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戦列の華  作者: 砂城 桜
2章 バリケードの英雄
25/28

乾いた指先で

25話


 首都制圧失敗。この報はラテリア王国の全土に衝撃を与え、同時に周辺諸外国の関心を煽った。


 重苦しい空気に包まれた宮廷では国王臨席の会議が始まったが、しばらくの間、誰も口を開こうとしない。

 

「信じられん……」


 歯ぎしり混じりの苦々しい声で静寂を破ったのは内務卿だった。


「いよいよ不味い事態になってきましたな……」 


 財務卿もしかめっ面のまま椅子の背もたれに体重を預け、深くため息を吐いた。


「違う……こんなはずはない……私のせいではないのだ……」


 見るからに落ち着きを失っている軍務卿に至ってはうわごとのようなか細い声で言い訳を呟き、テーブルの下ですっかり血の気を失った指をプルプル震わせている。

 この騒動が始まって以来連日のように国王諮問会議が開かれているが、かつて皆の顔色がこれほど憂鬱一色に沈んだ日は無かった。

 

「それで外務卿、北と東の情勢はどうなっておる?」


 国王は冷ややかな目で軍務卿を一瞥すると、外務卿に発言を求めた。


「ノーラント連合王国は今のところ静観する構えのようですが、ゲーベルク帝国がアルタニア平原に軍を集結させているとの情報が……」

 

「帝国め……この混乱に乗じて我々の領土をかかすめ取る気かッ!」


 軍務卿が拳をテーブルに叩きつける。


「それをくい止めるのが君の役目であろう。東部国境地帯で現在動員可能な兵力は?」


「約四万であります……」


 皆がざわめき、国王はますます不信の眼差しを強めて軍務卿を睨んだ。


「相手はあの帝国だぞ。少なすぎるではないか」  


「しかし首都の暴徒鎮圧のため兵力を……」


「言い訳はいらん! 軍務卿……君には失望したぞ」


 国王は玉座から立ち上がると、従僕から手渡されたステッキをコツコツいわせながら。扉に向かって歩き出した。


「陛下ッ……!」 


 軍務卿が悲痛な声で叫んだが、国王は振り向きもしない。

 重たい音を立てて扉が閉められた。

 沈黙が場の空気を支配する中、哀れな男は椅子に崩れ落ちる。最高権力者の居なくなった会議は数分と経たずにお開きとなり、後には魂の抜けた表情で天井を見上げる軍務卿だけが残された。

 そのとき、扉が開かれ、ひょろ長い顔の男がステッキと帽子を片手に入ってくる。

 

「ペラン軍務卿。少しお疲れのようだな」


「デュフレーヌ侯爵……?」


 侯爵が乾いた微笑みを浮かべた瞬間、軍務卿の脳裏に一筋の希望が浮かんだ。


「……私を助けては下さらないか」


「この私でよいのなら。まあ……ついてきたまえ」





__________






 手入れの行き届いた宮廷の庭、どんよりとした空とは対照的に、鮮やかなサフランが咲き誇る一角を私たちは並んで歩いている。

 サフランの花言葉は確か、陽気……こんな状況ではとんでもない皮肉だが、それがこの男なりのユーモアなのだろう。

 隣に目をやると、デュフレーヌ侯はステッキの先端を芝に擦り付けながら、静かに口を開いた。

 

「それで、ペラン軍務卿、君は一体何を望むのかね?」


「それは……もちろんこの地位を維持することだ」


「それは土台無理な話だろう。冷静に考えてみたまえ、失策につぐ失策で君の信頼は地に落ちた。解任は時間の問題だ」


 侯爵はしなびた唇の端をぴくりと動かし、闇のように暗い瞳をこちらに向ける。

 私は思わず口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。

 暑くもないのに背中にじっとりした汗を感じる。

 闇将軍デュフレーヌ、宮廷上層部さえ迂闊に手を出せない厄介な男が、何をたくらんで私に近づいたのか分からない。

 しかし、今は彼にすがるしか道はないのだ。


「だが……ッ、それをどうにかできる策が貴方にはあるのではないか?」


「私に協力するのなら、という条件が付くがね」


「……何をすればよい?」


「安心したまえ、特にこれといって、することはない。ただ、軍内部の君の派閥に私の部下を入れてやってくれればそれでよい」


「私の派閥に……それだけでよいのか?」


 侯爵は薄く笑った。


「状況から判断して、次の軍務卿はラファルグ伯で決まりだろう。ただ……彼は少々、潔癖性の気質があるのでな。軍の利権を啜ってきた旧守派からは嫌われるはずだ。私が、不満を持った輩をこちら側に引き入れる手伝いをしよう」


「なるほど……私の派閥を大きくすれば、それを隠れ蓑に貴方もまた暗躍できる。そういうことでよろしいのだな」


 これは実にいい話だ。たとえ軍務卿を解任されても軍への影響力は保持できるし、裏にデュフレーヌ侯がついているとなれば財務と内務の二卿に限らず、国王陛下でさえ私を無視できなくなる。


