戦争の足音
7話
辺りがすっかり暗くなった頃、俺の緊張は最高潮に達していた。
「マルク、急げ!」
エアハルトが食料庫の扉をピッキングで開けようとしているマルクという茶髪の青年をせかす。
「もうちょっとで開くと思うよ」
既にピッキングが始まってから約十分が経過している。この世界に生まれてから十分間をこれほど長く感じたのは初めてだ。
そろそろ緊張で俺も我慢の限界が近づいてきたのだが、扉が開く気配は一向にない。
そして更に状況は悪くなる。
「……おい、ヤバぇぞ。教官がこっちに近づいてくる」
廊下の角で見張りをしていた仲間の一人であるザームエルが上擦った声でそう伝えてきた。
「おいっ、マルク急げ……!」
エアハルトも焦っているのか顔が若干ひきつっている。
「大丈夫だって、そう慌てるなよ」
マルクは余裕の表情でそう答えるが、既に廊下からはギシギシという足音がこちら近づいてくる。
「ヤバぇ、ヤバぇぞ……もうそこまで来てる!」
「マルク、まだか!」
絶対絶命だと思われたその時、扉からカチャリという音が聞こえた。
「……ほら、開いたよ」
「良し! ルーカス、ザームエル、早く入れ!」
「助かった」
「おう」
そして全員が中に入ると直ぐに扉を閉める。
暫くして扉越しに教官の足音が通り過ぎていくのが分かった。
「し……死ぬかと思った」
エアハルトが呼吸を荒らげながらそう言った。
「ああ、間一髪だったな……」
俺も額の汗を拭いながら答える。
「僕は中々スリルがあって面白かったんだけどなぁ〜〜」
そんな中でマルクだけがヘらへらと笑いながら、扉の前で座り込んでいる俺達を見下ろしている。
「この野郎!! 時間が掛かりす……ウゥ」
ザームエルが思わず怒鳴りそうになるが、エアハルトが直ぐに彼の口を抑えた。
「バカ、大きな声を出すな」
「す……すまん」
「まあ、まあ、ここまで来れば成功したも同然じゃん、落ち着いて乾杯でもしようよ」
マルクはそう言うと近くの木箱からワインを取り出した。
「お前なぁ……」
エアハルトが呆れているがマルクはそんな事は気にもせずに栓を抜いて中身を飲む。
「うん、特別美味いわけじゃないけど中々良いよ」
そうやって目の前で美味しそうに飲まれると無性に飲みたくなってしまう。
「ハァ……しょうがない、皆一口飲んだら作業に取りかかるぞ」
エアハルトがマルクから酒瓶を奪って全員で回し飲みする。
それから数分間、俺達は中で飲み食いをしてから、少量の戦利品と共に食料庫を後にした。
「こんな事して本当にバレねぇのかよ」
途中で意外と小心者のザームエルが心配そうな顔をして聞いてきたが、それなら問題はない。
「大丈夫だよ、上官達だって食料を不正に横流ししてるんだから多少減った所で誰も気づかないよ〜〜」
マルクが能天気な声でそう説明する。
「何だ、そうだったのか。心配して損したぜ」
「君って体が大きい割には小心者だもんね」
「う、うるせえな」
「あ、怒った?」
こんな二人のやり取りを見ていると何だか微笑ましく感じてしまう。
そう言えばこの世界で、友人と呼べる程に親しくなった同年代は初めてかもしれない。
出会った切っ掛けが徴兵なのは複雑だが……
「なあ、ルーカス」
不意にエアハルトが声を掛けてきた。
「どうした」
「このまま戦争が終われば良いのにって思わないか?」
そう聞いてきた彼の顔は何処か哀しそうだった。
「勿論そう思うけど、急にどうしたんだ?」
「いや……家で待ってる家族の事を思い出してな」
「そうか、家族がいるのか……」
「お前は?」
「俺は家族を捨てた」
「すまん……悪い事を聞いたな」
「いや、別に気にして無いから良い」
「お前とはもっと別の場所で会いたかったな、もし死んだら墓穴くらいは掘ってやるから安心しろ」
彼の言葉に俺は思わず突っ込みを入れた。
「おい、おい、そこはもっと気の利いた事を言ってくれよ」
「良いじゃないか。野ざらしよりはマシだろ」
「まあ、確かにな」
そして俺達は互いに肩を叩き合った。
その頃ーーー帝都ベルンシュタットでは軍の上層部が憤激していた。
「何だと! 貴様らはまだ共和国軍を止めることが出来んのか!」
沢山の勲章が付いた軍服を着た老人が、報告に来た若い将校に怒鳴り散らしている。
「はい、我々の反撃も虚しく既に共和国軍はエーベル川を越えました。このままの速度で進軍されると年内にもアルタニア平原は共和国の手に落ちるか
と……」
「黙れ!!」
軍服の老人は顔を真っ赤にしながら若い将校を殴り倒す。
「グッ……」
「貴様の上官に更迭だと伝えろ!! それと増援に出したハンブルク擲弾兵大隊とブレーメン歩兵連隊は何をやっているのだ!!」
「……閣下、ハンブルク擲弾兵大隊及びブレーメン歩兵連隊は壊滅しました」
その瞬間、その場の空気が凍りついた。
「何……壊滅だと」
「はい、ハンブルク擲弾兵大隊のジークムント・フォン・エルンスト小佐は捕虜に、ブレーメン歩兵連隊のルッツ・フォン・キンケル大佐は戦死しました」
「馬鹿な……有り得ん! 両方とも三十年前の戦争で活躍した部隊だぞ!」
「しかし閣下、兵は三十年前と別物です」
「そんな事は言われなくとも分かっておる! 直ぐに近衛歩兵連隊とミュンヘン歩兵師団を召集しろ!」
軍服の老人は鷹の様に鋭い目で若い将校を睨みつける。
「か……閣下……しかし」
「ええぃ黙れ!! もう無能な貴様らには任せておけんと言っておるのだ!! 次は儂が直接指揮を取る、あの忌々しい共和国をこれ以上好き勝手にはさせん!!」
そしてーーー徴兵されてから約一ヶ月が経った頃、俺達新兵はマスケット銃を肩に担ぎ、軍服を着て整列していた。
黒い帽子に紺色の上着と白いズボン。如何にも戦列歩兵らしい服装だ。
遂に俺達も戦場へ駆り出される事になった。
厳つい教官が配属先を伝える。
「お前達は本日付けでハルトヴィン・フォン・ザイツィンガー大将が指揮をされるミュンヘン歩兵師団に配属される事が決まった。ザイツィンガー大将は三十年前の戦争でも活躍した偉大な将軍であり、その指揮下で戦える事は大変な名誉である。お前達が帝国陸軍の名に恥じない戦いをする事を期待する。以上だ。」
戦争は直ぐそこまで迫っていた。




