首都占拠《中編》
21話
乾いた銃声がよく晴れた秋の空に響いた。
戦闘の始まりは突発的だった。
守備隊と民衆、どちらが最初の一発を放ったのかは分からない。
だが、どちらにせよその後に起こったことは明白な事実だ。
「……くそったれ! 撃ってきやがったぞ!」
「う……ぅて……っ撃て! 殺せ!」
一瞬の沈黙の後、双方とも即座にマスケット銃の引き金に指を掛け、次の瞬間には凄まじい撃ち合いが始まった。
すぐに民衆側では人々がばたばたと倒れ、辺りには血と硝煙の臭いが充満する。フレッセル要塞周辺は負傷者のうめき声と銃声、それに要塞から発射された砲弾が風を切る音が加わり、さながら地獄のオーケストラ状態だ。
この状況に直面し、民衆は完全に冷静さを失った。
だが、地面に泣き崩れる者や、半狂乱であらぬ方向に銃を撃つ連中が出始めるなか、不思議と俺の心は落ち着いていた。
「まったく……敵の攻撃より、味方の誤射でくたばりそうな勢いだな……どうだロイク、怖くなったか」
「……いや、大丈夫だ」
ロイクの顔からは血の気が引いているが、わざわざ指摘するのは野暮というものだ。それにむしろこの状況では、取り乱さないだけまだマシといえる。
軍に入ればきっと良い戦列歩兵になれるはずだ。
ここで死なせるには惜しい。
「ロイク、ついてこい」
少し身を屈めながら、俺は手で合図を送った。
「どうするんだ……」
ロイクがきょろきょろと周りを見ながらいう。
「あそこだ、ちょうど良さそうな奴を見つけたぞ」
俺は少し離れたところにうつ伏せで転がっている、大柄な男を指さした。近づいて体を揺すってみても男に反応はない。
「悪いが弾除けになってもらおう……」
体の下に腕を入れ、男を横向きにする。彼の胸にはちょうど心臓がある辺りに小さな穴が開き、黄ばんだシャツの布地には血が滲んでいた。背中側に血が付いていなかったから、弾はきっと男の筋肉質な肉体に阻まれて体内で止まったのだろう。
こうやって味方の死体を盾にするのも戦場を生き抜く知恵だ。
「ロイク、お前も入れ」
「……ああ」
「頭はできるだけ下に、撃つときも体を晒す時間は最小限にするんだ」
銃床を肩にあて、銃身の下に手を添え、死体のわき腹でそれを支える。そして要塞の上から一定のリズムで射撃を繰り返す兵士たちに照準を合わせてから、少し固い引き金を引いた。
瞬時に筒先から白煙が吹き出し、聞き慣れた乾いた音と、懐かしい反動が俺の全身の細胞を震わせる。
「……すごいな、今の当たったぞ」
ロイクが要塞の方に視線を向けながら、驚きの声を漏らす。
「偶然さ……」
俺はすぐに頭を下げ、ポケットから取り出した薬莢を噛み切り、筒先から火薬を流し込んで弾を込めた。
今の一発は運が良かった。
当然だが、ライフリングの刻まれていないマスケット銃で精密な狙撃は不可能だ。しかし、これもやり方次第では命中精度をわずかだが上げることができる。
ようは銃を構えるとき、地形や構造物などを利用することで、手だけで構える場合に比べて安定した射撃ができるのだ。
これを委託射撃という。
「サム……お前……」
ロイクが俺の手元を見て何かを言おうとした。
「なんだ」
「お前、いったい……くッ!」
だが、その言葉が終わらぬ内に、いきなり前方で土埃が舞い、石畳の石片が四方に飛び散った。
直後に、恐ろしい音を引き連れて頭上を何かが高速で飛び去っていき、遅れてやってきた風圧が頬の皮膚をたるませる。
唐突すぎて一瞬理解が追いつかなかったが、それが何かわかったとき、流石に今回ばかりは背筋が凍った。
「なんだったんだ……今のは」
目をぱちぱちさせながら、ロイクが尋ねる。
「砲弾だ……どうやらここも安全じゃなくなってきたらしいな」
ちょうど目の前の地面で弾がバウンドしてくれたのは幸運だった。もし、これがあと二メートルほどずれていたら、今頃ここには真っ赤な花が咲いていたことだろう。
「立てるか、後退するぞ」
四つん這いから中腰になり、ロイクの手を握って立ち上がらせる。
