血まみれの平原《中編》
15話
遠くに見える帝国軍の部隊を眺めながら共和国軍の将軍は満足げな笑みを浮かべ、傍らに控える黒髪の副官に問いかけた。
「フッ、無様な見せ物だとは思わんかね。どうやら帝国の狼はただの年老いた羊に成り下がったらしい……このような相手に負けるなど、前任のラファルグ将軍はそうとうの無能だったらしいな。まぁ、奴も今頃は墓石の下から私の輝かしい活躍を眺めてるだろうさ」
黒髪の副官は将軍に対し、嫌悪感を隠すこともせずに短く答えた。両手の拳を握りしめ、静かに怒りを堪えている。
「指揮官を狙撃し、部隊を混乱させ、敵の援軍が到着すると同時に騎兵部隊を引き上げさせてその一帯を集中砲撃……このような卑怯な戦術、私は納得しかねますが」
将軍は薄く笑うと、まるで靴底にこびり付いた汚れでも見るような目で副官を一瞥した。
「君が納得しようがしまいが、そんなことはどうでもよい。私は共和国政府から全権を託された最高司令官だ。私に逆らうことは国家権力への挑戦と見なされるぞ。これに逆らった者の辿る末路は君が一番良く理解しているはずだろ」
「くッ……」
副官が黙り込むと将軍は鼻で笑い、少し興奮した様子で天を仰いだ。
「しかし、これで帝国軍の右翼は壊滅だな。同時に奴らの騎兵部隊にも打撃を与えることに成功した。ついに……ついに私は、帝国軍をこの手でしとめることができるチャンスを掴んだのだ!」
ーーーーーーーーーー
「閣下! ザイツィンガー閣下! 大変です、右翼のシュトルツ隊及び、増援に派遣したニュルンベルク騎兵連隊に壊滅的損害! なお、連隊長のシュトルツ大佐の戦死が確認されましたことも、併せて御報告致します!」
伝令兵からその報告を受け取ったザイツィンガー大将は思わず目を見開いた。
「ばかな、シュトルツが、死んだだと……それにニュルンベルク騎兵連隊まで……何故だ。一体何が起こっているというのだ!」
病気の体のことも忘れ、大将はつかみかかるような勢いで伝令兵に問い詰める。
「は、はい。どうやら共和国軍はライフル兵を多数配置している模様です。既に連隊長以下、多数の士官が狙撃により死傷しています」
「なんと……共和国め、遂に堕ちるところまで堕ちたようだな……このような戦術は東方の遊牧民にすら劣る蛮行である!」
大将はそこまで言ってから、自分の息があがっていることに気がついて絞り出すような声で言った。
「ふぅ……もうよい、お前は下がれ」
敬礼して、早足で去っていく伝令の後ろ姿を見つめながら、将軍は静かに手を胸に当て、軍服の胸元を握りしめた。吐く息は荒く、口の中には血の味が広がっている。
「シュトルツが死んだ……よくも我が将兵たちを卑劣な手段で殺してくれたな……忌々しい共和国め! 許さん! 絶対に許さんぞ!」
その瞬間、大将の体の中で何かがはじけた。頭がぐらつき、激痛で胸が締め付けられる。それと同時に霞む視界の中で懐かしい記憶が走馬燈のように浮かんできた。
「こ、これは、ああ……」
士官学校の制服を着た若い自分が長椅子に座って夕暮れの空を眺めている。その隣にもう1人、自分と同じ制服を着た青年が座っていた。
青年が、若い自分に話しかけた。
(ハルトヴィン、遂に俺たちも卒業だな)
(そうだな)
(卒業したらどこに配属されるかな? できれば暖かいところに配属されたいもんだ)
(それならカルディア半島の辺りか、あのそこの気候は快適だと評判らしいからな……)
(そうさ、それに国境を接する半島諸都市同盟との関係も良好だ。戦闘とも無縁でまさに楽園だぞ。お前もそう思うだろ?)
