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戦列の華  作者: 砂城 桜
2章 バリケードの英雄
26/28

未来を捨てた男

26話


 西の市門から徒歩数分、首都の中心部へ続く大通りを外れ、薄暗く、すえた臭いが充満した鬱々たる小路を幾度も曲がった先に、我らが守備隊御用達の酒場「ラテリア共栄館」はある。

 狭い店内では、大勢の男たちが肩を寄せ合ってテーブルを囲み、酒を呷りながら議論を闘わせていた。

 靴に泥、服にはシラミ、汚れた指で髪をボリボリ掻きながら、黒パンをつまみにジョッキを回し飲みする男たちの足下では、食べこぼしを狙ってネズミたちが鼻をひくつかせている。

 もしこの世界に保健所が存在したならば、残念だがラテリア共栄館は一発で営業停止処分だろう。

 改めて考えてみると、なるほど慣れとは恐ろしいものだ。


「ほら、サムも飲めよ」


 ロイクからジョッキを受け取り、雑巾の絞り汁のような色をした酒を口に含んで、一気に胃へ流し込む。


「くぅ……っ、ああぁ……きくな」


 この感覚を言葉で表すなら、強酸性の物質を溶かし込んだ水溶液だ。喉から胸にかけて燃えるような刺激が駆け抜ける。

 もっとも、ここにいる人間は誰も味なんて気にしちゃいない。酒の味を楽しめるのは、ある程度生活に余裕のある人間だけだ。それ以外の者にとって、これはただ酔うための手段にすぎない。

 まあ、そういう意味では俺にとって酒とのつき合いは、タブレット片手に夜中まで訪問営業をさせられた漆黒の企業戦士時代から何一つ変わっていないわけだ。


「にしても、相変わらず良い呑みっぷりだな」


「年季が違うんだよ、こちとら長年の鬱憤が……」


「何いってんだ、同い年だろ」


「まあ……そうだが」


 そういえば、酒を呑むと余計なことまで口走ってしまう癖も昔からだった。


「……」


「……」


 俺がジョッキをテーブルに置いてから、少しの間、互いに無言が続いた。

 この次の話題が何になるかは察しがついていた。

 先に本題を切り出したのはロイクだ。


「……しかし、改革委員会は結局どうなると思う?」


「さあな、一部では楽観論も出ているけど、現状のままだと厳しいだろうな。このままだと空中分解するんじゃないか」


「そうなれば、また戦いになるのか……」


「十中八九、間違いなくな」


 ジョッキのふちをもう一度唇に当て、口腔に酒を流し込んだ。


「ふぅっ……だけどまあ、俺たち兵隊は結局、ただ言われた通りに動くだけだ。今は割り切ってつかの間の平和を謳歌するのも悪くないだろ」


「それもそうか……俺としたことが、柄にもなく感傷的な気分になってたみたいだ。バリケードで敵を倒した瞬間、自分が英雄みたいに強くなった気がしたんだけど、実際まだまだ青いな」


「戦場では誰でも最初はそんなもんさ。そうやって積み重ねた経験が自分を強くしてくれる」


「なんというか……お前としゃべってると、時々爺さんと話してる気分になる」


「何いってんだ、同い年だろ」


「そうだよな……よし、じゃあ今日は呑むぞ。ジョッキをくれ!」


「ほらよ」


「サム……」


「なんだ」


「せいぜいタフに生き残ってやろうぜ」


「そうだな、ゴキブリ並にな」


 俺たちは互いに肩をすくめて笑った。


「「革命に乾杯!!」」





__________






「では、交渉は決裂ということでよろしいか……」


 眉間に深いしわを寄せる財務卿が、小うるさい蠅を払いのけるような口調で言い放った。


「ふざけるのもたいがいにしていただきたい! この内容では以前となんら変わらんではないか!」


 腹の出た弁護士は握りしめた拳で机を叩き、興奮気味に飛沫を飛び散らせながら喚きだす。

 その様子を見た内務卿が鼻で笑った。


「これだから引き際を知らない平民は困るのだ。反逆者として処断されないだけありがたいと思いたまえ」


「まったくだ、我々の提案が受け入れられないのは非常に遺憾だよ、ベルナール会頭」


「……話になりませんな」


 典型的な商人衣装の男、ベルナールはゆっくりと椅子から立ち上がる。


「ドヴィエンヌ財務卿をはじめ、改革委員会の皆様……合意に至らなかったことはこちらも残念で仕方ありません。しかし、市民を代表する商人組合としては、政治参加権が現状のまま制限を受ける状況を認めるわけにはいかんのです。この数日間、我々は平和的に事態を解決できるよう手を尽くしました。ですが、貴方らの決意もまた、我々と同様に固かった。古き腐敗に胡座をかき、錆びきった利権を蛭のごとく吸い続けようとする鉄の意志です」


 ベルナールは一度目を伏せて、物憂げにため息を吐いた。


「次回にお会いする時は、建設的な議論ができることを期待します」


「断頭台上での議論ならあまり時間は取れんがな……」


 薄ら笑いを浮かべた内務卿が、皮肉っぽくつぶやく。


「そうですな、首がつながっていることを祈りましょう……お互いにね」


 そう言い残して、ベルナールらは改革委員会が開かれていた宮廷を後にした。


 宮廷から首都へと戻る馬車の中では、まだ怒りが収まらないのか、腹の出た弁護士が頬の筋肉をぴくぴく動かせている。

 

