小さな武士と小さな恋心
『見てるから頑張って……』
千夜ちゃんが、そう言ってくれた。あんなに苦しそうにしているのにも関わらず、こちらを見つめる彼女。
自分の為に、
この試合勝たなくちゃいけないっ!
宗次郎は、ギュッと木刀を握り締めた。
「はじめ!」
宗次郎の相手は、いつもお膳をひっくり返す猫だ。背丈も彼より大きい。
————勝ちたい。
殴られ、蹴られた。僕を捨て子だと笑った。
姉上は、泣いていた。この道場に僕を連れてきた時————。
口減らし。僕みたいな子はたくさん居る。
そんな中で、出会えた人がいた事を今頃になって気づいた。大切な事を教えてくれた。
前に進まなきゃ何も始まらないと、過去に囚われてた僕の背を押してくれた人がいた。だったら、僕はその人達の気持ちに答えたい。
だから僕は、初めて自分の為に竹刀を振るう。
僕は可哀想な子なんかじゃないっっ! !
力強く踏み込んだ宗次郎。木刀は、軽やかに相手の木刀を弾き、再び振り上げられた。
————ダンッ
道場に響いたその音。
「勝者 宗次郎!」
そして、審判の声が続いたのだった。
え?
「勝った?僕が…?」
何が起こったか、わからなかった。ただ、無我夢中だった。
「宗次郎、よくやった!」
近藤さんが、そう言って抱きしめてくれたが、視線は、彼女を探していたんだ。
土方と一緒に試合を見ていた千夜は、きちっと1人で座って最後まで見届けた後、小さく息を吐き出した。
「宗ちゃんは……ゴホゴホッ。やっぱ強い。
ねぇ……よっちゃん…」
そう言って、すぐ横に居た土方に話しかける千夜は、顔色が良くない事がすぐにわかるぐらいだ。
「あぁ、お前も、よく頑張ったな。ちぃ。
こんなに…熱があるのに…」
「へへー。ちょっと……眠いな…」
そう言った途端、彼女の体が傾いた。まるで、張って居た糸が切れてしまうかの様に、崩れ落ちる彼女の体を土方は、受け止めた。
「ちぃっっ?!」
道場の中、土方の声が響く 。
支えた体は、朝より熱くなっていて、 冷静さを無くしていった————。
「ちぃちゃん! ?」
宗次郎が、駆け寄ってくる。
本当は、褒めてやらねぇといけねぇのに、ちぃの熱さが、それを、させてくれねぇ…
ちぃを別室に運んだ土方。宗次郎も心配そうについてきた。
その後、医者がやってきて、千夜を診ている時だった。
「ちぃちゃん大丈夫なの?」
心配そうに、そう言った宗次郎。
「大丈夫だ。悪い、宗次郎。————よく、頑張ったな。」
頭をポンポンと撫でた。だが、
やめろと言わん限りに、土方の手を振り払おうとする。
「ちぃが、喜んでた。宗ちゃんは、強いね。ってな。」
「僕、ちぃちゃんの側にいる!」
それは照れ隠しなのか?
顔を赤く染め上げた宗次郎。土方に見せるのが嫌なのか寝てる千夜に駆け寄って行ってしまった。
まだ眠っている千夜と、心配そうに寝顔を見つめる宗次郎。
「二人揃って強くなりやがって。」
小さな武士がそこに居た————。
◇◆◇
試合が行われた数日後。土方は、目の前の光景に、ただ、固まった。
……こいつは誰だ……?
「ちぃーちゃん。」
ニコニコと、満面の笑みを見せるのは、宗次郎だ。
ゴホゴホ
まだ少し咳をする千夜に、抱きつく宗次郎。
つい、この間まで、ツンケンしていた奴か?と
聞きたくなる程の変わり様だ。
「宗次郎、まだ、ちぃは体調良くなってねぇんだ。」
そう言われれば、おずおずと、千夜から離れた宗次郎は、彼女の顔を覗き込む。
「はい。コレ。」
千夜は、ニコッと笑って、宗次郎に小さな包みを手渡す千夜。
「……コレ。僕に?」
「うん。」
そっと、包みを開けば、白いコロコロしたお菓子が手の上を転がった。
「————金平糖?」
「ちぃがな、お前が頑張ったからって…」
こんな高価なお菓子……
「もらっていいの?」
「うん。」
「ちぃちゃん、ありがとう。大事に食べるね。」
土方さんに視線を向ければ、
「俺は何もしてねぇよ。ちぃが、お前にやりたかっただけだ。」
何もしてない?こんな高価なお菓子なのに?