青年が軽い口調で話すのとは対照的に、大将は終始無愛想だ。
(俺は西部アルタニア平原への配属を希望している)
そう言った瞬間、青年の表情が曇った。
(本当に行くつもりなんだな)
(ああ、俺の決意に変わりはない)
(だけどな……今のラテリアは状況が最悪だぞ。国境では小競り合いが頻発しているし、もしかしたら大きな戦争になるかもしれない)
(それでもだ。それこそがこの国に貴族として生まれた者の責務だと俺は確信しているからだ)
(その為なら死をも恐れずか……まったくお前らしい考えだな)
(……)
2人の青年は無言で握手を交わした。
思考が現実の世界へと引き戻される。
「そうだ……そうだった。祖国の名誉のため、貴族の誇りのため、友との友情のため。儂は与えられた責務を果たさねばならんのだ。例えこの身が朽ち果てようとも!」
大将は上体を起こすと口元の血をハンカチで拭った。
「あ、あの……閣下? 大丈夫ですか?」
近くにいた副官がこちらに駆け寄ってくる。
「問題ない、持病の発作だ。それよりも左翼と中央部の戦況はどうなっている?」
「現在は何とか戦線を支えていますが、敵はなかなかに手強く突破することができません」
「そうか、ではその均衡を崩すとしよう」
「何かこの状況を打開する策があるのでしょうか?」
副官が怪訝そうな顔で訪ねてくる。
「いや、策と呼べるほど大層な者ではない。だがやるしかないのだ。すぐに馬の用意をしろ」
大将は心の中で呟いた。
(悪いなオットマー、戦争に勝ったら2人で酒でも飲もうと思っていたんだが……)
ーーーーーーーーーー
目の前で土煙があがる。何も見えない。
次の瞬間、耳元でヒュンと風を切る音と共に生温かい液体が顔にかかる。
煙が収まり、隣を見ると先ほどまで肩を並べて戦っていたはずの味方の上半身が無くなっていた。
「くそッ、まったく最悪だぜ!」
エアハルトはマスケット銃に弾を込めながら叫んだ。
血と硝煙の臭いに包まれた戦場では恐怖が歩兵たちを覆っていた。
「撃て!」
指揮官の声が聞こえる。
足下の地面に銃弾がめり込み、弾き飛ばされた土塊が頬をかすめる。
(もう嫌だ……もう嫌だ……死にたくない……死にたくない)
自分の内なる声がそう叫ぶ。限界だ、この戦いは負ける。
そんな考えが頭をよぎったそのとき、なにやら後方から味方のざわめきが聞こえてきた。
「一体なにをッ……おい、嘘だろ」
騒がしい方向に視線を向けたエアハルトは絶句した。それは周りの兵士たちも同じだったらしい。
戦場に奇妙な空気が流れる。
「俺は幻でも見ているのか……な、なんで司令官のザイツィンガー大将がこんな前線にいるんだ……」
ザイツィンガー大将は兵士たちのざわめきなど気にもとめず戦列の最前列に立った。
「全隊ッ、着剣して整列!」
大将はそれだけ言うと腰に下げたサーベルをゆっくりと引き抜き、天高く掲げて振り下ろした。
ーーーーーーーーーー
共和国軍側では黒髪の副官が望遠鏡で帝国軍の様子を観察していた。
「エルランジェ将軍……敵縦隊が突撃を開始しました」
副官は短くそう告げる。
「まったく無駄なことを。追いつめれば少しは狼の片鱗を見せるてくれるかと期待したが、あの老羊も芸がないものだ」
共和国軍の将軍はやれやれとかぶりを振った。
「それはどうでしょうか。これをどうぞ、大変興味深い光景がご覧になれますよ」
「ふんッ、無様な帝国軍以外の何がみえるというのだ」
副官の差し出した望遠鏡を舌打ちしながら受け取った将軍はレンズをのぞき込んだ。
しかしその表情はしだいに青ざめていく。
「どうです? 敵ながらなんとも壮絶で美しい指揮ではありませんか」
副官が話しかけるが、将軍の耳には届いていなかった。
「こ、これが奴の奥の手か……狂ってる! 何て奴だ!」
望遠鏡を持つ将軍の手がプルプルと震え、額を一筋の汗が流れ落ちた。
彼は一瞬で理解したのだ。
戦場に狼が降臨したことを。
大変遅くなってしまいました。すみません。




