34話 私の貴族なのだから
―フィラン・バーガル・ランカ視点―
唸り声が聞こえてくる娘の部屋の扉に手を当てる。
もう何日、フィスミリの可愛らしい声を聞いていないかしら。どうして、こんなことになってしまったのかしら。あぁ、可哀そうなフィスミリ。
「フィラン様」
牧師を見ると、彼は小さく頭を下げた。
「奴の娘はどこ?」
いつもの連中には、今回は倍の報酬を払った。だから絶対に失敗は許さないわ。
「もうそろそろ到着するはずです」
「本当に娘は元に戻るのでしょうね」
「フィスミリお嬢様に返された呪いを、呪いを受けたリーナに移せば、必ず元のお嬢様に戻ります」
「本当よね? ウソなら許さないわよ」
もしウソだったら、こいつを殺してやる。
「本当です。ただ、少し心配があります」
「何?」
心配?
牧師を睨むように見つめると、彼は少し困った表情で私を見返した。
「幼いので、全ての呪いを受け止められないかもしれないんです」
「なんですって?」
どういう事? 最初は確かに、二人の生贄が必要だと言っていた。でも、一人でも大丈夫だと言ったじゃない!
「もう一度詳しく調べましたら、幼いと器が小さく呪いが溢れるみたいなんです。ですので、リーナで失敗した場合は、すぐにもう一人の呪った相手であるアグスを連れてきてもらう必要があるようです。申し訳ありません。」
深く頭を下げる牧師に苛立ちを覚える。
「それだったら、最初から二人を連れて来れば良かったんじゃない! 呪いを移す時に、並べておけばいいんだから!」
「それはダメです」
「どうしてよ!」
「呪いを移動させる時に、生贄が二人いる場合は失敗すると書いてありました」
「あぁもう」
苛立ちを紛らわそうと、娘の部屋の壁を拳で叩く。
「ぎゃあぁぁああああ」
「ひっ」
部屋の中から聞こえてきた獣のような唸り声に、思わず悲鳴を上げる。
「ごめんね、フィスミリ。騒がしかったわね。あと少し待ってね」
二階にある娘の部屋から離れ、一階の玄関へと向かう。
「夜には実行すると言っていたから、そろそろ奴の娘が来るはずよ」
私の可愛い、可愛い娘フィスミリ。お父様が選んだ結婚相手が悪くて、娘はひどい目に遭った。それに気づいた私が注意したら、あいつらは娘に離婚を突きつけた。しかも、娘が悪いと言って!
家の金を横領した? 愛人を作って金を貢いだ?
「馬鹿馬鹿しい」
家のお金を自由に使って何が悪いの? 夫が娘を満足させないから、愛人を作るのよ。その愛人と娘のためにお金を渡すのは当たり前のことよ。すべて、娘を満足させられなかった夫とその家族のせいなのに!
「商人で金はあったかもしれないけど、平民なんかと結婚させるから」
フィスミリの結婚相手が平民だと知って、私は何度もお父様に抗議したわ。それなのに、無理矢理結婚させられた。
「平民なんて」
そう、平民なんて私たちの指示に従っていればいいのよ。あのリグスという男も同じ。フィスミリが相手をしてあげると言ったのだから、従えばよかったのに。それなのに、結婚している? 妻を愛している? そんなこと、どうでもいいのに、フィスミリを蔑ろにして。
「フィスミリが元に戻ったら、残った娘をあの男の目の前で傷つけてやるわ。あの男がフィスミリに跪くまで、徹底的に教えてやる。特別な存在である我々に歯向かえばどうなるか」
「お母様」
息子の声に振り向くと、彼は少し呆れた表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「朝食の時間なのに来ないので探しましたよ」
「あら、ごめんなさい。当主の仕事で忙しいあなたに、迷惑を掛けてしまったわね」
お父様からバーガル子爵家の当主を引き継いだリズガ。少し気の弱い面もあるけれど、そこが可愛いのよね。
「フィスミリの様子はどうですか?」
リズガが、フィスミリの部屋がある二階を見上げる。
「かわいそうに、ずっと苦しんでいるわ」
「そうですか」
悲しげに顔を伏せるリズガ。
「でも、大丈夫よ。あと少しで、フィスミリは元に戻るわ」
「それですが……返された呪いを、呪った相手に移したら助かるなんて、本当なんでしょうか?」
リズガが怪しげに牧師を見る。
「本当です。信じて下さい」
牧師が慌ててリズガに訴える。その様子に、リズガは眉間に深い皺を寄せた。
「どうしたの?」
そう言えばリズガは、最初から牧師の事を怪しんでいたわね。呪いを返された者が、助かったと聞いた事がないと。でもそれは、呪ったことが教会にバレたら大変なことになるから、みんなが隠しているのだと牧師が言ったのよね。私も、その通りだと思ったんだけど。
「いえ、なんでもないです。お母様、朝食にしましょう」
「そうね」
コンコンコン。
玄関の扉を叩く音を聞いて、目的の相手が到着したのだと思い、思わず笑顔になる。
「はい」
玄関の扉を開けようと、そちらへ足を向ける。
ドゴッ。
「えっ?」
目の前で扉が壊れ、剣を手にした者たちが家の中に押し入って来た。
「何者だ!」
リズガの怒鳴り声にハッとし、私も家に押し入ってきた者たちを睨みつけた。
「ここがバーガル子爵だとわかっているの?」
そういえば、外を守っていたバーガル子爵の騎士たちはどうしたのかしら? なぜ、誰の声も、物音さえもしなかったのかしら?
