会戦
9話
ーーー帝国陸軍のミュンヘン歩兵師団に配属されてから半月が経った頃。遂にその日が来てしまった。
よく澄んだ青空の下で二つの集団が数百メートルの距離を保って対峙している。
出来る事なら今すぐにでもこの場から逃げ出したい。
徴兵された日からこうなる事は理解していたはずなのに、今は何故か足の震えが止まらないのだ。
俺は綺麗な三列横隊を組んだ共和国軍を呆然と眺めていた。
共和国軍も似たような布陣だとは思うが、帝国軍の布陣は正面に三列横隊を組んだ歩兵が配置され、そのすぐ後ろに補充用の歩兵や太鼓を持った兵が整列し、最後尾には騎兵や砲兵が控えているといった感じだ。
その中で俺の位置は最前列の丁度真ん中である。
冷たい冬の風が頬をかすめているにもかかわらず、背中は汗で濡れていた。
「進め!」
そして指揮官の号令と共に軽快なリズムで太鼓が鳴ると俺達は足並みを揃えて行進を始めた。
共和国軍の戦列も同じように動き出し、それに合わせて両軍のカノン砲が火を噴く。
共和国軍が撃った砲弾は地面に着弾すると土煙をあげて大きくバウンドし、戦列の一部をなぎ倒すが、後ろに控えていた歩兵達が直ぐに穴を塞ぎ戦列は何事も無かったかの様に行進を続ける。
一歩足を踏み出すごとに自ら死に近づいていく様な感覚に陥るが、足を止めるわけにはいかない。
足を止めたら戦列の横から監視している下士官に斬り殺されてしまう。
戦列を組む理由はマスケット銃を効率よく運用するという意外にも歩兵が逃げ出さない為に監視するという理由もあるのだ。
もう祈る事しか出来ない。
徐々に敵戦列との間隔が詰まってゆき敵兵の白目が見える距離まで接近すると、号令が耳に入った。
「止まれ!」
全員が一斉に停止する。
「構え!」
担いでいたマスケット銃を敵戦列に向けて構える。
訓練とは違う本物の共和国兵に銃を向ける自分の手は僅かに震えていた。
「撃て!!」
そして、遂に撃ち合いの火蓋が切って落とされる。
一列目の歩兵が引き金を引くと轟音と共に辺りを白煙が覆い、次の瞬間には共和国軍の射撃も始まった。
隣にいた歩兵が頭から血飛沫をあげて倒れると自分じゃなくて良かったと思ってしまう。
所詮戦列歩兵が生き残れるかどうかは運だ。
運の良かった一列目の歩兵達は銃に弾を込め、号令に合わせて再び敵に向けて引き金を引く。
少し感覚が麻痺してきたのか最初に感じた震えは幾分マシになっていた。
周りでは砲弾や銃弾に当たった歩兵がバタバタ倒れていくが見える。
次の瞬間には自分がああなっても不思議ではない。
それから何度か装填と射撃を繰り返した後、新たな号令が戦場に響いた。
「着剣!」
見ると共和国軍の戦列は僅かに崩れかかっている。
「突撃!」
「「「ウォォォーー!!」」」
号令がかかると全員が雄叫びを挙げて駆け出していく。
共和国軍の一斉射撃で前の方を走っていた歩兵が数人倒れたが、生き残った者はそれを踏み越えて敵に銃剣を突き刺す。
遂に敵味方が入り乱れての白兵戦が始まった。
皆、銃剣で敵を突き刺し、銃床で倒れた敵の顔面を何度も殴りつける。
戦場に理性などは存在しない。ただ暴力と狂気がこの場を支配していた。
「ウラァァァーーー!!」
俺も銃を握る手に力を込めて目の前にいた敵兵の腹部に銃剣を突き刺し、ひねる。
「……グハッ」
腹部を貫かれた敵兵は口から血を吐き、苦悶の表情を浮かべながらその場に倒れ込んだ。
銃剣という武器は突き刺してからひねりを加える事で内蔵に深刻なダメージを与えられるのだ。医療技術が余り発達していない世界でその傷は致命的だろう。
せめてもの情けとして頸動脈を銃剣で切り裂き、止めを差す。
「悪い……」
ぴくりとも動かなくなった敵兵に向けてそう呟くだけで精一杯だった。
戦いは既に統制を失った共和国軍の歩兵が敗走を始め、それを帝国軍の騎兵が追撃しているといった展開になっている。
この時点で勝負はついた。
しかし、無事に生き残った五体満足の帝国兵にはまだ山のように仕事が残っている。
投降してきた捕虜の移送や助かる見込みのある負傷者の救助、そして手の施しようが無い者には敵味方を問わず止めを差すのだ。
「貴方は……その、何か最後に何か希望はありますか?」
俺は腹から血を流して倒れている三十代くらいの帝国兵にそう尋ねた。
目の前の男は残念ながら助からない。
救助する基準は腹部を負傷していないかどうかだ。
手や足の負傷なら切り落とせば命だけは助かるが、内蔵の損傷はどうしようもない。
だから軍医も腹部を負傷した兵士は放置する。
酷いと思うかもしれないが、軍医は膨大な数の負傷者を治療しなければならなず、助かる見込みが少ない者に治療を施す余裕は無いのだ。
「み……水を一杯くれ」
男は震える手をこちらに伸ばしながらそう懇願する。
「分かりました」
自分の水筒を差し出すと男はそれを飲んで掠れるような声で言った。
「……ありがとう……さあ、早く頼む」
「こんな事しか出来ずに……本当にすいません」
俺は銃に弾を込めて男に向ける。
「気にするな……せいぜい俺の分まで生きてくれ」
「はい……」
引き金を引いて止めを差す。
この作業に俺の精神は悲鳴を挙げていた。
胃の中の物がこみ上げてくるのを我慢出来ず、俺はその場で吐いてしまう。
「クソッ……もう、一体何なんだよ」
地面にうずくまって口を押さえる。精神が弱り切っているのが自分でも分かった。
「おい……ルーカス、お前……生きてたんだな」
その時突然、聞き覚えのある声が聞こえた。
「エアハルト……」
顔を上げるとそこには五体満足のエアハルトが立っていた。
「お前……顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
彼はそう言って俺に手を差し伸べる。
今まで頭の片隅にあった不安の一つが晴れた。最悪の状況も想定していたが、特に怪我もしていなさそうなので安心する。
「お前も人のことは言えないぞ……」
「……確かにお互い様だよな」
「生きてて嬉しいよ」
「俺もだ」
俺達は素直に再会を喜んだ。
「そうだエアハルト、マルクとザームエルは見かけたか?」
そして、俺はもう一つの気になっている事を尋ねた。
「ああ……マルクの方はさっき見かけたから大丈夫だ。だけど、ザームエルは……」
彼はそこで口ごもる。
「まさか、死んだのか……」
「いや、命はだけは助かった。でも脚に銃弾が当たって歩けないらしい……近い内に家族の元へ送還されるって話だ」
「そうか……」
死ななかったのは良かったが、これでは素直に喜べない。
あいつにとって、本当の苦しみが始まるのはここからなのだ。
「後で一緒に見舞いに行ってやろう」
「分かった……」
俺は力無く頷いた。
一体、この戦争はいつまで続くのだろう。
折り重なるように沢山の死体が転がっている平原を見て、そう思わずにはいられなかった。




