすのは難しいらしいけど、、ワンシームやノーシームも沈む球に含めてもええかもしれん。とにかくそれだけ球種を持っているのに、一番得意なサークルチェンジは解禁されているらしいからあまり気にならないのかもしれへん。
そんな話をしているうちに快音が聞こえたのでグランドを見た。久慈が一塁ベースを蹴って二塁へと走っていた。
「やべ、ネクスト行かなあかん」
プリンスが急いで用意をする。ちょうど脱ぎ終わったところで芝原がサードライナーでアウトになった。今の打球よう取ったな。サードの守備は気にしといた方がええかもな。でもプリンスは急いで脱いだばかりの防具を身に着ける。キャッチャーは着たり脱いだり大変やね。俺はファーストで良かったわ。
投球練習中もスタンドがざわついている。やはり左のアンダースローはインパクトが大きいわ。俺はダイキの実力を疑ってはいないけど、それでも公式戦初出場で初のマウンドや。府大会の3回戦とは言っても負けたらそれで終わり。さっき俺が打ったスリーランで楽に投げてくれたらええねんけど。
幸いなことに先頭バッターが三球三振してくれた。
「ナイピッ」
俺だけじゃなく内野全体でダイキに声をかける。このままいい感じにノって欲しい。ボール球を使わずゾーンで攻めて来ることがわかったからだろう。2番はショートゴロ、俺はファーストベースを踏みながらしっかりロックからの送球を捕球した。3番は初球をピッチャーフライ。ゴロを打たないように無理やり上げようとすると平凡なポップフライになってしまう。出だしは上々。でも相手はいろいろ試してくるチームみたいなので、油断はできないと思った。