「はじめまして。バーガル子爵家当主、リズガ・バーガル・ランカ。そして前当主の奥方、フィラン・バーガル・ランカ。あなたたちは女神さまの教えに背いたため、罪人となりました」
押し入った者たちの中から、とても冷たい目をした男がリズガと私を睨む。
「罪人?」
リズガの声が震えている。
「そうです。誰かを呪うことは罪ですし、呪った者を匿うことも罪です。また、呪った相手を脅すのも罪ですし、呪いが行われたことを教会に報告しないのも罪です。よって、あなたたちは今から罪人となります」
うっすらと笑う男に、全身が震えだす。でも、私たちが罪人だなんて認めない!
「私たちは貴族よ。平民に何をしたって許される存在だわ!」
そう、娘は貴族。呪った相手は平民。だから、許される。
「女神さまにとって、貴族も平民も同じです。そして、呪いを使った者は誰であろうと、どんな地位であろうと排除すると決められております。それが例え、王族でもです」
男の視線がスッと横に移動すると、ぞわっとする。今までとは比べものにならないほどの恐怖。
ドタッ。
何かが倒れる音に視線を向けると、牧師が全身を振るわせて床に座り込んでいた。
「牧師でありながら、女神さまの教えに逆らうなど、よくできたものですね」
男の静かな声に、心臓が締め付けられるような痛みを感じる。
「いや、その、俺は、無理矢理。あの、手伝わないとこの村の人達に酷い事をすると言われて。申し訳ありません」
えっ?
驚いた表情で牧師を見ると、男に向かって土下座をしていた。
「無理矢理?」
「はい。そうなんです」
青い顔をした牧師が、必死な表情で男に向かって頷く。
「ちが――」
違うと言いかけたとき、男が「クククッ」と笑う。
「お前が住んでいた家に、二人の女性がいました。全身に殴られた痕、そして檻に入れられた状態で。そんな事をするお前が、この村の者たちの心配を? 誰がそんなウソを信じるんですかね?」
男が牧師に近づく。
「ひっ」
牧師が小さく悲鳴を上げると、男は笑って牧師を蹴り倒した。
ドガッ。
「……」
息を呑んで、壁に激突しお腹を守るように丸まった牧師を見る。
「アルテト司教。それ、俺たちの仕事です」
司教?
「すみません。目の前にいたゴミが目障りだったもので。つい」
「素が出てますよ」
「大丈夫です。ここには、私のことをよく知る者たちと、死罪が決まっている罪人しかいませんから」
しざい?
「ぎゃあぁぁああああ」
「あぁ、呪いを使った化け物は上にいるようですね」
「違う。あの子は私の娘。娘よ」
震えながら司教を見る。
「誰かを呪ったら、その瞬間から人としては扱われません。あれはもう化け物です。そして、呪いを使った者、呪いを返された者は、等しく見た目も変わっていきます。既に見た目も化け物のようでしょう?」
「戻るわ! 牧師が言ったもの! 呪いを、呪った者に移せば、元に戻るって!」
私の叫び声に、男と周りにいた者たちが私に憐れむような視線を向ける。
「その牧師に騙されたのですね。呪いで化け物になった人間は、元には戻りません。これは絶対です」
えっ、騙された?
牧師を見ると、さっと視線を逸らした。




