血まみれの平原《後編》
16話
「全軍突撃!!」
サーベルを振り下ろしたザイツィンガー大将は大声でそう叫ぶと、その場に立ち尽くす兵士たちを置いて敵戦列へと向かって走り出していく。
「おいおい、冗談だろ……」
エアハルトを含めた帝国軍兵士の誰もが目の前で繰り広げられている光景に戸惑いを隠せずにいた。
剣や槍で戦っていた時代ならいざ知らず、通常は軍団を指揮する司令官というものは味方の後方から指示を出すものである。
当たり前だが将軍と兵卒の命は等価ではない。しかしこの老将軍は微塵の躊躇も見せずに弾丸飛び交う最前線を走り出したのだ。
歴戦の兵卒のように戦場を駆ける将軍の姿にはわずかな狂気さえ感じてしまう。
だが、このときエアハルトを含めた帝国軍将兵の誰もが、一度も後ろを振り返らずに走る老将の背中に魂を揺すられていた。
「俺たちのザイツィンガー大将を死なせるな!!」
誰かが叫んだ。
「そうだ! 司令官の後ろで歩兵がびくびく震えてるなんて末代までの恥だぜ!」
「俺たちはザイツィンガー大将について行くぞ!」
帝国軍全兵士が雄叫びをあげる。
「「「全軍突撃!! 大将に追いつけ!!」」」
歩兵たちは一斉に足並みを揃えて整然と行進し始めた。
共和国軍の戦列から一斉射撃があるたびに味方の歩兵が倒れていくが、帝国軍の士気はむしろ上がっていた。
「もう少しだ……もう少しだ」
エアハルトは相変わらず最前列を走っているザイツィンガー大将に視線を向けた。
最前列を走っているにも関わらず大将の体には傷一つ付いていない。
まるで弾丸があの人を避けているかのようだ。
大将には戦術も戦略も無い。何も考えずに弾丸の嵐の中でただ先頭を走る。たったそれだけの行為ではあるが、実行できる司令官となれば帝国と共和国を合わせても一握りしかいないだろう。
しかし後ろに続く歩兵たちにとってはこれほど頼もしい上官はいない。軍の士気は頂点に達していた。
そして遂に帝国軍部隊の先頭が敵戦列と衝突する。
真っ先に大将がサーベルで敵歩兵に切りつけ、その後ろから続いてきた歩兵たちが銃剣で共和国兵を打ち倒す。
エアハルトも目の前の敵に銃剣を突き刺し、捻りを加えて下腹部を引き裂いた。
地面に倒れ伏した敵兵の頭部を銃床で叩き割ってとどめを刺す。
「敵は浮き足立っているぞ! 一気に蹴散らしてしまえ!」
彼の数メートル先で、共和国軍の下士官らしき人物の首をサーベルではね飛ばした大将が叫ぶ。
戦場の均衡は破られた。
帝国軍の予想外の突撃で共和国軍の戦列は以外にもあっけなく崩壊していく。
退却していく共和国軍を見つめながらエアハルトは雄叫びをあげて地面に膝を突いた。
「やった! やったぞ! 生きてる! ハハハハハ……嘘みたいだ」
返り血で塗れた手を太陽にかざして彼は自分の幸運に感謝した。
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「なんということだ! この短時間であっという間に戦況を覆すとは……くそッ、狙撃兵を右翼に集中させすぎたのは失敗だったか!」
共和国軍の将軍は手に持っていた望遠鏡を地面に叩きつけた。
「これは策士策に溺れるというやつですかね……エルランジェ将軍」
黒髪の副官がレンズが粉々に砕け散った望遠鏡を拾い上げながら皮肉の混じった口調で言った。
「な、何だと貴様! もう一度いって見ろ! 軍法会議にかけてやろうか!」
「貴方がよろしいのならば何度でも言いましょうか? このまま本国に帰れば貴方は確実に失脚です……前任のラファルグ将軍と同じようにね」
「くッ……いい気になるなよ青二才! お前に私の何が分かる!」
「貴方のことなどもう何も知る必要はありません。どうせこれから貴方に待ってるのは革命法廷での死刑判決です。あの世でラファルグ将軍に詫びることですね!」
共和国軍の将軍は何も言い返すことができなかった。
彼の脳裏に、法廷でラファルグ将軍に詰問していた自分の姿が思い出される。しかし今回本国に戻ればラファルグがいた被告人席に座ることになるのはエルランジェ自信なのだ。
将軍は懐から拳銃を取り出し、筒先をこめかみに押し当てた。
処刑場に連行されていったラファルグの姿と自分の陰が重なる……
しかし彼は引き金を引くことはできなかった。その心にわずかに残っていた軍人としての責任感が自殺を許さなかったのだ。
「……やはり敗戦の将の死に様はギロチンが相応しいだろうな」
そう言って将軍は拳銃を黒髪の副官に手渡した。
「エルランジェ将軍、先に言っておきますが、私は貴方のことが許せません。ですがこれだけは正しい判断です」
「当たり前だ。革命法廷で軍籍を剥奪される瞬間まで私は軍人としての務めを果たすつもりだ……しかしゲルシェ少佐、君とも近いうちにあの世で再会することになるだろうさ。この国で責任ある立場に就くとはこういうことだ」
将軍は薄く笑って黒髪の副官の肩を叩いた。
「全軍に伝達せよ。退却するぞ」
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沈みゆく太陽が大地を赤く染めている。
泥と返り血にまみれた少年は平原に立ち尽くしていた。その視線は1つの死体に注がれている。
砲弾が直撃したのだろうか、死体は右足が千切れていた。
這ったような跡があるから、即死ではなかったのだろう。
足を吹っ飛ばされ、のたうち、這いずり、そして力尽きた……
「おい……うそだろ、うそだといってくれよ……」
少年の目から自然と涙がこぼれ落ちた。
「うッ……くッ……ルーカスッ! なんでだッ!」
エアハルトは声を上げて泣いた。
泣き、叫び、冷たくなった彼の手を握りしめ、問いかけた。
しかし死体は何も答えてはくれなかった。
次こそ本当に1章完結です。




