市庁舎襲撃
19話
「パンだ! パンをよこせ! これ以上俺たちを餓えさせるな!」
「市長はまだか! 不当に値段をつり上げる悪徳商人を取り締まるんだ!」
市庁舎前の広場に集まった群衆が口々に叫ぶ。
石畳は群衆の灰色に汚れた面とシラミだらけの頭で埋め尽くされ、広場中央にそびえ立つ国王の騎馬像の肩にまで汚らしい人影が腰掛けている。
男も女も老人から子どもまで、彼らの充血した視線は白い大理石で建てられた市庁舎のバルコニーに注がれているが、窓の内側ではカーテンがピタリと閉ざされ、いくら待っても開く気配はない。
不満の声が大きくなる中、いつの間にか棍棒や槍、さらにはどこから持ち出したのか古い小銃で武装しだす者まで現れ始めた。
「皆、聞いておくれ!」
そんな中、一人の体格のよい中年女性が声をあげる。
険しい顔つきで白髪まじりのぼさぼさ頭を振り乱しながら、女は群衆の先頭に飛び出した。
「あんたたち、いつまで待ってるつもりだい! これまで冷血な貴族たちがあたしらに救いの手を差し伸べてくれたことがあったか、ようく考えてみておくれ! 貴族はみんな悪い野郎だ、あたしの母さんは先月貴族の馬車にひかれて死んだ……あいつらは謝りもしやがらない! そんな野郎は吊し首になって当然さ!」
女は肩で息をしながら、最前列で呆然と突っ立ている男から棍棒を引ったくった。
「あんたたち、奴らを吊せないならこの先ずっと臆病者だよ!!」
その短い演説が場の空気を変える最後の一押しとなった。
「吊せ……」
「吊せ……!」
「……奴らを吊せ!!」
「俺たちはもう臆病者じゃない!!」
「「「吊せ! 吊せ! 吊せ!」」」
吊せ、このたった一言の単語が波のように群衆に伝わっていく。
その後の事態は急速に進行した。すぐに国王像は縄を掛けられて引き倒され、男たちは像の顔に唾や小便をひっかける。太陽は既に西の空に沈みかけていたが、一人一人に棍棒か松明が配られ、完全に日が沈んだころには市庁舎の分厚い門を破るための丸太が広場に到着した。
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広場で群衆が騒ぎ立てる一方、市庁舎の中は混乱の極みに達していた。
市長以下、上級の役人は大半が早いうちから事態を察知して密かに裏口から逃げ出してしまい、庁舎に残っているのは下級役人と三十名にも満たない衛兵のみであった。
衛兵隊長の指揮の元、門と窓には机や椅子で気休め程度のバリケードが築かれ、玄関ホールには武器庫から引っ張り出してきた歩兵砲が二門並べられている。
手の空いている役人にも小銃が配られたが、彼らはろくに扱い方を知らないため銃口にスパイクを突き刺して短槍として使う道を選んだようだ。
「いいか! 奴らが門を突破するまではその場で待機しろ! それから砲身には砲弾ではなく釘と銃弾をたっぷり詰め込むんだ!」
小柄な衛兵隊長は早口で飛沫を飛び散らせながら指示を出すが、その努力が無駄に終わるであろうことは彼が一番よく理解していた。
「くそったれ、軍隊は何をしてるんだ! 早くしないと手遅れに……」
若い砲手が震える声を絞り出したが、隊長はさっと手を上げてそれを遮った。
「もうとっくに手遅れさ……」
丸太を打ち付けられ、どすんどすんと鈍いリズムを刻むドアを睨みながら彼は振り返らず、背後にいる部下たちに向かって吐き捨てるように言った。
「死ぬ覚悟はできたか……」
次の瞬間、めりめりという大きな音とともに門が打ち破られ、棍棒や松明を持った群衆がバリケードを蹴散らしながら玄関ホールに侵入してきた。
「撃て!!」
隊長が手を振り下ろした瞬間、門に向けられていた二門の砲が同時に火を噴いた。
砲口から飛び出した大量の釘と銃弾は鉄の暴風となって突入してきた哀れな群衆を一掃する。
砲身から吹き出した煙が収まる頃には薄暗い玄関ホールはうめき声を上げる負傷者の声で満たされていた。
「次弾装填急げ!」
隊長の指示に従い、砲兵たちが釘と銃弾を装填する間にも破られた門からは濁流のように群衆が突入してくる。
男も女も目を血走らせながら棍棒や松明を振りかざしてこちらに向かってくる。
この愚かしい熱気に包まれた人々を見て隊長は思った。バリケードの破片や負傷者も踏み越え、きっと次は我々を、そして最後は国王陛下までをもその汚れた足で踏みつけてしまうつもりなのだろうと。
「……撃て!!」
再び砲が火を噴き、群衆の波をなぎ倒す。
しかし彼らの振り下ろす棍棒は既に十分に距離を詰めていた。
「死ねやぁ! 腐れ外道ぉ!!」
「くそっ!」
砲兵に次弾を装填する間を与えず、文字通り仲間の屍を踏み越えてきた者たちによって庁舎内で激しい乱戦が始まった。
役人たちもマスケット銃や角材を振り回して必死の抵抗を試みるが、数の差は覆しがたく、戦闘が終結するまでにそう長い時間は掛からなかった。
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市庁舎前の広場は酷い光景だった。以前は堂々と街を見下ろしていた国王像は原型も分からぬほど破壊され、そのすぐ近くの石畳には死んだ者が一列に並べられていた。
さらに輪をかけて庁舎の二階のバルコニーからは首をくくられた哀れな衛兵や役人の死体がてるてる坊主のように吊されている。
だが空中でぎしぎしと縄を軋らせながら揺れている死体のブーツの下をくぐって薄暗い庁舎に足を踏み入れると、ここも外に劣らぬ悲惨な光景が広がっていた。
広い玄関ホールにはうめき声を上げる負傷者たちが並べられ、その列の間を人々が行き交っている。玄関側の壁を振り返ると、そこには大量の弾丸と釘がめり込み、さらに足下の床には赤銅色の血糊がべったりとついている。
わざわざ言葉にせずとも、ついさきほどこの場所で激しい戦いがあったのだということは誰の目にも明らかだった。
「ねえ、そこの兄ちゃん……こいつを一緒に運んでくれやしないかい」
玄関でぼうっと突っ立ていると、急に髪を三つ編みにした中年の女に手招きされた。
「今看取ったところさ。まだ若かったのにねえ……」
「そうか……」
女が視線を落とした先には青白い顔をした一人の青年が寝かされている。至近距離で火砲の砲撃を浴びたのか、肘から下の左腕が千切れかけていた。
「知り合いかい……」
「いいや、ただの人違いだ」
一瞬だが前世の死に際の記憶が蘇る。体からどんどん血が抜け、眠るように思考が深い淵に落ちてゆく……そんな記憶だ。
「二度とごめんだな……」
「ん、なんか言ったかい……?」
「なんでもない、独り言だ。俺は頭の方を持つからそっちは足を頼む」
怪訝な顔をする中年女から顔を逸らし、死体の腋の下に腕をまわして抱きかかえるように持ち上げると、青年は思っていたよりもずいぶんと軽かった。たぶん彼は栄養失調気味だったのだろう。
「あんたは長生きしなよ」
中年女が俺の顔をじろじろと見ながらふっと言った。
「言われなくても……」
本当は前世も含めるとあんたよりも年上なんだけどな、という言葉を飲み込み、俺は笑顔であんたも長生きしなよと返した。
次回は市街戦です。




