10話 リーナはリーナ
話を聞き終えたアグスは視線を下げ、ジッと何かを考え込んでいる。リーナの両親と違って、女神さまの恵みだとは思えないのかもしれない。
まぁ、当然だよね。
「リーナが死んで、女神さまが新しいリーナを?」
アグスの呟きが耳に届く。
彼は、何を考えているんだろう?
「リーナ」
アグスが私を見る。
「何?」
何を言われるのか想像できないから、すごく緊張する。
「リーナの記憶があるのは本当?」
「うん」
「去年の夏、祭りで飴を買ったんだけど、覚えている?」
祭りで飴? ……あっ、思い出した。
「うん。お兄ちゃんが買ってくれた花の形をした飴だよね。嬉しくて、どこから食べようか迷っていたら」
あれ?
『どうしたんだ? 困った表情をして』
私を見て、首を傾げるユウ。
「つまずいて、飴を地面に落としてしまった私は……泣いたよね」
泣いたって言うか号泣した記憶がある! いや、飴を落としただけで?
「あっ」
鼻水まで垂れたんだった……。それを、お兄ちゃんに拭いてもらった記憶……記憶が……うわぁ。
顔を両手で隠して下を向く。
リーナはまだ五歳だからいい、でも私は三一歳。そう三一歳なの! この記憶はダメ。恥ずかしすぎる。
「なんだ、リーナはリーナだね」
「えっ?」
アグスを見ると、嬉しそうに笑って私を見ている。
「リーナは恥ずかしい時、そうやって両手で顔を隠していたよね」
あっ、 両手で顔を隠して下を向くのは、リーナが恥ずかしいと感じた時の癖だ。
「リーナ」
「何?」
「リーナは、俺の知っているリーナで間違いない」
「えっ?」
リーナで間違いない? つまり、私をリーナだと認めてくれたって事でいいのかな?
「ありがとう、お兄ちゃん」
恥ずかしい思いをしただけあったって事にしておこう。うん、その価値はあった……はず。
『なぁ、なぁ、何がそんなに恥ずかしかったんだ? すごく気になる、あとで教えてくれ』
絶対に言わない。ユウが知ったら、間違いなくからかって来る。
「さぁ、話も終わったし、朝ごはんにしましょう? そろそろ食べて用意しないと、お父さんが仕事に間に合わなくなるわ」
お母さんがキッチンに向かう。
そういえば、朝ごはんがまだだったな。今まで緊張で感じなかったけど、お腹が空いた。
「お母さん、手伝うよ」
「私も」
お兄ちゃんがキッチンに向かったので、そのあとを追う。
「二人ともありがとう。これを運んでくれる?」
お兄ちゃんには、お茶の入ったコップ二個と、ミルクの入ったコップ二個が乗ったトレー。
私には、大皿に盛られたサラダが渡される。
「気を付けてね」
「「うん」」
サラダの入った大皿を持って、ダイニングに向かう。
あれ? 運びづらいと感じるのは、どうしてだろう?