ちぃちゃんが、僕の為に…
「ちぃちゃん、僕、なにもあげられない…」
「じゃー。元気になったら、手合わせしてね。」
「……そんな事でいいの?」
「そんな事じゃないよ。だって、
————手合わせした事ないじゃん。」
でしょ?と笑ってみせる彼女
君が元気になったら、いくらでもできる事なのに…
「元気になったら…約束ね。」
僕は、初めて、指切りげんまんの歌を歌った。
そして、この日から
————金平糖は、僕の好物になった。
平穏な時が、過ぎて行くかのように思われた。
しかし
黒船来航により、日本が大きく変わっていった。
嘉永6年、
代将マシュー・ペリーが率いる
アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件が起こる。
当初久里浜に来航したが、当時久里浜の港は
砂浜で黒船が接岸できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀に誘導した。
アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。
日本では主に、この事件から明治維新までを
「幕末」と呼んでいる。
ペリー来航。その月、12代将軍が死亡。
異国の船、将軍の死去
嘉永7年4月6日京都大火。禁裏より出火、炎上。
安政の大地震。そして安政の大獄と、まるで全てのモノが討幕運動の呼応の様に世は、動いて行った……
そして、試衛館にも新たな門人。食客が増えたのだった。
彼の名は、山南敬助。
流派は北辰一刀流。
なんでも、他流試合を挑み、相対した近藤に敗れたらしい。
この時、近藤の腕前や人柄に感服し近藤を慕うようになり、以後は試衛館の門人と行動を共にするようになった。
千夜は、山南の部屋で本を良く読む様になった。
「……へぇ。情報って大事なんだね。」
と、関心した様な声が聞こえてくる。
「そうですよ。織田信長も情報があったから
絶対勝てないだろうと、言われていた武将に勝ったって言いますしね。」
「すごいねー。」
土方から見たら、面白くない光景だ。
「でも、情報なんて何処に行けばあるの?」
「そうですね……。町にも情報はありますけど
吉原とかああいう場所には、沢山情報が行き交うでしょうね。」
……吉原……?
遊郭だよね?
首を傾げた千夜。クスッと笑って山南は口を開く。
「お酒を呑むと、人の口は軽くなるモノです。」
この時、千夜は14歳。
この時代ならば、嫁いでもおかしくはない歳。
だが、そんな素振りも無ければ、稽古が終わった後、男がいる中でも着替えをしだす始末だ。娘らしさというモノが無かった。
いつも、袴姿だし、剣術の稽古ばかりしている千夜。
だが、千夜にも、そう言った感情もあった。
「ちぃ。帰るぞ。」
「うん。じゃ、山南さん、またね。 」
「……ああ。また今度。千夜さん。」
土方に小走りで着いて歩く千夜。
そんな姿を見て山南は、小さく息を吐いた。
「……過保護な土方君が近くに居たら、千夜さんの祝言は、まだまだ、先ですかねぇ。」
そんな声が空にへと消えていった。
スタスタ歩く土方。
先に歩き出してしまった土方になかなか、追いつけない千夜。
「よっちゃん!」
小走りで着いて行くが、距離が縮まらない 。
「あら、歳三さん。」
その声に、千夜も土方も足を止めた。
声がした方を見れば、綺麗な女性の姿。戸塚村の三味線屋の娘。お琴。
彼女は、土方歳三の許嫁となった女性………… 。
お似合いの二人。
だけど、千夜の胸はチクリと痛む。
どんなに背伸びをしても一回り歳を離れたよっちゃんに、私が釣り合う訳がない。
「……っ。私、先に帰ってるね。」
無理して笑って、無理してそう言った。
「お、おい!ちぃ!」
そんな土方の声すら無視。
走り出したら止まらない。止まれない。
泣いてるとこなんて見せられない。
私がよっちゃんの近くに居る理由は、女としてじゃない
『なぁ、ちぃ…俺はな、武士になりてぇんだ。
————誠の武士に。』
よっちゃんは、そう言った。大きな黒船を見ながら。だから、私は、よっちゃんを支えられるぐらい強くならなきゃいけない。
だって……、一緒に生きようって約束したもん。
だから、私には、愛だの恋だの必要ない。
なのに、なんで、こんなに胸が痛いの?どうして……?
ちぃが走り去って
土方はお琴を見た。こいつに恋愛感情なんてもんは無い。ただ、兄貴が進めるから仕方なく付き合っているだけ。
「可愛い子。ですね。」
「何の用だ?」
「あら、冷たい。ちぃちゃんには、あんなに優しいのにね?」
どこらへんが優しかったか、教えて頂きたいもんだ。スタスタ前を歩いていただろうに。
「……。私、気づいたんですよ。貴方が本当に
好きな人は、————あの子だって…」
「だったら、どうした?」
俺は、どうかしている。一回り違う女。まだ14歳のちぃに、心底惚れっちまっているなんて…。山南さんと二人で話してるのでさえ、嫉妬した。
今思えば、出会った頃から俺は、あいつに惚れていたのかも知れねぇ
ニヤリ笑った女
「……。お前、ちぃに手を出すつもりじゃ————」
「何にもしないわ。」
だって、さっき、私の前を泣いて走っていったんだから。
「何もね。」
私が貴方と離れなければ、あの子が辛いだけだもの。だから、別れてあげない。ずっとね————。




