市街戦
24話
遠くでかすかに雷鳴が轟いた。つい数日前まで天気は晴天が続いていたのだが、今は薄黒い雲がまるで鉛の鍋蓋のように首都の上空を覆っている。
今日は土曜日、時刻は正午を少し回ったところだ。普段ならこの時間、大通りは馬車や人でごった返しているはずだが、整然と石畳の続く通りには人っ子一人、動物一匹見あたらない。代わりに横倒しにされた馬車や家財道具を積み上げた巨大なバリケードの山が築かれている。
俺たちは銃を片手にバリケードに登り、向こう側に目を凝らす。
「誰かくるぞ……」
ロイクが囁いた。
数人の人影がこちらに向かって大急ぎで駆けてくる。
市民兵だ。
「国王軍が西の市門を突破した!」
「もうすぐここにやってくるぞ!」
走ってきた市民兵たちが叫ぶ。男たちの表情に緊張の色が浮かんだ。
「いいか野郎ども! ビビるんじゃねぇぞ、くそったれどもが見えたら鉛玉をしこたまお見舞いしてやれ! 忘れるな! 勝手に逃げだそうなんて臆病者がいたら俺がぶっ殺してやるからな!!」
すぐさまペイネ大尉が銃床で地面をがつんと打ち鳴らして恫喝した。
フレッセル要塞攻略の功績により、ペイネは正式に市民軍の大尉に任命され、今はこの通りの守備を指揮している。
隊の中で彼の発言は絶対だった。市民兵たちはすぐに背筋を伸ばし、戦いに備える。
「伍長閣下も偉くなられたもんだ……」
緊張のためか、見るからに顔がこわばっているロイクが、ぎょっとした表情を浮かべた。
「下水道の時もそうだったけど、サムは大尉が怖くないのか……」
「もちろん怖くないわけじゃない。ただ、あの人と俺は同種の人間なんだって確信しているだけさ」
「同種って……お前、まじでいってるのかよ」
下水道で分かったが、俺たちはお互いよく似ている。戦場を経験し、一度は死線をさまよった。
どちらも同じく、死に損ないのくそったれだ。世の中に絶望しているわりには未練ったらしく今日まで命を繋いでいる……そんなことは自分たちが一番よく分かってるさ。
高鳴る胸の鼓動を感じながら、俺は大きく息を吸い込んで叫んだ。
「……来やがったぞ!」
__________
赤と紺の制服を身にまとった国王軍の縦隊が、今まさに通りの角を曲がって視界に侵入してきた。
誰も、何も言わなかった。
皆まるで断頭台に上がった罪人が、処刑の瞬間を見ようと群がる野次馬を眺めるときのように、身動き一つせず充血した瞳で隊列を凝視している。
耳を澄ませばバリケードの男たちが発する乾いた息づかいにまじって、規則正しい軍靴の音や馬の蹄が石畳を蹴る音まではっきり聞こえてくる。国王軍の隊列はマスケット銃の射程範囲ぎりぎりの場所で停止し、馬上の指揮官のよく通る高い声が響いた。
「バリケードの諸君! ただちに抵抗をやめ、武器を置きたまえ! 従わぬ場合は騒擾法の規定に則り、我々はあらゆる手段を用いて諸君等を排除するものとする! 返答を聞こう!」
「わざわざご丁寧にご苦労なこったな!! 返事は馬鹿め! だ!」
すぐさまペイネ大尉はバリケードから身を乗り出し、指揮官に向けてピストルを発砲する。 しかし弾丸は当たるはずもなく、明後日の方向へとんでいく。敵指揮官はあきれた様子で肩をすくめた。
「予想通りの大馬鹿者だな……では遠慮なくやらせてもらうぞ! 全隊前へ! 逆徒共を殲滅しろ!!」
指揮官がサーベルを抜き、俺たちにその切っ先を向けると、再び隊列は規則正しい歩調で直進を再開した。
「狙え……! 撃て!」
ペイネ大尉が太い声で命令を発する。
俺は前屈みでバリケードに体重を預け、こわばったままの頬に銃床の側面をすり付け、引き金を引いた。
撃った瞬間に上半身が白煙に包まれる。
かすむ視界の中で、何人かの敵兵が膝から崩れ落ちるのが分かった。
しかし俺の撃った弾は果たして当たったのか、などと考えている余裕などなかった。すぐにポケットから薬莢を取り出し、火薬と弾を筒先から流し込む。
ペイネ大尉にシゴかれたおかげで要塞攻略戦のときに比べれば弾込めのスピードは上がったはずだが、それでも実戦は勝手が違う。
練習では指の震えなんて感じないからな……
だが、そんなもたついた俺の隣で、素早く冷静に装填を完了させた男がいた。
サムだ。
一体いつの間に装填を終えたのか、すでに頬付けをして敵に狙いを付けている。