大皿をテーブルに置いて首を傾げる。
あっ、そうか。元の私とは、手の大きさが違うんだ。そのせいで、大皿が持ちにくいと感じたのか。
「リーナ、手がどうかしたのか?」
心配そうに私を見るお兄ちゃん。お父さんも、何かあったのかと心配そうに私を見た。
「大丈夫」
どう言えばいいんだろう。あっ。
「つまずかなかったから、安心してたの」
「そうか。確かにリーナは、少しおっちょこちょいなところがあって、よくつまずくもんな」
お父さんの言葉に、つまずいては泣いていた、リーナの記憶が次々と思い出される。
「……これからは、気を付けるね」
おっちょこちょいとはいえ、つまずきすぎでは? それに、あんな恥ずかしい泣き方をよくしていたなんて。
「大丈夫だよ、お父さん。リーナのためにハンカチを一枚多く持っているから」
お兄ちゃんが自慢げに言うと、お父さんが嬉しそうにお兄ちゃんの頭を撫でる。
涙と鼻水を拭くための? うわぁ、本当にこれからは気を付けよう。
「アグスは妹想いだな」
それは、私も思う。とっても妹想いの、素敵なお兄ちゃんだと。
「だって、リーナとスーナはすごく可愛いから」
アグスの笑顔に、胸が少し痛む。
「さぁ、食べましょう?」
お母さんが、焼き立てのパンが入ったカゴを持ってダイニングに入って来る。
さっきから思っていたけど、おいしそうな香り。
「「「「いただきます」」」」
私がリーナになってから、皆で食べる二回目の朝ごはん。皆の様子が前回と同じな事に、ホッとする。
『はぁ、焼き立てパンの香り、いいなぁ』
パンの入ったカゴの傍で、何度も深呼吸しているユウに視線を向け、そっと視線を逸らす。
見なかった事にしよう。
食べられないのは可哀想だと思うけど、恍惚とした表情で匂いを嗅いでいる姿はダメだ。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
やっぱり、皆で食べるご飯はおいしいよね。
前の私は、家族も私自身も仕事に追われていて、なかなか一緒に食べる事ができなかった。それだけが、少し心残りかな。もっと家族の時間を持てば良かった。まさか、こんなに早くその時間を失うなんて思わなかったから。
「仕事に行ってくるな。アグスは学校だな。途中まで一緒に行こうか」
お父さんが出かける用意を終わらせると、お兄ちゃんの肩に手を置く。
「うん。すぐに用意するね」
「私も――」
「リーナはもう少し様子をみよう。熱が下がったのは昨日だ。またぶり返すかもしれないだろう?」
えぇ、もう大丈夫だと思うけど。心配させるのはダメだよね。
「わかった。家でゆっくりするね」
皆が出かけたら掃除をして、それからゆっくり過ごせばいいよね。
嬉しそうに笑って私の頭を撫でるお父さん。それにつられて、私も笑顔になる。
「お待たせ。リーナ、掃除なんてしなくていいから、ゆっくり過ごすんだよ」
あれ? 掃除もダメなの?
「これは掃除をするつもりだったな。ダメだぞ。今日はゆっくり寝ていなさい」
お父さんが真剣な表情で言うので頷く。
「はい」
「よし。アグス、行こうか」
「うん。行ってきます」
お兄ちゃんが私に笑顔で手を振る。
「行ってくる」
お父さんはお母さんに片手を上げると、玄関を開けた。
「「行ってらっしゃい」」
お母さんと二人で、お父さん達が見えなくなるまで見送るとリビングに戻る。
「スーナがそろそろ起きてくるわね。リーナは、お昼まで寝ていなさい」
「うん、わかった」
お父さんとの約束だし、お母さんを心配させたくないからね。
「おやすみ」
『リーナ。クズが家の前にいる』
「えっ?」
ユウの言うクズって、私たちを呪った奴の母親かな?
急いで玄関に向かい、鍵をかける。それにホッとしていると、
ガチャガチャガチャ。
ドンドンドン。
ドンドンドン。
ガチャガチャガチャ。
扉を開けようとする音と、叩く音がした。
『うわ、こいつ。扉を叩く前に開けようとしたぞ。最悪だな』
本当にね。人様の家に、許可もなく入り込もうとするなんて。
ドンドンドン。
「中にいるのは、わかっているのよ! 開けなさい! 今日こそ、私の娘を助けなさい」
知るかよ。人を呪っておいて、反撃されたからって助けろ? そんな義理なんて、ないんだよ!
『今日も教会の奴が一緒だな』
「リーナ」
慌てた様子で玄関に来たお母さんが、私を抱きしめる。
あっ、お母さんが震えている。
「大丈夫よ、きっとすぐに帰っていくわ」
お母さんの小さな声に頷いて、背中に手を伸ばす。
ドンドンドン。
「この人殺し!」
それはお前の娘だろうが。
「お前の息子と娘を渡しなさい! 断ったら、この村では生きていけないようにしてやる! 」
……はぁ?
ビクッ。
震えの酷くなったお母さんに、ギュッと抱きつく。
「お母さん」
「大丈夫。大丈夫だから」
お母さんの震える声に、奥歯を噛みしめた。