現時点で、明らかにこちらが押されている。
すでに要塞の圧倒的な火力に恐れをなしたのか、振り返ると民衆側は撤退し始めていた。
「くそッ! 最悪だ、ここまできて!」
ロイクが毒づくが仕方がない、戦いというのは俺たち二人でどうこうできる代物ではないのだ。
「今は逃げることを考えよう。生きてればチャンスはあるさ」
そう、生きていればチャンスは巡ってくる。
生きてさえいれば……
__________
日も暮れかけた頃、民衆側の指導者は悲痛な面持ちで、その日行われた戦闘の結果について討議していた。
要塞を包囲したところまではよかったのだが、いざ戦闘となってみればこの結果である。まったく話にならない。
「地方駐屯軍が到着するには多めに見積もってあと三日……それまでに要塞を陥とさなければ我々は全員破滅だ」
モノクルをつけた医者が口を開いた。
「全員仲良く晒し首……我々の家族も同じ運命を辿るだろうな」
少し腹の出た弁護士も言った。
「悲観していても仕方あるまい……で、誰か良い案のある者はいるか?」
「……」
民衆側のリーダー格である、整った身なりをした商人風の男が発言するが、周りにいる者はまるで唇を縫いつけられたかのように一言も口を開かない。
重い沈黙がその場を支配していた。
今日の結果を見た誰もがわかっていたのだ。冷静に考えてみれば民衆側が正攻法で要塞を陥とすなど不可能なのだと。
フレッセル要塞は幅二五メートルの堀と、高さ四十メートルの城壁で囲まれた堅牢な軍事要塞である。
陥落させるには優れた将軍の指揮の元、何週間にもわたって大量の砲弾を撃ち込まなければならないだろう。
しかし、民衆側には火砲も、弾薬も、そして経験も無い。
唯一できることといえば、要塞内の食料が尽きるまで粘り、兵糧責めにすることくらいだろうが、その頃にはとっくに王国の地方駐屯軍が首都に到着してしまう。
正直、圧倒的に守備隊が有利な状況だ。このまま十分な火砲と弾薬も無く、さらに背後にフレッセル要塞という悪性腫瘍を抱えたままでは、いくら首都の民衆が束になったところで国王軍には勝てない。
革命は今、最初の危機を迎えてた。
商人風の男が口を開く。
「もし何も案が無いのであれば、明日にもう一度総攻撃を仕掛けようと思うが……」
だがその言葉を遮るように、何者かが口を挟んだ。
「待ってくんな。案ならあるぜ」
「君は……誰だね」
皆の視線が一点に集まる。
そこには職人のような身なりをした髭面の男が立っていた。
「俺はジャコブ・ペイネ、国王軍の元伍長だ」
いきなり現れた国王軍の元軍人だと名乗る男の登場に、その場にいる者は皆、訝しんだが、かといって他に良案もない現状では仕方もなく、商人風の男は彼に発言を許した。
「では、ペイネ君。その案とは」
「地下から攻めるんだ」
その発言に、周りは驚いた。
「地下……それは一体」
「要塞に籠もってる奴らだって血の通った人間だ。糞も小便も垂れ流すもんさ。それが答えだ」
「なんだ! 君は我々を馬鹿にしているのかね!?」
医者の男が声を荒らげた。
「いや、ちっとも。じゃあ質問だが、要塞の兵士が垂れ流す汚物は一体どこに向かうと思う?」
「そんなもの、その辺に捨てておけば雨が降ったとき勝手に下水に……まさか」
ペイネはにやりと笑った。
「そう、下水だ。この街の地下は下水道網が非常に発達している。それは要塞も例外じゃない。なんたって壁の中に糞尿が溜まったままじゃいかんからな」
「しかしだ……仮に下水から要塞に侵入できるとして、そこから大人数を送り込むことなど不可能だ」
「だから決死隊を組織する。要塞に潜り込んで、内側から跳ね橋を下ろさせるんだ」
決死隊という言葉に、皆が息をのんだ。
「で……その人選は」
「なに、もう目を付けてある。ちょいと活きのいい連中をみつけたもんでね……」
ペイネ元伍長はぎらぎらした瞳で皆を見回した。
そのときのことを後に語った者は言う。あれはまるで狂気に取り付かれたような目だったと。




