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戦列の華  作者: 砂城 桜
1章 全ての始まり
2/28

理想

2話

 

 俺には前世がある。


 なんて言っても誰も信じないだろうが本当だ。


工場の床を磨きながらふと昔を思い出した。

 

 それにしても前世の日本という国は最高に恵まれていた環境だと今更ながら思ってしまう。

国民健康保険や年金などの社会保障制度が充実し、余程の事が無い限りは生きていける。


 そんな昔が懐かしいと思える程に今のこの世界は餓えと死が割と身近な存在なのだ。

 

 しかし俺はまだ幸運な部類に入るだろう。地方出身の貧しい家具職人の次男だが何とかまともな職場に就くことが出来た。

 今は帝都にも近いライブルクと言う街で軍用銃を製造する工場に勤務している。


 十六歳で入社一年目なので仕事内容は雑用ばかりだが、それでも給料が貰えるのは素直に嬉しい。

 

 俺は作業台の上に置いてあるフリントロック式マスケット銃を見上げた。


 フリントロック式とは火打ち石を利用したマスケット銃の点火方式の一つでマッチロック式(火縄銃)の進化系に当たる。

 

 個人的にはAKー47やM16のような突撃銃の方が好みだがそんな物が作れるようになるのはこの世界では数百年先だろう。

 

 順番から言うと次の主力はパーカッション式だ、ここで漸く銃用雷管が登場する。

 銃用雷管とは中に衝撃に敏感な起爆薬を詰め込んだ銅製の小さな皿のような形をした物で、衝撃を加える事で発射薬に着火させて弾丸を発射させる実包の部品だ。

 

 そしてこの部品の登場は銃を大きく進化させる。


 それ以前のフリントロック式の銃は不発が多く更に雨で濡れると弾丸を発射出来なくなる可能性があった。


 戦場で戦う歩兵達にとって敵の戦列に向けて引き金を引いたら不発だったと言うのは余り笑えない話だろう。


 しかし銃用雷管の登場で銃はその弱点を克服し、そのような条件下でも確実に弾丸を発射させる事が可能となったのだ。

 

 これは軍隊にとって大きな利点となる。


 この世界でも銃用雷管が登場すればフリントロック式の様な銃は駆逐されてパーカッション式が新たに軍に採用されるだろう。

 

 そして勿論、俺はこのチャンスを存分に利用するつもりだ。


 やはり人間という生き物は出来ればより良い生活をしたいと思う生き物である。


 既に帝都で活動している知り合いの錬金術師から頼んでいた銃用雷管の試作品が製作方法が描かれた紙と一緒に昨日届いたばかりだ。


 大まかな説明しかしていないのに本当に完成させるのは流石としか言いようがない。これが本物の才能と言う奴だろう。


 利益が出たらその内の一割を支払うと約束していたがもう少し分け前を増やしても良いかもしれない。

 

 後は俺が描いたパーカッション式マスケット銃の設計図と銃用雷管の試作品を持ってこの工場の社長に売り込みに行けば俺の昇進は間違いないはずだ。


 そうなれば今よりも条件の良いアパートに住むことが出来るし、食事も一日二度の味付けの薄いスープと堅いパンではなく毎日肉や卵が食べられるようになる。


 それを考えるとつい顔がにやけてしまう。


 俺も苦労したものだ。

 

 この世界は持つ者と持たざる者の違いがハッキリ分かれている。

 貴族や大商人が毎日贅沢三昧しているかと思えばスラム街で餓死する貧民もいる超格差社会だ。

 

 俺も一歩間違えれば野垂れ死んで道端に捨てられていたかもしれない。


 だが俺は勝ち組に入るつもりだ。


 その為なら前世の知識だろうが多少の汚い手段だろうが使って良いとも思っている。

 善人やお人好しに成るつもりは微塵もない。その様な人間でないとこの国では勝てない。


現実はこれまでの十六年間で嫌という程見てきたのだから。


 そんな事を考えてながら作業をしていると仕事場に終業を告げる鐘の音が響きわたった。

 

 「もうそんな時間か……」

 

 今日の仕事はこれで終わりだ。俺は雑巾を搾ってバケツに溜まった汚水を排水溝に流し込む。 

 

 「おい、ルーカス、そんなにやけてどうしたん

だ?」


 「何か変な物でも食ったんじゃねぇか」


 「そんな事をするのはお前だけだろ」


 作業を終えて帰り支度を始めた二人の先輩工員が俺の顔を見て何か言っている。

 

 「いえ、大丈夫ですよ。全く何の問題もありません」


俺は満面に笑みを浮かべてそう答えた。


 「そ……そうか」


 既に頭の中は銃用雷管の事で一杯なのだ。今からこれを持って社長の所へ行かなければならない。


 その後の事を考えるともう……


 「おい……なお前ぇ顔が凄ぇぞ……本当どうしたんだよ」

 

 厳つい髭面の先輩が俺の顔を心配そうにのぞき込んでくる。この人達は職人気質で性格が良いから嫌いではない。


 「実は昨日、帝都に住んでる知り合いから手紙が届いたんですよ」


 そう言って俺はズボンのポケットから手紙を取り出した。


 「へ〜もしかしてそれで思いだし笑いをしてたのか。お前がそんな顔をするなんて相当面白い内容だったんだろうな」


 「違いねぇ、いつもはもっと落ち着いてる生意気な野郎がこんな締まりのねぇ顔をするんだからな」


 「ハハハ、そうなんですよーー」


 ついぎこちない笑いになるが確かに俺にとっては面白い内容と言うのは間違いではない。


 昨日もアパートに届いた手紙を見て思わず狂喜乱舞して同居人達から似たような反応をされたばかりだ。

 

 「まあ良いや、今から俺たちは飲みに行くけどルーカスも来るか?」


 もう一人の長身痩躯の先輩が酒を飲むジェスチャーをする。


 十六歳の少年に酒の誘いとは流石は異世界だ。日本だと色々と問題になるだろう。

 いや、でも確か前世のドイツは十四歳から飲酒は可能だったか。


 「すいません、今日はこれから社長に用事があるので無理かもしれません」


 俺も精神年齢で言えばこの二人よりも年上なので本当は飲みに行きたいが、用が済むまで待たせるのも悪いので今回は断る。


 「そうか、残念だな。もしかして給料の値上げ交渉か?」


 「まあ、そんな所ですかね」


 少し違うが似たようなものだろう。俺は軽く頷いて答えた。


 「なんだ、そうだったのか……」


 「まあ、確かに地方から来た奴があの給料じゃなぁ……」


 そう言って先輩達は互いに頷き合うと肩を組みながら街へ繰り出して行った。


 最後に残った俺も帰り支度を済ませると社長の元へと向かう。

 

 これが出世の第一歩だ。


 俺は意気揚々と社長室のドアを叩いた。


 

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