「しかしベルナール……奴らのあの態度はなんだ、こちらに歩み寄る気配が微塵もないではないか」


「状況が変わったと見るべきかもしれんな。これはまだ非公式の情報だが、北の連中が動きを見せている」


「ノーラント連合王国か? 奴らはこの件に関しては中立を保っていると聞いていたが」


「ゲーベルク帝国が国境に軍隊を集結させ始めたせいで、彼らも動かざるをえなくなったのだろう。帝国の領土拡張政策は大国のパワーバランスを乱しかねん。自分から戦いの正面には立ちたがらない連中にとって、ラテリアの不安定化は重大な不利益に繋がりうる」


「なるほど、国王軍に加えて連合王国まで……私たちは大丈夫なのか」


 腹の出た弁護士は、神妙な面もちで額を押さえながら唸った。


「なに、希望を捨てるにはまだ早い。連合王国も、表立って国王側を支持するのはためらっている。奴らはこの国が安定してさえいれば、体制がどうなろうと知ったことではないのだ」


 ベルナールは懐から、リボンで結ばれた羊洋紙を取り出した。


「それは……」


「連合王国の外交官からだ。先日、デュフレーヌ殿を経由して私の元に届いた」


「何が書いてある?」


「内容はいたって簡単な挨拶文だな。もっとも、こんなものを送るということは、多少は我々のことも評価してるらしい」


「お得意の二枚舌外交か……」


「そうなるな。もうしばらく事態を静観した後、有利な方に介入してラテリアの早期安定化を目指すつもりのようだ。連合王国は立憲君主制ゆえ、どちらに味方しても大義名分が成立する」


「仲間にするのもリスクだが、敵に回すと大変なことになると……つくづく食えない国だ」


「だから国王側もなりふり構っていられなくなったのだろう。連合王国に干渉される前に全力で我々を叩き潰すつもりだ。いくらラテリアが大国とはいえ、内憂外患が続けば国は持たん……」


 ベルナールは窓の外に広がる麦畑に視線を移し、少しの間、沈痛な顔付きで景色を眺めた。


「本来なら、こんなときこそ互いに手を取り合わねばならんのだが……今の王権にそれを期待しても無駄か」


 そうつぶやく声だけが、狭い馬車内に虚しく反響した。



 



__________






 南の市門を抜けた先、城壁の外側はフォーブールと呼ばれ、スラムが広がっている。

 ここ数十年、首都の人口増加は著しく、城壁から溢れた者たちは、都市の秩序が及ばない場所を住処にするしかなかった。

 スラムは年々増殖し続けており、騎馬警邏隊による取り締まりも行き届かず、貧困、犯罪、売春など、様々な悪徳の温床となっている。

 そんなフォーブールのぬかるんだ地面を早足で歩きながら、入り組んだ路地を右へ左へ何度も曲がると、ようやく目的の教会が目の前に姿を現した。

 入り口の重たい扉を押し開けると、ひやりとした空気に体が包まれる。

 周りに人の気配がないことを確認し、薄暗い懺悔室に入った。しばらく待っていると、ゆっくりと、冷たい威厳を感じさせる足音が近づいてくる。

 向かいの部屋に、あの方が入ってこられたのが分かった。


「デュフレーヌ閣下、仰せつかりましたご命令は遅滞なく完了いたしました」


「そうか……ご苦労」


 デュフレーヌ侯爵はそう言って、懺悔室を仕切るカーテンを開けた。侯爵は右手に、蝋封が施された封筒を携えている。


「昨日、ペラン前軍務卿から例の件を承諾する旨の返信が届いた。これはその写しだ。本日中にベルナール会頭に渡して欲しい」


「承知しました」


 封筒を受け取り、懐にしまう。

 背筋を正して向き直ったところで、不意に侯爵が口を開いた。


「ゲルシェ大尉……君はこの度の騒動をどう感じるかね?」 


「正直に申せば……ペラン前軍務卿といい、ドヴィエンヌ財務卿といい、己の権力欲に振り回され、大局を見失う様は見ていて滑稽でした。改革委員会も頓挫したようですし、全ては閣下の予想する通りに進んでいるとしか」


「改革委員会の瓦解は必然だ。人間とは不思議なものでな、敵対する相手が発案したとなれば、是が非でもケチを付けて潰したくなる……権力に溺れ、周りが見えなくなった者たちにとって、その誘惑は抵い難い」


「それ故、閣下は国王諮問会議の場であえて改革委員会を提言し、市民と王権の和解を促した……はじめから失敗するよう仕向けたわけですね」


「この失敗により、市民は王権に対して深い失望を抱いた。さらに北の連中が動き出した今、王権も早急に事態を収拾しようと事を荒立てるだろう。それが破滅の第一歩とも考えずにな」


「結局、流れる血の量だけ憎悪が募り、もはや双方後戻りはできなくなる……」


「大いなる目的を達するには、それに相応しい犠牲が必要なのだ」


「閣下……一つだけ教えていただけないでしょうか。閣下の目指す未来には何があるのですか」


「私は未来など見ておらんよ」


「といいますと……」


「いずれ時期が来れば君にも話す。今日は少し……しゃべり過ぎた」


 デュフレーヌ侯は私に背を向け、懺悔室を出て行った。

 去り際、侯爵が拳を固く握りしめていたように見えたのは私の錯覚かもしれない。


 なぜか部屋の空気が少しだけ、息苦しく感じた。

大変遅くなってしまいました。

すみません。

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