不穏
5話
アパートの外に出ると冷たい風が頬をかすめる。
この国にもそろそろ冬が近づいてきた様だ。
この世界の冬は厳しい。地方から来た労働者が、最初に直面する試練は就職できるかどうかである。しかし最大の試練は冬を乗り切れるかどうかだ。
仕事に溢れた蓄えの無い者はもうすぐやってくる凍えるような吹雪の前に残らず駆逐されるだろう。
去年の冬も路上に座り込んだまま固くなった人間を何人か見かけたものだ。
俺もあの工場に雇って貰えなかったら同じ様な運命を辿っていたかもしれない。
通りを歩く人の顔もこれから来る本格的な寒さを前に浮かない表情をしている。日本の様に雪が降ったと言って興奮するような人間はこの世界にはいないのだ。
そしてパーカッション式だが、街の北で精神的に打ちのめされたあの日から数ヶ月たった現在でも出資者は得られていない。
街の有力者には既に片っ端から接触を計っているが、残念な事に結果は大半が門前払いだ。
貧乏な労働者など彼らからすれば家畜のような存在なのだろう。
いっそこの街に共産主義思想でも広めたら面白い事になるかもしれない……と思ってしまう。
まあ、流石に本気でやろうとは思っていないが。
少なくとも今の所は……
それとこの数ヶ月間で何か変わった事と言えば工場が休日も操業を開始したのと、俺も銃の製造に携われるようになった事だ。
休日の操業はその分の給料が出るのでこちらとしても有り難い。大方隣国との戦争でも始まったのだろう。
今の工場は新しい工員も増えて早朝から夕方までフル稼働で銃や紙薬莢を量産している戦争特需の状態だ。
あの社長はこの程度でも笑いが止まらないだろう。だが俺は不満しか感じない。
今、パーカッション式があればこんな物とは比べものにならない程の大儲けが出来たのだ。
そう考えると本当にやるせない気分になってしまう。
「報われないなぁ……」
そんな事を呟きながら工場の門をくぐると世間話をしていた髭面の先輩と長身の先輩がこちらに気づいた。
「よう、ルーカス」
「お早う」
俺を応援してくれるのはこの人達だけだ。俺も軽く挨拶を済ますと会話に加わる。
「相変わらずこの工場は景気が良いみたいですけど相手は何処の国だと思いますか?」
「恐らく共和国だろうという噂は聞いたぞ」
「懲りねぇなぁ、北の奴らさえ動かなきゃ勝てるだろ」
「あの引きこもり達は今回も動かないんじゃないか」
「そうだよなぁ」
「ああ、あとこれも噂だが……」
こうやって始業時間まで先輩達と情報収集を兼ねた会話をするのが毎日の日課である。マスメディアが発達していないこの世界ではこの様な噂話がその機能を果たしているのだ。
尤も情報の信頼性が低いことには目を瞑らなければならないが。
そして噂話が給料を上げない社長の愚痴に変わった所で仕事場に始業を告げる鐘の音が響きわたっ
た。
「始まりましたね……」
「全く、これからが本題だってのによ」
「仕方がない、続きは終わってからだ」
そして俺は先輩達と別れると俺は銃床を削る作業を始めた。
しかしーーーその頃、遙か西の平原では帝国軍が苦戦を強いられていた。
それは戦列歩兵同士の撃ち合いに、終わりが見え始めた時だ。
「ほ……方陣だ……方陣を組め! 我々が……我々ハンブルク擲弾兵大隊が負ける事などあってはならないのだ!」
帝国陸軍の指揮官が狼狽した声でそう叫んだ。
指揮官の目には戦列の両側面から長槍を構えた共和国軍の騎兵隊が一斉に突っ込んでくる光景が写っている。
三列横隊の戦列も決して万能では無い。撃ち合いで戦列が乱れた頃合いを見計らって、機動力に勝る騎兵で側面や背面に回り込まれる可能性もあるの
だ。
だが対処法はある。
その様な状況に陥った指揮官は歩兵達に方陣を組ませて着剣したマスケット銃で四方に槍衾を作るのが最善の策だろう。
何故ならマスケット銃は着剣する事で約二メートルの短槍に変わり、更に方陣を組ませて弱点の背面を無くせば騎兵も容易に手が出せなくなるからだ。
そこまで出来れば一般的な指揮官としては及第点だろう。
しかし、今回はそれだけでは甘かったと言わざるを得ない。
その戦術が効果的なのは銃やサーベルで武装した胸甲騎兵や竜騎兵である、だが今、目の前にいる敵は長槍を構えた槍騎兵なのだ。
長槍と着剣した銃、どちらがより長いかは一目瞭然である。
方陣を組んだ帝国兵達は着剣したマスケット銃を突きだして必死に応戦するが、一人、また一人と長槍で突き殺されていく。
この時点で既に勝負は着いていた。
方陣は崩され帝国兵達は為す術もなく蹂躙されていく。
そして戦意を失った指揮官の降伏でこの戦いは幕を閉じた。
「何と脆い……これが三十年前にエーベル川で我々を破った忌々しい帝国軍だと言うのか」
戦いの終わった平原で立派な白い髭を蓄えた共和国軍の指揮官が興ざめといった様子で呟いた。
「閣下、やはりこの三十年で帝国軍が弱体化したと言う話は本当だったようですね」
傍に控えていた黒髪の若い副官も呆れた表情で戦場を見渡す。
「この調子なら年内には平原を奪還出来るな」
「はい、南部担当のフランドル師団も順調に進軍していますので、年末は家族とゆっくり過ごせそうです」
「そうだな、戦いは早く終わる方が良い」
そう言って共和国軍の指揮官は何処か遠くを眺めながら自分の髭を触った。
「全く同感です、また十年以上も戦争を続けたら今度こそ二度目の革命が起きますよ」
「そうなれば我々は断頭台へ送られるだろうな」
「ええ、確実に」
「それは恐ろしい」
「とてもそう思っているようには見えませんが」
「顔に出さないだけだ……誰だって死は怖い」
「そうですか」
「まあ良いさ、それと今夜は少し飲まないか、可愛い息子の話でも聞かせてくれ」
「そう仰るのなら喜んで」
そう言って二人は馬に乗るとゆっくりと陣地へ戻っていった。




