希望は捨てない
4話
ライブルクは帝都ベルンシュタットから南に少し離れた位置に存在する大きな街だ。
中心部には行政施設や中産階級が暮らすアパートが立ち並び、街の北側に向かうにつれて高級商店や富裕層の住宅が多くなる。
因みに俺が生活している場所は南側の貧困層や地方から来た労働者が多い地域だ。
恐らく貴族などの富裕層からしたら中心部の住民は取るに足らない存在で、南側の住民などは家畜のようにしか思っていないのだろう。
街の北側の通りを歩いているとそれが良く分か
る。
「ハァ……ここも駄目か」
俺はパーカッション式マスケット銃の設計図を握りしめながら溜息をついた。
この銃に投資してくれそうな人を探しに街の北側までやってきたのだが誰も相手をしてくれない。
一応、身嗜みにも気を使って長身の先輩から借りた一番まともな服を着てきたんだが……
やはり袖のつぎあてが不味かったのだろうか。
つぎのある服など南側や中心部では普通の服装だが貴族も多いこの地域では明らかに浮いている。
偶にすれ違った燕尾服姿の紳士や煌びやかな服の貴婦人達から白い目で見られるのも気のせいでは無いのかもしれない。
「世知辛い世の中だなぁ……」
現実を前にして思わずそう呟いてしまう。
しかしよく考えてみれば前世も似たような物かもしれない。ボロボロの服を着たホームレスが世の中に売り出だせば大ヒット間違い無しの商品を売り込みに来ても普通の人なら軽くあしらって終わってしまうだろう。
人は見た目じゃないと言う言葉は今の俺には慰めにもならない。
先輩達に励まされて何とか立ち直れたが中々上手くいかないものだ。御馳走の前で待てと言われる犬もこんな気分なのだろうかと思ってしまう。
北で精神的に打ちのめされて昼でも薄暗いボロアパートの一室に帰ると猛烈に悔しさがこみ上げてきた。
所詮蛙の子は蛙なのだ。この国は低い階級に生まれた人間が這い上がれ無いような社会構造になっている。
貴族の家に生まれたというだけで国民の税金を使って毎日の様に贅沢三昧している馬鹿がいる中で大多数の労働者は生きるために必死に働いているのだ。
余り詳しくは知らないがお隣のラテリア共和国が半世紀前に起きた革命で王政を打倒して貴族を処刑した理由も納得できる。
「クソッ! 考えるだけで気分が悪くなる」
悪態をつきながら部屋の扉を思いっきり閉めると軋むような音と共に天井から降ってきた埃が自分の頭を灰色に染めた。
そう言えば普段からこの部屋の掃除などまともにした事がなかったのを思い出す。
「どうしたんだ……そんなに興奮して」
そんな埃だらけの俺を見て窓辺で本を読んでいたアルバンという三十代の同居人が怪訝そうに尋ねてきた。
「アルバンさん、その……すいません」
埃を被って頭を冷やした俺は素直に謝る。
「構わんさ、落ち着いたなら良い」
彼は謝罪を受け取ると頷いてから再度小さな窓から差し込む日の光で本を読み始めた。
「アルバンさんは悔しいとは思いませんか?」
その姿を見て俺は思わずそう尋ねた。
「悔しいとはどういう意味だね」
「この世界の事ですよ。国や貴族や社会体制に対して何も感じないんですか?」
日本で過ごした記憶があるからこそ、そう感じてしまう。
「若いくせに難しいことを聞くな……確かに私も全く不満がないと言えば嘘になる。しかしルーカスよ、仮にそう感じていたとして何か変わるのか?」
そう語る彼の表情には何処か諦めのようなものを感じる。
「当たり前じゃないですか。俺はこの理不尽な世の中に納得がいきません。そう思っている人は多いと思います。その人達が力を合わせればこの国も何れは……」
しかし全てを言い切る前にそれは遮られる。
「馬鹿な事を言うもんじゃない。無力な貧乏人が何かした所で何も変わりはしないのだよ、だからお前も難しい事を考えるのは止せ……まあ、今は分からなくても何れは意味が分かるさ……」
彼はそう言うと深く溜息をついて疲れたような青い瞳で俺を見つめる。
「……」
居心地が悪くなった俺は少し濁ったその瞳から逃げる様に帰ってきたばかりのアパートを飛び出し
た。
頭の中には先ほど言われた言葉が響いている。
アルバンの答えは今は一番聞きたくないものだった。
何故あの様な愚かな質問をしてしまったのかと後悔している。
確かに彼のように全てを諦めてしまえば楽になるかもしれない。しかし此処で終わってしまうのは……こんな世界に負けてしまうのは嫌だった。
「俺は勝つんだ……俺は勝つんだ……俺は……」
そう呟いて自分を鼓舞するが北で散々打ちのめされた感情は既に限界が近づいていた。自分の両目が熱くなっているのが分かる。
俺は俯きながら早足で落ち込んだ時によく行く場所へ向かおうとしたが、狭い路地の曲がり角で誰かにぶつかってしまう。
「キャッ……」
可愛らしい悲鳴と共に小柄な少女がその場に倒れるのが視界の端に写る。
「悪い……」
目を反らして絞り出すような声で謝罪を済ませると、俺はそのまま通りに出て人混みの中に紛れこ
む。
突き飛ばしておいてこの態度は我ながら酷いと思うが、今の俺には他人に構っていられる程の余裕は無いのだ。
逃げるように通りを西へ移動して橋を渡り、街の外れの丘へと登る。
そして丘の頂上から見える街の景色を眺めながら溢れ出る悔しさに涙を流した。
いつまで泣いていたかなんて覚えてはいない。
気づけば空は橙色に染まり夕日が俺の背中を照らしていた。何だか数日前にも似たような光景を見た気がする。
俺は視線を下げて煉瓦造りの工場を見下ろす。
「ハハハ……」
休日で人気のない工場を見てつい笑ってしまっ
た。
そろそろ帰らねばならない。
手で涙を拭って立ち上がると妙に清々しかった。
まだ諦めるつもりは微塵もない。アルバンにはああ言われたが応援してくれる人もいるのだ。
俺は次の計画を練りながらゆっくりと帰路に就いた。