「そこのお前! ちんたらやってんじゃねぇ! 狙え……! 撃て!」
後ろからペイネの怒声が聞こえたので、俺も大慌てで銃を構えて引き金を引いた。
それにしても、国王軍は流石は訓練してるだけあるのか、その隊列に乱れる様子はない。隣の仲間が倒れようが、構わず突っ込んでくる。結局、俺たちが三回目の斉射を浴びせるころ、奴らバリケードまでかなり距離を縮めていた。
どこからか、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「よく訓練されてるな……もうじきくるぞ」
サムがぼそりとつぶやく。
「何が……!?」
「白兵戦だ」
次の瞬間、今日一番の大声でペイネ大尉が命令を発した。
「着剣!」
もう敵は目と鼻の先まで迫っている。
俺は覚悟を決め、腰紐に括り付けた鞘から銃剣を引き抜き、装着した。
国王軍の連中も鈍く輝く銃剣の刃先をぴったりとこちらに合わせながらバリケードを登り始め、血塗れの格闘戦の幕が開けた。
「うぉぉぉっ!!」
「きやがれぇ!」
すぐにそこら中から発せられた雄叫びと悲鳴、金属同士が接触するカチャカチャという音に鼓膜が揺さぶられ、脚がぶるりと震える。
昔何度か街のゴロツキ共と集団で殴り合いの喧嘩をしたことはあったが、そんなものとは比較にならない。腹か胸にパンチを貰ったところで、よほど当たりどころが悪くない限り死にはしないが、槍のように繰り出される銃剣は刺さればただじゃ済まない。
白兵戦には銃撃戦とは異質の恐怖がある。
顔のしわさえ数えられるほど接近した敵と正面向かい合って殺し合う。これが意味するのは、飛んでくる弾丸や砲弾とは違い、相手から自分向けられる明確な殺意をもろに受け止める行為に他ならない。殺すか殺されるか、そういう本能レベルで人間に刷り込まれた原始的な恐怖の感情が最大限まで引き出されるのだ。
額には青筋が浮き出て呼吸は自然と浅く、早くなる。
筋肉が熱を発し、脳天からつま先までの全神経が研ぎ澄まされる。
冷静さを保つため、サムから教わった銃剣術の動作を必死に頭の中で反復した。
これが本当に奴らに通じるのかわからない。しかし、気持ちは多少落ち着いたように感じた。
信じるぜ……サム。
「ロイク! 危ない!」
サムが叫ぶ。
「きぇぇぇ!!」
バリケードを這い上がってきた敵兵が、銃剣の刃先を俺に向かって突き出す。それを身体をひねって間一髪かわし、次いで体勢を戻す勢いを利用して銃床を敵の顎めがけて思い切り叩きつけた。哀れな男は鼻と口から盛大に血を吹きながらバリケードを滑り落ちる。
「上出来だ!」
「ありがとよ!!」
自分でもびっくりするほど上手くいった。顎が砕ける生々しい感覚が手の平に残っていたが、そんなことはどうでもいい。
もう身体の震えは感じなかった。
「サム……!」
「なんだ!」
「生き残るぞ!」
「もちろんだ!!」
俺たちは一度互いに拳を突き合わせ、迫り来る敵に向けて銃剣を突き出した。
__________
「……予想通りの展開だぜ」
奮闘する男たちを眺めながら、口元に浮かぶ笑みを消すことができなかった。
戦術的な観点から考えると、俺たちは圧倒的に不利だ。もし国王軍が本気を出したなら反乱軍なんてすぐにでも首都から一掃出来るだろう。しかし、奴らが本気を出すことは絶対にないと言い切れる。奴らにとってこれは外国の都市を攻めるのと訳が違ぇからだ。
どこの世界に自分たちの首都に砲弾を撃ち込める馬鹿がいるか、どこの世界に自分たちの大切な財産を破壊しようという愚者がいるか……どこの世界に自分たちの屋敷、教会、宮殿を焼き討ちにしようという狂人がいるか。
奴らは首都を傷つけたくないがために、己に重い枷をはめたのだ。
しかし連中が本気を出せないからといって、こちらもそれに合わせてやる義理はねぇ。
そろそろ仕掛けるか……
「全隊……! 後退だ! 後退しろ!!」
左手に握ったピストルを一発撃って、市民兵に命令を下す。お世辞にも「手足のよう」とまでは言えたもんじゃないが、それでもすっかり従順になった野郎共はすぐに従った。
「走るぞ! もたもたするな!」
「了解です大尉殿! 大尉のいった通り連中まんまと乗ってきましたよ!」
振り返ると国王軍の指揮官がバリケードに這い上がって、興奮気味にこっちを指さしながら喚いている。
