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戦列の華  作者: 砂城 桜
1章 全ての始まり
12/28

会戦前夜

12話


 あの日の戦いから既に一週間と数日が経過した。


 俺達の所属するアルタニア平原派遣軍、ミュンヘン歩兵師団は真冬の平原をひたすら歩き続け、遂にエーベル川の数キロ手前の地点にまで到達していた。


「雨でも降ってくれると良いんだけどな」


 野営地の歩哨をしながら、そんな言葉を口から漏らしてしまう。

 

 このまま天候が良ければ、恐らく明日にでも共和国軍との戦闘が開始されるだろう。


 噂だと共和国軍はエーベル川に大量の軍隊を集結させているらしい。両軍が衝突すれば、間違いなく戦争が始まって以来の最大の戦いとなることが予想される。

 

 二度目の人生も遂にここで終わりかもしれない。短いながらも波瀾万丈な人生だった……「我が生涯に一片の悔い無し」とでも言えれば格好良いのだが、実際には悔いしかない。


 もしパーカッション式ライフルが認められていたら今頃は……いや、それとも故郷の街で、飢えと寒さに震えてでも留まるべきだったか……


 なんて事を考え始めるとキリがない。


 しかし、もう既に手遅れだ。


 遺書でも書くか、神にでも祈るか、明日に備えて寝るか、今の俺にできるのは精々そのくらいだ。


 空気の透き通った冬の空を見上げるとふと、ライブルクの街を思い出してしまった。


 蜘蛛や鼠だらけのボロアパート、排泄物の臭いが染み着いた貧民街、小狡そうな小太りの男が運営する、労働者の権利もクソも無い武器工場。考えてみれば、本当に薄汚く醜悪な街だった。


 そんな街に、俺は希望を抱いていたのだ。


「その結果がこれか……酷いもんだな」


 丁度、今は周りに誰も居ない。何処までも続く蒼い空を見ていると、どうしても一言、言いたくなってしまった。


「おい……神様っているのか? いるなら教えてくれ。どうして俺をこの世界に連れてきた……?」


 そんなことを言った所で、帰ってくるのは凍えるような冷たい風だけだ。 

 

 しかし、自分でも意味のない独り言だと分かってはいたが、言わずにはいられなかった。

 

「答えてくれよ……」



 それからしばらくの間はセンチメンタルな気分に浸っていたが、不意に、誰かに後ろから肩を掴まれた。


「おい、ぼさっとするな。交代の時間だぞ」


 振り向くと、同じ中隊に所属する古参兵が怪訝な表情でこちらの顔を見ていた。 


「あ、これはすいません、少し疲れ気味でし

て……」 


「ハァ、全くこれだから素人は困るぜ、明日にでもドデカい戦闘が始まりそうだってのに、そんなんじゃ生き残れねえぞ」


 古参兵は腕を組んでやれやれといった感じで首を左右に振る。


「まぁ、でも気持ちは分からないでもないがな。お前は明日に備えてしっかり体を休めてこい。もしかしたら人生で最後の休息になるかもしれんからな……悔いは残さん方が良いぞ」


「はい……」


 俺は敬礼をし、ゆっくりとその場を去った。

  

   



ーーーーー



「おいルーカス、お前そんな調子で大丈夫なのかよ。顔が青いぞ」


「そう言うお前だって、お世辞にも顔色が良いとは言えないぞ」


 歩哨の任務から外れた後、俺はエアハルトと二人っきりで話をしていた。今となっては残っている友人も彼一人だけだ。


「今思うと、初めての戦闘の前はもっと楽観的でいられたよな……」 


 エアハルトが言う。


「そうだよな、言ってみれば、なまじ戦争の恐怖を知ったお陰で余計に死ぬのが怖くなったって感じだな」


「確かに当たってる……」


 前世だと軽度のPTSDといった所か。尤もこの世界にはその様な価値観など無い、症状が重くなれば、精神異常者と見なされて故郷に送還されるだけだ。


「俺たち、次の戦闘が終わる頃には生きていられると思うか」


 エアハルトが沈んだ口調で尋ねる。


「さあな……あえて言うなら運次第だろう。それ

に、たとえ五体満足で生き残れたとして、心まで無事とは限らないぞ」

    

「マルクみたいにか……」


「ああ」


「マルク、ザームエル、二人とも良い奴だったのにな……」


「仕方がないさ」


 ザームエルは脚を、マルクは心を失った。二人共、もう一生普通の生活を送ることはできないだろう。


「ある意味、死ぬよりも辛い結果かもしれないな……」


「そうだな……」

   

 俺達はそれから一言も話さず、会話は自然に終了した。






ーーーーー


 アルタニア平原派遣軍野営地、某所


 兵士達も寝静まった真夜中、一人の老将が何やら苦しそうに地面にうずくまっていた。  


「グフォッ……ゲェェ……ハァハァ」


 老人の皺だらけで血管の浮き出た額は、流れ出た脂汗でべったりと濡れている。  


「ハァハァ……まだだ……もう少し、あともう少しだけ耐えてくれ。共和国軍を、共和国軍を平原から追い出すまでは断じてくたばるわけにはいかんの

だ……」

 

 老人は苦しげな表情で、地面に広がった血混じりの吐瀉物を見て呟いた。


 

 第二次エーベル川の戦い、その前夜の事である。







更新が遅れてしまいました。

申し訳ありません。

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