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戦列の華  作者: 砂城 桜
1章 全ての始まり
13/28

平原の狼

13話


 枯れ草色の平原には緊張が走っていた。 


 平原を流れるエーベル川を挟んで、マスケット銃を担いだ両軍の歩兵が三列横隊の戦列を組んで睨み合っている。



 これから行われる戦いは、数ヶ月に渡って続いたこの戦争で最も重要な戦いになるだろう……あの頃の様に。


 かつて平原の狼と呼ばれた老将はふと昔を思い出した。


 ここで帝国が勝利すれば共和国は苦しい立場に立たされる。


 共和国の政治家達も有能とは言い難いが、馬鹿ではない。今、この場で共和国軍に痛烈な一撃を叩き込めば、奴らはこれ以上の敗戦を重ねまいと早々に和平交渉に応じるであろう。


 そうなれば儂の出番も終わり、後の交渉は外交に長けた中央の貴族達が万事上手く纏めてくれるはずだ。


「まぁ……尤も簡単には勝たせてくれんだろうがな」

 

 川の向かい側に整列している共和国軍の歩兵を眺めながら痛む脇腹を静かに押さえた。


 この歳になって多少の無理をしたせいか、持病が悪化してしまったようだ。


「もう少し……もう少しだけ耐えてくれ……」


 周りにいる兵達に気づかれないくらいの小声で呟く。


 まだ儂の体調の変化に気がついた者は誰もいない。そして歩兵達には勿論のこと、将校達にも異変を悟られるわけにはいかない。


 軍を指揮する将軍たるものは、如何に困難な状況におかれても眉一つ動かさず、毅然としていなければならないのだ。


 上に立つ者の不調が知られれば、配下の兵は必ず動揺してしまう。特に文字通り`明日をも知れぬ命である`歩兵達にとってそれは重大な不安材料となり、士気にも関わる。


 言ってみれば、戦列歩兵というのは究極の度胸比べである。歩兵達が戦う気力を失ったらその時点で負けであり、兵士の数や練度も重要だが、そもそも士気が低ければ話にならない。  

    

 いつの時代、どんな戦いでも圧倒的不利だと思われていた軍が勝った例など幾らでもあるが、士気の低い軍が勝った試しはないものだ。


 それ故、軍を指揮する将軍は、戦いの前には兵の士気を高めることに務めなければならない。


 戦況を見て軍を動かすだけでは将軍は務まらないということだ。むしろそこに至るまでの地味な作業を軽視せずに完璧にこないていく方が大切なのである。


 それが出来ていなければ敵に容易に足元をすくわれてしまう……


「ウッ……」


 ふと、腹の底から何かがこみ上げてくる感覚がしたので、素早く胸ポケットから絹のハンカチを取り出して口元に押しつける。


「どうやら時間は待ってくれんらしいな……」


 赤い血がべっとりとついたハンカチを周囲に見えないよう、懐にしまい込み周りを見渡す。


 もうこの体には一刻の猶予もないようだ。


「グズグズしてたら手遅れになると言うこと

か……それでは狼の最後の意地を見せてやろ

う……忌々しい共和国め、開戦だ」


  



ーーーーーーー


 



「進め!」 

 

 まるで夢でも見ているかの様な気分だった。


 指揮官の号令も、軽快な太鼓の音も、共和国軍の砲弾で数歩隣にいた奴の首がもげるのでさえも何処か現実とはほど遠い夢の国で起こった出来事の様な気がしたのだ。


 つい先ほど、帝国軍の砲撃と共にこの戦いは始まった。直後に共和国軍からお礼の砲弾が届き、今は両軍共に休む間もなく砲弾の応酬が続いている真っ最中だ。


 しかし、高速で飛んでくる鉄の塊に対して人体というものの何と脆いことか……まともに当たれば体は文字通り木っ端微塵である。


 地面をバウンドしながら向かってくる砲弾は味方の戦列をなぎ倒し、地面に次々と真紅の花を咲かせていく。


 その光景は地獄絵図という表現でさえも生ぬるいと感じてしまうほどだ。


 だが、両軍共に犠牲を出しつつも戦列は乱れることなく前進し、敵戦列との間隔は徐々に埋まっていく。


「止まれ!」


 そして共和国兵の顔の表情が分かるくらいにまで近づくと、指揮官の号令が聞こえた。


 行進を止めて敵戦列を眺める。恐怖でひきつった顔の者もいれば、蝋人形の様に無表情の者もいる。


 今の自分の顔がどうなっているのかなど知りようがないが、彼らと同じで、きっとまともな表情はしていないだろう。



 ……俺達は今から互いを殺し合うのだ。 



「構え!」


 指揮官の命令に従い銃を構え、大まかに狙いを付け、引き金に指を掛ける。


 立っているか、倒れているか、生きているか、死んでいるか……全てがハッキリするのはほんの数秒先のことだ。


「撃て!」


 永遠にも感じた数秒間が過ぎ、指揮官の叫び声が聞こえた。


 引き金を引いた瞬間、轟音と共に辺りを白煙が覆い、硝煙の臭いが鼻を刺激する。


 そして、まだ白煙が完全に治まりきるのを待たず、共和国軍の射撃も開始された。


 直後に周りにいた歩兵達がバタバタと倒れていく。


「グッッ……!」


 次の瞬間、左脚に激しい痛みを感じて思わず地面にうずくまった。


 見ると左脚のゲートルに弾丸がかすった様な筋が一本走っており、そこから血が染み出している。


「クソッ! チクショーッ! 何て痛さだ!」


俺は傷口に片手を添えると、空いてる腕で銃を握り、頭を地面に擦り付ける様に這って後退する。


 撃ち合いはまだ続いており、弾丸が頭上をかすめていく音がハッキリと聞き取れた。


 味方戦列の後方に少し離れたところで、比較的清潔な布を取り出して傷口を縛る。  


 衛生観念が希薄なこの世界で怪我を負えば、破傷風などで命を落とす危険性が高い。出来ることと言えばアルコール度数の高い酒で傷口を消毒して清潔な布で縛ることくらいだろう。


 しかしそれでも何も処置をしないよりは百倍マシだ。


 処置を終え、マスケット銃で体を支えて立ち上がる。確かに怪我はしたが、このくらいで戦線を離脱するのは認められないだろう。


 戦列に戻ろうとしたとき、急に指揮官が狼狽えた声で叫んだ。


「方陣だ! 方陣を組め! 騎兵突撃がくるぞ!」 

  

 俺がそこから見た光景は、地響きをたてながらこちらに向かってくる共和国軍の騎兵隊だった。

  

 

更新が遅れてしまい申し訳ありません。

次回で1章は最終回となる予定です。

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