「逆徒共は我々に恐れをなして逃げていったぞ! 追撃しろ……皆殺しにしてくれる!!」
市民兵を掃討するため、バリケードを越えて敵兵たちは鬼気迫る形相でこちらを追いかけ始めた。
「へッ、後退と退却の区別もつかん愚か者め」
こちらに有利な点はもう一つだけある。
「奴ら、完全に舐めきっていますね……」
「当たり前ぇだ、追いかけている餌に逆襲されるなんて普通考えねぇよ」
長く軍にいた俺にはわかる……職業軍人とは戦争を一種のロマンと考え、その中で勇敢さ、強靱さ、聡明さといった類のものを自分だけに与えられた特権だと思いたがるもんだ。
そして、それは容易に相手の能力を見誤ることにつながる。俺たち即席の市民兵だって勇敢さの替わりに無謀さを、強靱さではなく図太さを、聡明さというよりは狡猾さを備えているをとを連中は知ろうさえしねぇ。
「よし、次の角で右だ! 旧市街へ入るぞ!」
旧市街に入ると、直線的な大通りとは打って変わって道幅は狭く複雑に入り組み、薄暗く、湿った空気が漂い始める。
計画的に造られた大通りや貴族の屋敷が首都の表の顔なら、雑然として陰鬱な旧市街は裏の顔だ。だが、こここそ俺たちの家だ。
「しっかりついてきてるな……よし、次を左だ!」
狭い街路をくねくねと曲がり獲物を狩り場へ導く。
既に石畳の舗装は無くなり、地面を蹴る度に靴底にしっとりした土がこびりつくようになっていた。
そしてちょうど進行方向、行く手を遮るように二台の幌付き馬車が通りを塞いでいる。
「ハハハッ!! 馬鹿め、行き止まりだ!」
馬車の幌に飛びつく俺たちを見た敵が興奮気味に叫んだ。
口の端を吊り上げ、銃剣をギラつかせながら突っ込んでくる。
「今だ! 全員かがめ!」
瞬間、馬車の幌が取り払われ、間髪入れずに頭上で爆音が反響した。
うっすらした白煙と火薬の臭いが充満するなかで頭を上げると、大勢の敵兵が、ある者は欠損した手足を押さえながら、ある者は飛び出した臓物を腹に戻そうと苦しげに血をまき散らしながら地面をのたうち回っている。
「「やったぜ! ざまーみろ!」」
「「思い知ったか!」」
味方から大きな歓声が聞こえた。
「次弾装填! 釘と銃弾をたっぷり詰め込んだ特製弾を存分に味わせてやれ!!」
さすがの国王軍でも荷馬車に大砲を乗っけていることは想像できなかったのか、後続の敵兵はしばらくそれを呆然と眺めていた。が、すぐ我に返ってこっちへ向かってくる。
「よくもやりやがったな!」
「大砲に弾を込めさせるな!」
しかしこれも想定通り。
「射撃用意!!」
合図を送ると、次々と通りの家々の窓が開き、無数の銃口が顔を覗かせる。
「なにッ!」
もう遅ぇ。
「撃て!!」
銃が火を噴き、敵がなぎ倒される。
そうこうしているうちに大砲の装填も完了した。
「全員かがめ! 撃て!!」
再度、鉄の暴風が吹き荒れる。
通りは阿鼻叫喚の地獄と化した。
「見ろ! 奴ら尻尾を巻いて逃げてくぞ!」
凄惨な光景を目の当たりにして士気が崩壊したのか、動ける敵兵は我先にと来た道を戻っていく。
「攻守逆転だぜ……追撃するまでもねぇ」
とはいってもこのまま奴らを生かして帰すつもりは毛頭ない。旧市街を抜けるまで街路にはそこかしこに伏兵を仕掛けてある。
蜘蛛は網に掛かった獲物を決して逃がさねぇ。
「見事なものだなペイネ」
去っていく敵の背中を見ていると後ろから声をかけられた。振り返ると、帽子を深くかぶった目つきの鋭い男がじっとこちらを窺っている。
こいつ、服装こそ小汚い市民兵になりきっているが、すらりとした立ち姿と切りそろえた口ひげ、隙無く辺りを警戒する様子は間違いなく一級の将校のそれだ。
だが、今はそんなことどうだっていい。
「旦那でしたか……」
「市民兵の大尉にしておくには惜しい男だ」
「買いかぶりすげでさぁ」
「フッ、まあいい。私はこれから市民兵本部へ向かう。ついてくるか?」
男は数歩後ろに下がってからこちらに背を向ける。
「いや、遠慮しときまさぁ。どうも本部の連中とは気が合わんもんで」
「そう言うだろうと思っていた」
「相変わらず人が悪い……それと、例の件は頼みましたぜ……ゲルシェさん」
「……近いうちにな」
全ては順調だ。
陰謀屋デュフレーヌ……お手並み拝見といこうじゃねぇか。