「ぜひ協力させてほしい」


「では、交渉成立だな」


 そう言って侯爵はふっと視線を落とすと、一瞬驚いたような顔をしてその場にしゃがみ込んだ。


「ほう、こんな所にアザミが咲いている……」


 見ると、優雅なサフランに混じって、刺々しい一本のアザミが力強く地面に根付いていた。

 侯爵は細く血色の悪い指を伸ばしてアザミの葉を軽く撫でる。


「ペラン軍務卿……手入れの行き届いたサフランと、無骨なアザミ、君はどちらをより美しいと感じるかね?」







__________







 あの市街戦から三週間が経過した。

 首都は相変わらず国王軍に包囲されていたが、街区を歩いていても、すれ違う人々の表情に悲壮感は感じられない。

 それどころか、この街の市民はかつてないほどの熱気と誇りを胸に通りを闊歩している。

 つい数時間前、仰々しい勅書を携えた国王役人たちが市庁舎前広場にやってきた。そこで彼らが読み上げた勅令は、市民にとっては驚くほど寛容であると感じられたことだろう。

 一つ、今回の件に関しては関係者への処罰はいっさい行われない。

 二つ、市民の要望に可能な範囲で応えるため、改革委員会が選出される。

 三つ、市民が王国の権威に忠誠を誓う限り、軍隊は首都から三十キロ以内には駐留されない。

 これは市民にとって、これ以上望みようのない完璧な勝利であった。おかげで、昨日までは鼻息荒く国王憎しと気色ばんでいたはずの連中も、今は隣で陛下万歳と叫んでいる。

 人の心とはなんと移り変わりが早いことか、熱に浮かされたような赤ら顔の男たちが出入りする酒屋の前を通り過ぎながら、私は思った。


「……人間の本質は悪か」


 あの方の言葉が脳裏によみがえる。

 もはや自分の中でそれは確信に変わっていた。

 腐っているのは国か、人か。

 古き腐敗にしがみつく貴族、安っぽい道徳心を傘にした拝金主義の中産階級、秩序の欠片もない下層民衆。

 あの方と出会う前の自分はなんと無知で愚かだったのだろう……デュフレーヌ侯、貴方から与えられた使命は、このモーリス・ド・ゲルシェが必ず果たしてみせましょう。






__________







 王国商人会館、貴族の邸宅にも引けを取らない重厚な石造りの門は、武装した市民兵の二個小隊によって厳重に警備されている。

 中に入るには高圧的な兵士による厳しいチェックを受けねばならないが、それにも関わらず人の出入りは多い。

 市民兵本部と、臨時行政執行委員会が置かれたこの場所は、現時点において、首都の心臓となっている。

 入り口前に溜まっている人混みをかき分け、門前へ進み出ると、豚の腿ほどの太さもある棍棒を握りしめた、粗野な顔つきの男が私の前に立ちはだかった。

 男は口元をニヤけさせながら、黄ばんだ小石のような歯を見せつける。


「おい、兄ちゃん。チェックを受けねぇとここは通れんぜ」


「貴様のチェックを受けねばならん義務は私にはない……」


「何だって……口には気をつけな、俺がその気になりゃてめぇの顔面なんざトマトを潰すめてぇに弾け飛ぶぜ!」


 私は懐に手を入れ、丸められた羊皮紙を取り出す。


「なんだそりゃ……」


「市民兵本部長直筆の手形だ。印璽に見覚えがあるだろう」


 男は羊皮紙をまじまじと見つめてから、商人会館の門の上に彫られたエンブレムを指さして青ざめた。


「へへ……旦那、こりゃとんだ失礼を。さあ、どうぞ中へお入り下せぇ」


 すっかり卑屈になった男から視線を外し、玄関ホールへ足を踏み入れた。壁一面に様々な絵画や美術品が飾られたホール内では、多数の人間が忙しなく行き交っている。

 その中から一人の衛兵を捕まえ、羊皮紙を見せつけて市民兵本部長への取り次ぎを頼む。


「待っていたよ、ゲルシェ君」 


 本部長室へ招き入れられると、モノクルをつけた医者がまず口を開いた。


「待ちくたびれて、こちらから探しに行こうかと思ったくらいだ」


 腹の出た弁護士も、ワイングラスを片手にやれやれといった感じで首を振る。


「貴方たち二人だけか、本部長に用があって来たのだが」


 私は部屋の中央の壁に掛けてある、典型的な商人衣装を着た男の肖像画を顎で指した。

 医者がモノクルの位置を直しながら答える。


「悪いが、ベルナールは急用ができてな。用件は私らが伺おう」


「そうか……」


「今回はひとまず我々を代表して礼を言わねばならんな。本当に、君たちの上層部が理性的な決断をしてくれて助かった。当初の予想ではあと数ヶ月は首都に籠城することを覚悟していたのだからな」 

 

「なんにせよ無用な流血が避けられるのは喜ばしい限りだ」


 腹の出た弁護士はそう言ってグラスに溜まったワインを飲み干した。


「貴方たちが礼を言わねばならんのは私ではない」


「そうだな……裏で手引きをしてくれたのは、全てデュフレーヌ殿だったな」


「ああ、あの手腕は見事なものだ。彼から今回の話を持ちかけられたとき、余りに途方もない話でさすがの私も半信半疑だったが、もはや疑いの余地はない」


 しかし、医者は肩をすくめ、眉間にしわを寄せながら私に目を合わせた。


「だが、一つ聞きたいのだがね、ゲルシェ君。何度考えてみても、我々にはどうしても分からんのだよ。彼が目指すものは一体何なのかね……?」


「愚問だな、私などがあの方の意図を把握していると思ったか」


「ほう……君ですら知らないと」


「私はただ、与えられた使命を果たすだけだ。そういうことなので、今日はこれにて失礼する」


「おや、我々と話しに来たんじゃなかったのかね?」


「この用件は、ベルナール氏に直接伝えるようにと仰せつかっている」


「我々では不満か、大層な忠誠心をお持ちのようだ……」


 皮肉げにそう呟き、腹の出た弁護士はグラスに新しいワインを満たして私の目の前に掲げた。


「君の出世と、王国の夜明けを祝して……」


 窓から差し込んだ光が、並々と注がれた赤ワインを怪しく照らし出す。それは、私に新たな争乱の幕開けを予感させた。

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