「舞台の袖で見る景色」番外編
公爵令嬢視点
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―息苦しさは、私だけに。
『公爵家の娘として完璧でいなさい』
『流石は時期王妃ですわね』
『君が婚約者で誇らしいよ』
完璧でなければだめ、優秀というだけではだめ、唯一でなければいけないの。
お兄様がくださった可愛らしいお人形はすぐに厚い本になって、交流のあった侯爵令嬢とお揃いのガラスビーズで作ったペンダントはすぐにサファイアがぶら下がるものになった。
『お揃いでしたのに』
私達は、七歳だった。
裏表なく笑う彼女も、淑女教育は始まっているのだろうけれど。
頬を膨らませる彼女を、羨ましく思った。
本は必要な知識だからと積み上げられ、ペンダントトップは私の瞳の色だと父が与えてくれたもの。
本は重くそびえて、首にかかるペンダントもとても重たくて、でも笑顔で受け取れば父は満足そうに笑うから。
『次期王妃に相応しい装いを。家族と言えど次期王妃だと忘れるな』
この家は父を中心に回るから、お母様もお兄様も私からは少し距離をとっていた。
『可愛い妹―、不甲斐ない兄を許してくれ』
お兄様は優しく頭を撫でてくれたけれど、お人形はもうくださらなかった。
お兄様の部屋にも、私以上に本が積まれている。
あれでも少ないと、父が受けた教育よりも緩やかだと執事が教えてくれた。
自分のような思いはさせたくないと、父なりに思ってくれていたのだろうか。
―辛いことに変わりはないけれど。
『王太子殿下との婚約がなければ、もう少し子供でいられたのに……』
呟いたお母様は一度きつく抱き締めてくださった。
それからは、立派な淑女になるように、とマナーレッスンがとても厳しくなってしまった。
『君がこんなに頑張っているんだから、僕ももっと頑張るよ。一緒に頑張ろうね』
王太子殿下も泣くのを我慢して必死に勉強していた。
私たちは、お互い慰めあって、励ましあって絆を深めていたはずだった。
『お前の侍女候補だ』
と父に連れて来られたあの子はとても美しい髪を風に遊ばせていた。
真っ直ぐに私を見詰める瞳に、落ち着かない気分を味わったことを覚えている。
彼女はとても細やかに私の世話をしてくれた。
彼女の柔らかい声で名前を呼ばれた時、もうずっと、名前を呼ばれていなかったことに気付いてしまった。
家族は皆忙しく、中々会話をすることもない。
使用人は『お嬢様』と呼び、婚約者の王太子殿下ですら『君』と呼ぶ。
―公爵令嬢様、お嬢様、君、兄からの『可愛い妹』。愛情はあるのかもしれない。ただ、望んでいるのはそんな呼びかけじゃない。
だからこそ、彼女が私の名前を呼んだことで、息苦しさと嬉しさで胸が苦しくなった。
その日から、彼女は常に私の傍に―。
彼女の奏でるハープが好きだった。
繊細な指を守らなくては。
艶やかな髪を流れるままにした彼女がハープを奏でる姿は、まるで神聖な絵画を見ているようで。
風に靡く髪が光を浴びて、その軽やかさに見惚れてしまう。
『貴女は結い上げては駄目よ。美しい髪なのだから、流れるままにしていてね』
私の髪を複雑に編み込んでいるその指は、私の髪ではなくハープに触れているべきなのに。
『もう一曲聴かせて欲しいわ』
『ええ、喜んで』
お手本ではない音だった。
哀しさも喜びも、甘さも焦燥も、彼女の奏でる音色は自由で私の耳を楽しませる。
『お嬢様のために作りました』
呼び方は変わっても、その優しさは変わらずに。
照れたように捧げてくれた音色は、優しく柔らかい旋律で、知らず涙が溢れていた。
影のように寄り添う彼女が、王太子殿下の目に留まるまで時間はかからなかった。
『君の侍女か、美しい人だね』
彼の瞳に浮かんだものに、気付かない筈がない。
それほど、私は彼を見つめていたのだから。
幼い頃に一緒に頑張ろうと言ってくれた彼は、いつからから息抜きを覚えたようで。
息抜き相手の淑女達の棘を彼はきっと知らないのだろう。
『王太子殿下は私との時間を楽しんでいらっしゃったのよ』
完璧な笑みで彼女達に棘を返す。
『あら、王太子殿下の無聊を御慰めいただいたのですね。暇潰しのお相手に選ばれてよろしゅうございましたわね。私とご一緒ですと、ついつい将来を語らうことになりますので』
暗に刹那の関係のくせに、と揶揄しても心は晴れない。
彼が選ぶ女性達がもっと弁えていれば―。
煩わしさに心が冷たくなっていく。
そんな時、彼の視線の先に彼女がいることに気が付いた。
―許さない。
例え誰であろうと、絶対に許さない。
『宮廷でずっとハープを奏でていられれば幸せなのに、と思ったこともあるんです。でも今は、お嬢様の近くにいられて幸せです』
そう言った彼女は、大事にしていたハープを取り上げられて私と王太子殿下の交流に付き従っている。
親友としての本音と嘘。
自由に奏でる音色は私にも救いだったと気付いた。
私が将来王妃になる未来は変わらない。
王太子殿下も色事を抜かせばそれなりに優秀だから、廃嫡されることもないだろう。
彼女は、どうなる。
きっと私に子ができれば、彼女は王太子殿下の愛妾にでもされるだろう。
本人が望まなくても、今でも彼に特別扱いされている。
周りが、本人が気付くほどに。
『彼女の髪は本当に美しいな』
外見しか知らないくせに。
彼女の奏でる甘く苦しい音色も、哀しみを救いに変える音色も、何も知らないくせに。
公爵令嬢の侍女、子爵令嬢、公爵令嬢に恩がありながら王太子殿下に言い寄る不忠者。
公爵令嬢でありながら婚約者の心も引き留められない女。完璧なお人形。
誰もが私たちを好き勝手に束ねていく。
彼女の奏でるハープに、哀しみしか残っていないと気付いてしまった。
彼女の美しい髪は、いつも背中を流れている。
誰もが目を奪われる美しさ。
私が結い上げることを許可していれば、王太子殿下の目に留まらずに済んだのかしら。
―嗚呼、そうね。こうでもしないと、きっと貴女は自由になれない。
悲鳴が上がる、彼女が呆然と私を見ている、彼が私をなじっている。
手の中にあるヘーゼルの髪を握りしめた。
こんな時でも私は笑っている、無機質な人形のように。
♦♦♦
彼女を実家に返して暫く経った頃、久しぶりに侯爵令嬢が訪ねてきた。
久々に会った彼女は相変わらずとても素直で、バカバカしくも可愛らしい後悔をしている。
裏表のない彼女に、婚約者の彼は意外と処世術に長けていると教えた方がいいのかしら、と一瞬思ったけれど言うのは止めた。
それは彼女が自分で見るべきところだと思ったから。
「似ていると貴女は言うけれど、私はそうは思わないわ。きっと貴女は私があの子に嫉妬をしたから、と思ったのかしら?」
素直に頷く彼女に笑いがこぼれた。
「彼女の髪があまりに綺麗だったから、だから切りたくなってしまったの」
私も彼女くらい素直だったら、あの子を違う方法で手放せたのかしら。
「それだけなのよ」
―こんなやり方しか、知らなかったの。
終
型にはめられることを嫌っても、自分が誰かを型にはめていることはあるものでしょうか。




