血塗れの記憶
27話
今日は実にいい天気だ。
大きく息を吸い、乾いた空気を肺一杯に取り込んだ。
「それにしても、ここからの眺めは最高だな」
フレッセル要塞の見張り台から見下ろす街路では、豆粒大の市民兵の隊列や荷馬車が忙しなく西へ向かっているのが見える。
あちらでは相変わらず戦闘が続いてるようで、無数の黒煙が澄んだ秋晴れの空にのぼっていた。
「サム……お前よく平気でいられるな……ここちょっと高すぎやしないか? 流石に怖いぜ……」
振り返ると、ロイクはため息を吐きながら首を横に振った。心なしか若干顔が土色になっている。
「何言ってんだ、今まで俺たちが潜り抜けた修羅場に比べりゃ楽な仕事だろ」
「まあ……そうなんだが」
「なんにせよ、配置転換が決まったのは運がよかった。少しタイミングが良すぎる気がしないでもないがな」
「確かに、またこの要塞に戻ってくるなんてな」
あの下水道での記憶が浮かび上がる。
攻め落とす側からすれば厄介極まりない要塞であったが、逆の立場からすれば頼もしいことこの上ない。
現状、首都で一番安全な場所は間違いなくここだろう。
「しかし、なんでこっちの連中は攻めてこないんだ。そんなにフレッセル要塞が怖いのか?」
ロイクが指を指した先、東の市門から1キロほど離れた小高い丘の上には国王軍の隊列が陣取っている。
三日前の朝、奴らが姿を現したときはついに戦闘かと覚悟を決めたものだが、蓋を開けてみれば全く攻めてくる気配がない。
大砲の筒先こそこちらにむけているが、現在に至るまで威嚇射撃の一発すらない。こうなると拍子抜けを通り越していささか奇妙にすら思えてくる。
「……真意はわからんが、攻められないというより、意図的に時間稼ぎをしているような印象だ」
「それをやって何か連中の得になるのか……?」
「少なくとも、国王側の視点から考えるなら、得どころか害にしかならない。こうしている間にも西側を攻略している国王軍の負担は増すわけだからな」
「じゃあ一体なぜ……」
「もしかしたら……国王側も一枚岩じゃないのかもしれん。この戦争……きな臭くなってきたな」
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秋晴れの空の下、褐色の馬が荒野を駆けている。
馬が国王軍の野営地に到着すると、馬上の将校は呑気な顔で自分を眺める歩哨を見つけ、怒りで顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「アキテーヌ歩兵師団所属のジョフロアだ! 今すぐペラン将軍の元に案内したまえ!」
歩哨はびくりと背筋を伸ばし、将校をテントの前まで連れてゆく。
「ここでしばらくお待ちくだせぇ……今取り次ぎを……あ、ちょっと……」
「時間がない! 邪魔するな!」
「6、6、6、J、J……よしッ! フルハウスだ!」
「ハハハ……閣下は相変わらずお強いですな。もう私は賭けるものがありませんぞ」
将官用の立派なテントの中では、ペラン将軍以下参謀将校たちがカードゲームに興じていた。
「ペラン将軍! これは一体どういうことですか!」
歩哨の制止を振り切った将校が叫ぶと、参謀たちの視線が一ヶ所に集まった。
ペラン将軍は口髭をいじりながらゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。
「見てわからんかね、戦いに備えて英気を養っておるのだよ」
「何をおっしゃっているのですか! 戦いはとっくに始まっています。今こうしている間にも街の西側では仲間が死んでいるのですよ! なのに貴官はなぜ軍を動かさないのです!?」
「こんな民衆反乱如きを戦いとは呼ばんよ。我々はもっと大きなことを見据えて行動しておる。まあ、西側は西側のやり方で勝手にやればよろしかろう」
「な……何を勝手な!」
「ラファルグ軍務卿閣下に告発するかね……かまわんよ。もっとも、今私を排除しようとすれば私を慕う派閥の皆が黙ってはいないだろうがな」
ペラン将軍は唇を吊り上げ、鼻で笑った。
将校はそれを見て、肩を落とす。
「ペラン将軍……貴官には失望しました。貴方に……国を憂う心がわずかでも残っていると期待した私が愚かだったようですね……」
「……」
将校が去った後、ペラン将軍は参謀たちを下がらせた。
一人テントの中で、テーブルに散らばったカードを寄せ集める。
「なんとでも言うがいいさ……いくら取り繕おうが、俺は薄汚い卑劣漢だよ。あの日からずっとな……」
将軍は集めた手札に目を向けた。
「今日はいやに運がある……」
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「探したぞペイネ……ここにいたのか」
高い城壁に囲まれた一画、ここは日が遮られ、陰鬱な雰囲気が漂っている。
「いい場所でしょう、俺のお気に入りなんでさぁ」
城壁に寄りかかり、ピストルの手入れをしていた男が口を開いた。
「確かに静かで世間の喧騒からは離れられそうだが、あまり長居したい場所ではないな」
「そりゃ残念……それはそうと、配置転換の件は感謝しますぜ。これでもう少しだけ羽を伸ばせそうでさぁ」
「造作もないことだ、礼には値しない」
この男の利用価値を考えればこれくらいは当然だ。もし戦場に出して万が一のことがあれば、あの方の計画にも影響が出てしまう。
事態が動くまでは嫌でもこの要塞に引っ込んでいてもらうつもりだ。
「旦那も相変わらずですねぇ……で、要件はアレについてですかい」
「そうだ……」
「デュフレーヌ閣下も物好きな方だ、世の中知らなくていいことも沢山あるんですがね……いや、だからこそかもしれねぇか」
ペイネはそう言って懐からカビの生えた羊皮紙を取り出した。
「要塞の文書保管庫から見つけたもんです。あの攻城戦の後、俺がここを漁った時には重要書類のほとんどは処分されちまっていましたがね……こいつだけ運よく本棚の隙間に落っこってたってわけでさぁ」
受け取った羊皮紙をじっと見つめてみる。
「そんな一生懸命見ても、俺たちじゃ一生かかったってわからんと思いますぜ」
「……そうらしいな」
ペイネに背を向けてこの場から立ち去ろうとした時、声をかけられた。
「もう行くんですかい……?」
振り返らずに答える。
「ああ」
「行く前に……俺の昔話でも聞いて行ってくだせぇ。旦那とは長い付き合いになりそうな気がするんでね、少なくとも、これは聞いて損になる話じゃありませんぜ」
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「なるべく手短にな……」
ゲルシェの旦那がこちらを振り返る。
どうやら食いついたようだ。
「旦那、まずそこの壁を見てくだせぇ……」
「これは……弾痕か……もっとも、ここは射撃場だから当然だろう」
「昔この射撃場が、軍規違反者の処刑場だったことはご存知ですかい?」
「ああ、実際に処刑する瞬間を見たことはないが、話には聞いている。あの悪名高いフレッセル軍事法廷のこともな」
「フレッセル軍事法廷……懐かしい響きだ。俺はね旦那、昔この要塞で銃殺隊を指揮していたんでさぁ」
「銃殺隊……だと」
「そう、当時は毎日いろんな連中がここに引っ立てられていやした。娼婦に暴行した兵卒から、権力闘争に敗れた将官まで、有罪となった連中には平等に鉛玉を撃ち込んでやったもんです」
脳裏にあの頃の記憶が蘇る。
泣き叫ぶ者、神に祈りを捧げる者、愛する人の名前を呟く者。そんな連中が俺の合図で蜂の巣になる光景、流れる血、飛び散る肉片……背筋に走るあの感覚。
今となっては全てが懐かしい。
「……」
「そんなある日のことでさぁ……この要塞で働く文書管理官の一人が逮捕されたんです。俺はそいつと仲が良かったもんだからびっくりしちまって、いろいろ手を回してようやく処刑の前夜に格子越しで二人っきりで話したんでさぁ。そいつ、ひどく拷問を受けていて、パッと見ただけでは誰だかわからんほど変わり果てていたんですが、話してみると誰かに嵌められたようだと分かったんですわ。そこでです、復讐のために俺に秘密を教えてくれたんでさぁ……」
「……続けろ」
「そいつが言うには「自分が死んだら右の太腿を切れ」と。訳がわからんかったんですが、処刑後、言う通りに死体安置所で右太腿を切り開いてみると、中から厳重に梱包されたこいつが出てきたんでさぁ」
そう言って、俺は懐からもう一枚の羊皮紙を取り出した。
「そ……それは……?」
「おっと……流石に旦那にもこれは見せられませんぜ。こいつは俺の切り札でさぁ。デュフレーヌ閣下にお伝えくだせぇ……多分あんたの探してるもんはこれだってな」




